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東海岸 - 音楽、食、犬の娘など

クラシック音楽、オペラ、食、ふわふわの犬の娘のこと、などをつれづれなるままに...

[Met 2012-13] Giulio Cesare in Egitto メトロポリタン・オペラ ジュリオ・チェーザレ

2013-05-10 | オペラ



わたしにとって今シーズン最後のメト行きの演目、『エジプトのジュリアス・シーザー』の最終日、非常に楽しめました。メトのことですから、出演歌手の歌唱が平均してよいという好ましい状況、ということもありますけれど、一番嬉しかったのは、先シーズンの椿姫が体調を崩して悲惨で、しかも個人的には行く予定の日も病欠で実演を見損ねて残念だったデュッセが、彼女らしい透き通るような美しい高音やコケティッシュな演技の魅力を発揮していて、もう精一杯の百倍ぐらいの馬力を出していいものを出してくれたこと。非常に嬉しかったです。
もしかしてひょっとすると、デュッセはこれでメトでの主役級の出演が最後になるかもしれませんけれど、最後があの風邪引きの椿姫じゃなくて、ポジティブな方の持ち味をすべて発揮できたような今回のチェーザレで、ほんとよかったです。
そして今回の10回の公演中、開演直後に一度ダウンした以外は、9回ちゃんと出演できたのは、彼女のがんばり・気力もあるでしょうが、少なくとも去年よりも調子が悪くない、と言っていいと思いますよ。もし去年の椿姫の放映をごらんになって、あんな調子だといやだな、と今回スキップする予定だった方、下手するとCD2枚くらい買えてしまう値段だというメトのHD映画上演は、個人的には積極的にお勧めするのは気がひけますが、ともかくTV放映等で鑑賞する機会があった際には、お見逃しなく。メトのHDものはすべてがDVDになるわけではなく、既に同じ演出でのグラインドボーン版が発売されているこのチェーザレは、メト版のDVD発売予定はない、と幕後にデュッセがきっぱり断言していましたので、念のため。


以下、日本でもHD映画上演がある演目ですので、先入観を持ちたくない方はスキップしてください。またつらつら書きのこの記事、見に行くか見に行かないかの判断としては参考にはならない、というところ、どうぞご承知おきくださいませ。



Harry Bicket ハリー・ビケット 指揮

クレオパトラ: Natalie Dessay ナタリー・デュッセ
セスト(セクストス): Alice Coote アリス・クート
コルネリア: Patricia Bardon パトリシア・バードン
ジューリオ・チェーザレ(ジュリアス・シーザー): David Daniels デイヴィッド・ダニエルズ
トロメオ(プトレマイオス): Christoph Dumaux クリストフ・デュモー
ニレーノ(ニレヌス): Rachid Ben Abdeslam ラシード・ベン・アブデスラム
アキッラ(アキラス): Giudo Loconsolo グイド・ロコンソロ

David McVicar デイヴィッド・マクヴィカー 演出



マクヴィカーの演出に関しては、もう既にグラインドボーン版も世に出ているし(パート1はこちら、パート2、3もそこからすぐ見つかる筈)、個人的に一部キャストが不満で、去年の夏ごろにやっとチラチラ横目で見た、だけのようなわたしが、今さら言うこともないのですけれど、なかなかこじゃれて良いと思います。
ストーリーはご存知のシーザー&クレオパトラの筋ですけれど、舞台装置も二重三重の枠組みの次元が平行しているのを暗示しているように、政治的かけひきあり、国際恋愛模様あり、運命に翻弄されるおんなの悲劇/ 少年の成長物語/ 親子の情愛物語/ 血みどろの復讐劇あり、の一大ロマン。今回の演出は、コルネリア&セスト親子が、あれはヴィクトリアだかエドワード風なのか分かりませんが、とにかくイギリスの貴族風、シーザーの兵隊は英国軍隊(もしくはスコットランド兵?)じゃないかなぁ、まぁともかく、そこに色々な外国調(エジプト、インド、トルコ、アラブ、アジア人のダンサーもいたので東南アジア風アラブというかインドネシア風、等々)の異文化や、新時代の新人類調(クレオパトラの20年代フラッパー風)などの「新しい文化」が入ってくる、という体裁。そしてまぁ最後はみんななかよく平和に、の国連調ハッピーエンド。エジプトの港町、しかも植民地時代を舞台にしたら、こういう様々な異文化が交叉するのはありうるんだろうなぁ。
こちらでは fez と呼ばれるトルコ帽を被った召使たちは、一歩下手の階級だったり、クレオパトラも最後、豪華な針金入りのドレスで正式に仲間入りするのは、白人迎合主義的じゃないの、の皮肉もあるのかもしれませんけれど。

そんな「主義」とか政治的なことは置いといて、歌と踊りがミュージカルのように楽しいバリウッド映画的なたのしさもあるし、舞台装置も、様々なエスニックレストランを食べ歩きしているような面白さ(NYCダウンタウンの恐ろしいほど廉価なインド料理レストラン調のカラフルな布やネオンで装飾されたポップな感じ、アラブ風の妖しくも豪華で色っぽい感じ、等々)気楽に楽しめるし、笑えます。メトのお客さんは、もともと比較的笑い上戸かもしれませんけれど、かなりうけてました。

耳なじみで素敵なアリアがあって、それがしゅんと終わって、また次の素晴らしいアリア、というペースが延々3時間以上続くわけですけれど、そしてこの作品は血わき肉踊るというより一定のお行儀のよさがあって、場合によっては退屈になることもありましょうけれど、マクヴィカーの演出だと(あ、そしてビケットだと)、次から次に何が飛び出してくるのか、のお楽しみもあるし、舞台後方でのキャストの演技も細かくて、注意力が散漫になることはないでしょう。お笑いはあっても作品の腕を不自然にひねくら反すことがなく、わたしはこの演出、好みでございます。
もうひとつ今回さすがと思ったのは、照明。舞台両側に特別設置した照明の自然な効果も面白いのですけれど、舞台前方の特別照明が良かった。こんな大きなメトでも、なんというか、ろうそく照明を使用していた時代の舞台というか、コメディ座? 小劇場での出し物、という感じの雰囲気をかもしだしている箇所も多くて、もしかすると顔がアップになったりするHD映画版では、そういう場面で女性が老けて見える心配もありますけれど、ライブで実際舞台を見ていると、舞台上の表現者の顔に照明が当たる感じが、あの昔のほんわかしつつも魔力のある舞台といった雰囲気で、そうそう、ドガの踊り子みたいな光の当たり具合と言ったらいいのか、あれはとても良かったです。



歌手陣、誰からいきましょうか。皆さん歌唱も演技もなかなか以上だし、レチタティーヴォの機微もほんと楽しめたのですが、おなじみのメンツで大抵一定の期待値がある中で、一番へえーこんな人もいるのか、と感心したのは、わたしはモロッコ出身のカウンター・テナーのアブデスラム。グラインドボーンでも同役のニレーノですけれど、わたしは上記のような見方をしていたし、確か低音部があんまり良くなかったか、あやしい感じだった記憶、生で聴くまでは、あまり気に留まりませんでした。
いい感じの美声、温かみのある色合いもなかなかいい響き、しかもダンスの振りはともかく、コミカルな演技も非常に上手くてびっくり。メト版は連れのダンサー達が優秀というかいい味出していて、おかま調の面白さ倍増、ということもあるのでしょうが、クレオパトラの忠実な下僕かつスパイというかフィクサー的に両陣営の架け橋として活躍、ほんと色んなレベルでよかった、楽しませてもらいました。
ニレーノの一番の聴かせどころの Chi perde un momento 、演出に合わせたか、アラブ調というかエスニック風なコロラトゥーラを美しく入れ込んだりしてたのも、いいセンス。ルックスは近所でも見かける普通な感じ、というか特に見栄えがいいわけではないので、人気沸騰するようなことはないかもしれないですけれど、かなりの芸達者、光ってました。とはいえ、これだけだとちょっと実力のほどがはっきり分からないところもあり、いつかまたもっとしっかり歌唱を聴ける機会があればいいな、と思いました。


ベストを着たDD氏、白いネルー・ジャケットのアブデスラム、メトのコンマスのデイヴィッド・チャンSe in fiorito ameno prato


カウンター・テナーつながりで行きましょうか。タイトル・ロールのダニエルズ(DD氏)は、最近もラダミスト鑑賞時に書いていた通り、はっとするほど美声ではないけれど、時々へぇ、と感心するような面白い表現を出してくれるのが魅力だと思うのですが、これは先シーズンの魔法の島の時と同じ印象ですけれど、はっきり言って、親戚のおばさんが歌ってるようなつまらなさ、と思うようなアリアがあったかと思うと、次回のアリアでは、おっさすがDD氏、なんて思うのの繰り返しだったと思います。一つのナンバーも後半凄くよくなったり、一言で「こういう人」と言い切るのが難しい、しっとり歌う感じが素晴らしくって、あぁピークを過ぎてて、うわっと勢いがあるアリアはさほど良くないのかな、と思ってみれば、次回それをひっくり返すような見事さだったり、なかなか期待値の当たり・はずれが面白かった。早いころころした装飾部は少々聴き苦しかったけれど、レチタティヴ部分、そして苦しみ・悲しみの苦悩を表現する歌唱は総じてとても良かったかと。

トロメオのデュモーは、去年のザルツブルクのチェーザレで野性味のある美しい歌唱が素晴らしくって、前世代的というか「男のおばさん」調でないフレッシュな魅力、生で聴くのを楽しみにしていました。
この日は男性2人のペアが多くて、デュモー・ファンも多かったんじゃないでしょうか。デュッセも幕後に、ファンの一人が「あたしの声援、聞こえてた?」なんて冗談を飛ばしたら、「それよりクリストフ登場で悲鳴上げたのは、あれ誰だったのよ?」、なんて返してましたけど、デュモーが舞台上にいる時、彼への客席からの熱い視線がむんむんでした。(ちなみに、関係ないのですが、この日はドイツ人の観客も多かった、なぜだったんだろう・・・)
3幕でデュモーが華麗に飛翔してデスクに飛び乗った時は、ふふ、上階からうっとりの熱いため息が沢山聞こえてきましたし、そこから飛び立つようにジャンプして軽々着地するのですが、あんまり凄く高く飛んだのには、今度は女性陣も多数加わって、客席ではさらに大きな、ひっ、というような息を呑んだ感嘆の合唱が。
全幕通じて、アクロバット的動きも、超悪役とはいえ、「二代目的にわがままし放題の若旦那・坊ちゃん」みたいなおちゃめな演技も、見事な役者ぶり、でございました。



歌唱に関しては、ほんと鋭い味わいの高音がキリッとして、しかも力強いのが素晴らしい! ただメトだとその点が突出して、全体的には少々薄い印象に感じられることも。
メトは非常に歌手フレンドリーな音響なので、カウンター・テナーの歌唱が箱的に合わない、ということは決してなくて、実際アンドレアス・ショルは夢心地になるほど素晴らしかったし、イェスティン・デイヴィスやアンソニー・ロス・コスタンゾなども、よく響いていい感じです。ただ今回思ったのは、中音・低音がもう少し肉厚じゃないと、響きが少々貧弱に聴こえる音響なのかもしれないなぁ、デュモーの声質とはあまりコンパチブルではないな、でした。NYCだと次回の登場はNYCOかあるいはコンサート形式になるかもしれませんけれど、また違うホールで、違う役でも聴いてみたい人です。

男性陣であと記録に残したいのがアキッラのロコンソロ。プログラムにはスカラ座の若手アカデミア出身、今回メトデビューとあります。ずんぐりとしてあんまり器用ではなさそう、しかし歌唱はなかなか。バリトンとありますが、へヴィな深みがある響きが良かった記憶、わたしはバスバリトンかと思って聴いていました。まぁわたしはイタリア人歌手に甘いのかもしれませんけれど、ディクションの一言で言い尽くせないあの独特なリズム感がちゃんとしていると、嬉しくなってしまう。次回は、しっかりイタリアもんで、どれほどの実力の持ち主だかを聴かせて貰いたいです。


ロコンソロ


そして女性陣。コルネリアとセストは、上記のザルツブルク版のオッター&ジャルスキが、あまりに絶妙に素晴らしくって、特に Son nata a lagrimar の別れのデュエットは、今現在、あれを超える感動の美しさをライブで聴ける可能性って、かなり低いんじゃないかと思います。なのであれは別モノ扱いで話しを進めます。

コルネリアのバードンもDD氏と同じく、つい最近のラダミストで聴いていて、あれに付け加えることはあまりありません。深い厚みのある歌唱は母親らしい温かに包み込むような優しい愛情、そして母強し、の底ちからも感じられますし、かなりのゴージャスな品のある美人なので、今回の演出の英国貴婦人は、はまり役でしょう。最後復讐成功後の狂喜はちょっと怖かったですけれど、非常にドラマチックな悲劇的表現、とても良かったです。
幕後には、なぜか、主婦のおしゃべり風にファンと延々話し込んでいて、ラダミストの時に、今回のラダミスト夫婦コンビは声いろがそっくりで、心も声もひとつだ、なんてわたしは言ってましたけれど、実際DD氏と仲がよい様子。深夜だし、キッチンが閉まってしまったら夕飯を食べ損ねるんでしょう、「パット、(レストランの)予約に遅れちゃうよ、愛してるけど、追いて先に行っちゃうよ、ほんとに追いてっちゃうよ」、なんて、DD氏がヤキモキしてました。


バードン、デュモー、クート

クートの自分なりの役づくりというか、子供でもなく大人でもない、どこかぎこちなさが残る十代のセスト、もなかなかだったです。何度も復讐すると言いつつもなかなか実行に移せないセストですけれど、ゆっくり積み上がって、最後のアリアの歌唱表現には、ほのかに大人の男性に成長したのかもな、というような味わい・自信もあったような気が。しかしクートはズボン役がほんと多いなぁ。本人の希望なのかもしれませんんけれど、あれだけ表現力のある迫力のある歌唱ができる人なのだから、始終気を張ったような調子の男の子役ではなく、しっとりかつドラマチックに歌い上げる女性役なども、いつか聴かせてもらいたいような気もします。
ご本人はチャキチャキという感じの女性で、ニコニコ明るくノリのいい感じでしたが、あなたのマーラー(去年のプロムのユロフスキ&LPO)も素敵だったわ、なんて言ったら、ぎょっとしたように、さっと真面目な表情になって、真剣なまなざしでまじまじと「・・・どうもありがとう!」だったのが、印象に残りました。かなりの思い入れがあるのでございましょう、次の機会があれば、またもう少し心してじっくり鑑賞しようと思います。
(ちなみにクートは来シーズンはニコ・ミューリーのTwo Boysでメト登場予定。わたしは特に好きな作曲家でもないので、今のところは見に行く予定にしていませんけれど、少年がチャットルームを通して殺人というか自殺事件に巻き込まれていくという実際の事件がベース、ミューリーは2011年のENO上演版にかなり手を加えていて、メト版はもっとドラマチックになっている、らしいです。昨日のダウンタウンのラウンジでのちら聴かせイヴェントは17日からこちらで視聴できるよう。)



そしてデュッセ。なんというか、ちょっと胸が悪いのかもしれない調の、ふっと音が途切れたり、息苦しい感じの箇所が、数回なきにしもあらず、ですけれど、ピークを超えた歌手なら当然の瑕をしつこく言うのは野暮、というもんです。期限は約束できない「オペラ界からのサバティカル」宣言をきっぱり出している歌手ですので、なおさらのこと、です。
今回の公演、出だしは少々風邪気味だったそうですけれど、複数回見たという方と幕間にお喋りしていたら、どんどん良くなっていったとのこと。そしてこの日はほんと、わたしは彼女は今出せるものすべて出し切ったような、迫真のパフォーマンスだったな、と感じました。もうそれでわたしは十分、いや十分以上に満足でございますよ。



やっぱりたまに擦れたり、時々寝起きの第一声のような感じになったり、の気配もありますけれど、キャストの中でもハウスに拡がる響きの美しさは、やはりさすが、相変わらず美しい高音は、濁りがないクリスタルのよう。前に心のナイチンゲールと呼びましたけれど、ほんとチェーザレのアリア(Se in fiorito ameno prato)じゃないですけれど、小鳥さんみたいに美しい歌唱にうっとり。
誘惑の V'adoro, pupille もとても美しかったし、セ・ピエタのエモーショナルなrenditionはかなりぐっと心に迫るものがありました。ピアンジェロも、そんな歌い方されたらこっちまで泣いちゃうかも、という感じで素敵だったですが、ソロの最後のナンバー、やったぁ助かったぁ!の Da tempeste il legno infranto はかなり凄かった。これはまた2人のダンサーを率いて振り付けも楽しいアップビートな曲ですけれど、多種多様なコロラトゥーラ満載、それがちゃんと振り付けのニュアンスともしっかり合ってたりするのが、さすが元祖「歌う女優」デュッセならでは。
そしてデュッセらしい渾身のルチアの熱演さえ思い出させてくれるようなコロラトゥーラをじっくりたっぷりと。あんな凄いのは毎回やっていたのかわかりませんけれど、そしてこの曲でここまで感激することがあるとは、思いもよらなかったのですけれど、わたしはかなり感動して、うるっとくるものがありました。(ダンスの最後の方、最後の観客に向かった振り、あそこでの思いっきりの表情を見ていても、かなり千秋楽の気合もサービスも入っていたんじゃないか、とも思います。)

コメディエンヌとしても優れたデュッセの演技は、可笑しくもかわいらしいし、ダンスもばっちり決まってます。グラインドボーン版は、70・80年代の日本のアイドルが歌謡番組でぶりっこ顔で中途半端な振り付け踊りやっているのに似て、これはかわいいのかもなぁ、という気にもなってくるような、なってこないような印象だったのですが、そんな感じとは違ったような。
そして千夜一夜物語に出てくるようなアラブのお姫様、日本流だとモガ(モダンガール)と呼ぶかな、既成の価値観にあまのじゃくな20年代の最先端のフラッパー、妖しくも美しいセクシーな踊り子、品もあるベティ・ブープみたいな色気のマダム、国同士の駆け引きに暗躍する男装の麗人、シンデレラのようなまばゆいばかりに美しいお姫さま、等々の百面変化や、チェーザレ誘惑の勝負にかけるクレオパトラのバスシーンの出し物もさっぱりと楽しいです。

カーテン・コール時は、先シーズンと違ってほんと素晴らしかった!という感じで、観客のデュッセへの喝采は誰のよりも熱くって、いつまでも続きそうな感じでしたけれど、あれだけ頑張っても、ディーヴァぶらない、自分に酔わない、しかもこの作品での立ち位置も、これがチームワークであることもしっかり認識しているデュッセは、さっさと、はい次、と定位置に戻ってDD氏の挨拶に進行させてて、さすがこんな点も筋が通ってかっこいい人だなぁ、でした。

ナタリー、ほんとにお疲れさまでした、そして今までのメトでの名演の数々を含め、どうもありがとう!


Da tempeste il legno infranto を歌い踊るデュッセ


ビケット&メト・オケはモーツァルトの時ほどは感心いたしませんでした。明るい曲調の時はあんまり音色が明るく元気でゴージャスなので、少々うるさめに感じたりも。ホルン、特に、今回の演出では国同士の表面上は慇懃な交渉風景をダンスで表現しているのもよくできている Va Tacito では、ソリスト歌手との大切な絡みもあったりと、今回大活躍ですが、外しを含め、いまひとつノリがよくなかったのも少々残念。しかしデュッセの素晴らしくも熱が込もった Se pietà 等では、メト・オケらしいドラマチックな盛り上げが歌唱の感動を一層高めるような見事さもあって、そういうナンバーでは、やっぱりさすがやね、でした。今回はビケットはチェンバロはときどきレチタティーヴォ部でちらっと弾くだけで、もう一台専門の弾き手が派手な感じで弾いてました。この演出は舞台上のコーディネーションが複雑そうなので、その心、分かる気がします。
また、どういう事情があるにせよ、観客から見ると、舞台上のカーテンコールは自分たちには関係ない、みたいな印象のすばやさで、終わったとたんにハケることが殆どのメト・オケも、今回はコンマスのデイヴィッド・チャンがトルコ帽を被って、オブリガートを舞台上で演奏するので、カーテン・コールに加わっているせいもあるのか、深夜12時を回ろうとしているのに残って同僚の活躍に拍手するメンバーが多くいたのは、やはりいいものを聴かせてくれてありがとう感が増すというか、感じよかったです。
(メトとフィラ管のコンマスは、名前が似ててこんがらがるのですが、わたしは、「金箔貼りのメトのコンマスは、金さん」、「アメリカ人初のチャイコフスキ・コンクール受賞者のフィラ管の方のコンマスは、ちょっと離れているフィリーに「出張」?とこじつけて、張さん」、
と言いたいところだけど、それが逆で、フィラ管の方が金さんのデイヴィッド・キム、メトの方が張さんのデイヴィッド・チャン、と覚えてます。もっといい覚え方があればいいのですが・・・)



最初からちょこちょこ触れてますが、今回はメト登場最後かも、もあったのでデュッセ、幕後に待ってみました。最終日なので多種ごあいさつなどもあって時間がかかってましたけれど、携帯もiPadもデュッセだらけ、の地元のファンの大学生、憧れのデュッセのためにトロントから家族と一緒に初めてメトにやって来た同じく学生と、3人でデュッセばなし等で盛り上がって、楽しく待ってた、という感じです。またこれで3度目のでまちですけれど、今までで一番、待っているのが少人数で、しかもノンビリ家庭的な雰囲気、歌手が出てくると、あらまぁ、というか、おつかれさま的な温かい出迎えという感じだったし、歌手のみなさんともわいわいお喋り、みたいになる、いい雰囲気。

デュッセは、今シャワーから出てきました、という感じでふんわり湯上りのいいにおいをさせて、髪も生乾きのぼさぼさした感じ、ピンクのフード付きパーカーに、アニメ風女の子のキャラクターが描かれたラガフィールドの布の手提げを肩にひっかけて、まぁこんな普段着的というか、これ以上の「素のデュッセ」ってありえないんじゃないかしら。彼女はかなりお疲れだろうに、一人ひとりのファンを大切にしっかり対応しつつも、さっぱり正直で単刀直入、ユーモアたっぷり、飾り気なくみんなとお喋り、の温かな雰囲気。
何枚もブロマイドを持ってきた人にも嫌な顔ひとつせず、しかしサインをしながら、だけどこんなにたくさん、どうするの? 売るの? 、とイヤミやからかう様なニュアンスも入れずに素朴な疑問を投げて他を笑わせたり、とか、今晩はこうやったわね、なんて、恐らく複数回見ているファンが指摘すると、あ、良くなったのをあなたちゃんと気づいたのね、とか、話に実もあります。今まで触れた話題以外では、次のトロントでのミッシェル・ルグランもののリサイタルや、来シーズン、カーネギーでカサールのピアノで “serious stuff” をやるリサイタル(シューマン、ブラームス、ドビュッシー他)の話も出ました。
一人、どの歌手にもしつこいおばさんが居て、こんなナイスなデュッセが長々つかまったらかわいそうだな、だったので、一通りサインが終わってキリのいいところを見計らって、ほんとありがとう、おやすみなさーい!と、わざと大げさにプログラムを振って挨拶しましたよ。デュッセもぱっと花咲くような笑顔でおやすみーのバイバイ、みんなでおやすみーと手を振って見送る、ほんわかハッピーエンドの晩でございました。

 

★★★★☆



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2 コメント

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ちょっと残念・・・・ (Kew Gardens)
2013-05-19 21:03:25
3枚綴り券の最後の一枚で観てきました、というかこのために取っておいたというのが正確なところですけれど。 第一の目的だったDumauxが見られたからよかったというのが、終わっての感想です。 ふふふ、昨年のSalzburgで鑑賞してからのにわかファンです。

1年近くも前になりますが、昨年のSalzburgの公演を耳にした時の衝撃と感動はまだどこかに残っているので、物足りなかったです。 Kinoxさんがうるうるしたところは、私もぐっときたりするのですが、作品全体の流れとして続かない。 演出はSalzburgのあれよりは良いし、とても楽しめる物ですけれど、HDのどアップはマイナスに働いたのじゃないかしら? 元祖Singing actressのDessayだけれど、濃い化粧がまるで歳を隠すようにみえちゃいますし・・・・。 でも、会場でみていたら、そんなところは気にならずに、120%彼女のパフォーマンスに没頭できただろうと思います。 

そして、一番私がNGだったのは、やはり主役のDD氏。 もともと苦手なのですが、彼のアリアになるたびに画面一杯に出てこられると、見ざる・聞かざるになりたくなってしまいます。 最初のアリアは見事にオケに出遅れて、そのあとは挽回していたと思いますが、声にも魅力がないし、体のキレも悪くて。 そうそう、恒例のインタビューで、やっぱりオネー系だなという雰囲気がでていましたが、最後に“パートナーのスコットがルネに会いたい会いたいといつも言っていて・・・、ホラ、これがルネだよ“とやった時は、心なしかフレミング女史が引き気味でしたよ。 同類でも○○ちゃんとか、△△△△△は、普通の物言い・物腰なのに、やはり如何にもという人はいるのだと、変なところで感じ入っておりました。 会場には男性のペアが多かったということですが、DD氏関係もいたのではないかしら? 

出待ちされたのですね! Dessayがあまりにも小柄・華奢・普通で、私も驚いたことがあります。 ここでまたミーハーな質問なのですが、Dumauxはどんな感じでしたでしょうか? Intermissionのインタビューも彼はなかったんですよ。 そこもがっかりでした。 

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お気持ち、分かります (Kinox)
2013-05-21 10:44:02
> 第一の目的だったDumaux
> 昨年のSalzburgで鑑賞してからのにわかファン
> 昨年のSalzburgの公演を耳にした時の衝撃と感動はまだどこかに残っているので、物足りなかった
Kew Gardensさまも? わたしはウェブキャストでの鑑賞でしたが、全く同じです。あれはほんと、演出もオケも感心しませんでしたけど、歌唱がみなさん奇跡的に素晴らしくって、わたしもどうしてもあの素晴らしさは忘れられないです。今回のは、無理やり「ザルツブルク版は別格」扱い、と強制的に自分に言い聴かせないと、確かに冷めてしまいそうな面がわたし自身もありました。

また公演が始まる前は、デュッセほんとにできるのかな、大丈夫かな、もあったので、デニースが代役したときはほんとがっかり、DD氏&デニースなんてサイアク、行くのやめようかな、なんて思いましたけれど(バードンもクートもどうしても是非聴きたい、ほど思い入れもないし)、でもデュモーが聴けるんだからやっぱり行こうかな、でしたよ、ふふふ。

あぁ、わたしもひょっとしてデュッセはアップだとキツイかな、とはちらっと思ったのですが、やはりHDは難しいものがありましたか。はい、その場では高音の美しい響きもコロラトゥーラもダンスや演技も、かなり堪能できるものでございました。まぁ、歌唱もほとんど美しいところがあっても、瑕が無い、という訳ではないので、「デュッセが最後頑張ってくれた」の思い入れを別とすると、今回の公演がアップ顔も含めてDVDになって残らないのは、悪いことじゃなかったかもしれないですね。

> 主役のDD氏
> 画面一杯に出てこられると、見ざる・聞かざるになりたくなってしまいます
> 声にも魅力がないし、体のキレも悪くて
> オネー系
DD氏は、わたしはこれで3回目かな、つい最近もラダミストで聴いていましたので、急に美声になることも王者の風格が出ることもありえないだろう、という感じでかなり期待値低く設定してましたから、まぁDD氏がやれる範囲のことでいいものを出して貰った、という評点かな。たしかにあの歌唱で、しかも暗闇の映画館に座って、あのぼんやりとしたノンビリ顔をしょっちゅう、どアップで見せられる、というのは、厳しいものがあるかも、ふふ。
わたしが聴いた日は、ちょっと早いフレーズなんかはオケについていけない厳しい感じがありました。
ただ、この作品のチェーザレは「かの英雄ジュリアス・シーザー」的なものもあるかもしれませんが、お葬式のところでも人一倍めそめそ悲しんでいたり、登場人物の中ではもしかして一番センチメンタルな部分もあるような。DD氏は、悲しいとか苦しいとかいう時の表現の時は、そういう地のおねぇ調がものを言わせるものなのか、表現はなかなかだったとわたしは思いましたよ。もちろんショルやコノリーと比べて聴いちゃあ元も子もない、というレベルなのですけれど、ふふ。

> “パートナーのスコットがルネに会いたい会いたいといつも言っていて・・・、ホラ、これがルネだよ“
> 心なしかフレミング女史が引き気味
あはは、これはおかしい! HDではそういう面白いことが起こるのも楽しみですね! るねい女史の司会の波長って、ただでさえ出てくるだけでわたしにとってはおかしいのですけれど、これはTV放送の時の要チェック項目になりました。

> ミーハーな質問なのですが、Dumauxはどんな感じ
うふふ、わたしも同じです、デュモーって実際はどんなだろう、とかなり興味津々でした!
ニレーノのアブデスラムも、一声よかったよ、と声をかけようかな、と思っていたのですが、「近づくな・話しかけるな」みたいなオーラを発散しながらあっという間に消えてってしまいました。
一緒にだべって待っていたカナダ人の男の子に、デュモー氏も遅いわね、なんて言ったら、「え、彼はDD氏とおなじくらいで出てきて、すごい勢いで去ってったよ」と教えられ、とても残念、わたしは全く気がつかずに見過ごしていました。そうですか、ハウス内でもあれだけ熱い人気があるような様子だったから、メトのことだから幕間に出てよ、と声はかけたのでしょうけれど、インタビューも出なかったのですか、彼は声と同じくプライベートでもとんがったひとなのかしら。

今回は、共に高音が澄んで美しいデュモーとデュッセは、ほんとの兄弟みたいに聴こえるわ、だったし、少々コミカル調とはいえ、コルネリアにツバをはかれた顔を手でふいて、その手をうれしそうにナメナメ、なんて、またちょっと変態的なことをやってたりとか、演技も全編とおして普通以上に突き詰めていて、かなりなツワモノ、次回の機会が楽しみです。
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