全国ワクチン被害者遺族が国を相手取って賠償を求めるようになって、河野太郎が姑息な手段で責任逃れに走っている。「わたしは運び屋としてワクチン供給にかかわっていただけで、安全評価には関知していない。だから、責任はない、」
2021年、衆議院予算委員会で、同一人物の河野太郎は述べている。「わたしのワクチン政策の役割分担はロジとリスクコミュニケーションである。」
リスクコミュニケーション;リスク分析の全過程において、リスク評価者、研究者、そのほかの関係者の間で、情報及び意見を相互に交換すること
正常な人間の認識であれば、河野太郎が、運び屋以外の役割は持っていなかったという自己弁護が詭弁だと感じるのが当該性を持つと考える。河野太郎は、ワクチンの安全評価にもかかわっていたわけで、「関与していない」という発言は、看過できない。河野太郎は、いたずらにワクチンの安全性を誇大広告し、そのリスクには一切触れないことで超過死亡20万人の戦争を作り、いまだに何もなかったかのような面をしている。その尊大と厚顔無恥は人として許すことはできない。
東京裁判の議論はいろいろあるとしても、リーダーの責任の取り方というものはある。東条英機は、戦争遂行者として裁かれたように、河野太郎にもそれと同類の人としての責任があるのではないか。
河野太郎は運び屋ではない。殺し屋である。
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