もっともつまらぬタイプは、自分の考え、言葉を持たない政治家だ。 石橋湛山
CSISアーミテージ ナイ第六次レポートの中で、「日本は短期的に世界のリーダーの役割を果たさなければならない。」と脅迫めいた文言が表記されている。岸田政府は、そうしたジャパンハンドラー=ワシントン、ウォール街、つまり、西欧近代を組織した、残忍極まりない不法者世界金融ユダヤの描くシナリオに沿って、グロバルエリートの欲するがままに、政策を進めている。移民受け入れー技能実習生の受け入れ拡大、在留延長、沖縄、南西諸島の基地機能強化----国内の諸課題を、外圧によってゆがめている態様は、あさましい。
石川地震もおざなりに、テレビで、総裁選の話などしている場合かー堤未果
:権力欲に目がくらんだ岸田の政権維持は、アメリカの表面的な岸田支持が自信の根拠になっている。岸田の歪んだグロバル精神が、石川を見捨ててなお平然としていられる根拠だろう。
岸田を内閣辞職に追い込めない議会はもどかしい。
社会の混沌を拡大するようなことばかりする岸田の権力欲には唖然とする。
岸田には、国家国民の声明、財産を守る気などない。
こんな男が総理大臣になれる3等国日本にしたのは、まさに自民党である。
アメリカの意向で総理大臣になり、消費税を上げ、原発再稼働をし、民主党を壊した野田佳彦がマスゴミに露出するようになった。ジャパンハンドラー、ジェラルド カーチスが、マスゴミに露出する。グロバル戦争屋の電波支配が進行する中で、ステルス植民地政策が展開されている。
小池百合子が「カイロ大学首席卒業」を「いい成績だったから書いた。」と釈明し、カイロ大学の声明が出たとき、マスゴミはおろか、都庁自民党、共産党も口をつぐんで小池劇場が出来上がって、東京は混沌の中で破滅首都に向かっている。
あの時、マスゴミは、小池に対して、道義的責任を追及するべきだったのだ。道義的責任は、法律より重んじなければ政治家など犯罪者にしか過ぎない。政治家には、矜持が必要であり、見栄え、口先だけのパフォーマンスに詐取されるような空間を作らせない機能を果たすのが、ジャーナリズムという奴だと思っていた。
言論の自由度、日本は世界70位に転落した。すべては、自己保身の似非エリートの権力忖度に原因がある。
不正をペンでたたき殺してきたのがジャーナリズムの精神だ。
権力のプロパガンダに甘んじて、ただ、世間様よりいい暮らしをするために、平然と嘘をつく。捏造、隠ぺい
小池、卒業証明書を提示する義務がお前にはある、エジプト語で語れ、となぜ言えないのか?
全ては、己の肩書を守るためである。
水俣病慰霊式の後での政府、被害者の懇談会で、環境省サイドが、マイクの音を下げ、話を遮る妨害行動に出る。
厚労省が、ワクチン被害者の声を封殺する、横柄で非情な態度と同じだ。
国策企業チッソの公害を隠蔽した政府と御用学者と官僚、彼らには、公僕としての自覚などなく、ただ、組織の中で立身出世することが仕事の目的のようだ。彼らには、個人的利害が第一で、公共の利益は三の次。公共の利益を考えることは、自己利益の棄損になると考えているようだ。それを許すのは、忌まわしい法律である。民主主義、暴力否定、官僚という弱い生き物は、法律の解釈にはたけているが、殴り合いなどしたことがない。人間の情念に疎い勉強のできる官僚の狡猾に、殺意を覚えるのは異常な神経だろうか、と考えたりする。わからないやつは殴ってでもわからせる、かつてそういう時代があった。そういう時代は、今の平和といわれる時代よりはるかに平和だったような気がする。
戦前の日本人は教育勅語のおかげで徳を積んて来たと杉田美緒は教育勅語を礼賛する。教育勅語は、権力による国民の支配装置として機能した。ひるがえって、内容を見ると、天皇崇拝の項を除けば、日本の伝統的仏教精神がある。権力の恣意的操作で作られたものであるとはいえ、全面的に否定するものではない。ただ愛国心は、強制されるものではない。個々人の内心に醸成される価値観である。そういう視点もなく、やみくもに、似非保守の求めに媚びるような杉田美緒に、愛国心を語る資格も能力もない。軽い女である。ただゴルフトークが政治談議になっただけの場末のホステスが杉田だ。徳を語る前にね政治資金裏金についてただすことが急務だろう。それは、杉田個人のみだけではなく、売国政党の裏金議員すべてに通じる責任というものだ。政治が狂っているのではない。政治に携わる議員が狂っているのだ。