石の上にも三年という諺がありますが、なるほど私の今回の人生を振り返ってみてもそのように感じます。
何事でも、多少の向き不向きはあるにせよ、三年位同じことに専念すれば、ある程度のレベル、一人前レベルにはなると思います。
その次のレベルに関しては、本人の才能や資質や使命等に寄るところもあるのでしょうが、三年程度努力し続ければ、それなりの実力はつきそうですね。
仏道修行においても、まずは阿羅漢向に入るのですが、この状態を三年程度継続することにより、阿羅漢果になると釈尊はおっしゃいます。
この三年間一筋に仏道修行に専念することは、一見簡単なようですが、そこそこの決意と覚悟が無いと難しいところもあります。
特に在家での修行であれば、普段の日常生活において、六大煩悩を始め、様々な誘惑や罠が仕掛けられています。具体的には悪霊や悪魔達からの隙をついての攻撃です。更に正確に言いますと、自らの心の内にある己心の魔との闘いでしょうか。
今世阿羅漢になるための手法は既にオ—プンになっていますが、これを理解し実践することは本当に価値あるものであり、生前(この世に生まれる前の天上界)での誓いの大きなテ—マであったのでしょう。
そしてもう一つの大きなテ—マは、三次元世界の改善のために何らかの行動を起こすといったものです。自らが目覚め、取得した知恵や光を外に放出し、世の中や人のために尽力するということでしょうか。
この領域にはなかなかいかないのですが、まずは自らの光を発見し、その光を強くして、自然と周囲に漏れていくような状況を目指したいものです。
私個人は、三年程前に発心し、遅々たる歩みですがこの秋に丸三年を迎えます。
とにかく八正道のマスタ—と実践であるのでしょうが、これは一生かけてのものになりますね。
釈尊の偉大さを年々強く感じてきています。
発した言葉がそのまま法になり得るとは正に奇跡そのものです。