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シロガネの草子

着物を愛した画家が描いた麗しの着物 ~高畠華宵~ 其の3


高畠華宵篇、其の3です。よもやよもや其の3迄続くとは思ってもみませんでした。もう、あらかた華宵先生の描いた美しい色彩の着物の絵は載せたつもりでしたが、又それなりに先生が、描いた絵が集まりましたので、載せてゆきますが、以前に載せたとのも混ざっております。







『雛の客』

『春光』


『古城の春』


『若草』


『青葉の庭』


『わらび』


『さらば故郷』


『京の春』


『草もゆる野辺』


『春日(しゅんび)』


『五月晴』




『かきつばた』


『あやめ』


『白百合咲く頃』

『おとめ』


『おとめ』


『初夏の風』




『涼しき宵』


『ほたる』




『夏ほがらか』


『青すだれ』


『松風』


『はつあき』

『庭の秋』


『朝露』


『浜辺の少女』


『さくらんぼ』


『初秋の庭』






『あわれ知る秋』


『月夜のマンドリン』


『夕月』





『菊咲く日』



『娘時代』



『落ち葉の帰り路』


『かえり路』


『少女新スタイル』



『懐かしき聲』


『ひとり』


『古城の花』


『初雪』


『欄によりて』




『初島田』







『若水』



『嫁ぐ日』


『のどかなる日』


『檜扇』 


『素足のたもと』


『優しき兄』


『江戸の男』


『戦いの後』


『決意』


『若葉の頃』




『杜鵑(とけん)一声)


『時鳥』


『雨中の銃声』




『鮭の恋』



『蛍』


『涼風』 







『秋思う』


『ちよがみ』


『月下の小勇士』


『むすめ』


『鞍馬の秋』


『月光秘曲』


『鏡の行方』


『主税奮戦』


『血吹雪』



『我れ勝てり』


『手まり』



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コメント一覧

アール
すっかり見落としておりまして、今頃楽しませていただいております。
第三弾も素敵ですね。
美輪明宏さんが御自分の著書の表紙によく使われるのは、御自分に似ているからかしら。
なんとも妖しい魅力を感じますね。

「宮さま」と呼ぶ件、今頃ですが高円宮絢子さま婚や会見の席で、守谷さんがどのようにお呼びしているのかの質問に「宮さま、というのが本来ですが、町なかでは目立つので 絢子さんと呼んでいます。」
と言われたので、秋篠宮家佳子さまも宮さまで良いはずだと思います。
夕凪
序列につきまして

皇后→皇太后(上皇后)→皇太子妃(皇嗣妃)
であることは間違いございませんが、
内親王の序列は今上即位中は
愛子様→眞子様→佳子様であり、
秋篠宮殿下が御即位されてはじめて
眞子さま→佳子様→愛子様となります。

また、称号のない内親王であっても
宮様と表現することは
おおきな意味で間違いではございません。
一般国民ではない『皇族』という括りで、
皇族方それぞれを宮様とお呼びする習慣は
昔からございました。

先のコメントを拝見しまして、僭越ながら。
abcdefghij
間違いがありました。皇族嗣妃殿下でなく、皇嗣妃殿下です。
abcdefghij
 七草粥さん、ちょと明らかな間違いがありますので、その一点のみ、シロガネは、説明させて頂きます。
 宮中の女性皇族の序列は、皇后陛下が第一位で、次は、上皇后陛下(皇太后)そして、皇族嗣妃殿下でいらっしゃいます。これは絶対に間違いないです。
 これには、よく知られた話がありまして、大正天皇が御隠れになられた直ぐ後、貞明皇后は、当時の東宮ご夫妻でいらした昭和天皇御夫妻の下座に直ぐに着かれまして、驚くご夫妻に対して
 「お上、わたくしは、ただ今をもって皇太后になりました。お上と皇后さんより、位は下となりましたので、これで良いのです。御悲しみのなかでも、宮中の序列を、乱されてはいけません」
 と、優しく昭和天皇御夫妻に対してお諭されたという話が伝わっておりますし、昭和天皇の大喪の礼の時にも、香淳皇后のご名代をなされた、常陸宮妃殿下が、美智子皇后の後に続かれていますので、間違いないかと。
 でも確か、ロシアのロマノフ家は、皇太后が、皇后よりも上位だったはずが。
 
七草粥
ご説明ありがとうございます。
なるほど、そうお考えですか。
ただ、シロガネさんの理屈にそえば皇嗣(皇太子、東宮)が天皇より上ということになりますが、それは如何お考えでしょうか?

藤原氏が権勢を誇っていた時代ならそういう話もありえないかもしれませんが、今は令和……現代ですから、それはあり得ないかと思います。

天皇家→皇嗣(皇太子、東宮)家→筆頭宮家が一般的ですし。
そう考えれば、内親王殿下の序列も天皇家皇女→皇嗣(皇太子、東宮)家内親王になり、やはり愛子さまがその時にご降嫁されない限りは筆頭はあくまでも愛子さまだと思うのですが
即位前ならなおのことではありませんか?

ついでにいうならば上皇后(皇太后)→皇后→皇嗣妃(皇太子妃、東宮妃)→筆頭宮妃が序列として妥当とは思います。表舞台から退かれたとはいえあくまでも上位は上皇后(皇太后)に間違いないのですから。

姫宮に関しては私の説明が下手なようで、伝わってらっしゃらないようですから、この件は差し控えますね。ただご称号をもたれない内親王は一般的には姫宮とは呼ばれないです。しきたり序列のうるさい宮中なら尚だと思います。

妄想とは言え、誰がモデルか筆力のお陰で容易に特定されるわけですから。きちんと調べてからお書きになるのが筋かなと個人的には思いますが。

先祖が皇室に所縁があるので、宮中行事や相関図は頭に入っていますのが、儀式の件についてご丁寧な説明ありがとうございます。ただ私もそこまで自信をもって言われると……ですから、旧華族で宮中に何度も足を運ばれ皇族とも同級生という方や、天皇家所縁の神職の家系(勅使を受けられる)の方ともご縁を頂きましたので、本当のところはどうなのか伺ってまたお知らせしますね。シロガネさんの作品のお役に立てるかもですし。夜分遅くに失礼しました。
abcdefghij
 七草粥さん、わざわざこちらに、ご意見を送って頂きまして、ありがとう御座います。内親王方の序列は、恐らく、七草粥さんと、同じご意見を、お持ちになられる方も、当然、いらっしゃると思いますので、ご説明いたします。
 これはシロガネが、キチンと作中で、説明を、書かなかったのが、悪いです。すいません。いずれ「我が身を~」のなかで、書くつもりでしたのに、グズグズしてしまいまして、すいません😣💦⤵️。
 シロガネは、皇嗣を、実質的な、皇太子だと思っております。立皇嗣の礼が、恙無くお済みに成られれば、「東宮」様と、書こうかと思っていました。コロナのせいで、延期になったのは、残念無念です。皇嗣殿下が、皇太子で、なければ、黄丹の袍も、代々の皇太子に伝来されていた、壺切の御剣も、皇嗣殿下に渡される筈はありませんから。壺切の御剣は、重要デス。とっても。皇太子でなければ、渡される筈はない品ですから。
 その御剣を渡された、皇嗣殿下の内親王が、妹宮殿下です。そして、若宮殿下は、間違いなく、将来の天皇になられる方ですから、その姉宮は、内親王の筆頭となるのです。父と弟の立場によるのです。女一宮殿下は、天皇の皇女でいらっしゃるのですが、しかし、妹宮殿下の下におかれるのです。妹宮殿下は、将来のの天皇の姉、そして叔母にも当たるのですから。最初、シロガネも、迷ったのですが、昭和の時代の新年祝賀の儀では、当時の皇太子殿下、そして浩宮殿下、礼宮殿下、そして常陸宮殿下、そして高松宮殿下、三笠宮殿下と並んでいらっしゃる、写真を見たことが、ありまして、シロガネの手元にも、常陸宮殿下迄並ばれている写真が、あります。例え天皇の御子の直宮と云えども、序列は、皇太子の皇子達の下におかれるのです。
 この物語では、皇嗣家の若宮、姫宮は、事実上の皇太子の子供として扱われて、いますので、内親王の筆頭は、妹宮殿下となり、そして女一宮殿下、そして院の女一宮殿下としました。それは、「現実」の皇室でも間違いは、ないと思います。
 後、「姫宮」様のご指摘ですが、シロガネは、姫宮様は、内親王の称号を放棄されたと書きましたが、それと同じく、「殿下」(これは、物凄く重要デス)の称号も放棄されました。姫宮様は、この物語では、単なる宮家の姫君様という意味を持つもので、単なる形式的なものに過ぎず、何ら公的な権限もありません。
例えが、変ですが、外国では、殿下を持つプリンセスと単なるプリンセスでは大きく違うはずですし。ん~~例えが、上手くないですね。すいません。
 この物語では、内親王の扱いも色々と変わりまして、妹宮殿下も単なる皇嗣家の内親王では、ありません。継承権は、ありませんが。
 「我が身をたどる姫宮」は、シロガネの妄想物語ですが、又こうあったらいいなとか、そんな願望もかなり自分好みに取り入れた、単なる趣味の「物語」です。どうか寛大なお心で、受け入れて頂いたら、幸いです。



 
七草粥
時々拝見させていただいております。
我が身をたどる姫宮で気になったことが2点ありコメントをつけるところが見当たらずここでコメントをするご無礼お許しください。

まず作中で眞子さまを姫宮と仰ってますが、多分KKさんの婚約会見の「宮さま」発言の影響かとは存じますが、姫宮と呼ばれるのは現在の皇室ではご称号を有された敬宮愛子内親王殿下のみで、秋篠宮というご称号はあくまでも文仁殿下のみが有されるもので「宮さま」とは文仁皇嗣殿下のみをさすことになりますし、秋篠宮家で宮さまとは文仁皇嗣殿下のみになります。

そして内親王の序列ですが、内親王の序列は残念ながら年功序列ではありません。作中では皇嗣妃殿下が「佳子(内親王殿下)が筆頭」とキッパリ仰ってますが、内親王殿下の序列は天皇家一宮の敬宮愛子内親王殿下が筆頭、つづいて皇嗣家の眞子内親王殿下、佳子内親王殿下となります。序列についてはどこでお調べしたかは分かりませんが、いくらフィクションの話でもただでさえ逆風吹き荒れないこと、ないこと書かれてはバッシングされる皇嗣家がお可哀想かと。

しかも作中でかなりキツイことも、シロガネさん自身お書きになっているのだから、調べれば分かることはきちんとお調べになってからお書きになられては如何でしょうか?

個人の自由かもしれませんが、畏れ多くも天皇家や秋篠宮家など実際お会いしたこともないだろうし、直接は存じ上げないわけですから小説にしてしまうのは如何なものかと思いますが。(こればかりはシロガネさんだけではありませんが。自分の意見とことなる人々を下郎、下女と悪し様にいう方もいますし)

寒暖の差が激しいですが、どうぞ体を労りお過ごしください
1ファン
わお、お返事ありがとうございます!!
武漢肺炎の破壊力に、恐怖を感じさせられる毎日です。お仕事、減りそうなのですか。ああ、お掛けする言葉も無いです・・・。
このブログはもちろんお続けいただきたいですが、例えばYouTubeなどで一攫千金狙いの動画を、この機会に発表
なさるのは、いかがでしょうか? 今お持ちの小袖や着物、装束の画像等の資産と潤沢な知識・情報をフルに活用した希少な作品です。「減収分を稼ぐぞー」的な意気込みで、ぜひ挑戦なさってほしいです。わたしは最近、日本語版のAFPニュースをよく見るのですが、中国情報が多いです。中国人のバイタリテイーに圧倒されたり、感動したりすることがシバシバです。子ども時代の病気が原因で両手両足の無い70代の男性が100歳のお母さんを長年ひとりで介護しており、母子関係良好とか。クビから下が動かぬ病人さんの教師になりたかった夢が姉の助力のおかげも大きいようですが、ベッドでの塾で18年目。既に300人ものこどもたちを教えたそうで、大学進学した教え子も多いとか。艱難辛苦を乗り越える庶民の意思の強さと挑戦意欲に圧倒されています。画面のこちらで偉そうにお説教してすみません。まだ第2波、第3波も来そうですが、くじけちゃなんねえ。何としても乗り越えて、呵々大笑いたしましょう。そうそう、山中鹿之助というかっこいいお名前の武士は「我に艱難辛苦を与えたまえ」と祈ったそうです。私の子ども時代は険しかったので、この言葉が支えでした。受け身じゃ無く、強風に向かって進むのです。生意気ごめんなさい。どうぞ、ご自愛くださいね。
明けぬ夜は、無いからねっ
abcdefghij
 1ファンさん、以前にも、コメントを送って頂いたのに、お返事をお返しせず、そのままに、してしまいまして、大変申し訳ありませんでした。
 シロガネは、コメント覧を閉じていましたので、あの時は、たまたまうっかりと、開けてしまいまして・・・・。しかし又こうして送って頂きまして、とても嬉しく、励みになり、又、参考になりました。
 しかし、シロガネは、「偽物説」は、どなたも信じていません。現在の皇室をどう見るか、どう信じるか、どう思われるか、人それぞれだと考えておりますので、  シロガネは、とかく、1ファンさんのお考えを、意見するつもりは、ありません。シロガネは、これまでの皇室を見続けた事の上で、判断しているのみデス。そういう訳ですから、姫宮様方を、「偽者」又は、「影武者」等で、これからの「物語」を書くつもりは、毛頭ありません。すいません😢⤵️⤵️これははっきりと書かせてもらいます。
 それにしても、「我が身をたどる姫宮」。まさか、ファンが、できようとは、ビックリです。ありがたいことデス。こんな、素人の妄想物語を楽しみにして下さりまして、心よりお礼申し上げます。
 でも、実はまだ書きかけの所、手を付けていないのです。コロナの影響で仕事が少なくなりまして、気が滅入ってしまいまして、これからの、どう方向を進めば良いのか、迷ってしまいまして、構想は出来ているのですが・・・・それと画像の方を、これから、日本画(和装姿)一本で、通そうかと、いろいろと画像を、集めておりまして、それが一段落ついたら、続きを書くつもりでした。でもちょくちょく手直しとか、画像を、変えたりして、いるのですよ。
 小袖と着物の事ですが、シロガネは、明治以前は、「小袖」明治以降は、「着物」と分けて考えておりました。「着物」は、明治以降に作られた言葉との事ですし、それで差し支えないかと、思いまして。
 それについては、もう少し詳しく書く事にします。
 いつも応援、ありがとうございます。
 
 
HN忘れたので、「1フアン」で。
*おはようございます。以前「ニセ真子さんのシナリオで次シリーズ」を切望した者です。気長にお待ちしてますね。
さて、美しい小袖画像のご紹介、ありがとうございます。素晴らしいですね!!!これら画像のお仲間たちが維新前後に欧州に渡って、ゴッホらを熱狂させたんでしょうか? 残念、悲しい。
ところで、恥ずかしながら「小袖」と「着物」の区別が付かなくて、検索。下記を読み、息吞みました。
と言うのは、悠仁さまがブータンで和装なさったとき「皇族は和装しない」との反発が強かった。
上皇陛下と天皇陛下の和装の写真が出て、収まったのでしたが、なぜ議論になるのかのそもそもがわからなかったのです。
「お公家さん」のお家では、今も伝統を大切に暮らしていらっしゃると知り、感動しちゃいました。
このかたたちは「旧宮家」なのかと想像しますが、戦後70年経っていても、ぜひ復帰していただきたいですよね。

小袖ときものの違いは? そもそも反幅の寸法の違いが大きい
http://blog.arecole.com/?eid=1237261
今日は反物幅のお話です。
つまり、きもののルーツをさらに調べたかったということなんですが、
なんか、きものと装束って切り離されていて、あまり交わるところがないのです。それは現在も。
あまり歩み寄らない、というより、「お公家さん」のお家の方々は自然にお公家さん文化が染み付いているんです。
偉ぶっているということではなくそれが当たり前として受け継がれているので多分、ご本人たちは意識がないんです。
そういうお家は七五三も羽織袴ではなく、
半尻(はんじり)という狩衣に似た童子用の装束を着けて「深曽木の儀」という碁盤から飛び降りるという儀式をします。
悠仁様もやっていましたよね。
そういうお家のかたは、よその家のことは知らなくて、うちのカレーが当たり前みたいな感覚だと思います。いきなり庶民的例(笑)。
小袖やきものは主に武家で発達した経緯があるから、装束は公家の血筋のものという認識があるように思います。
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