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シロガネの草子

「我が身をたどる姫宮」 その5 


 K氏との別れを決心した姫宮様ですが、そうなれば、又ご実家である皇嗣家が世間から喧しく言われる事は、ご自身の経験でも、知り抜いておられますから、カウンセリングを受ける時には、今後の不安等のご自分の思いを、率直に、言葉に出されています。言葉に出せば、心に貯めて置くよりも、はるかに、楽になられるのです。
 しかしながら、ふと、した時、ご実家の方々には、本当に申し訳のない、とのお気持ちが、溢れ出てしまいます。ましてや、子供達の姿を見ればなおさらです。


 しかし、このままK氏と夫婦関係を続けても、もう・・・・K氏に対しての、思いというのは、赤の他人以下という、感情しかなく、例え、仮面夫婦を演じる事さえ、苦痛というのが、姫宮様の、正直な思いなのです。
 でも、子供達から見れば、K氏はやはり、ただ一人の父親です。K氏も幼い頃に父親を亡くしておりますので、子供達の事は、大変可愛がっていました。それは、姫宮様から見ても、嘘偽りのない愛情だというのは、分かっていました。
 その点では、K氏と、子供達には、本当に、済まないという思いも、ありますが、しかし、あのままの、家庭環境のなかで、子供達を育ててゆくわけには、ゆかないと、K氏という人間の本性が、分かった今では、はっきりと、強く決心しておりました。
 いずれの後、子供達には、何故こうなってしまったのかは、きちんと説明しなければならないと、まだ、深い事情を知らない、子供達の姿を見まして、姫宮様は、思うのでした。


 子供達の姿を、見ながら、つい、あれこれと、物思いされていらっしゃいる時、妹宮様が、ご自身のお子様を、お連れになられました。幼い時分から本当に仲のよろしかったお二方様ですが、性格は、正反対なのです。 
 何事もハッキリおっしゃる妹宮様は、きっと、自分と正反対の、姉宮様は、ご自分のなかで、あれこれと、溜め込んでいらっしゃるだろうと、心配になり様子を、見に来られたのでした。


 皇嗣両殿下は公務で、日中はお出ましになられています。皇嗣妃殿下は、姫宮様の事を心配なさり日中でも、側に付いていようかと、おっしゃいましたが、姫宮様自身、私情で公務にお出にならないのは、我が家のポリシーに反する事だからと、姫宮様は、笑顔で言われました。そういう事は、幼い時分から良く分かっていますし、こうして、自分は今、幼い頃から暮らしていた実家にいて、両親も必ず帰って来て、会えるのですから、姫宮様は、K氏と暮らしていた頃よりも、はるかに気持ちは、楽なのです。でもこうして妹宮様が来られたのは、大変嬉しく思うのでした。


 お子様同士で仲良く賑かに遊ぶ姿を見まして、姫宮様も妹宮様も、自然に自身の幼い頃の事などを、思い出されたのでした。


 こうして、ご姉妹で会われますと、幼い頃はお互いに、ご両親のいない間は、姉妹同士で、いつも支えあって、こられた頃を、思い出されました。
 姉弟が、もっといれば、もっとにぎやかで、両親のいない寂しさも今以上に、薄れるだろうとお互いに思われていて、妹でも弟でも欲しいと、実際に周囲にも、直接話されていました。
 しかし、あの頃、ご両親殿下が、ことに母宮様が大変辛い思いをされていらっしゃるとは、もちろん夢にも思いませんでした。大した後見もいない母宮様があの当時、どれだけの思いをされておられたのか。その事実を知るのはお二人が大人になられてからでした。
 姫宮様は、妹宮様とご一緒に姉妹二人で幼い頃から、良くされてこられたように、お庭を歩かれながら、さまざまな事を話をされました。あの当時の自身の事。母宮様の事。弟宮様の事。もちろん、これから先の将来事も。


姫宮様は、妹宮様にも、K氏と暮らしていた当時の事を話されました。自身で選んだ事だから当然、どんな苦労をしてでも、K氏と添い遂げる覚悟はしていたけども、まさかああいう人間性の持つ人だったとは・・・・・。



 K氏に恋い焦がれていた当時、色々な事を週刊紙やテレビ等でK氏人間性の事を書かれたり、言われても、自分はK氏のいい面しか見えなく、疑いや疑問など持つ事は合ってもK氏の言葉を信じる方を、選んで完全に客観的に見るということが自分には、欠けていた。しかし、一緒になり、K氏という人と暮らして、それがどれほど必要であったかが、年月共に身に染みて良く、分かったと・・・・・。


 最初は、余りに育った環境・・・・と言うより、両殿下の夫婦関係、自身の見聞きした夫婦生活とは、違っていると思いましたが、でも自分は皇族として育った人間、やはり、あれこれと言う事は憚られ、K氏も片親育ちだし、一般とは、違っても仕方ないかもと思い、それに、周囲の反対を押しきったうえで、一緒になったのだから、もう後には引けないと、余計な事は、考えるのは止そうと、ただひたすらK氏の言う事には、それが正しいのだと、信じそれを自身に言い聞かせて従っていたのだと、妹宮様に話されました。


 しかし、それがどれだけ、間違いであったのか・・・・・今更ながらに悔やまれる。この自身の間違いは、きっと、将来も大きく影響を及ぼすのは、間違いなく、そして、それは自身の責任であると。

 K氏と暮らす年月、自分自身の心に溜め込んだ違和感等は、年々大きくなり、それが意固地ともなり、どうしようもない感情を、子供達にも向けてしまった時があった。愛情以上に意地という思いが強くあり、子供達には本当に、申し訳のない事をしてしまった。


 こうして、心が落ち着いた今では、それを思うばかりだが、しかし自分が心を病んでしまった時の事、


・・・・・そんな母親を案じて、子供達が、自分なりの方法で、母親を慰めようと、尽くしてくれる姿を見て、愛らしさといじらさでいっぱいになり、自分は子供達にこんな優しさを持って日頃から接していたのだろうかと、母親としてなんとも情けなく思ってしまった。


 こんな母親でも、子供達にとっては、只一人の母親であるけども、でもその優しさは、何処から来るのだろうと、ふと思った時、子供達は、K氏の姓を持つ子供だから、当然K氏の子供であるのは、当然だがしかし母親の自分の子供でもある、自分の子・・・・・そう思った時、この身に流れる自身の血筋・・・・血脈・・・・父方、母方それぞれの方々、人達のに思いを馳せました。そんな時、あの夢をご覧になられたのです。


皇室と民間とそれぞれ違う境遇ながら、激動の時代を心優しさ、穏やかさを失う事もなく、静かにしかし、力強く生き抜かれた香淳皇后と紀子(いとこ)刀自。


そのお二人の血筋を父方、母方の両方にも受け継がれそして、自分の子供達にも受け継がれているのだと、気付かされた時、自分がこれから何をしなければ、ならないのか、ようやく「道」が見えたと・・・・・。




 妹宮様は、姉宮様の話を聞きまして、何故、香淳皇后と父方の川嶋の曾祖母君が姉宮様の夢枕に立たれたのか、最初、不思議に思われましたが、宮邸にお二人が描かれた絵があるのを思い出し、ああ、そうゆう事も理由なのかも知れないと考えました。


 香淳皇后も川嶋紀子(いとこ)刀自も絵を描かれるのが趣味でしたし、事に紀子(いとこ)刀自の描かれた絵は、母宮様のお部屋等に大切に飾られています。香淳皇后の描かれた絵はお形見分けとして宮家に下されましたのが、これは大切なお品として、普段は大切に仕舞われていますが、時々は飾られています。
 幼い頃からご両親から、これは大切な方が描かれた絵だと教えられ、香淳皇后の女官長を勤められた元宮妃でいらした方が、母宮様のお妃教育を担当されていた関係から、香淳皇后のご健在の頃、大宮御所にご両親と参内した時いつも、自分達姉妹にも優しく接してくれて・・・・といっても妹宮様はまだ幼く、記憶は余りにないのですが、香淳皇后が薨去の後にも時々宮邸に来られ、お元気でいらした頃の香淳皇后の思い出話を聞かされたものでした。ことに姉宮様の容貌は香淳皇后の若い頃に似ておられるとよく言われていましたから、それで・・・・と思われたのでした。


 妹宮様は、姉宮様の結婚生活を聞き、今更ながらあの当時自分はK氏という人間に対して、違和感とこの人は本当に姉宮様の事が好きなのだろうか、愛しているだろうかという思いを、正直に姉宮様に直接、言わなかったのが、間違いであったと、深く後悔しました。
 皇嗣両殿下は、K氏と「お母様」のトラブルが、世間に明るみに出てから、はっきりと結婚には、反対でした。事に、妃殿下は最後まで反対し続けてましたし、この結婚は長くは続かない、必ずダメになると姫宮様の結婚後もおっしゃていました。


 トラブルが、明るみに出た後のK氏と「お母様」の対応を、間近でご覧になられた、妃殿下の判断でした。それは、世間体を重んじるというよりも、姫宮様の、先の事迄を、しっかり見通されていらっしゃいました。


 姫宮様とK氏との、ご結婚時の妃殿下の穏やかなお顔ながらも決して笑っていない冷たい目をされていたのは、他の人達から見てもそれは、明らかでしたし、後々まで、いつもの通りの週刊紙で散々妃殿下の事が大きく取り上げられて、後々の週刊紙の話題の種になりました。姫宮様の「純愛」を反対する「意地の悪い母親」として。




 しかし、妃殿下はそんな事は、気にもされませんでした。そのような事を、いちいち気にされては、生きていられないという、思いもあったのかもしれません。


 妃殿下は、若宮殿下をお産みになられた後、「腹」は据わって、こられました。ご自分という物をお持ちの「芯」のしっかりされたお方なのです。そして、その気質はお子様方へ、それぞれの形として、受け継がれておられます。 



 弟宮様も多感な時期で、姉宮様のご結婚問題で色々と世間が喧しいうえに、自身お命を狙われるという、オゾマシイ出来事があったり、女性天皇を支持する一部のネットで、よからぬ噂話が、流されたり自身を否定するような事も書かれていました。もちろんご当人は、まだご存知なかったのは、幸いですが、将来の自分の進むべき道などは、何気ない日常の日々のなかでも、ご自分なりに考えていらっしゃるご様子でした。


 あの当時は日本も様々な出来事があり、皇室でも新帝が、御即位されたばかりでしたが、皇室の将来の事も議論されていました。事実上、皇室の将来を繋ぐ事がお出来になられるのは、間違いなく弟宮様・・・・皇嗣家の只一人の若宮殿下、お一人のみでした。



 妹宮様は、三人姉弟の真ん中でしたので、姉宮様、弟宮様のそれぞれの思い悩まれるご様子を見てこられました。そして、自身は、皇室の将来を担う弟宮様の事を優先されました。当時の姉宮様は、もうなんと言ってもK氏一筋でしたし、下手にK氏の事を反対して、姉妹関係にひびをいれたくはありませんでした。


 神代から続くと言われる、永き歴史を持つ皇室を将来たった一人で背負われて行くであろう、まだ十代の弟宮様の行く末が、心配で不安で仕方なかったのです。

 例えそれぞれの道を歩む事が、あっても姉妹同士で、弟宮様を支えてゆきたいというのが、妹宮様の願いであったのです。しかし、あのK氏はその足かせになるのは、勿論、承知の事でした。


 初代、神武天皇以来の皇室の長きに渡るお血筋が、次の世代の天皇へと、繋ぐ事がお出来になられるのは皇室内では、若宮殿下お一人というのが、紛れもない当時の現実でした。



 当時の姫宮様は、愛するK氏の事を信じ信頼しておられましたので、K氏は間違いなく将来、弟宮様・・・・若宮殿下の力になる、そう信じ込んでおられたのです。その一方で・・・・



 自分達の身分も立場も、その流れるの上に成り立っているのは、十分にご存じでしたし、そしてその流れるを、生み出し守ってこられたのは、過去の多くの皇室の女性達でした。姫宮様方は、その事は母宮様方から折に触れお聞きになられました。
 
安田靫彦画、瀕死の状態から蘇る日本武尊(ヤマトタケルノミコト)

ご姉妹でお話の話題で若宮殿下の事が、話に登った時にあの当時の皇室の事を思い出され、若宮殿下お一人というのが当時良く言われていた通り、いかに危うく、でも、確かな「光」であり、「希望」であったのかが思い出されたのでした。


 しかし姫宮様とK氏との結婚、そしてその後が、若宮殿下のお立場を大層、危うくしたのかは・・・・・現在の姫宮様は、十分承知しておられます。
 それでも、今晩、現在は宮家の当主で、一家の主となられています、弟宮様、将来の天皇になられる、宮殿下に、今夜、姫宮様は、お会いになられます。もちろん、自身の今後の事を話し合われる為です。
・・・・その6に続きます。



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