A.A.の暇つぶしブログ

暇つぶしの読書と遊戯王の記録

離間計

2019年03月02日 16時38分19秒 | 政治
三国志演義などの軍記物では、離間計(りかんのけい)というのがよく出てきます。同盟や君臣、親子、兄弟などの結びつきを、偽の情報を流すなどして不和を生じさせて、その仲を裂く計略です。

中国や北朝鮮といった、人権意識が薄く我々とは価値観を共有できない国家は、民主主義国家にとって脅威となりえますが、中国や北朝鮮にとっても、日本とアメリカ、韓国との親密な同盟関係、協力関係は、脅威といえます。その結びつきを裂こうとするのは戦略として当然です。日本でも、例えば沖縄の基地問題を利用して日米関係を悪化させようと活動していたりします。もちろん、中には真剣に環境問題を考えて辺野古移設に反対している人もいるでしょうが、もし戦争になれば海の埋め立て以上の環境破壊になります。湾岸戦争の時の油まみれの水鳥の映像は誰もが見たことがあると思います。あのような悲劇を起こさないためにも抑止力が必要だというのに、環境問題にかこつけて基地移設に反対して抑止力を無くそうだなんて、よっぽど考えが浅いか、悪意があるかのどちらかです。

日本国ですら、こうして離間工作に踊らされる人が少なくありません。おそらく韓国ではもっと根深く日韓関係を悪化させるための離間工作が行われてきたのでしょう。かつては日韓併合によって一つの国であった日本と韓国であったのに、それに戦後に独立した1940年代も、日韓基本条約が結ばれた1960年代、ソウルオリンピックがあった1980年代も、反日感情がなかったわけではありませんが、今ほど露骨ではなかった。この30年程で急激に悪化したように思えます。きかけは従軍慰安婦に関する朝日新聞のねつ造記事だったのではないでしょうか?そのちょっと前から、歴史教科書や総理大臣の靖国神社の参拝に中国がクレームを入れるようになり、それに韓国も乗っかって日本を批判するようになってきました。そして、朝日新聞のねつ造記事以降、韓国は日本政府にしつこく謝罪と賠償を請求するようになったのです。

共産党の独裁国家である中国や北朝鮮に対して、共にスクラムを組んで立ち向かわなければならないはずの韓国が、まさか日本を責める立場になるとは日本政府は思いもしなかった事でしょうね。その後、どんどんと理不尽な要求をする韓国政府に対して、日本政府が友好の姿勢を崩さずに来たのは、日米韓の関係が重要である事を十分に理解していたからですが、韓国政府はあっさり離間計に引っかかってますます関係を悪化させてきました。最終的かつ不可逆的な解決を確認した慰安婦合意を無視し、これまた解決済みの徴用工問題を蒸し返してきたのは正気を疑うレベルです。そして最近の火器管制レーダーの照射事件は、完全な敵対行為と言えるでしょう。万が一、韓国側の言い分通りに、火器管制レーダーじゃなかったとしても、日本側が威嚇飛行したとしても、韓国の軍船が北朝鮮の工作船と日本に隠れてコソコソ会っていたという事は、韓国は日本やアメリカよりも、中国や北朝鮮を選んだと思われても仕方がない背信行為です。もはや韓国はスクラムから外して考えなければならないのかもしれませんね。

離間計に踊らされた韓国を憐れと思うか、愚かと思うかは人それぞれだと思いますが、全ての日本国民に、日本でも反米・反韓感情を煽るような離間工作が行われている事を肝に銘じてもらいたいです。先日の沖縄で行われた県民投票もその一部でしょう。沖縄の基地問題を利用して日米間の絆にヒビを入れ、あわよくば沖縄と本土との対立も煽り、沖縄独立運動に持っていくのが狙いだと思います。沖縄の独立支援の名目で沖縄に部隊を進めるためには米軍基地が少ない方が楽なのは間違いありません。もちろんアメリカのやり方が全部正しいわけではないと思います。いつまでもアメリカの顔色を窺うような外交や国防をするわけにもいかないでしょう。しかし、それは国会での議論で決める事であって、扇動された大衆の意見で決める事ではありません。離間工作で反日感情を煽られて、国家の運営さえも感情で左右してしまうような韓国を他山の石とできるよう、気を付けていかなくてはいけません。
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LGBT

2018年07月30日 12時39分10秒 | 政治
杉田議員のLGBTに関する寄稿が問題視されているようなので、LGBT問題について考えてみたいと思います。
LGBTのLはレズビアンのLで、肉体的には女性だけれど、性的指向は女性という同性愛者の事です。Gはゲイで、肉体的には男性で性的指向は男性という同性愛者。Bはバイセクシャルで性的指向が男性、女性の両方の両性愛者。Tは聞きなれない言葉ですがトランスジェンダーの事で、肉体的な性と精神的な性(性自認)が異なる人の事を言います。ちなみに性的指向というのは、恋愛対象となる性の事で、ほとんどの人の性的指向は異性となる異性愛者で、同性愛者や両性愛者は少数です。

LGBTのうち、LGBは性的指向による分類で、Tは性自認による分類なのでちょっと意味合いが違うので注意してください。中にはトランスジェンダーで且つレズビアンという人もいます。肉体的には男性だけど、性自認は女性で、性的指向も女性。また性同一性障害(GID)をトランスジェンダーと同一視する人もいますが、GIDは肉体の性と精神の性が異なるという医師による診断名であり、診断を受けておらず性自認が異なるかもしれないという不確定な状態の人もトランスジェンダーに含むので、トランスジェンダーはGIDを含むより広い言葉と言えます。

LGBT運動は性的指向が異性ではないLGBTを性的マイノリティと呼び、性的指向が異性ではない事によってうける差別などをなくそうという運動です。同性のカップルでも結婚できるようにしようとか、LGBT専用のトイレを作ろうだとかは、すでにあちこちの自治体で実現されてきています。ただ、この方向性が本当にLGBTのためになるのでしょうか?マイノリティの救済という美名のもとに、かえって問題を劇化させているように思えてなりません。

わたしがLGBTについて一番大きく感じている疑問は性的指向と性的嗜好の問題です。LGBT運動をする人は、性的指向によって同性しか愛せないから同性愛者になると言いますが本当でしょうか?確かに生まれついての何かや成長過程の何かのせいで同性しか愛せない人もいるでしょう。そして、そうした人へは行政のサポートが必要だと思います。しかし、性的嗜好、つまり趣味として同性愛をしている人を行政がサポートする必要があるのでしょうか?自分の特殊な性癖を正当化するために、LGBT運動を利用しているのではないかと思えてなりません。そうやって特殊な性的嗜好の持ち主を行政がサポートしだしたら、小学生と結婚したいというロリコンや、お母さんと結婚したいというマザコンも認めなくてはならなくなります。更にはペットとか、アニメのキャラと結婚したいというさらに特殊な性的嗜好の持ち主をどう扱えば良いのでしょう?

上記の事を踏まえた上で杉田議員の新潮45への寄稿を読んでみましょう。
杉田議員はLGBを性的嗜好で同性愛者、両性愛者になった人、Tは性同一性障害の人だという解釈をしているのがわかります。その点でLGBT運動をしている人たちとの解釈の違いがあって、杉田は何もわかってない、基本的な事が間違っているみたいに思われているのでしょう。しかし、性的嗜好の多様性を認めて同性婚を許してしまえば、兄弟婚や親子婚などの問題に発展して歯止めが利かなくなるという指摘は、まさにわたしも同意見です。杉田議員のようにLGBとTは別問題だという見解からしたら、LGBはTに便乗して過剰な権利を要求しているので公正と言えませんね。生まれつきの性的指向や性自認によって悩んでいる人を助けるのは、まさに人権問題であり、政治がやらねばならない仕事だと思いますが、自分の趣味嗜好で同性愛者、両性愛者である人を優遇するのは政治の仕事ではありません。

杉田議員は自身の女子校での経験から、女性が女性に疑似恋愛する事があっても、一過性のものでやがて異性と結婚したと語ります。そしてもし、同性愛も普通な事だという認識が浸透してしまえば、一過性の疑似恋愛で終わるはずが、自分も同性愛者だと誤解してしまうのではないかと案じています。確かにこのままLGBTが広く承認されてしまって、女子校生なのに詰襟を来ている、あるいは男子高生なのにセーラー服を着ている人を目の当たりにしていては、思春期の若者たちはLGBTでないにも関わらず自らの性的指向、性自認に迷い悩むことになる事でしょう。過剰なLGBTの承認は混乱を招くという杉田議員の指摘は間違っていないと思います。

一番問題とされている「生産性」という言葉も、批判されているような「LGBTの人は子供が産めないから生産性がない」という意味では使われていませんでした。確かに誤解しやすい文章、言葉遣いだったとは思います。あえて生産性という言葉を使うなら「LGBTのカップルより不妊治療するカップルに税金を投入した方が生産性がある」くらいにすれば誤解は少なかったかな?投入した税金にたいする成果を生産性という言葉で表現しているだけで、けっしてLGBTを生産性がないからダメだと否定しているわけではなかったと思います。むしろ、性同一性障害の人が性適合手術を受けるのに保険を適用できるようにしたりする事を政治家として考えていいかもしれないと、性的指向や性自認に苦しむ人に対する理解を感じられます。

このように、杉田議員の寄稿を読めば読むほど、そこまで叩かれるような内容ではない事がわかります。LGBとTの言葉の定義について、LGBT運動している人たちとの認識の差があるので、違和感のある人もいると思います。生産性も誤解されやすい表現でふさわしくないとも思います。しかし、LGBTの人権を侵害しているとか、子供のいない夫婦を侮辱しているとか、生産性のない人間は切り捨てても良いと言っているとか、そんな事は全くありませんでした。デモまでして非難している人や、ワイドショーのキャスターたちは、いったい何を見て非難しているのでしょう?

結局、杉田議員を非難している人たちの多くは、杉田議員の寄稿の内容も、LGBTで悩み苦しむ人たちの事も関係ないのです。与党の議員が人権侵害しているように見える発言をしたから叩いているだけなのです。森友問題、加計問題と一緒ですよ。事実であろうとなかろうと、与党の失点になりそうな事を大声て叩いていく。どんな正論を返されても、大声で喚き散らして本質をあやふやにして、とにかく与党が悪かったという雰囲気を作ろうとしている。それじゃ、LGBTで苦しんでいる人を余計に苦しめるだけです。嘆かわしい事ですね。

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立憲民主・枝野代表の演説2時間43分を聞いてみた

2018年07月21日 18時28分38秒 | 政治
立憲民主党の枝野代表が安倍内閣不信任決議案の趣旨弁明で2時間43分もの大演説を行ったというので、その内容を知りたくて衆議院インターネット審議中継で聞いてみました。本当に長くてわたしは何回か休憩を挟みながら聞いたのですが、これをぶっ続けで聞いていた国会議員の皆さまお疲れ様でしたと言いたくなってしまいましたね。

一通り聞いてみて思ったのですが、枝野代表って頭が良いバカですね。優秀であるが故に、自分が間違っているって考えに思い至らないし、自分が見つけた答えに自信がありすぎて、他人の意見にまるで耳を貸さない。逆に自分の正義を他人に押し付けてくる独善さがある。そしてそんな自分のバカさ加減に気づかないバカって感じでした。いや、悪口を言っているんじゃないですよ。今まで、ずる賢い人で、わざと国益を損なうような事をしていると思っていたのですが、今回の熱い演説を聞いて、本当に日本のためだと思い込んで頑張ってるけど、考え方そのものが間違っている可哀想な人のような気がしたのです。

いちいち細かく指摘はしませんが、話す言葉には熱があるし、中には一理あるとうなずかされる箇所もあり、演説の中に悪意は感じませんでした。自分を保守だと思い込んでいるところも本気なんだと思えてしまいます。特に、保守の定義が突飛すぎるところが面白い。安倍総理を含む自民党議員たちが傲慢で保守の資格がないと言いたいがために、保守に謙虚な姿勢が必要不可欠と言ったのでしょうが、それなら自分が作った定義に当てはまらない者は保守じゃないと傲慢に言い切る枝野代表自身も保守じゃなくなっちゃいますよ。ギャンブルに反対するために持統天皇の双六禁止令を持ち出してきて、こっちは1000年も前の事が根拠だからこっちの方が保守的で正しいみたいな主張も微笑ましかったです。古ければ良いというのなら、日本人は竪穴式住居に住むべきだろうし、後の時代には闘鶏や富くじなど、時の政府の許可を得たギャンブルも登場するので、1000年間ずっとギャンブル禁止だったわけでもない。ただ、枝野さんの頭の中では、1000年前にギャンブル禁止だったんだから禁止するのが伝統だという考えに凝り固まって、異論を許せなくなっているのでしょうね。

一番面白かったのは、今の与党は民主主義をはき違えていると言い、多数決の在り方について延々と語ったところですね。正しい情報を開示して少数派が納得できる状態にしてから多数決にするのが民主主義だという趣旨の事をおっしゃいました。確かに働き方改革の審議などでは、官僚が出してきたデータがねつ造されたものだったから納得できないという理由もわからなくもない。しかし、少数派が納得していない状況での多数決は無効だと言い出したら、どんなに精緻なデータをそろえて議論しても少数派が難癖をつけて納得していないと言い張れば多数決できないという事になってしまう。それじゃ、多数派よりも少数派の意見を尊重する不公平な世界です。決して民主主義とは言えないですし、政治が前に進まなくなってしまう。わたしが思うに多数派が少数派を納得させるのが民主主義ではありません。少数派にも意見を述べ、多数派を説得できるチャンスが与えられるのが民主主義です。そして、少数派が多数派を説得できなければ多数決で決めて、政治を前に進めていくのです。審議拒否なんて、そのチャンスを棒に振るバカげた行為なのに、民主主義を勘違いしているからそれに気付かない。民主主義をはき違えているのは枝野代表自身だという事に気づかず、与党を断罪する姿が滑稽で憐れみを誘います。

こうして熱く語る姿を見ていると、枝野代表は自分が作った保守とか民主主義とかの定義を非常に大事にしているのがよく伝わってきます。そして、自分が定義する保守とは違うくせに保守を語る安倍総理らが許せないし、自分が定義する民主主義と実際の国会がかけ離れている事に義憤を感じているのもすごくよくわかる。また、詳しくは語りませんが枝野代表が語る経済政策(タコが自分の足を食べるかのような成長性も継続性もない策)に自信満々で、それが一顧だにされない現状に不満を抱いているのもよくわかりました。ある意味、一本筋が通った人だと言えるでしょう。しかし、残念な事に根本的なところが間違っているから、明後日の方向に邁進してしまっている。惜しいですよね。自分が作った正義に固執するあまり、日本のために頑張っているつもりが、日本に悪影響を及ぼしてばかりいる。優れた師に出会えれば変わる機会もあるのでしょうが、立憲民主党のトップに立っちゃいましたから、もはや誰かの風下に立つ事はしないでしょうし、この熱意を正しい方向に使えるようになる機会はもうないかもしれませんね。本当に惜しい。
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セクハラ

2018年04月22日 12時50分52秒 | 政治
最近、財務省の福田淳一事務次官が記者にセクハラをしたと報道されて責められています。セクハラなんてと気軽に考える人もいるかもしれませんが、セクハラは性差別による人権侵害ですので、重大な問題です。立場の弱い者が理不尽な性的嫌がらせを受ける事があってはなりません。

ただ、難しいのはどこからがセクハラで、どこまでがセクハラじゃないのか?という線引きです。最近は個人主義が肥大しすぎて、ちょっとした事でも人権侵害だのなんだといちゃもんをつける人が増えています。完全に個人主義と利己主義を取り違えているような人たちですが、自分だけの正義を振りかざして周囲を断罪しようとするから厄介極まりない。そんな人たちにかかれば、何気ない会話や仕草までセクハラ扱いされてしまいます。例えばわたしは、アルバイトの面接をするときに、主婦の人が来たら妊娠の予定があるかどうか質問します。仕事を覚えてもらうまでに時間がかかるので、ようやく仕事を覚えた頃に妊娠したから辞めます、なんて言われたら困るからです。正当な理由があっての質問ですが、人によってはセクハラと感じられて訴えるかもしれませんよね。そんな受け取り手の感じ方次第で、セクハラかセクハラじゃないかを決められてしまってはたまったものではありません。そんな事を言い出したら、わたしは露出度の高い服装の女性を見るたびに不快な気分にさせらるから、露出度の高い服を着るのはセクハラだ!という主張も通るかもしれません。

また同じ言動でも、TPOによってセクハラかセクハラじゃないかが変わってきてしまいます。女性の胸を触るのも、職場でしたらセクハラ間違いなしですが、夫婦の営みであれば自然な行為です。相手を口説くのも、路上ならただのナンパでセクハラとは言いませんよね。文字に起こしたらセクハラと思える会話も、その会話がなされた時や場所、お互いの関係によってはセクハラでもなんでもなくなってしまいます。福田次官がセクハラしたと言われている音声は加工されてて、どのような状況で交わされた会話なのかわかりません。女性側の音声もないので、女性が本気で嫌がっていたかどうかすら判断が付きません。福田次官が取材の最中にこのような言動をとっていたら確かに大問題ですが、取材とは関係なしに口説いていただけだったら、しかも、酔って前後不覚の状態だったとしたら、それでも罪になるのでしょうか?

件の女性記者はテレビ朝日の記者で、1年半あまり福田次官と二人っきりで食事を何度かしていたとテレビ朝日は公表しました。異性の取材対象と二人っきりで食事なんて、普通にある事なのでしょうか?可能性は3つあると思います。一つ目は福田次官が情報提供の見返りとして異性との食事を要求した。この場合は言い逃れの余地なく福田次官のセクハラです。断罪されてしかるべき大問題です。二つ目は記者の方から情報提供の見返りとして食事をした。つまり、自らの意思で女性という性を利用して情報を引き出そうとしたという事です。この場合は、福田次官が色仕掛けに弱いバカなのには変わりないですが、女性記者と何度も二人っきりで食事してたら勘違いして言い寄るのも無理ありません。その女性記者も自業自得と言えるでしょう。そして3つ目はテレビ朝日が女性記者の性を利用して福田次官をたらしこもうとした。あるいは、福田次官のスキャンダルを作ろうと画策した。つまり女性記者も福田次官もテレビ朝日の犠牲者えあるという事です。もし、雑誌の記事やテレビ朝日の主張通りに、女性記者が以前から身の危険を感じていて、上司に相談してもなお福田次官と二人っきりでの食事を続けていたのだとすれば、この3つ目の可能性が最も高いと思います。

近年、ハリウッドで蔓延していたセクハラが、被害にあった女性たちが名乗りを上げる事で明らかになり、大きな問題となっています。男性女性を問わず性的嫌がらせによって苦しめられたり、活躍の機会が奪われるような事があってはいけないと思います。だからこそ、性を利用して情報を引き出そうとしたり、相手を貶めようとするような行為は絶対に許されるべきではありません。真偽のほどは定かではありませんが、芸能界には枕営業が横行しているという噂があるように、マスコミ内の性のモラルは低いのではないかと懸念しています。正義の味方気取りで官僚のセクハラを追及するのも結構ですが、まずはその身を見直すべきでしょう。テレビ朝日のモラルが低くなければ、取材対象と異性の記者が二人っきりで食事するなんて事は起こらなかったでしょうし、女性記者から訴えがあった時点で担当者を変えるなりの対応ができていたはずです。

今回のセクハラ騒動で、一番腹立たしいのは野党議員の行動です。事実がまだはっきりしていないにも関わらず、福田次官を責め、麻生大臣の責任問題にしようとする。しかも、麻生大臣が辞めるまで審議拒否をしようとする。さらに、自分たちが勝手に審議をサボっているのに真面目に審議している議員たちが決めた事に文句をつける。挙句の果てに#Me Tooのプラカードを持って財務省に押しかける始末。本当にセクハラに苦しんで、悲痛な叫び声をあげた人たちの声を、政治に利用しようとするその浅ましさに吐き気がします。セクハラは憎むべき犯罪ですが、それを利用して利益を得ようとする人たちもまた憎むべき存在だと思います。
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森友問題 その3

2018年03月19日 16時52分21秒 | 政治
安倍総理夫妻が籠池さんを優遇して、森友学園の土地を値引きする動機がないので、森友問題と安倍総理夫妻とは無関係だろうという話を前回しました。しかし、決裁文書が改ざんされているじゃないか?あれこそが総理夫妻が関わった証拠だろう。そう思う方もいらっしゃるかもしれませんので、森友文書の改ざんについてもお話しします。

最近話題の森友文書の改ざんですが、テレビなどでは首相夫人の昭恵さんが学園側に「いい土地ですから、前に進めてください」と発言したと改ざん前文書に記載されていたと報道されていますが、実際は学園側の発言として、『打合せの際、「本年4月25日、安倍昭恵総理夫人を現地に案内し、夫人からは『いい土地ですから前に進めてください』とのお言葉をいただいた」との発言あり(森友学園籠池理事長と夫人が現地の前で並んで写っている写真を提示)』という記載があったというだけです。つまり、籠池さんが昭恵夫人から激励の言葉をもらったと近畿財務局の人に語った事が書かれていただけなのです。それを、昭恵夫人が財務省に「いい土地ですから、前に進めてください」と働きかけたかのような印象を与えるような報道には悪意を感じられます。

他にも何人かの国会議員の記述が削除されていますが、それらも通常の陳情のレベルであり、それらの国会議員が財務省に圧力をかけたわけでも、財務省が圧力に屈して値引きしたわけでもないのは、改ざん前の文書を読めば一目瞭然です。つまり、安倍総理夫妻にとっても、国会議員たちにとっても、改ざん前の文書をそのまま公開していた方が都合が良かったわけで、公文書偽造の罪に問われるリスクを背負ってまで、改ざんを指示する必要は何もないのです。部外者のわたしにだってこの程度の事がわかるのに、なんで野党議員たちは総理らが改ざんの指示を出したと決めつけて追及するのでしょうか?さらに、元理財局長で国税庁長官を辞任した佐川さんが、まるでトカゲのしっぽのように切り捨てられたかのように語るのでしょう?総理らが書類の改ざんを必要としないのですから、改ざんは財務省が自ら行ったとしか考えられない。だとしたら佐川さんはしっぽどころか本体です。佐川さんを信頼して重用した麻生財務大臣の目を節穴だと侮るならともかく、佐川さんを切り捨てられた可哀想な人、麻生大臣を切り捨てた悪辣な人であるかのように語るのも悪意しか感じられません。

そもそもの問題となっている森友学園の土地の値引きの問題は、財務省側の不手際でしかありません。件の土地はいわくつきの土地で、飛行場や高速道路が近いために騒音が激しかったので住民を移転させて国が買い上げた土地でした。しかも沼地をゴミで埋め立てたので、大量のゴミが埋まっている事は予めわかっていた事でした。一説によれば、埋まっているゴミの処分料が地価を上回っていて、土地としての価値はないも同然だったそうです。実際に、森友学園の土地のすぐ隣の土地は、補助金と相殺という形とはいえ、2000万円ほどの金額で豊中市に売られています。しかも、森友学園の土地は、以前に大阪音大に売ろうとして失敗してしまい、宙ぶらりんになってしまったので、近畿財務局は早く処分したいと焦っていたようです。いわくつきの土地である事や、早く処分したいと焦っている事で、近畿財務局は籠池さんに足元を見られて、安く買い叩かれたというのが、土地の値引き問題の顛末です。総理の意向も、昭恵夫人の口利きも全くありませんでした。

ここからはわたしの推測ですが、籠池さんに足元を見られて不利な契約をしてしまった近畿財務局が、体裁を整えるために決裁文書に必要以上に政治家や昭恵夫人の名前を盛り込んだのではないでしょうか?だから、決裁文書には事実と違う部分ができてしまったから、それを隠した。そして、佐川さんも籠池さんに買い叩かれた恥を隠すために、価格交渉はしていないと言い張ってきたのではないでしょうか?だから、決裁文書に載っていた事前に価格交渉していた記述を隠した。役人が公文書に事実と違う事を記載する事があり得るのか?と疑問に思うかもしれませんが、加計問題で話題になった前川さん自身が、自分の意見を通すために総理の意向という言葉を勝手に使った事があると話していたように、役人がありもしない政治家の意向を振りかざす事があり得るのですから、自らの失態を隠すために政治家の名前を利用するという事は十分に考えられることです。

よく言われる事ですが、キャリア官僚が出世レースで勝つためには失敗しない事が重要事項になります。まして、受験戦争を勝ち抜いてきたエリートたちは、失敗した経験も少ない。それ故に、官僚制は失敗を隠してしまう隠蔽体質に陥りやすいのです。民間企業なら、失敗も経験のうちと捉える場合もあるし、失敗をしない事よりも積み上げた功績で評価される事も多いのですけどね。この官僚制の隠蔽体質が、今回の改ざん騒ぎの本質だと思います。野党やマスコミは、今回の事件を安倍総理や麻生大臣の責任問題にしたいのでしょうが、これは財務省の問題であって、政治家の問題ではありません。いや、これは財務省だけでなく官僚制全体の問題と言っていいでしょう。だから、総理や大臣を追及するのではなく野党も与党と協力して、官僚の隠蔽体質を改善していかなければならないのです。そんな問題の本質をまるで理解しようとせず、ただ倒閣に利用しようとする野党やマスコミがどれだけお粗末なのかがよくわかりますね。
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