今日はアマプラで『アナログ』を観ました。
元々公開前から気になっていた映画だったけど、なかなかチャンスを掴めていなかったのでやっとです。
映画を見てると、ニノが演じる水嶋さんのまっすぐさが際立っていました。
自分がここは手をかけるんだ、と決めたことにはどんなに合理的な方法があっても自分のやり方でやる。
それは仕事に対してだけでなく、人間関係に対しても。
そういう人は、とても信頼できるなぁと思います。
ちょうど、今日Xのトレンドに心身不調というワードが入ってました。
デジタル機器を使って勉強をしていると
心身不調を訴える生徒の数が上がるとのこと。
なんか、分からんでもないなぁ。
私は、勉強や本は紙ですると決めてきます。Kindleを買ったり配信系の授業をとったりしたけど、あまり自分に合わないなぁと感じたから。
映画や音楽みたいに音にしてもらって流していくことで理解することならデジタル機器でもいいけど、立ち止まって何度も振り返って考えることは自分のペースで動きやすい紙が1番です。
合理的とアナログって相反することではないと思うんです。
ただ、主観的に理にかなってることととある社会で客観的に理にかなっているとされていることにギャップがあった時、なんとなく後者の方が優先して合理的と言われてる気がします。
でも、ここはアナログ、ここはデジタルって自分で使い分けることが1番合理的でいいんだよなぁ。なんてことを思っていたら
映画のエンディングの水嶋さんの働き方を見てほおほおと思ってしまいました☺️
そして、映画の終わりにトゲが刺さったように心に刺さったことが
人間関係と合理性について。
映画では、なんとなく人間関係にも合理性でなくこだわりをアナログを貫くことで生まれた奇跡が描かれているように感じました。
今私はちょうど人との関わり方について、どこまで冷静にするか、どこから自分らしさを出すか、そんなことを手探りし出しています。
私の中の人間関係の合理性って生産的であることではなくて、自分と相手が深く関わりすぎることで傷つけ合わない関係でいること。
それは親子、友人、仕事の人はもちろん、
道で困っている人に対しても同じ。
親しくしたい、優しくしたい、
そんな気持ちとその行動をしたことで相手に生まれる感情はどんなものだろう?
その感情に対して自分はどう思うだろう。
そんな問いを持つと、ただ自分の気持ちにまっすぐ人と関わるってことをためらってしまいます。
この映画を見て、もちろん、人との距離感とか冷静な視点が大事という気持ちは変わらないけど、
人との関係って傷つくことや傷つけられることを引き受けただからこそ、作れる関係があるのだろうなぁと。
なんだか、そんなことを思いました。
だから、やっぱり水嶋さんのまっすぐさがすごい際立ってたなぁって思います。
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