こんにちは、かねこです。
僕はイチローがもともと好きなんですが、最近ではいろんなスポーツ選手に興味があります。今の注目選手はサッカーのブンデスリーガ、マインツの岡崎選手です。
愚直にゴールに向かう姿勢がカッコいいですねぇ。
さてこの「ばれるずブログ」ですが、何書こうかなぁと考えましたが、やっぱり松阪生まれ松阪育ちなので、松阪のことについて書こうかなぁと思います。
みなさんは蒲生氏郷という戦国武将をご存知でしょうか?戦国時代が好きな方ならご存知かもしれませんね。
「松阪」という城下町を作った武将です。ちなみに正確には当時は「松坂」です。大阪が坂から阪に変わったときに同じく松阪に変えたそうです。

蒲生氏郷は近江蒲生郡日野(滋賀県)に生まれました。織田信長の軍勢として14歳で初陣を飾ります。伊勢大河内城の戦でその才能を認められ、のちに信長の娘の冬姫をお嫁さんにもらっています。(氏郷は生涯側室を取らなかった数少ない武将でもあります)
武人としてだけでなく内政の才能にもすぐれていた氏郷は信長から城下町づくりを学び、近江の日野の町を発展させました。本能寺の変の直後は信長の妻子を守るため日野城に立てこもりました。
その後は秀吉の家臣になり、伊勢の国の平定に一役買った氏郷は松ヶ島(松阪市の海の方です)の城主となりました。しかし、松ヶ島では城下町として発展させにくいということで、四五百森(よいほのもり)に松坂城を築くことになりました。
今ではお城は残っていませんが、石垣は野面積みを基本とした当時の技術を複合させた石垣で見応えはあります。2011年には国指定史跡になりました。

今でもそこから見える御城番屋敷の長屋はとても趣のある風景です。

氏郷は松坂を城下町とするため、日野の町から商人を呼び寄せ、商業を発展させました。伊勢にも伊勢商人がいましたが、日野商人と上手く融合することで松坂の町を県下でも有数の商業都市にできました。これが松坂商人のはじまりです。
現在でも松阪駅から市役所(お城の方向)に向かう途中は日野町(ひのまち)という町名が付いています。
氏郷は松坂城城主としては約2年ほどしかおらず、その後は会津若松へ移動します。その時も日野の商人を引き連れて城下町を作ったそうです。氏郷は松が好きだったらしく松坂や会津若松など、地名に松を入れたみたいですね。
武道ばかりではなく、和歌をはじめ茶道など文化面にも造詣が深く、多くの才能を兼ね備えた武将でした。しかしその生涯は短く、40歳という若さで亡くなります。
そんな氏郷の詩がこちら↓
「限りあれば 吹かねど花は散るものを 心短き春の山風」
《訳》風なんか吹かなくとも、花の一生はそもそも限りがあり、そのうちいつかは散ってしまうもの。それを何故、春の山の風はこんなに短気に花を散らしてしまうのだろうか?
ちょっと切なくなりますね。
現在は生まれ故郷の日野のお寺にお墓があるそうです。
実は松阪市では毎年11月3日に「氏郷祭り」が開催されています。
今年で53回目になりますが、毎年氏郷役と冬姫役を募集し、甲冑隊や鉄砲隊など総勢200名で武者行列をします。そして氏郷祭りでは一般的な屋台だけでなく、市民が出店するアットホームなお祭りでもあります。

実はワタクシかねこも新町商店街として新町2丁目で「五平餅」を販売しています。五平餅を販売している背がちっこくて、髪がパーマってるおっさんがいたら僕です。気が向いたらお越しください。
あ、意外と恥ずかしがり屋なので遠目で眺めてくださいね。逆に顔見知りには五平餅をめっちゃ売りつけますので覚悟しておいてください(笑)
来週の金曜日ブログはミイ(ひるかわ)さんの担当です。よろしくです。
僕はイチローがもともと好きなんですが、最近ではいろんなスポーツ選手に興味があります。今の注目選手はサッカーのブンデスリーガ、マインツの岡崎選手です。
愚直にゴールに向かう姿勢がカッコいいですねぇ。
さてこの「ばれるずブログ」ですが、何書こうかなぁと考えましたが、やっぱり松阪生まれ松阪育ちなので、松阪のことについて書こうかなぁと思います。
みなさんは蒲生氏郷という戦国武将をご存知でしょうか?戦国時代が好きな方ならご存知かもしれませんね。
「松阪」という城下町を作った武将です。ちなみに正確には当時は「松坂」です。大阪が坂から阪に変わったときに同じく松阪に変えたそうです。

蒲生氏郷は近江蒲生郡日野(滋賀県)に生まれました。織田信長の軍勢として14歳で初陣を飾ります。伊勢大河内城の戦でその才能を認められ、のちに信長の娘の冬姫をお嫁さんにもらっています。(氏郷は生涯側室を取らなかった数少ない武将でもあります)
武人としてだけでなく内政の才能にもすぐれていた氏郷は信長から城下町づくりを学び、近江の日野の町を発展させました。本能寺の変の直後は信長の妻子を守るため日野城に立てこもりました。
その後は秀吉の家臣になり、伊勢の国の平定に一役買った氏郷は松ヶ島(松阪市の海の方です)の城主となりました。しかし、松ヶ島では城下町として発展させにくいということで、四五百森(よいほのもり)に松坂城を築くことになりました。
今ではお城は残っていませんが、石垣は野面積みを基本とした当時の技術を複合させた石垣で見応えはあります。2011年には国指定史跡になりました。

今でもそこから見える御城番屋敷の長屋はとても趣のある風景です。

氏郷は松坂を城下町とするため、日野の町から商人を呼び寄せ、商業を発展させました。伊勢にも伊勢商人がいましたが、日野商人と上手く融合することで松坂の町を県下でも有数の商業都市にできました。これが松坂商人のはじまりです。
現在でも松阪駅から市役所(お城の方向)に向かう途中は日野町(ひのまち)という町名が付いています。
氏郷は松坂城城主としては約2年ほどしかおらず、その後は会津若松へ移動します。その時も日野の商人を引き連れて城下町を作ったそうです。氏郷は松が好きだったらしく松坂や会津若松など、地名に松を入れたみたいですね。
武道ばかりではなく、和歌をはじめ茶道など文化面にも造詣が深く、多くの才能を兼ね備えた武将でした。しかしその生涯は短く、40歳という若さで亡くなります。
そんな氏郷の詩がこちら↓
「限りあれば 吹かねど花は散るものを 心短き春の山風」
《訳》風なんか吹かなくとも、花の一生はそもそも限りがあり、そのうちいつかは散ってしまうもの。それを何故、春の山の風はこんなに短気に花を散らしてしまうのだろうか?
ちょっと切なくなりますね。
現在は生まれ故郷の日野のお寺にお墓があるそうです。
実は松阪市では毎年11月3日に「氏郷祭り」が開催されています。
今年で53回目になりますが、毎年氏郷役と冬姫役を募集し、甲冑隊や鉄砲隊など総勢200名で武者行列をします。そして氏郷祭りでは一般的な屋台だけでなく、市民が出店するアットホームなお祭りでもあります。

実はワタクシかねこも新町商店街として新町2丁目で「五平餅」を販売しています。五平餅を販売している背がちっこくて、髪がパーマってるおっさんがいたら僕です。気が向いたらお越しください。
あ、意外と恥ずかしがり屋なので遠目で眺めてくださいね。逆に顔見知りには五平餅をめっちゃ売りつけますので覚悟しておいてください(笑)
来週の金曜日ブログはミイ(ひるかわ)さんの担当です。よろしくです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます