博単者[HAKATANMON]

博多での単身赴任サラリーマンの日常と壱岐高校野球部を応援するブログです。

菊池雄星投手、今語る甲子園 「どん底に落ち気づいた」

2010-07-16 05:53:58 | Weblog
花巻東高校時代、仲間と共に闘った甲子園での思い出を語る西武・雄星投手=埼玉県所沢市、竹谷俊之撮影
2010年07月15日朝日新聞掲載

 昨年、花巻東(岩手)の怪物左腕として甲子園をわかせた菊池雄星投手(19)。東北出身の菊池投手に、高校時代の思い出、東北のチームや球児へのメッセージを語ってもらいました。

――菊池雄星にとって、高校野球とは何でしょう?

 一番難しい質問ですね。プレーをしていた時は、漠然と勝利のためにやっていたので、特に何のためだとか意識したことはありませんでした。岩手は弱いと言われてきたので、自分はやはり岩手を変えたい、その常識を変えるんだって、そういう思いはあったんですけど、ただ、自分にとって高校野球とは何かと聞かれたときに、答えられませんでした。今になって、甲子園に出る、出ないといった結果ではなく、過程の部分が一番大切なんだなと感じるようになりました。

――高校3年間の目標は何でしたか?

 甲子園にいって日本一になることしか考えていなかったです。ただ、それは目標ではあったけれども、目的ではなかった。目的というのは、自分たちの練習、試合、学校生活、寮生活で周りに影響を与えられるような、勝って喜ばれる、愛されるチームになることが一番の目的でした。自分たちが試合に勝ったとして、「何であのチームに負けたんだろう」と言われるようなチームではなく、「あのチームに負けたのなら仕方がない、あのチームならどんどん勝って欲しい」と思ってもらえるようなチームになりたかった。

 そのためには、練習の態度とか、学校生活、寮生活、あいさつといった普段の生活をきっちりやることを心がけました。あいさつ一つで相手を感動させることもできます。実際に横断歩道をわたっていて、自転車からおりて、ありがとうございましたとひとこと言うだけで、地域の人の学校を見る目も変わりました。

 ホームランを打つことは誰にでもできることではないと思うけど、全力で走ることはだれにでもできる。そういう面について真剣に取り組んだ3年間でした。

――岩手は弱いと言われる中で、中学までは甲子園をどう見ていましたか?

 小・中学と全国大会を経験させてもらったので、全国といっても、力の差は感じませんでした。先入観さえ捨てられれば、簡単に勝てる場所かなって思っていました。というのは、名前負けをなくせれば勝てるかなって。

 弱い弱いと言われているから、自分たちは弱いと思っていて、本当にマイナスの感情ばかりが自分たちを支配している状態になる。そのコンプレックスさえせば勝てる。だから1勝すれば、絶対優勝できると信じていました。そのきっかけが大事なんだなと感じました。

――それが、1年の夏に初めて甲子園に出たときには初戦で敗れました

 1年夏の甲子園は、正直何も覚えていないんですよ。今振り返れば、こうだったって思い返せる部分もあるのですが、その場所にいたことさえも忘れていました。あっという間に夏が終わってしまって……。それこそ、自分自身が名前負けをしていたと思います。相手チームじゃなくて、甲子園という場所に。

 そこまで全国のレベルをすごいと思わなかったのですが、やはり雰囲気にすぐ飲まれてしまう。そこにいて不安だったし、岩手大会とは違う雰囲気だったのを覚えています。

――甲子園に出場した経験で、何か野球への取り組みで変わりましたか?

 その時は、何も変わりませんでした。ボーっとしていて、あっという間に終わってしまって、悔しさもなかったんですよね。甲子園から帰ってきてからは、自分がエースだと思っていたのに、思うようなボールが投げられない。腰が痛いし、練習に身が入らない。佐々木洋監督にもしょっちゅう怒られましたが、監督さんの言葉が、全然、自分の心に響かなかった。色々な方からバーンアウト(燃え尽き症候群)したって言われて自分でも自覚はしていたのですが、練習は全然やる気にならないっていう感じでした。

 けれども、1年秋の県大会初戦で負けてから、意識が変わりました。夏は甲子園に出て、秋は初戦敗退、天国から地獄に落ちたような気分でした。その時初めて、このままだとすぐ3年間が終わってしまうなって感じました。甲子園で気づかされたと言うよりは、秋にどん底に落ちて感じましたね。

――そこからはい上がって行くまでの過程はどうでしたか

 正直苦しかったし、投げていて楽しくなかった。1年生の秋まで投げていた150キロ台の直球を投げられないはずはないのに、投げられない。普通だったら筋力がついているはずなんですが、一冬を越えてもスピードが戻らない。佐々木監督も「見るのもつらかった」と言ってましたし、自分も焦りがありました。

――転機になったのが3年春の選抜大会でしたね。1年生の時と甲子園のマウンドの感覚は違いましたか?

 全然違いました。もし1年の夏で出ていなかったら、3年の春や夏もあっという間に終わってしまったと思います。春に出場したときは、「甲子園に帰ってきた」という気分がしました。1年生の時には、「なんだこの球場大きいな」って思ったものが、3年の時は小さく見えて、簡単にホームランが入ってしまうんじゃないかとさえ思いました。そんなことを思っていたから、ホームランを打たれたんでしょうけれども(笑)。とにかく自分の球場のような感じでした。

 勝つにつれて、取材の方も多くなるし、試合を見に来てくれる人も増えてくるんですけれども、そういうのも1年の時はプレッシャーに感じました。けれども、3年の時は「おれのことを見に来てくれている。いいピッチングを見せてあげたい」と思う余裕がありました。

――全国でやれるという自信が確信に変わったのはいつですか

 やはり、3年の選抜ですね。初戦で勝ったあとに感じました。勝つまでは、正直勝ちをイメージできなかったけれど、1度勝てたら「これが全国なんだ。勝てるんじゃないか」ってチーム全員が思ったと思います。

――春に結果を残しただけに、夏の岩手大会で重圧はなかったでしょうか?

自分は全然なかったですね。鈍くて気がついていなかっただけなのかもしれないですが。いい意味で開き直っていたんですよ。あれだけ春で勝って準優勝したんだから、夏負けても何も文句を言えないだろうなって。普通は春に勝って、夏に負けたら「周りから何を言われるか分からない」って感じるものかもしれないんですが、うちはそういうのが全くなかった。それが結果的に良かったんですね。

 だから夏の岩手大会から接戦が多かったけれど、全く不安はなかったし、楽しかった。リリーフで1点差、2点差で回ってくることもありましたけれど、むしろピンチになればピンチになるほど、楽しいって思えましたね。このチームであと何試合できるのかなって考えて、甲子園で優勝できたとしても、多くてあと10試合だよなって。だから、夏はみんな笑っていましたよ。春の大会と夏の大会では、みんなの表情が違いましたね。

――花巻東のベストゲームはどれだったでしょうか?

 やはり夏の甲子園の準々決勝の明豊戦(大分)でしょう。8回裏に2点をとられて4―6になり、最後の9回表は、みんなにはダメだろうなって思われていたかもしれないですけれど、自分たちはあきらめていなかったですね。できるだろうって。

――試合の途中で菊池投手は背筋痛で交代しました

 正直、自分がケガでいなくなることなんて初めてだった。それでも、岩手大会には試合に出られられなかった選手がバントを決めてくれ、守備から入った選手がファインプレーをしてくれた。みんなの力で勝てた試合でした。自分が1―0で完封した試合よりも、価値のある勝利だったと思っています。

 選抜が終わってから、練習試合で勝てなくなったことがあったんです。周りから「雄星がいないと勝てない」とか、「雄星のチームだ」ってすごく言われたんですよ。そんな花巻東のイメージをくつがえせた試合だったんじゃないかと思います。レギュラーだけではなく、全員で勝てたのが一番うれしかった。「みんながすごいんだよ」って、言いたかったです。

――あと一歩で逃した全国制覇。東北の野球が全国で優勝する時が来るでしょうか

 意識を変えればできることだと思います。口先だけで「日本一になる」とか、いつも「初戦突破を狙います」というようなコメントが続くのはダメですね。自分たちは日本一になろうとみんなで言うことで、自分たちにプレッシャーをかけていた面もありました。

 春の選抜が決まったときには、生中継でみんなが日本一になりますって言ったんです。正直、こいつらバカじゃないかって言われたんですけれども、自分たちは揺るがなかった。「今に見ていろ」と思っていました。それくらいの覚悟が自分たちはありました。日本一になるんだって。誰に何を言われようが、そう思えるのであれば必ず日本一になれると思います。(聞き手=スポーツグループ・山口史朗、福島総局・古庄暢)
     ◇
 きくち・ゆうせい 1991年6月17日、盛岡市生まれ。岩手・花巻東高時代は、1年の07年夏、3年の09年春、夏に甲子園に出場。エースで出た3年春は準優勝、夏はベスト4だった。3年夏の甲子園では154キロを記録。大リーグか日本のプロかで進路を迷い、日本を選ぶ。6球団による抽選の結果、ドラフト1位で西武ライオンズに入団。
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