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聖書と共に

主のみ声には力、威厳あり

今日は、詩編です。
「旧約聖書1日1章」(榎本保郎著)からです。

「主のみ声は力があり、主のみ声は威厳がある」
              (詩編29-4)

 私たちにとって大事なもの、それは「主のみ声」
なのである。
 断食で空腹になられた主イエスにサタンが、
「この石をパンにせよ」と言ったのに対して
主イエスは
「人はパンのみにて生くるにあらず、神の口から
出る言葉によるのである。」
と答えられた。

 人間はパンという現実を求めやすいが、その
全てのものを創り出す、神の言葉があれば良いの
である。
私達は、神の言葉によって生まれてきて、神の
言葉によって今があるのだから、、大事な事は
この事、あの事ではなく、神の言葉なのである。

もし、今、健康でなくても、それを心配する必要
はない。「その病気が治れ」と言われるならば、
治るのである。だから神の言葉を求めて行けば
良いのである。

又、健康であるという事が、決して人間の幸福の
決定的条件ではない。なぜなら、健康な人が、
本当に幸福な生活を送っているか、というと
そうではない。
神の言葉が与えられている、という事こそ、幸福
の条件なのである。

「どんな時にも、神の約束の言葉に望みをおいて
生きていく事」…それが、主イエスの荒野の試み
の精神であると、ティーリケは、彼の著書に繰り
返し書いている。

   **************

「み言葉が開けると光を放って、無学な者に
 知恵を与えます」     (詩編119-130)

「あなたのみ言葉は、わが足のともしび、
   わが道の光です。」  (詩編119ー105)

「わたしは、み言葉によって望みをいだく。」
              (詩編119ー147)
み言葉を読む人に、聖霊が働かれて、生きた
み言葉になる。

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