聖書と共に

この宝を土の器の中に持っている

今日は、Ⅱコリント4章です。

パウロは、ユダヤ人から迫害を受け、又、その
地域の人々からも迫害を受けながらも、福音を
宣べ伝えた。

「この様に、私達は、憐れみを受けて、この務
についており、落胆せずに…神の言葉を曲げず
真理を明らかにし…」と言います。

「もし私達の福音が覆われているなら、滅びる
者にとって、覆われているのである。
彼らの場合(ユダヤ教的クリスチャンの教師)、
この世の神が不信の者たちの、思いをくらませ
て、神のかたちである、キリストの栄光の
福音の輝きを見えなくしているのである」

「しかし、私達は、主なるキリスト・イエスを
宣べ伝える。私達自身は、ただイエスの為に
働く僕に過ぎない。」

「闇の中から光、照り出でよ」と仰せになった
神はキリストの顔に輝く神の栄光の知識を
明らかにする為に、私達の心を照らして下さっ
たのである。

「しかし私達は、この宝を土の器の中に持っ
いる。 この測り知れない力は神のものであっ
て、私達から出たものではない事が、顕れる為
である。」 

「私達は四方から艱難を受けても窮(きゅう)し
ない。途方にくれても行き詰まらない。
迫害に会っても見捨てられない。倒されても
滅びない。いつもイエスの死を、この身に負う
ている。」

「だから、私達は落胆しない。たとえ、私の
外なる人は滅びても、内なる人は日毎に、
新しくされていく。なぜなら、このしばらくの
軽い艱難は、働いて永遠の重い栄光を、あふれる
ばかりに私達に得させるからである。」

「私達は見えるものにではなく、見えないもの
に目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見え
ないものは永遠に続くのである。

ここから「静まりと黙想の朝に」(松木祐三著)
からです。

私達はパウロほどの艱難は無いとしても、
「土の器」である事に変わりはない。

しかし、忘れてはならない。私達には福音とい
う宝が与えられている。
神が分かる事は、自分が分かる事だ、と言った
人がいる。
多くの宝が与えられているにも関わらず、与え
られている福音と自分の尊さを知らないまま、
日が過ぎている事が多い。

福音の尊さは、自分の尊さを知る事につながる。
だから、福音を持つ者は「日毎に新しくされて
いく」と語られているのである。
土の器の自分を卑しめる事はない。福音が私を
高めてくれるのである。


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