聖書と共に

悪しき者は神を求めない

今日は詩編10編からです。

 「悪しき者は自分の心の願いを誇り、
むさぶる者は、主をのろい、かつ捨てる。
悪しき者は、誇り顔をして、神を求めない。
その思いに、すでに『神はいない』という。
彼の道は栄え、あなたのさばきは彼を離れ」

ここから榎本保郎先生「旧約聖書1日1章」
の抜粋からです。

私達の人生は、信仰のある人が、かならず
しも、うまくいくとは限らない。

だれでも、自分中心の生き方をしている間は
神に出会う事は出来ない。
十字架を負わなければ、十字架の主に出会う
事はできないのである。

この世は、悪しき者が案外、誇り顔をして
生きている。あの調子で行けるのなら、あの
調子に流れやすくなる。

しかし、そうした生き方には大きな欠陥が
ある。なぜなら、そこには神に出会ったと
いう喜びがないからである。

それに比べて、キリスト者の生活は、そう
誇らしいものではない。
それはキリスト者とは、赦された者だからで
ある。赦された者には、赦されたのだという
心の負い目があるからである。

けれども、それが故に、どんなにしても赦さ
れなかった罪が赦されたのだ、罪から解放さ
れたのだ、という限りない喜びが、いつも
心の中に生きている者と、されるのである。

しかし、信仰が、そこまで達する事ができな
い時には、悪しき者、いわゆる神を敬わず、
仕えていこうとしない者が、かえって栄えて
いる。

「主よ、立ち上がって下さい。」と詩人は訴
え、正しいさばきが、行われる事を確信する
 
 **************
キリスト者の歩みには、神様への感謝と讚美
がある。中世のヨーロッパのグレゴリア聖歌
から現在に至るも、新しい讃美歌、聖歌が
創られている。

古代ユダヤ人は、詩編が讃美歌の代わりに
なっていた。

日本には、キリスト者の音楽家は少ないが、
ユーオーディアという団体はクリスチャ
の音楽家の集まりである。



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