聖書と共に

永遠の命

今日は「救霊の動力」(パジェット・ウィルクス)
1921年の著作からです。

私は一人の仏僧から、手紙を受け取った。その
内容は以下である。

私は熱心なキリスト者である伯父伯母がいる。
広島の学校に通っていた頃、彼らの家に住んで
いたので、1年間ほど、日曜学校に行っていた。

しかし、仏僧の子であり、自分も後継ぎになろ
うと思っていたので、高等学校に行き初めてか
らは教会に行く事は許されなかった。
将来は住職になるのだという思いが、私を喜ば
ていた。

私は哲学に興味を持っていた。そして、同年代
の青年とは違って、厭世観に捕らわれてしまっ
ていた。仏教は、実際には無神論であって、
人格の消滅を教えるので、その教義に私は満足
していた。だが、数年後、ある事件の為に、
この極端な「観念論」に対する信頼が吹き払わ
れてしまった。

私には、兄弟よりも愛する一人の友があった。
彼は突然病気になり、そしてわずか3時間の
うちに死んでしまった。毎夜毎夜、この友の
に見るのである。昨日まで語り合った友が
永遠に消え去ったという事が、あり得るのだ
うか。彼は、もはや存在していないのだろうか
。でも彼の霊が、どこかで生きている事を、
信じないでは、おられなかった。

考えれば、考えるほど、そう思われてくる。
そして、これを知りたいという深い願いが私を
捕らえた。インド仏教の研究は、私の疑問に
何の答えも与えなかった。私はインド仏教こそ
どんな宗教や哲学にもまさる優秀なものと思っ
ていたが、その確信が無くなってしまった。

その時以来、私は懐疑の世界に生きる事となっ
た。未来を教える真宗の教義を研究してみた。
しかし、それも満足を与えるものでなかったの
で、次に法華経を学んでみた。この教義は、
日本の仏教各派の中で最も奥深いものと言う事
ができるが、それも、私の疑問に答え、私の心
の欲求を満足をさせるものではなかった。

人生の難問は永遠に解く事ができず、ただ死だ
けが、その解決の道である様に思われた。
私は華厳と滝に飛び込んだ藤村操に深く同情し
た。何度か、彼のように自殺しようと考えた。
しかし、そこから私を引き止めた唯一の事は、
「死後、どうなるか」という思いであった。
死は真に人生の、全ての苦しみを終わらせるも
のであろうか。霊魂が肉体を離れた時、どこへ
行くのだろうか。

10年前、日曜学校で、私の心にまかれた種が
ついに実を結ぶ時が来た。私が仏僧になろうと
して、その生涯を選んだ時、全ての種は窒息
してしまったと思っていたが、実はそうでは
なかった。雨と日光は、ついに芽を出させる事
になった。私の仏教的訓練の哲学の研究も、
春の前の冬のようなものであった。

ついに春は来た。神が私の心に光を与えられた
、その無限のご恩寵のゆえに、ただ神を讚美
するのみである。神は暗黒と罪より、私を救い
出して下さった。私の悲しみは逃げ去った。
今年の3月21日、太陽は、私の心に昇り、再び
没することはない。私は救われたのである。

「神は、その一人子を賜ったほどに、この世を
愛して下さった。それは御子を信じる者が、
一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」
              (ヨハネ3-16)




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