聖書と共に

聖霊とみことば

アンドリュー・マーレーの本に「キリスト御霊」
があります。この本はマーレーの著書中の白眉と言われています。
私達は色々説明を受ける時、
「これは、こうです。あれは、こうです」等と話された言葉を、間違って解釈する場合がありす。「これは、こうですが、これではありません」と間違えやすい所を教えられると、納得します。
霊界の巨人と言われるアンドリュー・マーレーは
その間違えやすい所を良く指摘します。

(聖霊とみことば)の章でも、それがあります。
「私達は又、別な極端の、しかも、もっと陥りやすい誤りを持っています。
み言葉は、あなたの内におられる聖霊が受け入れて内的生命に適応させるのでなければ、その命を
あなたに啓示する等とは一瞬たりとも夢想してはなりません。
聖書を読む事、聖書を学ぶ事が、ただ、その意義を悟る事を第一の主要な目的としてなされる事がなんと多い事でしょう。
人々は聖書の意味する所を正確に理解しさえすれば、そのみ言葉のもたらす恵みを、当然受ける事が出来る、と思っています。しかし、これは、正しい事ではありません。

み言葉は種です。全ての種には命が隠れている肉の部分があります。最も貴重な、そして完全な種
であっても、適切な土壌の中で、太陽と湿気に恵まれなければ、その命は決して生長しません。

その様に私達も聖書のみ言葉と教理を、どのように明瞭に、又、熱心に把握しても、その命と力を知る事は、ほとんどないのです。

古代のきよい人々が、聖霊に感じて書き記した聖書は、又、同じ聖霊に導かれたきよい人だけが学ぶ事ができると言うことなのです。

まず第一に静かな礼拝をもって神を仰ぎ、あなたの内に聖霊を与えられ、又、その聖霊の働きを新たにして頂くよう求めなさい。
それから、静かな信仰の行為をもって、あなた自身を、あなたの内に住んでおられる聖霊の力にゆだね、単に、あなたの知力だけでなく、あなたの命、そのものが、み言葉を受け入れる様に開かれるため、聖霊を待ち望みなさい。
内から出る聖霊と命が、外から来るみ言葉を得て
これを食物とする時、キリストの言葉は、真に、
霊であり、命なのです。
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