なんやかや

とりとめのないブログです

36番 青龍寺

2009-06-03 12:11:03 | 四国八十八ヵ所

 36番 青龍寺

 5月17日最後のお寺。

 平地だが狭い道。手前に有料駐車場、奥に無料駐車場。あわてて移動。後ろの車も右に倣え。

 横綱「朝青龍明徳」が名前をとった寺。ここの明徳高校に朝青龍が留学。「朝」は親方の朝汐、「青龍」は青龍寺、名の「明徳」は高校から。この命名をみるといい人そうなんだけどな?

 ここでさびしいお話。山門の画像に映っている彼女。自分は全部の仏像にお供えして「ほう何の願掛けやろ」と思って見ていた。ところがあとから下りてきた同行者。下げたかごに賽銭をザーとのこと。ここでもう一度。これは閉店後にして頂戴。

 あとは帰るだけ。横浪スカイラインを走る。プロ野球のキャンプを見に来ていたころの貝を焼いてくれる店は跡形もなし。

 ここで武市半平太の銅像。土佐勤皇党の名簿も。坂本竜馬、中岡慎太郎の名がみえる。

 しばらく走ると津野町、吉村虎太郎象。この銅像は突っ立てなくかっこいい。

 土佐はすごい!日本史に名を残す人がたくさん!

 うまいというラーメン屋に寄ったけどうちとしてはいまいち。5人の子沢山が近くの座敷に座ったが履物が両親分含めて7足ばーらばら。きたならしい。かあちゃんは幼児を抱えているので、とうちゃんか上の子が並べればと思うがいかがなものか?店員も避けて通る。並べて手も洗わず給仕されてもいやだしどうしましょ。

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35番 清瀧寺

2009-06-03 11:20:52 | 四国八十八ヵ所

 35番 清瀧寺

 車で山登り。せまい急坂、ヘアピン。前輪が空回り。

 対向車が来ると、互いにナビゲーターが降りて手招き。ゾッとする。下がってあげると、なにわナンバー、クラウンのおじさんが、「おおきに、すまんへ-ん」駐車場も狭くて大変。袖ヶ浦ナンバーのエスティマさん。下りようとしたら、対向車。バックバック。その辺りの人(私も含めて)思わず「ストーップ!!!」あと数センチでした。

 ここで知識が増える。バスでの札所めぐり、ここまでにもバスが入れない所があったので、その時は歩くのじゃろうと思っていた。なんとなんと、入れるとこまで入って、そこから地元のタクシーを呼んで分乗。なるほど!!車いすの人はどうするのと思っていたらこの手がある。

 それはさておき下山。タクシーの運転手さんに次のバスはいつ。「3時頃」まだ間がある。ちょうどタクシーが下りはじめた。ようっしゃ今だー!続けー!無事下山。

 車道を上ったので、山門はくぐらず。上よりの画像、見事な手ぶれ。

 ナビゲーターが通り過ぎた道路案内板に清瀧寺は左折と出ているという、カーナビまだ先と表示、自分の目でも青龍寺と見えた。野鳥の会なので動体視力はいいと自負している。言い負けて走って行くとやっぱり青龍寺、ひとつ飛ばすとこ。字恰好が似ていることでナビゲーターの見間違え。

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34番 種間寺

2009-06-03 10:48:01 | 四国八十八ヵ所

 34番 種間寺

 春野町。

 高知市営球場の阪急ブレーブスキャンプ見物帰りに西武ライオンズを見に来たものだ。

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33番 雪蹊寺

2009-06-03 10:40:08 | 四国八十八ヵ所

 33番 雪蹊寺

 駐車場が狭く門前に置くことに。

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32番 禅師峰寺

2009-06-03 10:25:51 | 四国八十八ヵ所

 32番 禅師峰寺

 平地だけど道せまい。でもバスは入っている?うまい。

 ここを出た後、食事。かつお船。たたき丼が絶品。入店時の注文ききが順番通りでなかったのも帳消し。腹が減っていて撮るのも忘れガツガツ。画像は見本。

 続いて桂浜の坂本竜馬像。秋の四国研修会で見にいけず回り道。

 その次は長曽我部元親墓地、その下にある浦戸一揆の塚。長曽我部関係のものは残ってないと聞くけど、山内一豊さんよくぞ残してくれました。

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