日本を治安の良い国にする方法。
人口に占める高学力者の比率を高め、低学力者の比率を少なくできれば、犯罪・非行・暴力・いじめ・虐待・暴走行為等の交通違反・消費者金融からの借金等といった問題行動をする人間が減り、治安が良くなって住み心地の良い国家になる。日本を進学校にすればいいというわけだ。ただこれは実現できないので、妥協策として、各地に学力別の地区を造り、学力検査によって入居できる人間を決めるという提案をした。もともとは、こうした問題行動と学力とは負の相関があるという統計からの発想だったのだが、差別だという批判が出そうだし、障害者や低学力でもいい人もいるのに、そういうひとたちはどうなるのだ? という疑問も出てくるだろう。
ここであらためて提案することにした。学力による選別というのはさまざまな基準のひとつに過ぎず、このような、一定以下の学力者を入居禁止にするという消極的な方法だけではなく、むしろ積極的な、音楽好きを募集して音楽愛好者が集まってできた地区とか、オーディオ愛好者によるオーディオ村とか、鉄道愛好者の集まった鉄道村といったように、本来なら、同じ趣味、似た思想や趣向を持つ人間たちが集まって特定の地区を作るのが好ましいはずなのに、どういうわけがこのような意見や提案が出てこない(すくなくとも私にはそう思える)。
どういう利点があるのか?
1似た人種が特定の地区に集まってくるので、隣近所とのいざこざや対立が少なくなるし、かりに対立が起きても解消しやすいだろう。
2メディアは、まるで○○のひとつ覚えのごとく、やたらと、「地域が崩壊した」と騒いでいるが、もともとある目的、習性、好みに基づいてどこかに転居したり入居したりしていたわけではないのだから、インターネットやメール等が普及してどこに住んでいるかに関係なく自分の好みの相手が見つかるようになれば、隣近所や近い地区に住んでいる人たちとの交流が減少していくのは、むしろ当然、というか必然的なのではないか。上述のようにすれば、隣近所や同一の地区内での交流が増えるだろう。
3村おこしとか地域の活性化など、みな掛け声だけで効果が上がっていない。全国津々浦々に観光に行こうと思っても、伝統的なものとか特産の食材とか、いかにももっともらしそうなものばかりで、道路といい建物といい街や町村のデザインといい、似たようなものばかりで、訪問する気にならない。こういうのを金太郎飴というのだろうか。上述のような方式に変更すれば、各地域というか各地区ごとの特徴が建物や施設その他に現れてくることが期待できるので、観光する価値が高まる。
4これは別項でも書いたことだが、このような方式にしたほうが土地の有効利用とお金と施設や道具の節約になる。たとえば、オーディオ狂が同一の地区に集合住宅を建てて入居する場合、その地区のどこかに共同出資してオーディオ館という、公民館のようなものを作ることもできそうだ。巨大なウーハーを壁バッフルにマウントして巨大なホーンをセットすれば、コンサートホールに匹敵する大迫力のサウンドを再生することも可能だ(専門的な話になって申し訳ない。)。このようなオーディオシステムを個人の住宅で造るのは大変だ。最大のウーハーは口径が80cmもあり、これを鉄筋コンクリートの間仕切り壁に頑強に固定し、20Hzまで再生するとなると、開口径が5mほどもあるホーンを用意しないといけない。ところが、共同出資であれば負担は少なくて済むし、こんな大規模なオーディオを個人で所有していれば、しょっちゅう使うわけにもいかないのでそれだけ無駄が多くなる。似た者が集まっているので近所迷惑になる危険も少ない。
このほか、別項で書いたが、鉄道愛好者が同一の地区に集まれば、一家の土地が狭くても、その地区を共同で使用すれば、トロッコ用の超狭軌鉄道を開通することも可能だ。自宅の前に軌間38cmの線路を敷設し、その線路がそのまま隣の庭に伸びており、そのままさらにその次の家という風に延長していけば、本物の鉄道に迫る迫力の鉄道が実現できるのだ。線路を敷いている場所だけは、鉄道区の住民の半公共の場所という協定を結び、使用したい人は自作の車輌を走行させて楽しめばいい。分岐器を設置して自宅に引込み線を設置してもいい。
大阪にある庭園鉄道の家には、国内だけでなく海外からも来訪者が絶えないらしい。町おこしとして宣伝しているわけではないのにだ。このほか、片貝町も、全国から見学者が集まってくる。マニアの目は鋭いので、門外漢が地元業者の利権のために設立した何々博物館とかレジャー施設など、本物かどうか見破るのである。
(追加)
おもしろそうなので、追加する。『花火村』
片貝町は花火の里として名高いが、なにもこの町に対抗するというわけではないが、私にもしも花火大会の開催と演出その他を任してもらえるなら、以下のようなものにするだろう。
1打ち上げは、12月の上旬に行う。
2打ち上げる時間を1時間以内とする。
3五寸以下の小玉は、同時打ちでのみ打ち上げる。
4大玉の最大は二尺玉で、10発程度打ち上げる。
5六寸以上は基本的に単発打ちとする。
6観客には入場料の支払いをお願いする。
7何人かが共同で出資し、片貝町の奉納煙火のように、メッセージを読み上げてからの打ち上げも行う。花火のデザインも出資者に決めてもらう。
8日没前の薄暗い時間から打ち上げを開始する。
まず1であるが、とくに太平洋側では、一年中でこの時期が一番降雨量が少なく、雨天になる危険が少ない。気温が低くて湿度も低いので、音が良く響き迫力があるというのも利点である。12月上旬は日の入りが最も早く、早めに打ち上げを開始できるので、終わる時間も早くなり、余裕をもって帰宅できる。花火大会の最大の問題は混雑が激しいことで、これが嫌で行きたくない人も多いだろう。帰りの電車の混雑や渋滞は、考えただけでうんざりする。そのため、なるべく早めに開始して早めに終了して帰宅してもらうというわけだ。このほか、夏季は煙火業者は多忙を極めているため、新たに花火大会を開催しようとしても応じてもらうのが難しいだろうが、この時期に開催することはほとんどないため、業者も余裕で準備できる。
2。飽きを感じず新鮮に鑑賞できるのは、どんなに長くても1時間が限度ではないかと感じるからだ。予算が少なければ、40分程度にしてもかまわない。長くてだらだらした花火大会よりも良い。
3。単発打ちはもちろん、連発でも五寸以下の小玉はすぐに飽いてくる。せいぜい10分程度だ。ほとんどの花火大会は、小玉の連発打ちが延々と続き、観客は飽いているのに花火が消費されていくのだ。予算の無駄である。これなら、大玉を単発で打ち上げたほうがいい。しかも、できるだけ違った型のものを使い、同一物の打ち上げはできる限り少なくする。そのために打ち上げ時間が短縮してもかまわない。無駄を減らすためだ。
4の二尺玉の10発打ち上げは贅沢だが、あくまで目標である。予算が少なければ当然数は少なくなる。一度に二尺玉が5発以上上がる大会はあまり存在しないと思われるので(小千谷の花火大会くらいか・・)、10発程度上がれば「世界最大の花火大会」が実現する。三尺玉や四尺玉は保安距離が長過ぎて、見かけの迫力に乏しい。片貝町は世界一の四尺玉を打ち上げていることを誇りとしており、他所の追随を許可しない。それ以前に、(知られたくない事情であるが・・)そもそも四尺玉は、火薬取締法に抵触している可能性があり、四尺以上の大玉を製造しようとしても許可されない。外国なら可能かもしれない。
つまりこういうことだ。観客にとってはじつは二尺玉がいちばん迫力があり、実質的には二尺玉が最大の打ち上げ花火なのである。世界一の大玉を打ち上げている片貝町民の誇りに触れることなく、実質的に大玉の打ち上げ世界一を実現してしまうというわけだ。
このほか、尺五(15号)玉や尺二(12号)玉という、珍しい大玉も打ち上げる。できるだけ独自性を強くした演出とする。あるいは、二尺玉と三尺玉の中間の、二尺五寸玉というのを新たに作成して打ち上げてもいいだろう。径が1.25倍になると、体積は倍近くにもなるのである。二尺玉の、比較的保安距離が短いという利点と、二尺よりも大きいという利点との交雑というわけである。
5の大玉の単発打ちは、連発よりもむしろ見応えがある。一発ずつ読み上げてから打ち上げれば、時間稼ぎにもなる。
6であるが、もろちんスポンサーの協力は大歓迎であるが、観客が料金を支払うことにより、鑑賞に値する花火と演出をしているかどうかが問われるようになるだろう。できる限り無駄を減らし、効果的な花火にしようとする圧力がかかり、望ましい方向に進むことが期待できる。
7も6と似たようなもので、尺玉を一発打ち上げるだけで10万円近くかかるだろう。個人だと負担が大き過ぎるので、共同出資ということになるだろう。どういう色のどんな型のものにするのか相談して決めればいいだろう。そうすれば愛着が沸くだろうし、花火の発展にも貢献するだろう。ひょっとすると、今までになかった新型の花火が出来上がるかもしれない。
8の、日没前か日没時に打ち上げを開始するというのは、もちろん早めに始めて早く終了するためだが、このほかに、最近の花火は発光が優れており、かなり明るい。このため、空が暗くならない時刻でも十分楽しめるのである。むしろ、完全に暗くならない状態のほうが美しい。というか、夕焼けの打ち上げ花火には独特の美しさがあるのである。それだけ多様性が増え、飽きにくいという利点も追加される。ただし、昔からある伝統的な、暗い和火は打ち上げない。
関東地方だと、12月の上旬の日の入りは4時半頃で、この時刻に開始すれば5時半には終了する。夏の花火大会だと、遠方からの来客者は帰宅できないため、宿泊するなどしなければならないが、これだと日帰りできる範囲がだいぶ拡張するだろう。
追加として、打ち上げ開始の1時間前から、15分ごとに雷(音花火)と煙花火を打ち上げる。打ち上げ場所を知らせるのと、退屈しのぎの意味がある。
「何々愛好者集まれ!」と入居者を募るのを阻止することはできないだろう。とすれば、それ自体がそのことに興味と関心のない人たちを自ずと排除することになるので、結局は低学力者のような要注意人物の排除を阻止することもできなくなるだろう。結婚ですら、好きでないひとを排除して成立しているのである。
このことは、各地区の住民の意思に委ねるしかないが、たとえば音楽区であれば、楽譜が読めるかどうか? 楽器がある程度弾けるかどうか? という程度の簡易試験くらいは実施してもいいだろう。楽譜を読むというのも、ある種の言語能力であり、ある程度の知力を要する。ラッツアンドスターのメンバーのように、低学力系でも優れた音楽能力を持つ人たちもいるが、だいたい比例していると考えていいだろう。低学力者の入居を許可する区は、それはそれで構わないが、準二級程度の学力はほしいものだ。
これ以下になると、問題児の比率が増えてくる。三級以下になると、いじめ・校内暴力多発校の、いわゆる困難校(教員すら寄り付かない)に近づいてくるので、要注意である。
人口に占める高学力者の比率を高め、低学力者の比率を少なくできれば、犯罪・非行・暴力・いじめ・虐待・暴走行為等の交通違反・消費者金融からの借金等といった問題行動をする人間が減り、治安が良くなって住み心地の良い国家になる。日本を進学校にすればいいというわけだ。ただこれは実現できないので、妥協策として、各地に学力別の地区を造り、学力検査によって入居できる人間を決めるという提案をした。もともとは、こうした問題行動と学力とは負の相関があるという統計からの発想だったのだが、差別だという批判が出そうだし、障害者や低学力でもいい人もいるのに、そういうひとたちはどうなるのだ? という疑問も出てくるだろう。
ここであらためて提案することにした。学力による選別というのはさまざまな基準のひとつに過ぎず、このような、一定以下の学力者を入居禁止にするという消極的な方法だけではなく、むしろ積極的な、音楽好きを募集して音楽愛好者が集まってできた地区とか、オーディオ愛好者によるオーディオ村とか、鉄道愛好者の集まった鉄道村といったように、本来なら、同じ趣味、似た思想や趣向を持つ人間たちが集まって特定の地区を作るのが好ましいはずなのに、どういうわけがこのような意見や提案が出てこない(すくなくとも私にはそう思える)。
どういう利点があるのか?
1似た人種が特定の地区に集まってくるので、隣近所とのいざこざや対立が少なくなるし、かりに対立が起きても解消しやすいだろう。
2メディアは、まるで○○のひとつ覚えのごとく、やたらと、「地域が崩壊した」と騒いでいるが、もともとある目的、習性、好みに基づいてどこかに転居したり入居したりしていたわけではないのだから、インターネットやメール等が普及してどこに住んでいるかに関係なく自分の好みの相手が見つかるようになれば、隣近所や近い地区に住んでいる人たちとの交流が減少していくのは、むしろ当然、というか必然的なのではないか。上述のようにすれば、隣近所や同一の地区内での交流が増えるだろう。
3村おこしとか地域の活性化など、みな掛け声だけで効果が上がっていない。全国津々浦々に観光に行こうと思っても、伝統的なものとか特産の食材とか、いかにももっともらしそうなものばかりで、道路といい建物といい街や町村のデザインといい、似たようなものばかりで、訪問する気にならない。こういうのを金太郎飴というのだろうか。上述のような方式に変更すれば、各地域というか各地区ごとの特徴が建物や施設その他に現れてくることが期待できるので、観光する価値が高まる。
4これは別項でも書いたことだが、このような方式にしたほうが土地の有効利用とお金と施設や道具の節約になる。たとえば、オーディオ狂が同一の地区に集合住宅を建てて入居する場合、その地区のどこかに共同出資してオーディオ館という、公民館のようなものを作ることもできそうだ。巨大なウーハーを壁バッフルにマウントして巨大なホーンをセットすれば、コンサートホールに匹敵する大迫力のサウンドを再生することも可能だ(専門的な話になって申し訳ない。)。このようなオーディオシステムを個人の住宅で造るのは大変だ。最大のウーハーは口径が80cmもあり、これを鉄筋コンクリートの間仕切り壁に頑強に固定し、20Hzまで再生するとなると、開口径が5mほどもあるホーンを用意しないといけない。ところが、共同出資であれば負担は少なくて済むし、こんな大規模なオーディオを個人で所有していれば、しょっちゅう使うわけにもいかないのでそれだけ無駄が多くなる。似た者が集まっているので近所迷惑になる危険も少ない。
このほか、別項で書いたが、鉄道愛好者が同一の地区に集まれば、一家の土地が狭くても、その地区を共同で使用すれば、トロッコ用の超狭軌鉄道を開通することも可能だ。自宅の前に軌間38cmの線路を敷設し、その線路がそのまま隣の庭に伸びており、そのままさらにその次の家という風に延長していけば、本物の鉄道に迫る迫力の鉄道が実現できるのだ。線路を敷いている場所だけは、鉄道区の住民の半公共の場所という協定を結び、使用したい人は自作の車輌を走行させて楽しめばいい。分岐器を設置して自宅に引込み線を設置してもいい。
大阪にある庭園鉄道の家には、国内だけでなく海外からも来訪者が絶えないらしい。町おこしとして宣伝しているわけではないのにだ。このほか、片貝町も、全国から見学者が集まってくる。マニアの目は鋭いので、門外漢が地元業者の利権のために設立した何々博物館とかレジャー施設など、本物かどうか見破るのである。
(追加)
おもしろそうなので、追加する。『花火村』
片貝町は花火の里として名高いが、なにもこの町に対抗するというわけではないが、私にもしも花火大会の開催と演出その他を任してもらえるなら、以下のようなものにするだろう。
1打ち上げは、12月の上旬に行う。
2打ち上げる時間を1時間以内とする。
3五寸以下の小玉は、同時打ちでのみ打ち上げる。
4大玉の最大は二尺玉で、10発程度打ち上げる。
5六寸以上は基本的に単発打ちとする。
6観客には入場料の支払いをお願いする。
7何人かが共同で出資し、片貝町の奉納煙火のように、メッセージを読み上げてからの打ち上げも行う。花火のデザインも出資者に決めてもらう。
8日没前の薄暗い時間から打ち上げを開始する。
まず1であるが、とくに太平洋側では、一年中でこの時期が一番降雨量が少なく、雨天になる危険が少ない。気温が低くて湿度も低いので、音が良く響き迫力があるというのも利点である。12月上旬は日の入りが最も早く、早めに打ち上げを開始できるので、終わる時間も早くなり、余裕をもって帰宅できる。花火大会の最大の問題は混雑が激しいことで、これが嫌で行きたくない人も多いだろう。帰りの電車の混雑や渋滞は、考えただけでうんざりする。そのため、なるべく早めに開始して早めに終了して帰宅してもらうというわけだ。このほか、夏季は煙火業者は多忙を極めているため、新たに花火大会を開催しようとしても応じてもらうのが難しいだろうが、この時期に開催することはほとんどないため、業者も余裕で準備できる。
2。飽きを感じず新鮮に鑑賞できるのは、どんなに長くても1時間が限度ではないかと感じるからだ。予算が少なければ、40分程度にしてもかまわない。長くてだらだらした花火大会よりも良い。
3。単発打ちはもちろん、連発でも五寸以下の小玉はすぐに飽いてくる。せいぜい10分程度だ。ほとんどの花火大会は、小玉の連発打ちが延々と続き、観客は飽いているのに花火が消費されていくのだ。予算の無駄である。これなら、大玉を単発で打ち上げたほうがいい。しかも、できるだけ違った型のものを使い、同一物の打ち上げはできる限り少なくする。そのために打ち上げ時間が短縮してもかまわない。無駄を減らすためだ。
4の二尺玉の10発打ち上げは贅沢だが、あくまで目標である。予算が少なければ当然数は少なくなる。一度に二尺玉が5発以上上がる大会はあまり存在しないと思われるので(小千谷の花火大会くらいか・・)、10発程度上がれば「世界最大の花火大会」が実現する。三尺玉や四尺玉は保安距離が長過ぎて、見かけの迫力に乏しい。片貝町は世界一の四尺玉を打ち上げていることを誇りとしており、他所の追随を許可しない。それ以前に、(知られたくない事情であるが・・)そもそも四尺玉は、火薬取締法に抵触している可能性があり、四尺以上の大玉を製造しようとしても許可されない。外国なら可能かもしれない。
つまりこういうことだ。観客にとってはじつは二尺玉がいちばん迫力があり、実質的には二尺玉が最大の打ち上げ花火なのである。世界一の大玉を打ち上げている片貝町民の誇りに触れることなく、実質的に大玉の打ち上げ世界一を実現してしまうというわけだ。
このほか、尺五(15号)玉や尺二(12号)玉という、珍しい大玉も打ち上げる。できるだけ独自性を強くした演出とする。あるいは、二尺玉と三尺玉の中間の、二尺五寸玉というのを新たに作成して打ち上げてもいいだろう。径が1.25倍になると、体積は倍近くにもなるのである。二尺玉の、比較的保安距離が短いという利点と、二尺よりも大きいという利点との交雑というわけである。
5の大玉の単発打ちは、連発よりもむしろ見応えがある。一発ずつ読み上げてから打ち上げれば、時間稼ぎにもなる。
6であるが、もろちんスポンサーの協力は大歓迎であるが、観客が料金を支払うことにより、鑑賞に値する花火と演出をしているかどうかが問われるようになるだろう。できる限り無駄を減らし、効果的な花火にしようとする圧力がかかり、望ましい方向に進むことが期待できる。
7も6と似たようなもので、尺玉を一発打ち上げるだけで10万円近くかかるだろう。個人だと負担が大き過ぎるので、共同出資ということになるだろう。どういう色のどんな型のものにするのか相談して決めればいいだろう。そうすれば愛着が沸くだろうし、花火の発展にも貢献するだろう。ひょっとすると、今までになかった新型の花火が出来上がるかもしれない。
8の、日没前か日没時に打ち上げを開始するというのは、もちろん早めに始めて早く終了するためだが、このほかに、最近の花火は発光が優れており、かなり明るい。このため、空が暗くならない時刻でも十分楽しめるのである。むしろ、完全に暗くならない状態のほうが美しい。というか、夕焼けの打ち上げ花火には独特の美しさがあるのである。それだけ多様性が増え、飽きにくいという利点も追加される。ただし、昔からある伝統的な、暗い和火は打ち上げない。
関東地方だと、12月の上旬の日の入りは4時半頃で、この時刻に開始すれば5時半には終了する。夏の花火大会だと、遠方からの来客者は帰宅できないため、宿泊するなどしなければならないが、これだと日帰りできる範囲がだいぶ拡張するだろう。
追加として、打ち上げ開始の1時間前から、15分ごとに雷(音花火)と煙花火を打ち上げる。打ち上げ場所を知らせるのと、退屈しのぎの意味がある。
「何々愛好者集まれ!」と入居者を募るのを阻止することはできないだろう。とすれば、それ自体がそのことに興味と関心のない人たちを自ずと排除することになるので、結局は低学力者のような要注意人物の排除を阻止することもできなくなるだろう。結婚ですら、好きでないひとを排除して成立しているのである。
このことは、各地区の住民の意思に委ねるしかないが、たとえば音楽区であれば、楽譜が読めるかどうか? 楽器がある程度弾けるかどうか? という程度の簡易試験くらいは実施してもいいだろう。楽譜を読むというのも、ある種の言語能力であり、ある程度の知力を要する。ラッツアンドスターのメンバーのように、低学力系でも優れた音楽能力を持つ人たちもいるが、だいたい比例していると考えていいだろう。低学力者の入居を許可する区は、それはそれで構わないが、準二級程度の学力はほしいものだ。
これ以下になると、問題児の比率が増えてくる。三級以下になると、いじめ・校内暴力多発校の、いわゆる困難校(教員すら寄り付かない)に近づいてくるので、要注意である。