なんでも評論家

ドラえもん

 ドラえもんにはいろんな道具が出てくるが、これらについて科学的社会学的にどういうことなのかについて考えてみる。発想は空想科学の柳田理科雄のようであるが、違った観点から批評していく予定だ。
 
 どこでもドア

 どこでもドアという便利な道具があり、どこか遠くに行きたいとき、このドアを開けるといきなり目的地に出られるという、シュールですごい道具だ。発想はすばらしいが、さて、じっさいに利用するとなると思いもよらないことになってきそうだ。
 どうすればこんな道具が作れるのか見当もつかない。空間を歪めて離れた2箇所をつなぐというワープというやつだろうか? これは便利な道具であり、その利用法は見当もつかないほどいろんな分野に及ぶだろう。
 ちょっと考えただけでも、これがあれば交通機関は不要ではないか? どれだけ量産できるのかわからないが、個人がひとつずつ所有できるのなら、その影響は途方もないものになるだろう。地球上どころか、他の天体にも行けるらしい。車・電車・新幹線・航空機・船舶どころかロケットも不要だ。これにより、温室効果ガスは大幅に減るだろう。需要が大幅に少なくなるので、原油、石炭、天然ガスなどの価格は暴落するだろう。地方と都市の格差も少なくなるだろう。どんな過疎地、僻地、離島でも、どこでもドアがあれば目の前に都心部があることになる。それどころか、距離や空間の概念自体が変わってしまうかもしれない。
 ドアを開けると目の前に遠く離れた場所が広がっている。どこでもドアを通るだけで遥か彼方まですぐに到着する。これは、移動するのに要する時間がゼロになるということであり、分母が0になるのだから、これはなんと速度が無限大になっていることになる!
 こんな利用も可能ではないか。巨大な水車か羽根車を設置し、この上下に巨大などこでもドアを設置するのだ。水車の下側にあるどこでもドアに落下した水は、そのまま上部にあるどこでもドアから落下する。これは永久機関を巨大化したものであり、このような装置を多数設置していけば発電所は不要になるだろう。これはエネルギー保存則に反しており、タダでエネルギーが入手できるのだ。環境問題はほぼ解消するだろう。
 これほどすごい、というか超革命的な道具であるのに、ドラえもんでは地味な扱われ方だ。多用すると便利過ぎて物語が成り立たなくなってしまうからだろう。これを使えば、のび太の遅刻も減るだろう。

 評価・ 発想がシュールで面白い。ダリが知ったら喜ぶだろう。作品に使用していたかもしれない。
 欠点・ 物理の法則にことごとく違反しているので、実現する可能性は0%だ。

 タイムマシン

 ドラえもんだけでなく、SFで多用されているようで、これもどこでもドアのように物理法則に反しており、実現する可能性はない。が、物語として描くだけでも問題が出てくるのだ。有名なのは、タイムマシンに乗って過去に行き、かつての自分を殺害したらどうなるのか? というものである。現在二十歳の自分が十歳の自分を殺したら、自分という存在は十歳で消えてしまう。それなら、誰が十歳の自分を殺したのか? 自分は十歳で死んでしまったのだから、二十歳の自分は存在しない。ということは、十歳の自分を殺した自分が存在しない。完全に矛盾である。
 「だからタイムマシンなどインチキなのだ!」と話を終わらせてしまってはつまらない。このパラドックスは難解で、哲学的である。とりあえず整理するとすれば・・未来に行くタイムマシンではとりあえず矛盾は生じない。生じないどころか、一般相対性理論を利用すれば、未来に行くことは実現可能であるらしい。ただし、未来に行ったきり帰れないのだ。
 パラドックスが生じるのは過去に行く場合で、すでに過去のものである過去を、未来の訪問者が参加することで過去を変えてしまうからだ。その時点で、それから後の世界は、過去に訪問する以前の世界とは別のものになってしまうのだ。
 このことについて私はこう指摘する。

1タイムマシンに乗って過去に行く。
      ↓
2過去の自分(十歳)を殺す。
      ↓
3二十歳の自分が消滅する。

 1→2→3という順序で、過去から未来へと時間が経過しているのではないか? ということは、タイムマシンに乗って過去に行ったつもりが、じつは過去から未来へという、われわれの日常時間の経過に沿って物事が動いているのだ。未来から過去に行ったのではなく、過去から未来へと時間が経過しているのではないのか?
 すくなくともこの場合、1が2よりも時間的に過去であることは明らかだ。
 ドラえもんのタイムマシンだとこういうことだ。

1のび太の机の引き出しからタイムマシンに乗り。
         ↓
2絨毯のようなタイムマシンに乗って、ダリの記憶の固執に出てくるような歪んだ時計のような時計がたくさん出てくるタイムトンネルを飛行し、
       ↓
3過去の世界に到着する。

 タイムマシンに乗って過去の世界に行った。時間の流れに逆行したつもりが、じつは、1(過去)→2(未来)。2(過去)→3(未来)というように、通常の時間の流れ通りに行動していたのだ。ということは、現在が過去であり、過去の世界が未来になってしまっているのだ。

 タケコプター

 これもよくドラえもんに出てくる道具で、空想科学読本で取り上げられていた。こんなに小さな羽根では頭部に風が直撃してしまい、骨格は破壊されて肺は破裂し、最後に頭皮が剥がれてタケコプターだけが飛んでいくというような解説がされていたが、そんなことになる前に回転を止めるだろう。それに、骨格が破壊されたり肺が破裂する前に頭皮が剥がれるのではないか? 頭部にジェットエンジンを取り付けたようなものだろう。それどころか、そんな強い風が下向きに吹きつけば、埃やゴミや紙切れが舞い上がってたいへんだろう。
 それよりも、羽根の幅を広くして身体に当たらないように改良すればいいだろう。あるいは、空気を噴射する装置を取り付けてもいい。じっさいそのような装置を見たことがある。ただ、どちらも安定が良くないので普及しないだろう。原理的には可能な筈だ。
 ドラえもんにけちをつけるとすれば、せっかくどこでもドアという便利な道具があるのだから、タケコプターなど使わなくてもどこでもドアでいきなり行けばいいだろう。鳥瞰するのが目的なら、小型のラジコンのヘリコプターにカメラを搭載して使用すればいいだろう。落下の危険もない。(これはドローンという装置で実現している。ドローンというと、パッシブラジエーターの別名を連想してしまいます)

 もしもボックス

 人気のある道具みたいで、これはアインシュタインも好んでいたらしい思考実験を実現させる道具みたいである。難点はやはり実現の可能性がほとんどないことだ。ただ、スーパーコンピューターによるシミュレーションなどはそうとう進んでいるみたいで、実現できなくてもかなり満足できそうだ。
 ドラえもんでは、やはり漫画という特性上、あまり科学的な厳密性を要求した内容にはしていないようだ。読者に嫌われてしまうだろう。
 たとえば、「お金のいらない世界」というのを実現してみたところ、所持しているお金の額が少ないほど良いという、「お金が不要」という本来の意図からずれたような印象の内容だったような記憶がある。お金を沢山持っているひとが貧乏人になっているわけで、なんのことはない、たんに所持する金額の評価を逆にしただけではないか!
 これは難しい。お金の不要な世界。とはどんなものか? そもそもお金とは何ぞや? ということになる。簡単に言えば、他人や社会に請求できる交換可能な権力ということになるだろうか? かなり幻想的な、たとえば、資源や作物やらが無尽蔵に収穫でき、年間を通して適度な降水もあり、自然災害もなければ、まず税金を支払わなくても良いだろうし、生活に必要な収入も少なくて済むので、この状態に近いだろう。

 金が無尽蔵に産出する世界

 もしもボックスで、金がいくらでも取れる、というよりも、石ころのようにそこらじゅうに金の塊が転がっている世界を実現するとどうなるか。これはわかりやすい。金の価格が暴落するだろう。それだけではなく、金のような色と輝くものを、むしろ嫌うようになるのではないか。工業上の利用価値はともかく、装飾上の価値はかなり減殺されてしまうだろう。だれも欲しがらなくなるかもしれない。
 比重が重いので、このことが予想外の影響を及ぼしているかもしれない。

 地球をもっと住み心地の良い環境にするには、

1陸地と海岸線の形体を変更する。
 日本列島は大陸の東岸に位置するため、低緯度のわりには冬は寒く、夏は熱帯よりも暑くなる。年較差が大きくあまり住み心地の良い場所ではない。大陸の東岸に位置するためだ。
 まず、南極大陸を削除してここを南極海にする。ユーラシア大陸、南北アメリカ大陸、アフリカ大陸をいくつかに分割し、その間の距離をだいたい等間隔にし、それぞれの小大陸の大きさをグリーンランド程度にする。すなわち、地球上から大陸を消してしまうのだ。こうすることにより、冬はいまよりも温暖になり、夏も今ほど暑くならない。住み心地の良い地球になる。
 こうすることにより、たんに気候が温和になるだけでなく、大陸が各島々に分割されるので、動植物が独自の進化を遂げ、特異な形体の品種が多数出現するだろう。

2地軸の傾きが常時変化し、1ヶ月間くらいで地軸の傾きが1回転する。

 こんなことは惑星の生成過程からしてありえないことだが、どうせなんでもありのもしもボックスだ。地球を住み心地の良い惑星にする大胆な方法である。
 すべての惑星は自転しており、その傾きは一定して変化しないが、地球が一日に1回転するように、地軸も宇宙空間に対して、1ヵ月間くらいで1回転すれば、地球上のあらゆる地帯にほぼ平等に日光が当たることになる。年中暑過ぎず寒過ぎず、ちょうど心地よい日照と気温が得られるだろう。冷暖房費の節約にもなる。植物にとっても理想的な環境になり、地球上のあらゆる場所での収穫量が増加するだろう。大気の流れも温和なものになり、災害も少なくなるだろう。 
 では、季節がなくなってしまうのかというと、そうでもない。実際にどうなるのかについて考えてみると、予想外に複雑であることが見えてきた。結論を言うと、1ヶ月を周期とする短い周期の季節に加えて、半年間を周期とする長い季節という、2種類の季節が生じるのである。
 
 地球が逆向きに自転していたら?

 ついでに、自転の向き以外は現在の条件とすべて同じとして、自転だけが逆向きに回転していたらどうなっているか? ということについて考えてみた。ただ、自転の向きと公転の向きには相関があるらしく、もし自転を逆にするなら、公転の向きも逆にしなければならないだろう。この程度の科学的厳密性を無視する気にはならないので、すべての惑星の公転の向きも逆とする。これ以外は現在の地球及び太陽系と同じである。
 確実なのは、日本列島の冬の気温が、すくなくとも10℃は上昇するだろう。冬の降雪量は激減し、北海道でさえ、高山地帯を除いてほとんど雪が降らなくなるかもしれない。これは、自転が逆になると、偏西風の向きが逆になり、「偏東風」になると考えられるからだ。日本が低緯度のわりに冬が寒いのは、大陸の東岸に位置しているため、大陸から冷えた大気が吹き込むからだ。自転が逆になれば、東から風が吹くため、太平洋北部の海洋の暖かい空気が吹き込み、冬が相当に温暖になるだろう。これ以上の詳しいことは、スーパーコンピューターにデータを入力してシミュレートしてみないと分からないが、太平洋側から偏東風が吹くため、極端な乾燥に襲われることもなさそうである。冬が温暖になるため、栽培可能な時期が増え、暖房なしで越冬する品種が相当増えるため、農産物の生産性が向上し、自給率が向上するだろう。東北以北でさえ、暖房は不要になるかもしれない。亜熱帯気候になるため、害虫が増え、不快だろう。東側から風が吹くため、黄砂も来なくなる。中国の大気汚染物質や、放射性物質が飛来する心配もなくなる。逆に、国内の原発が事故を起こして放射能が漏れた場合は、中国や韓国に飛来する危険があるため、原発の増設や運転に反対されるようになるかもしれない。そしてなによりも、西側から太陽が昇って東に沈むのだ(天才バカボンの世界だ)。
 不都合なことも起こるだろうが、全体としては自転が逆向きになることによってもたらさせる恩恵のほうが多そうだ。

 ソノウソホント

 もしもボックスとほぼ同じ機能で、ドラえもんの道具としては最強かつ万能だろう。科学的な整合性があまりに乏しくて、話としても辻褄が合わなくなってしまうが、しょせん漫画なのだからあまり詮索してもつまらないだろう。私なら、というかたいていの人であれば、これを使って自分が大富豪になり、長身で美男美女で才能が有って知能も高い人間になろうとするだろう。科学的な好奇心の旺盛な人であれば、もしもボックスと同じく思考実験用として利用するのではないか。
 蟻などの昆虫の怪力ぶりを分かりやすく説明する例えとして、これらの昆虫が人間くらいの大きさだとしたらどんなパワーが出るのかといったような解説があるが、知っている人は知っているように、体重は径の3乗に比例するのに対し、筋力は径の2乗くらいにしか比例しないので、そもそもそのような説明自体が疑わしい。恐竜があの巨体で動けたのは、鳥類の仲間で骨の中が空洞になっていたからで、人間があの大きさにまで巨大化すれば、立つどころか這うことすらおぼつかないらしい。
 このほかにもいろんな評論ができそうだが、森羅万象ありとあらゆることに適合できるというのはあまりにもご都合主義であり、物語が矛盾だらけになって収拾がつかなくなってしまうだろう。事実、マンガでも一度取り上げられただけだ。どこでもドア以上の万能性のある道具だが、威力があり過ぎて取り上げられないというわけだ。作者ですら扱えない道具だということなのだ。

 では、そのソノウソホントかもしもボックスでもかまわないが、仮想を現実化できるとすれば、私ならこんなことをやってみる。という案を書いてみる。

 地軸の傾きを12度ぐらいに設定する

 地軸の傾きを0にしてしまえば、季節はほぼなくなってしまい、一年中春分と秋分になる。つまり、地球上のすべての場所で一年中太陽は真東から昇って真西に沈む。と同時に、すべの場所で一年中昼夜の時間がほぼ同じになる。熱帯はいまとあまり変わらないが、温帯域は年中暑くも寒くもなく快適になる。寒冷地は年中寒いままだが、真冬ほどには冷え込まない。これがいちばん心地よさそうだが、一年間と季節という概念と現象が無くなってしまうわけで、それはつまらない。そこで妥協して、四季はあるが真夏の酷暑と真冬の厳寒をなくしてしまって今よりも温和な四季と気候にしてしまおうというわけだ。このことによって、上述のような、自転の向きを逆にしたのと似たような気候になるだろう。しかも、地球上のすべての場所がそうなるのだ。冷暖房費の節約になるし、冬の寒さが弱くなるので耕作や栽培の可能な品種が増えるだろう。降雪地帯と降雪量も減るので、除雪の負担が減り、工場も誘致しやすくなるだろう。このことによる恩恵は、緯度的には亜熱帯域に位置する日本列島よりも欧州のような高緯度地帯にもたらされるはずだ。欧州の冬は暖流の影響で高緯度のわりに暖かいが、冬は9時頃になってようやく明るくなり、午後3時くらいには暗くなってしまうらしい。このせいで冬に鬱になる人も多いらしいが、地軸の傾きが少なくなれば、冬でも国内の太平洋側のように早朝から日が昇って日没も遅くなるのだ。その代償として、白夜に近い夏の昼の長さは短くなってしまうが、冬が温暖になって日照時間が長くなることに比べればたいした問題ではないだろう。
 地球の軌道が楕円であることによる四季への影響は今はほとんどないが、ソノウソホントを使って、地軸の傾きを0にして楕円の離心率を大きくして、太陽までの距離の変化による四季というものを創出してみるとどうなるか? 太陽に近いほど公転速度は早くなり、遠いほど遅くなる。ということは、夏は短く冬は長くなることになる。このほか、北半球と南半球の四季が同じものになり、夏には地球全体が温まるために、台風による被害が大きくなるかもしれない。このことからすると、やはり上記のような地軸が12度くらいが無難だということになりそうだ。

 宇宙旅行シミュレーション

 のび太がドラえもんに宇宙旅行に行きたいといったら、「未来の世界でも宇宙旅行は危険であり、のび太くんのようなおっちょこちょいの人間には危なくて行けないんだよ」とか言って、宇宙旅行が体験できるシミュレーション機器のようなものを出してもらうという話があった。携帯用のUFOを飛ばしてそのそばの光景を宇宙空間の光景に変えてしまうというものらしく、これは、すでに実用化されているCGやテラジェンのようなものではないだろうか。機能的には、運転用や航空機用のシミュレーション機器もすでに実用化されている。この携帯のUFOに写った光景を宇宙空間に変換するというのも、CGで行うレンダリングのようなものだろう。なんと! すでに実用化されていると考えてもいいのではないか。22世紀よりもはるか前の21世紀初頭にて、すでに実現してしまった。
 気になったのは、この携帯型のUFOが衝突事故を起こすと、自宅の操縦装置も大爆発するということだ。それだけ緊張して操縦しなさいということなのかもしれないが、それなら、ぶつかったら電流が流れるというようなものにしておけばいいではないか。飛ばしている機械がぶつかっただけで自宅の機器も大爆発するのなら、自分だけではなく隣近所まで被害が及ぶだろう。こんな危険な製品は当然法に触れるだろうし、危険物として販売と所持が禁止になっているだろう。

 百苦タイマー

 ドラえもんのポケットに入っている多数の道具を定期的に検査しているところへのび太が入って百苦タイマーなる危険な装置を持ち出してしまい、このボタンを押してしまったために、1分ごとに災難に遭うという話である。
 この装置の特徴は、、

1ボタンを押した当人に、百分間に百の災難が降りかかる。
2一度ボタンを押すと、どうやっても止めることはできない。
3この装置は爆弾でも壊せない。
4弱い人は、10回目くらいで死んでしまうこともある。

 マンガでは、
1回目の災難は、ドラえもんとセワシに暴行される。
2回目は、額縁の絵がのび太の頭上に落下する。
3回目は、ジャイアンに暴行される。
4回目は、建設工事現場の上階からエ型鋼が落下してのび太にぶつかる。
5回目は、土管に隠れていたのび太に火の着いた煙草が放り込まれて服に付着してしまう。
6回目は、自動車にはね飛ばされる。

 まず、こんな危険な装置は、22世紀の未来でも、というよりも、未来であればなおさら、製造と販売は禁止になる筈だ。年少者や乳幼児が間違ってボタンを押したらどうなるのか? 本人が納得した上でボタンを押したとしても、弱い人は10回目くらいで死んでしまうような過酷な災難が百回も続くのだから、死亡や怪我をした場合の責任はどうなるのだろう。
 上記の災難ですら、1と3は傷害罪であり、4と6は業務上過失致死に当たり、5は火の着いたタバコを捨てたのだから、火事になる危険があり、やはり法に触れるだろう。こんな危険な装置を販売や所持していれば、社会的にたいへんな非難を浴びるだろう。ボタンをロックしないまま四次元ポケットに入れているドラえもんにも責任があるのではないか。



 最初に挙げた2と3は、ようするにこの装置は途方もなく頑強にできており、どんな方法によっても破壊することは不可能であり、一度始動すると止めることはできないということなのだろう。爆弾でも壊せないということだが、最強の爆弾である水素爆弾は、すでに半世紀以上も前に爆発実験に成功しており、その後も含めて爆発規模は10~50メガトンに達する。原子爆弾の1000倍かそれ以上の爆発規模だ。ギネスブックによると、水爆の中心部は3~4億度に達するということで、これは太陽の中心部よりも数十倍も高い温度である。火球の直径は数kmに達し、ビキニで行われた15メガトン級の水爆実験では、爆心地のそばの珊瑚礁のひとつは半分ほどが蒸発してしまい、もうひとつの珊瑚礁の島も蒸発して消滅してしまったらしい。爆心点から離れていてもこんなことになってしまうのだ。メガトン級の水素爆弾は円筒形の容器にたしか重水素化リチウムが内蔵されていて、そのそばに起爆剤としての原爆が内蔵されているという構造になっている。この爆弾の容器に百苦タイマーをくっつけて水爆を爆発させてもこの装置は無傷なままでタイマーも壊れないらしい。史上最大の水爆実験は50メガトンもあり、この爆発によって発生した衝撃波は地球を3周しても観測されたほど凄まじいものだったらしいが、この爆弾に百苦タイマーを付着させて爆発させても何ともないらしい。
 もちろんこの話は漫画であり、科学的な批判をするのは行き過ぎだが、今から半世紀ほど昔でさえこれほどのとてつもない破壊力を持つ爆弾が存在していたのだ。
 ドラえもんは22世紀からやってきたそうだが、あと百年間のあいだに、これほどの耐性を持つ物質やそれから作られた装置が開発される可能性は0だ。今まで発見された、あるいは開発された最も熱に強い物質でも、せいぜい数千度くらいまでしか耐えられないだろう。数億度どころか、百万度に耐える物質を作れる可能性さえも存在しない。メガトン級の水爆はおろか、1トンの通常火薬のすぐそばに置いて爆発させても装置が故障しない機械さえも実現しないだろう。
 もしも水爆の爆心地に置いても平気なほど頑丈な物質が存在するのなら、これを利用しての核融合発電所が実現する可能性がある。材料の重水素は海水から採れるので枯渇する心配がないし、放射能も出ない。中性子線は出るが、なによりも、発生するエネルギーがとてつもないものになる。

 結論。百苦タイマーの真の利用価値は、核融合発電の材料にこそある!

 ホームメイロ

 ホームメイロという器械で、自宅の間取りを変更して迷路遊びをするという話で、家の構図がエッシャーの不可能図形を連想させておもしろい。1回回すと、二階の勉強部屋から一階へと降りている筈の階段が、上りの階段へと変わっており、階段を上ってみると玄関に出られた。というシュールなものになっている。喜んだのび太は、いつものように調子に乗って器械を急回転させてしまい、家の構図が恐ろしく複雑になってしまい、引き戸を開けてみると、まるで広大なホテルのように、長い廊下にずらりと部屋が並んでいる。あちこち歩いているうちに不安になってきて、次第に疲れてきて歩けなくなり、悲鳴を上げているところへパパが帰ってきて器械を逆回転させて元の家に戻って助かるということだ。
 ドラえもんはのび太の頭の悪さをよく馬鹿にしているが、ドラえもんもあまり利口ではないようだ。こんなときこそ万能の機器であるどこでもドアを使って、勉強部屋に戻るなり屋外に出るなりすればよかったのに。
 家から脱出するつもりで窓から外へ出たのに、窓の外側も室内だったというのもシュールでおもしろい。帰ってきたパパが玄関を開けたら、勉強部屋だったというのも面白い。ということは、のび太らはどんなに歩いても外へは出られなかったということだろうか。
 評価 家の構図と発想がおもしろい。この器械を適当に回して使用すれば、都心部のように地価が高くて小さな家と狭い部屋しか建てられない場所でも、いったん中に入れば屋敷並みの広さというのが実現しそうだ。

 巨人の星について

 ドラえもんから外れてしまうが、これのために別項を設けるのは面倒なのでここに書くことにした。
 巨人の星の代名詞のような存在である大リーグボールシリーズについては、空想科学の柳田氏が分析しているので重複してしまう。大リーグボール1号と3号については取り上げていないようなので、これらを中心に批評してみる。
 まず、大リーグボール1号を考え出すきっかけであったらしい、「星飛雄馬の投げる球は、球質が軽くてかんたんに打たれてしまう。」という場面を見たとき、「おや?」と感じたものだ。そもそも、球質が軽いとは何を意味するのか不明だ。100グラムのボールは誰が投げても100グラムであり、バットで打ったときの衝撃は、速度には関係するが、投げた人の体重や身長や腕力には関係ない筈ではないか? しかも、大リーグボール1号を投げられるほどの完璧なコントロールを持っているのだから、これだけで強過ぎるほど強い投手なのではないか。
 大リーグボール1号を打倒すべく、星一徹コーチは、大リーグボール打倒ギブスをオズマに装着させ、過酷な特訓を重ねてついに大リーグボール1号をホームランにしてしまう。その方法であるが、星飛雄馬がボールを投げてから、オズマのバットはストライクゾーンに移動し、そのことを予測してど真ん中に来たボールを、いったん引っ込めたバットを再度高速で振って打ってしまったというものである。
 この前に、花形は、バットを立てらかした状態のままボールがバットに当たるまでそのままの姿勢で待機しておき、バットにボールが当たってからバットを振ってホームランにしてしまうという方法で大リーグボール1号を打っている。もちろんアニメだから可能なことであり、じっさいにこんなことをするのは不可能だ。人間はおろか、どんな強力な機械を使用しても不可能だろう。
 花形はこの前に、大リーグボール1号のことを知ったとき、ある方法で挑んでいる。星飛雄馬が大リーグボール1号を投げたあとで、バットを自分の身体の後方に隠してしまい、ボールが当たらないようにするというわけだ。ところが、ボールはど真ん中のストライクゾーンに直進してしまい、アウトを取られてしまう。驚くべきことに、星飛雄馬は、投球直前に、花形の手首の筋肉の緩みの兆候を読み取って、とっさにど真ん中の直球に変更して投げたということだ。
 もちちん花形は、ボールが手から離れてからバットを隠した筈だ。それを予知できるのなら、オズマがいったんバットを後方に戻してから再度振り下ろすということは予測できなかったのだろうか? たしかに、花形よりも動作は複雑だが、手からボールが離れた後に行われるという点では同じではないか。
 星飛雄馬は、投球後の打者の行動については、単一の動作までしか予測できない。のなら、それはそれで大リーグボール1号が当たらないようにすることは可能だ。なにも大リーグボール打倒ギブスによる過酷な特訓などしなくても、バットを立てた状態で打者は待機しておき、ボールが放たれたらどちらかの方向にかるくバットを動かし、ボールがバットに当たる直前にバットを横方向に振ればいい。バットに当たらないのでボールである。4回続けばフォアボールで出塁できる。
 逆に、もし星飛雄馬の予測能力がもっと優れているのなら、オズマがいったんバットを引っ込めて再度振り下ろすということも予測できる筈であり、それなら、大リーグボール2号という、打者の手前でボールがいったん沈んで再度浮上するという超変化球が投げられるのだから、オズマがバットをいったん引っ込めて再度振り下ろす直前にボールが急降下するような変化球を投げればいいではないか。オズマは空振りに終わる。





 大リーグボール3号についてのおかしな解説について

 大リーグボール3号の打倒策について、星一徹コーチが伴宙太に解説する場面があったが、いくらアニメとはいえ現実無視も甚だしい。というかあまりに非論理的で視聴者を馬鹿にしている。上図のように、下手投げ投手から放たれたボールは上向きに飛んでいくため、それを打つには同一線上にバットを振り下ろすような大根切り打法で臨めというような解説だったが、打者の手前からボールが上向きに飛んでくることなど起こり得ないのではないか。私は野球には詳しくないが、どんなに頑張ってもせいぜい水平近く位が限度だろう。それでも緩やかな下降曲線になる筈だ。近似的に放物線状に飛んでくるためだ。ましてや蠅が止まりそうなくらいの低速球なのだから、むしろ通常の球筋よりも下降気味になる筈ではないか。
 所詮は架空の話なのだからあまり現実的な批判をするのは良くないかもしれないが、ある程度の整合性がないと現実感が乏しくなって迫力に欠けるだろう。
 大リーグボール3号は、投げられるぎりぎりの低速で放たれたボールが浮いたような状態になり(?)、バットを速く振れば振るほどボールが逃げてしまって打てないというようなことだが、ボールどころか風船やシャボン玉が静止した状態でもこんなことは起こらないし、天井から糸で吊るしたボールを打っても逃げることはない。
 このほか、花形がこの魔球を再現するために作成した機械が、投球時のエネルギー超過に耐えられなくなって壊れて爆発するという場面もあったが、壊れるのならともかく爆発したというのは奇怪なことだ。投げる速度が遅くなればそれだけ消耗するエネルギーも少なくなる筈だ。
 投げるときの無理な力や不自然な投球姿勢から、筋肉が破断寸前になっていることを医師から告げられて警告されているにもかかわらず、父親を乗り越えるために投球を続けていくという話だが、物語なので悲劇性があったほうがおもしろいという演出なのだろうが、父親だけでなく倅にまで日本文化の悪習の象徴である不毛な精神主義に洗脳されてしまったというということだろうか。利き腕が使えなくなってしまっては野球どころか日常生活も困るだろう。愚の骨頂とはまさにこのことではないか。
 あえて大リーグボール3号に科学的な整合性を与えるとすれば、ボールを超低周波音化させているという解釈ができそうだ。音波は現象であってボールなどの実体とは存在そのものが異質であって、ボールを音波化させるというのは無理だが、あえて無視して記述してみる。
 音は周波数が高くなるほど指向性が強くなって特定の方向だけに進むようになり、障害物があると反射されやすくなってくる。逆に音が低くなるほど指向性がなくなっていき、障害物で遮音しようとしても横から回り込んでくるようになってくる。それどころか、障害物そのものを振動させて向こう側へと通り抜けるようにもなってくるのだ。追加するなら、高音になるほど粒子性が強くなり、低音になるほど波動性が強くなってくるともいえる。この性質は電磁波も似ており、可視光線よりも波長の長い赤外線は霧があっても通り越してくるので鮮明に撮影できるし、さらに波長の長い電波だと、カーテンで遮断した室内にも到達する。悪の代名詞になっている紫外線よりも波長の短いX線やガンマ線は大気圏で完全に遮断されてしまって地上にまでは到達しないが、超新星爆発が起きて強烈なX線やガンマ線が放射されると遮断しきれずに到達してしまうため、大変な被害をもたらすと考えられている。
 こうした性質は大リーグボール3号に似ており、音をバットで反射か遮断していると解釈すればいい。音は同じ音量を出すのに必要とする振幅が周波数の2乗に逆比例して増大してくるという事情も、星が大リーグボール3号を投げるときに大きなエネルギーを消耗していたという話と類似する。たとえば、高音用と中音用と低音用の3種類のスピーカーで駆動する3ウエイ型のスピーカーだと、平均して低音用スピーカーは高音用スピーカーの10倍くらいの電力を消費しているらしい。
 ボールを超低周波音化する魔球を大リーグボール4号と定義すれば、これは3号よりも凄い。3号はバットをゆっくり振るかバントのように静止していれば当てることができるが、超低周波音のように振る舞う4号はバットを静止させておいても当たらないのだ。上下の両方から回り込んでストライクゾーンに到達してしまうからだ。それどころか、ストライクゾーンを完全に覆いつくすほどの太いバットを使ってストライクゾーンを遮るようにバントの姿勢で待機していても、たとえば、10Hzの音の波長は34mもあるため、10Hzの音を遮断するには長さと太さがそれぞれ34m以上もあるバットが必要になってくるのだ。それだけではなく、バットの内部が鋼鉄か鉄筋コンクリートのような重くて厚くて頑強なものでないと、バットそのものを振動させて通り抜けてしまうのだ。まるで幽霊か化け物みたいだ。ということは、投手から打者までの距離を半径とするドーム状の半球型の巨大なバット(!?)を使ってボールを遮断しようとしたとしても、どれくらいの厚さで遮断できるのかはわからないが、シェルターくらいの頑強なバット(?)でないと通り抜けてしまうのだ。
 まさに魔球の中の魔球だ。向かうところ敵なしで、これだと勝負にならずに物語としては面白くないので作品としては採用する価値はないだろう。超低周波音は指向性がないので、どんなにコントロールの悪い投手が投げてもストライクゾーンから外れることはない。打者とは正反対の方向に投げてもかまわないのだ。大リーグボール1号が投げられるほどの卓越したコントロールを持っている星飛雄馬にとっては、宝の持ち腐れになってしまうので歯痒いだろう。

 このほかにもおかしなことがいろいろあり、肩を壊した一徹が考案したとされる魔送球もそうだ。打者が一塁に到着するのに間に合わないから、走行中の打者にぶつかるように見せかけてから急カーブして一塁に届くというものだが、打者が一塁に到着する前に打者のすぐそばにまで届くのなら、最初から一塁に向けて直球を投げればアウトにできる筈だ。「三角形の二辺の和は他の一辺よりも長い」という、小学生でも知っている程度の知識だ。魔送球が実際に実現できるかどうかまでは問わないとしても、小学生ですら疑念を感じるような非数学的な魔球というのは、視聴者を馬鹿にしている。打者の近くで急カーブするのなら、かなりの高速で回転しなければならない筈だ。それなら、一塁に直球を投げるよりも大きな力が必要な筈だ。それなら、一塁に直球を投げることは可能な筈だ。
 一徹はよく、「男と男の勝負」というものにこだわる。花形もこのセリフをよく口にするが、別項にも書いたが、皮肉なことに男好きの一徹がやっていたスパルタや過酷な訓練や養成ギブスなどは、むしろ男性ホルモンの濃度を下げてしまい。筋肉の増強効果や闘争性の亢進といった効果を低減させてしまうのだ。一徹は戦前生まれだから、そのような了見に染まっていたのは仕方ないだろうが、部活の顧問やコーチや監督といった体育会系オヤジの中には、いまだにこうした考えから抜け出せないものがおる。これらの、いわゆるスコポンものとか部活漫画や部活アニメといった類の作品は、反面教師として保存しておくべきだろう。

 追加

 機械を使用すれば可能だが、人間が投げるのは至難の業と思われる変化球というものを思いついた。
 進行方向を軸として回転しながら飛んでいくという変化球があり、投げることのできる投手もいることはいるらしいが、少数ではないかと思われる。打ち上げ花火やライフル銃が典型例で、打ち上げ花火が発射されて上昇していくとき、螺旋状に旋回しながら上昇していくのを眺めることができるが、あれほど激しく旋回しながら飛んでいく球を投げるのはやはり困難ではないかと考えられる。
 これを複雑にして、回転軸自体が回転しながら飛んでいく変化球というものを投げることができれば、やたらとややこしい変化球になりそうだ。これを人間が投げることは、文字通り至難の業、というよりもほぼ不可能だろう。機械であれば、かなり複雑な機構になってしまいそうだが、できなくはないだろう。



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