母親が初めて産む初産児は、次男次女よりも出産時の負担が大きく、一生ハンデを背負って生きていかなければならない。ところがこの事実は、教育・育児・医療・社会・経済・文化等々さまざまな分野に影響を及ぼしている筈であるにもかかわらず、あまり話題にならない。
初産児の傾向をざっと挙げると・・・・・
1障害や奇形を負う確率が高い。
2左ききになる確率が高い。
3心身ともに生育が遅れがちで、平均身長が低く平均体重が軽い。
4性格が内向的で消極的である。
5体力と運動能力が低い。
6男の場合は、上記の特徴が増幅される。
小柄で痩せていて骨盤の幅が狭い母親の場合は、これらの危険が増大する。
よく母親が、「お兄さん(お姉さん)なんだから、しっかりしなさいよ!」と言っているのを聞くが、これは逆ではないだろうか? むしろ、「弟あるいは妹なんだから、しっかりしなさいよ!」と言うべきなのだ。
最近の若年層や子どもは弱くて、すぐに傷つき、根気がなくてすぐ投げ出す。子供みたいな幼稚な大人が増えており、などなどの指摘がされるが、こうした傾向も、少子化による過保護化などの、教育とか環境による影響も、あることはあるだろうが、初産児の比率が増えていることによる影響はないだろうか?
血液型性格診断やら星座占いといったいんちきくさい分類があるが、そんな方法よりも、今取り上げている事情のほうがずっと実態に合っている筈だ。
ちょっと挙げただけでも・・・
・イチロー─次男である。
・松井秀喜─次男である。
・松坂大輔─たしか姉がいたように記憶している。
・相撲の花田勝(若乃花)。弟より小柄である。
大リーグで活躍しているこれらの選手は、全員次に産まれているのである。追加すると・・
犯罪者・自殺者・薬物依存患者・精神疾患患者に占める初産者の比率の統計を取れば有意差が出てくると想定され、有能なスポーツ選手に占める初産者の比率は低い筈だ。このように、あきらかに当人の能力や資質に影響があるのに、それにしては、あまりにもこの事情に無関心ではないか?
初産児・者は読んでいて陰鬱になってきたかもしれないので、良い面についても触れておこう。
・まず、初産児は平均身長が低いが、第二次性徴が始まるのも遅いので、発育の遅れによる低身長傾向をいくらか取り戻す、というか追いつくことができる。思春期に入って性ホルモンの分泌が増えると、骨格が固まって背が伸びなくなるためだ。
・まじめで外遊びをあまりせず、文化活動にエネルギーを使うので、学力や教養といった要素では優位に立つことも多い。
・例。ものまねタレントの清水アキラには、3人の息子がいるらしいが、長男だけは成績が良く、次男以下は運動能力は優れているが成績はあまりよくないらしい。
・さらに極端な例を挙げると、数検一級級(最高難度)の理数力を持つ子供は、男児が圧倒的に多く、テストステロンの影響が指摘されている。もしそうなら、テストステロン濃度が高い初産の長男は、優れた理数力を発揮する確率が高いことになる。
・肉体労働の平均賃金は世界的にずっと下落傾向にある。肉体労働の社会的価値が下落しているということは、体力と体格で劣りがちな初産者にとって好都合である。
・経済発展して余裕が出てくると、少子化が進み、人口に占める初産者の比率は高くなる。政治勢力としても無視できなくなっている筈だ。
・今後は環境問題や食糧問題その他の事情により、人口を増やすことができなくなってくるだろう。むしろいかにして減らしていくかということが課題になってくる。すると、ますます初産児者の比率は高くなり、新興国や途上国の経済発展により、地球規模での初産者の比率の拡大が進むだろう。今後想像以上の影響力を及ぼすかもしれない。
・初産児の特性を生かすには、1人っ子の環境が好ましい。自分独自の世界を構成するため、創造的な分野では才能を発揮する可能性が高い。たとえば、ミュージシャンに占める1人っ子の比率は予想外に多い。
・なんといっても親だろう。これを読んでいる人は説明する必要が無いが、初産児は基本的にスポーツには不向きだ。とくに身体を酷使する種目は向いていない。文化活動か教養か学力向上に投資したほうが良い。男の子のなりたい職業に、依然としてプロスポーツ選手が人気らしいが、これは確率的に宝くじを当てるようなものであり、ほとんどありえない。まして初産児がなれる確率はもっと低い。絶望的とまでは言わないが、体格と体力で劣りがちなため、かりに何とかデビューまで辿り着けたとしても、かつての若乃花のように、苦戦を強いられる可能性が高い。このことを頭に入れて育てるべきだろう。お笑いタレントにも初産児はあまり向いていない。
・中国はよく知られるように一人っ子政策をやっており、どの程度の比率に達しているのか知らないが、これは日本にとって好都合だ。一人っ子はおとなしくて内向的で、これが兵士の士気や軍の組織力に影響を及ぼさない筈はない。このように、外交、軍事、防衛問題にまで影響してくるのだ。
初産者の社会的役目。
誰かが最初に生まれてくる。これは避けられない事態であり、ブチハイエナのように、初産児のほとんどが死亡してしまうという異常事態でもないかぎり、初産という不利さと負担を、「特定の人間たち」だけが負担しているのだ。今までこのことにあまりにも無関心だったのではないか。こういう人たちを保護すべきとはいかないものの、ある程度の配慮があってもいいのではないかという気がする。
次男次女や三男三女として生まれても、親になる以上は初産児を育てることになる。初産の親も同様だ。このように、ほとんどの親たちに関係する事情なのだ。
一姫二太郎は普及するか?
初産の危険を減らすには、「一姫二太郎」の言葉通り、女の子を最初に産むしかない。ただ、かといって、このことを普及させようとしたり勧めたりするわけにもいかない。色々な事情があるからだ。それに、何の問題もなく生活している人たちもたくさんいて、別にかまわないと言うだろう。それはそれでかまわない。ただ、知識として、知っていなくてもかまわないが、知っておいたほうがいい。
それ以前に、男女の産み分け技術が普及してもいいのではないかと思う。技術的にはほぼ問題ない水準に達しているらしく、精子にほとんど損傷を与えることなくX精子とY精子とに分離できるらしい。女の子がほしいという親は多いだろうし、男の子を産むことに不安を感じる母親も多いらしい。母親が感じるこの不安には根拠があり、男児は死産や流産になる危険が多いし、男児を産んだ母親は次の子を産むまで間隔を開けるらしい。それだけ母体の負担が大きいということであり、それだけでなく、出産後の母親には、産んだ子どもの細胞組織の破片が残っている可能性があり、とくに男の場合は母体に悪影響を及ぼす可能性も指摘されている。
男女の産み分け技術の普及については別項で取り上げる予定だが、産婦人科学会が反対しているというのを読んだ記憶がある。賛否はともかく、そもそも産婦人科学会がこの問題について決定する権限があるのだろうか? 男女の産み分け問題については別項で取り上げているので、読んで頂きたい。
前提として、X精子とY精子とを損傷を与えることなく分離できることが必要で、これが普及して親が納得するなら、一姫二太郎が増えてもいいのではないか?
投資家は、今後のこの事態からどう考えるべきか?
すぐにも判るのは、体育会系型の人間が減って文科系の人間が増えてくるだろう。このことが、消費者の需要や産業構造にどのように影響してくるだろうか? 考えてみるのも面白いのではないか? 意外にも、医療技術の進歩によって、初産の危険性がいくらか薄らいでいるかもしれない。それでも、その不利さそのものはなくならないだろう。
頭脳王の亀谷さんは難産だったらしいですが、彼の優れた記憶力と無関係ではない筈です。これだけが原因ではありませんが、「禍が転じて福と為す」ことの一例かもしれません。この諺の語義からしてこういう場合に使うのは不適切ですが、適当な言い回しが見当たらなかったので使いました。
出産については無知なので不謹慎な提言になってしまうかもしれないが、初産婦は膣の拡張器具などによる危険性の軽減ということについて検討してもよいのではないかという気もする。
文字数が超過してきたので、引き続き寸記の続きを書き込んでいきます。
フェミニズムの是非についての私の考えを述べさせてもらうが、賛同できる面とできない面とがあるのだ。
能力や行動特徴や気質や依存のなりやすさなどの、さまざまな個人差というものは、環境や教育による影響よりも生来のものによる影響のほうが大きいらしく、事実実証されつつあるのだ。男女の性差についてもこの事情は当てはまる筈で、この事情を見て見ぬふりをしているのか、知ってはいるが、戦略的に無視しているのか判然としないが、こういうところはけしからんと感ずる。
その一方で、そもそも男尊女卑という考え方が普及していたこと自体が不思議であり、男のほうが病気や障害を負いやすく、ということは、品質が低いわけであり、男のほうが価値が低い筈なのだ。このほかにも、メスしか存在しない生物は存在し得るし実際に存在するが、この逆は存在しないし存在し得ない。つまり、メスは必要不可欠な存在なのだが、オスは存在しなくてもかまわないのだ。人間も生物の一種であるのだから、この事情と完全に無縁ではありえないのだ。
それにもかかわらず古今東西男尊女卑的な考えが普及していたのは、なんといっても身体が大きくて筋力も強いため、それが仕事や社会的な活動の上で有利だったためではないか。大袈裟に言えば、社会のヤクザ性が強かったためで、ヤクザというのが大袈裟なら、体育会系性と言ってもいいかもしれない。ということは、男女関係なく活躍できる分野が拡がっていくということは、それだけその世界のヤクザ性が減っていくと解釈できるわけで、これは文明や文化の進歩の必然と不可逆過程であり、この点からは賛同できるし大いに推進していくべしと考えるのだ。
肥満や食べ過ぎで悩んでいるひとたちへ・・
所詮ご都合主義的な自己慰安に過ぎない提言かもしれないが、俗に、「食っていく」とか、「この分野で食っていけるのか?」といったたぐいの言い方があり、「ひとはパンを食うのみにて生きるにあらず」という言葉の好きな私としてもいまひとつであるのだが、食料品を購入するには代金が必要であり、お金を得るためには労働という苦痛が必要だ。したがって、食べる量を減らす。つまり食費の節約は、労働という苦痛をある程度減らすということでもあり、よい意味での負担軽減なのだ。
小池氏「日本にタリバンいないのに」 女性少ない自民総裁選に苦言
この問題を考えるとき、政界のヤクザ性をどこまで残して、どこまで減らしていくべきなのかという点が・・・
「千葉県警は10日までに、ツイッターやYouTubeで公開していた子ども向けの交通ルール啓発動画を削除した。全国フェミニスト議員連盟から、動画に出演しているVチューバーの女性キャラクター「戸定梨香」について「おへそが見えている」「動くと胸が揺れる」「スカートの丈が短い」といった点を挙げ、「女性蔑視にあたる」「性的で不適切だ」との抗議が寄せられたことが理由だという。
ということだそうだ。そこで、いささか不謹慎な発想かもしれないが、いっそのこと、男の娘をキャラクターとして使用すればよいではないか。これなら女性蔑視にはならないはずだ。
ひろゆきが「昭和の体育会ノリは社会で役に立つ」と断言する意外なワケ
あえてこの主張自体は認めるとして、外胚葉型の私としては、それを敵視か目標として今後の活動の参考にしますわ。たしかに、岡田斗司夫氏も指摘していたように、米国のほうがよほどマッチョ文化であるし、運動や組織の苦痛に耐えられるということはある種の才能でもあるし、基本的に労働というものは、「給料とは、労働という苦痛に対して支払われる慰謝料なのだ。」という名言もあるくらいだから、たしかに根拠はあるのだろう。
【首から下で稼げるのは1日数ドルだが、首から上を働かせれば無限の富を生み出せる】
しかしそれでもなお、上記の格言のごとく、体力よりも知力による社会的影響のほうが勝るのだ。そもそも考えるという行為自体が重労働であるし、事実単位細胞当たり筋肉の十数倍くらいの養分を消耗するということらしいのだ。
退化の改新
分母を体力、分子を学力(知能)とする数値は、文化程度の高さや進化の進み具合を概ね示すと考えて良いだろう。歴史を遡るほどこの数値は下がってくるし、極端な話、類人猿や、野生動物になるとさらに数値が下がってくるだろう。このように、知力の価値が下がって体力の価値が上がるということは、社会や文明の退化が始まっていると解釈できそうなのだ。
毒親や親ガチャなど・・
それでもなお、こうした問題が話題になってくるということ自体が、社会全体としては進歩してきていると考えるべきなのだ。
自分の時間に出遅れているだけの者は、いつかは自分の時間に追いつけるのだ。
毒親や不幸な境遇によって、十分な発達や能力が発揮できなかったという遺恨を抱えている人たちにたいしては、人間の諸能力や資質は、環境や教育による影響よりも生来のもののほうが影響力が大きいのだから、大人になってからの追い上げが期待できるぞ。つまり、あなたのような不幸な境遇で育ってきた人たちは、両手を縛りつけられて今まで生活させられてきたようなものなのだ。今後は両手は自由に使えるし、今までの自分よりも高度な能力を発揮していけるのだ。
「子どもになってほしくない職業」
ユーチューバーが上位に挙がっていることが話題になっていたようだが、正確に言うと、ユーチューバーを本業(専業)にすることに反対ということなのではないか。この点に関しては私も賛同する。まさに水商売の極めつけのようなもので、副業(兼業)としてやるのならかまわないし、むしろ大いに挑戦すべきと思う。向いた人の特徴とは、知識や話題が豊富で、好奇心旺盛なというとこだろうか。
ユーチューバーというと、逮捕者やら迷惑系などがやたら話題になっているが、大多数はまともであり、真面目で質の高いものも多数投稿されているのだ、失礼ではないか。
詳しいことは知らないが、マコなり社長のプログラミングスクールが問題視されているらしい。そういえば、動画の広告にホリエモンが出ていたが、いかにもうさんくさい感じはしていた。
・誰でもできる。
・プログラミングは簡単
このブログを常読してくれている賢明な読者にはお分かりのように、誰にでもできて、かつ簡単なことなど。たいした価値はないのだ。詐欺というのは言い過ぎかもしれないし営業妨害になる恐れもあるが、慎重に検討すべきだろう。
中には、受講して就労にも成功したと報告している動画もあるが、これはむしろ、教育よりも本人がもともと優秀な素質を備えていたからだと考えるべきなのだ。
おすすめの勉強法とは?
優秀なプログラマーを目指すのなら、英文の読解や難解な数学の問題を解くという勉強が効果的だ。英文の読解力や数学の能力が高ければ、その分だけプログラムの能力も高くなってくる筈なのだ。同じ脳を使っているのだから当然なのだ。
こうした勉強で挫折するのなら、プログラマーとしてもさほど活躍できなさそうなので、そのつもりで今後の計画を立てていきたまえ。
上の書き込みの指摘である、射殺された漁協組合の組長(!)さんは、じつはカタギではないということについて、このことを知ったとき、正直やはりという感じはした。不謹慎かもしれないし偏見かもしれないが、そもそも漁協自体がヤクザ組織のような感じがするのだ。しかし、カタギではないからといって、射殺してはいけないだろう。
死刑自体の良し悪しはともかくとして、いかに死刑囚の食事その他が恵まれているとはいえ、いつ執行されるかわからないという心情の中で日々生活しているのだから、とてもうらやましいとは思えないし、これ自体が精神的な拷問ではないかという気にすらなってくるのだ。
「自分の時間に先行しているだけの者は、いつかは自分の時間に追いつかれる。」
まさに、上記の名言がそのまま当てはまるのが今の動画界だと感ずる。シバター氏がこういう提言をするということは、これ以上参加者が増えると自分の再生回数が減ってしまうという恐怖があるからではないか。ということは、シバター氏も、もうじきいわゆるネタ切れが近づきつつあるという不安を感じているのだろう。
そもそも、他の項目でもさんざん指摘してきたように、大学の研究予算を減らし続けてじり貧にさせておく一方で、オリンピックという運動会のお祭りには何のためらいもなく資金を投入して自賛しているのだ。こうした、知力よりも体力を称賛するという、類人猿みたいな精神性を持つ国民性なのだ。不毛な精神論(思考の放棄)や、いじめ、暴力、体罰、しごき等々が、スポーツマンシップという名のもとに正当化されるという、ヤクザ組織にこの国は牛耳られてきたし、国民もこうした人たちに依存して生活してきたのだ。したがって、いつまで経ってもデフレは改善しないし、有能な人材の流出も止まらないのだろう。
猿の惑星
さて、今後もこうした社風や文化を続けていくのだろうか? 警察や警備員や消防署員や引っ越し業者などは、ある程度こうした要素を考慮されるのは仕方ないとはいえ、理系離れや競争力の停滞など・・問題が山積みなのだ。問題が少なくて、それどころか競争力で諸外国を凌駕していたとしても、常に監視の目を怠らずに切磋琢磨していかなければならないくらいなのにだ。
首から下で稼げるのは1日数ドルだが、首から上を働かせれば無限の富を生み出せる。
あの世からエジソンが嘲笑していそうだ。
いろいろ書いているようだが、それぞれについて書き込んでみる。
「そう考えると、人間が集団で生活している以上、いじめをなくすのは無理なのだから、解決ではなく「いじめを回避する方法を」考えることだと思いますね。」
最優先すべきなのは、「いじめに起因する自殺を減らす」ことなのではないのか。
「ただ、子どもの場合、コミュニティ全体の損や利益、自分が受けるデメリットを論理的に理解するのがまだ難しい。そこで、物理的に「肉体を強くすること」もひとつの手です。いじめの解決が難しい以上、回避するためには筋トレをしたり、格闘技を習ったりするのが現実的な正解だと思うのです。」
たとえば私のような、外胚葉型の人間はもともと筋肉が付きにくいし、みんなが同じように筋トレしたとすれば、内胚葉型や中胚葉型の人間と外胚葉型の筋肉量の差が拡がってしまうだろう。
格闘技を習うことを提言しているが、脳細胞を構成している神経細胞は年齢に関係なく、いったん壊れると一生再生しないのだ。ヘディングですら未成年者は禁止されている国もあるのに、格闘技を習わすなど危険過ぎるのだ。そしてまた、ここにもさっきと同じ事情が生じ、生まれつき向いている人と向いていない人との格差が拡大し、問題の解消につながるとも思えない。
別項でも触れたが、いじめ自殺を減らすには、家庭内暴力の被害者用と同様の避難用のシェルターを用意すべきだ。食事と排泄と、生活に必要な最低限のものを備えておくのだ。
それにしても、教育再生実行会議は何をしているのか? この程度の提案もできないのか? 道徳教育でどの程度いじめが減ったのか? 検証すらしないのか。百年河清を待つぞ。
いじめ自殺が起こるたびに、学校や教員を非難する声が沸き起こるが、そもそも証拠がないのだし、アンケート調査などをしてみたところで、本当のことを書いているのかどうかも確認できない。つまり証拠にならないのだ。当然のことながら、証拠の残らない時空間で実行されるわけだから、あらゆる場所に監視カメラを設置するという方法があるが、世論の反対で実現は困難だろう。
というわけで、今後もいじめ自殺は起き続けるのだろう。
妻に性行為を拒否されて悩んでいる夫の相談の掲示板を以前読んだことがある。しばしば夫の不能とか夫のセッスクレスが話題になるが、実際には妻が拒否するほうが多いのではないかと思われる。
数人の女性から、アドバイスらしき書き込みがしてあり、「妻は分かり合えることを求めているんです。」といったような説教じみたことを長々と書いてあったが、印象的なのは、男が性行為ができないまま過ごすということが、どれほど欲求不満と精神的なダメージを与えるのかということについての記述がほとんどなかったことなのだ。その深刻さどころか、存在にすら気付かないらしいのだ。そもそも性行為をしなくても平気な女と、しないでいるとどんどん溜まってきて、精神状態すら危うくなりかねない男とは、やはり別の生物なのであり、ということは、夫婦ですれ違いが起こらないほうが不思議なくらいなのだ。
ある程度の資産が築けたら、退職して自由に生きるというのも、それは本人の勝手であり、他人が批判することではないと思う。ただ、いくら資産が増えたとしても、可能なら仕事は続けた方が良いのだ。収入があった方が心理的な不安は低減するし、資産運用にも好都合だからだ(どうしても嫌なら、アルバイトでも良い、というか、しないよりかはましなのだ)。
ついでながら、投資で資産を増やして金持ちを目指すのなら、貯蓄が第一歩なのだ。一定以上の資金がないと資産は増えないし、精神的にも安定しないので投資成績もおぼつかなくなりがちなのだ。
最近はあまり聞かなくなったが、以前は、日本人は貯蓄ばかりして投資にお金を使わないといった批判があったが、貯蓄があると上記のごとく精神安定剤として作用するので、十分価値があるし、貯蓄すらできないようでは、お金持ちを実現するのは厳しいと考えるべきだろう。
さらに追加すると、日本の企業は内部留保を溜め込むばかりで、給料を上げないという批判もよく聞くが、これも考えようによっては、余裕資金が潤沢にあるということは、安心して商品開発その他の研究に打ち込めるし、新規参入するさいにも、それだけリスクが取れるということで、すくなくとも悪いことばかりではないようだ。そんな調子だから国内の企業は新陳代謝が進まないのだという批判もあるし、それはそうなのかもしれないが、多角的な視点もあって悪くはないだろう。
投票率の低さがよく問題になっているが、普及してみんなが投票できるようになったということは、市場原理によって投票の価値が下落したということになり、よしあしはともかくとして、そういう要因もあるのではないかと思えるのだ。
与野党が逆転しにくい理由として・・
他の項目でもしばしば指摘してきたように、大学にしろ企業にしろ、優秀な人間をどれだけ確保できたかによって、競争力はほぼ確定してしまうのだ。これが政党にも当てはまるとすれば、与党には優秀な人間が集まりやすいし、その後はその好循環が続いてさらなる安定化へと向かいそうだし、野党は悪循環に陥りそうなのだ。
いくつか挙げると、日本人は正直だというのもありそうだ。勉強や数学は好きか? というアンケートで、日本の子どもは「嫌い」という回答が諸外国よりも多いらしく、正直な子が多いと感心したものだ。勉強も労働の一種だし、ということは、労働も基本的には苦痛なものの筈で、楽しくておもしろくてやりがいのある仕事があれば、お金を払って他人に依頼などせず、自分でやるだろうと指摘される所以なのだ。
もともと滅私奉公的な国民気質であるみたいで、公立校での児童生徒の清掃の義務に誰も文句を言わないし、自賛すらするというありさまなのだ。他人に厳しいというところもありそうだし、なによりも、実績があろうがなかろうが、天皇家か皇族に生まれれば、生涯現人神として崇められるというわけだ。朝鮮民主主義人民共和国の別バージョンというところか。
私のような人間ですら、こうした人たちから相談されれば、何か協力できることはないかと、少なくとも検討くらいはするだろう。ただし、この問題を政治的に利用しようとする活動家がいるようなので、今一つ乗り気にはなりにくいのだ。ただし当事者ではないので、こういう人たちの苦労は知らないし、関心もないのでそれについてはどうしようもないのだ。
この記事で、学校は治外法権なので、どんな犯罪紛いの行為でも逮捕起訴されないという記事があったが、かつてお寺も治外法権であったように、宗教法人学校教育教の信仰者が国内にあふれていることのほか、そもそも警察自体が体育会系というヤクザ屋さんの巣窟であり、パワハラ・いじめが横行している筈なのだ。教員を逮捕起訴するくらいなら、まず警察官を逮捕起訴していかなければならないのだから、乗り気にならないのも当然というべきだろう。
再々度追加するが、なぜか、神経細胞(脳はこれによって構成されている)というものは、未成年者でさえも、一度壊れると二度と再生されないということを話題にしないのだ。
それは言い過ぎでしょ
維新の会の代表が、「日本はここ数十年進歩していない」と発言していたが、そのような、自戒の意味では有意義なのかもしれないが、いくら何でも言い過ぎだ。数字に表れてこないところでどんな動きがあるのか、誰一人として正確には知らないし、改革を進めるべしというのも基本的には賛同するが、その代償として格差が広がるだろう。
若者の政治の無関心について
家族や兄弟姉妹間や、友達や同級生らと、動画やゲームや音楽やアニメやら映画といった話題よりも、政治のことについての興味が強くて、日々政治についての議論に夢中になる児童・生徒・学生がいたとしたら、むしろ気味が悪いのだ。投票率の低さについても、考えるという行為は重労働であるから、たいていの人たちにとっては面倒であるし、毎度のことながら、裁判官の信任のための経歴を読んでいると、うんざりしてくる。
経済については無知なので、この指摘についての是非については書けない。ただ、まったく根拠がないと言い切ることもできないのではないか。仮に根拠がないとしても、債務は少ない方が好ましいのは間違いない筈だろうから、そうした危機感は持っておいて悪くはないのではないかと思う。
このひとはもともと、原発事故の放射能がきっかけで政治家を目指していたような印象だ。今回とは論点が異なるが、別項でも書いたように、地球上にはコンクリートや石灰岩や花崗岩など、放射性物質だらけなのだ。あらゆる野菜や果物や穀物もみな放射性物質であり、これらを餌にしている家畜、すなわち牛肉・豚肉・鶏肉類もみな放射性物質なのだ。このひとは何を食って生活しているのか?
これはつまり、あらゆる生物は、数億年間もの間、一瞬たりとも途切れることなく放射性物質と放射線にさらされ続けて今日まで生き抜いてきたわけだし、ずっと共存してきたのだ。
温暖化について言えば、これも別項で説明しておいたのでうんざりするひともいるかもしれないが、国内の産業革命以来の総排出量による気温上昇分は、せいぜい100分の3~4℃程度に過ぎない。この程度気温が上昇したくらいで、どこにどんな損害を与えたというのか? たしかにまったく責任がないとは言えないが、この程度の影響を与えたくらいで化石賞を受賞したり、途上国への多額の出費が迫られるというのだから、まるで戦時中の日本軍の全体責任のような印象なのだ。
そもそも100分の3℃とは、どういう温度なのか、見当もつかないのだ。
欲しがりません、勝つまでは・
日本人ならぜいたくは出来ない筈だ。
どれほど原油が値上がりしようが、再生可能エネルギーが普及して脱原発と脱石油(脱炭素)が実現するまで、100年間も河清を待ち続けるつもりらしい。
どうやら日本人の精神構造は、戦時中から変わっていないようだ。
YouTubeの将来について
「いずれはオワコンになる。」とかいった悲観的な見解が散見されるが、テレビよりも使い勝手が良いし(むしろテレビがオワコン化しつつあると感ずる)、選択の幅や情報量も比較にならないほど多いのだから、衰退とか、ましてやオワコンなどにはならない筈なのだ。参加者が増え続けていくだろうから、格差は拡大していくだろうし、収益も一層困難になるかもしれない。しかし、そうした事情を考慮しても、悲観視するほどのものではないだろう。
「今後は収益が厳しくなる。」とか、その他さまざまな不安感の漂う記述がしばしば登場してくるが、視野を動画よりも広くして考えてみれば、たいした問題ではない筈なのだ。別に動画サイトがあろうがなかろうが、どれほど普及しようが廃れていこうが、それぞれの各個人間の才能や手腕や知識量その他の格差はそのままなのだ。今後どのように動画サイトが発展しようが変質しようが、才能や気概ややる気のある奴は、いずれ頭角を現すだろうし、動画で伸びない奴は、動画が駄目だったというよりも、もともとその程度の人間だったということなのだ。
いわゆる迷惑系のような悪質なものは淘汰されていくだろうから、むしろ喜ぶべきだろう。
動画投稿に向けて‥
前にも触れたような、「こうすれば再生回数が伸びる。」といったような説教動画を視聴して参考にするのも、したい人はすればいいが、基本的には、というか私であれば、たった10人ですら、視聴してくれたということに感謝と喜びを感ずるくらいの謙虚さでいいのではないかと思うのだ。再生回数が100回だとしても(回数と視聴者数が同義なのかは確認していないが・)、100人もの人たちが視聴してくれたのだと考えてみたまえ。100人を相手に演奏か講演したようなものなのだ。すごいことではないか。
自分には訴えたいこと、伝えたいこと、主張したいこと、見てほしいもの、聴いてほしいものがあって、これを公表することにやりがいを感ずるというのが基本ではないか。
「自分の時間に先行しているだけの者は、いつかは自分の時間に追いつかれる。」
ゆたぼん 連日炎上も再生回数は失速…専門家が指摘するYouTuberとしての実力「企画力が乏しい」「教訓もない」
不登校の子供たちに元気と勇気を与えるべく、6月30日から全国を旅している“少年革命家”でYouTuberのゆたぼん(13)。
最近ではクラウドファンディングで集めた約487万円の資金が赤字となったため、投げ銭を呼びかけたことも記憶に新しい。すぐに100万円の投げ銭提案があったが、振り込め詐欺だったと判明。意気消沈するも一転して、IT経営者から本当に100万円の振り込みがあったことを大喜びで報告していた。
ほぼ毎日のように各地を訪れた様子を動画にアップしているが、ゆたぼんの言動が炎上することもしばしば。11月1日には、《神主さんに「ゆたぼんは福の神だね」って言われた これからも俺はみんなに元気と勇気を届けるで アンチのことは『餓鬼畜生』って言うらしいで》とツイートし“アンチ”を挑発。しかし添付した写真が寺院だったため、「寺なのに神主?」と物議を醸すことに。
翌2日には、写真の撮影場所であった福岡県久留米市にある大本山成田山久留米分院が《ゆたぼんさんが仰っているような事実はございません》とTwitterで表明。本誌の取材に応じた同寺は、ゆたぼんのツイートによって問い合わせが相次ぎ困惑したことを明かしていた。
そうしたゆたぼんの一挙手一投足は世間の関心を集め、連日メディアを賑わせている。10月にヤフーニュースに配信されたゆたぼん関連の記事は93本(本誌調べ)。100本近くネットニュースで取り上げられたことに、ゆたぼんは《これが少年革命家ゆたぼんやで 俺を超える13歳がおったら教えてな》と自慢げにツイートしていた。
遡ること、ゆたぼんがYouTuberデビューしたのは17年3月。初投稿は兄妹3人でじゃんけんをして遊ぶという内容で、以後は“歌ってみた”や“食べてみた”といった企画が並んだ。そして18年8月に投稿した「不登校は不幸じゃない!」と題する動画が注目を浴び、新聞やメディアでも取り上げられることに。同年12月にアップした「【ロボットになるな!】不登校の天才YouTuber『麦わらのゆたぼん』」と題する動画は、500万回以上再生され一躍YouTube界の注目株となった。
■ネットを賑わすも、動画1本あたりの再生回数は月平均4.6万回
しかし、徐々に物議を醸す動画が増えていくことに。
「“学校にいかんでもググったらいい”という主張をしたり、『人生は冒険だ!』と言いながら小学校の卒業証書を破ってみせたりする挑発的な言動に批判の声が相次ぎました。また、ボクシングの告知をした21年12月の動画では、『カッコ悪いボクシングをしたり、情けない戦いをしたその時はYouTube引退して学校行きます』と宣言し、学校に通うことを“罰ゲーム”のように扱う発言も。そうした炎上が相次ぎ、次第に再生回数も減少していきました」(スポーツ紙記者)
そんなゆたぼんは、今年6月に出演したネット番組で「多い時は100万ですけど、今はちょっと減ってきちゃって」と収入について明かす一幕もあった。
現在、ゆたぼんの登録者数は15.3万人で、直近の10月にアップした動画は計25本。とりわけ多く再生された動画は、投げ銭を呼びかけた動画(25日/17万回)、100万円の投げ銭提案があったことを報告した動画(26日/11万回)、そして振り込め詐欺だったことを報告した動画(28日/19万回)だった(すべて11月5日時点)。
しかし、この3本以外は1万~5万回再生で推移しているものがほとんどで、月合計では116.5万回再生。つまり、1本あたり平均して約4.6万回再生ということになる。
そうした状況に、「仮に1再生あたりの単価が0.1円だとしても、月収は20万円いくかどうかではないでしょうか」と語るのはITジャーナリストの井上トシユキ氏だ(以下、カッコ内は井上氏)。
「直近2週間では投げ銭に関する動画だけは伸びていますが、他は1万~5万回くらいで再生回数は少ないわけです。いっぽう、Twitterなどでの威勢のよさから見てとれるのは、ゆたぼん自体が炎上商法だということ。これまでの動画を見ても、学校に行っている人に対して『国のロボットになってる』というような言い方をするなど、反権力的あるいは真面目に学校に行って勉強している人を上からバカにするようなことをやっていますよね。要するに、無理筋なところで喧嘩を売って視聴者を反応させ、自分に注目を向けるという炎上商法の初歩的なやり方を続けているのです」
「ゆたぼんのことが本当に嫌いな人は動画なんて見ない」と指摘する井上氏は、ゆたぼんの再生回数が伸び悩んでいる原因についてこう読む。
「15万人いる登録者数のなかで、仮に3万人が動画を視聴しているとすると、おそらくこの3万人はゆたぼんの賛同者ないし支持者だと思います。残りの12万人は『何が起きているんだ』『どんなYouTuberなんだ』と、野次馬的に見にきている人たちでしょう。現状を見ると、これまで野次馬的に見にきていた人たちが飽きてしまったのではないかと思われます。厳しいようですが、他の人気YouTuberと比べて企画力が乏しいですし、話している内容も“底が浅い”と思われがちです」
■「視聴者にしてみればほとんど得るものや教訓もない」「内容が薄すぎる」
実力不足が視聴者離れを引き起こしているようだが、いったい、どのような内容だったら多くの視聴者に受け入れてもらえるだろうか?
「真面目に『なぜ不登校なのか』『いまの小学生が学校生活のなかで抱えている問題は何なのか』といったことを説明したり、自分と異なる意見を持つ小学生と対談したりしていれば視聴者の反応も違ったのではないでしょうか。不登校というのは小学校だけでなく、さまざまな学校にもある問題です。学校と児童・生徒との向き合い方や関わり合い方について、『改善すべきところってあるよね』という問題提起をきちんと真正面からしていれば、視聴者も耳を傾けると思います。ですが、挑発的な言動を何度も繰り返しているため、『結局、この人ってそれしかないんだね』と飽きられてしまっているように見えます」
自分に批判的な人たちを“アンチ”と呼び、反発を続けるゆたぼん。その姿勢を改める気配は見られず、5日にも次のようにツイートしている。
《友達もおらんくて、食べたい物も食べれんくて、行きたい所にも行けんくて、何も挑戦できひんようなアンチが俺に嫉妬してごちゃごちゃ言ってて、めっちゃダサいやん 俺は毎日が楽しくて天国やけど、アンチの人生は地獄みたいなんやろうなwアンチなんかしてるヒマあったら自分の人生を全力で生きろよ!!》
このような挑発的な態度は、いずれ自分を追い詰めてしまう可能性があるという。最後に、井上氏はこう警鐘を鳴らす。
「動画は『どこに行った』『何を食べた』『アンチはバカだ』といった内容の繰り返しなので、視聴者にしてみればほとんど得るものや教訓もないわけです。まだ教訓があればよいと思うのですが、威勢がよいわりには内容が薄すぎると思います。支持者の人は『どうしてるかな?』という気持ちで動画を見ると思いますが、それ以外の視聴者がこの先も見たくなるようなモチベーションアップに繋がるものが感じられません。
このままだと支持者だけが見るチャンネルになり、再生回数も低空飛行が続いてしまうでしょう。『確かにそうだね』『面白いな』という風に、視聴者から納得や共感を得られることをしない限り、登録者数や再生回数が増えることは難しいでしょう。いつしか『炎上した親子がいたね』くらいに、忘れられてしまうかもしれません」
果たして、ゆたぼんは現状に危機感を抱いているだろうか。
初産児の傾向をざっと挙げると・・・・・
1障害や奇形を負う確率が高い。
2左ききになる確率が高い。
3心身ともに生育が遅れがちで、平均身長が低く平均体重が軽い。
4性格が内向的で消極的である。
5体力と運動能力が低い。
6男の場合は、上記の特徴が増幅される。
小柄で痩せていて骨盤の幅が狭い母親の場合は、これらの危険が増大する。
よく母親が、「お兄さん(お姉さん)なんだから、しっかりしなさいよ!」と言っているのを聞くが、これは逆ではないだろうか? むしろ、「弟あるいは妹なんだから、しっかりしなさいよ!」と言うべきなのだ。
最近の若年層や子どもは弱くて、すぐに傷つき、根気がなくてすぐ投げ出す。子供みたいな幼稚な大人が増えており、などなどの指摘がされるが、こうした傾向も、少子化による過保護化などの、教育とか環境による影響も、あることはあるだろうが、初産児の比率が増えていることによる影響はないだろうか?
血液型性格診断やら星座占いといったいんちきくさい分類があるが、そんな方法よりも、今取り上げている事情のほうがずっと実態に合っている筈だ。
ちょっと挙げただけでも・・・
・イチロー─次男である。
・松井秀喜─次男である。
・松坂大輔─たしか姉がいたように記憶している。
・相撲の花田勝(若乃花)。弟より小柄である。
大リーグで活躍しているこれらの選手は、全員次に産まれているのである。追加すると・・
犯罪者・自殺者・薬物依存患者・精神疾患患者に占める初産者の比率の統計を取れば有意差が出てくると想定され、有能なスポーツ選手に占める初産者の比率は低い筈だ。このように、あきらかに当人の能力や資質に影響があるのに、それにしては、あまりにもこの事情に無関心ではないか?
初産児・者は読んでいて陰鬱になってきたかもしれないので、良い面についても触れておこう。
・まず、初産児は平均身長が低いが、第二次性徴が始まるのも遅いので、発育の遅れによる低身長傾向をいくらか取り戻す、というか追いつくことができる。思春期に入って性ホルモンの分泌が増えると、骨格が固まって背が伸びなくなるためだ。
・まじめで外遊びをあまりせず、文化活動にエネルギーを使うので、学力や教養といった要素では優位に立つことも多い。
・例。ものまねタレントの清水アキラには、3人の息子がいるらしいが、長男だけは成績が良く、次男以下は運動能力は優れているが成績はあまりよくないらしい。
・さらに極端な例を挙げると、数検一級級(最高難度)の理数力を持つ子供は、男児が圧倒的に多く、テストステロンの影響が指摘されている。もしそうなら、テストステロン濃度が高い初産の長男は、優れた理数力を発揮する確率が高いことになる。
・肉体労働の平均賃金は世界的にずっと下落傾向にある。肉体労働の社会的価値が下落しているということは、体力と体格で劣りがちな初産者にとって好都合である。
・経済発展して余裕が出てくると、少子化が進み、人口に占める初産者の比率は高くなる。政治勢力としても無視できなくなっている筈だ。
・今後は環境問題や食糧問題その他の事情により、人口を増やすことができなくなってくるだろう。むしろいかにして減らしていくかということが課題になってくる。すると、ますます初産児者の比率は高くなり、新興国や途上国の経済発展により、地球規模での初産者の比率の拡大が進むだろう。今後想像以上の影響力を及ぼすかもしれない。
・初産児の特性を生かすには、1人っ子の環境が好ましい。自分独自の世界を構成するため、創造的な分野では才能を発揮する可能性が高い。たとえば、ミュージシャンに占める1人っ子の比率は予想外に多い。
・なんといっても親だろう。これを読んでいる人は説明する必要が無いが、初産児は基本的にスポーツには不向きだ。とくに身体を酷使する種目は向いていない。文化活動か教養か学力向上に投資したほうが良い。男の子のなりたい職業に、依然としてプロスポーツ選手が人気らしいが、これは確率的に宝くじを当てるようなものであり、ほとんどありえない。まして初産児がなれる確率はもっと低い。絶望的とまでは言わないが、体格と体力で劣りがちなため、かりに何とかデビューまで辿り着けたとしても、かつての若乃花のように、苦戦を強いられる可能性が高い。このことを頭に入れて育てるべきだろう。お笑いタレントにも初産児はあまり向いていない。
・中国はよく知られるように一人っ子政策をやっており、どの程度の比率に達しているのか知らないが、これは日本にとって好都合だ。一人っ子はおとなしくて内向的で、これが兵士の士気や軍の組織力に影響を及ぼさない筈はない。このように、外交、軍事、防衛問題にまで影響してくるのだ。
初産者の社会的役目。
誰かが最初に生まれてくる。これは避けられない事態であり、ブチハイエナのように、初産児のほとんどが死亡してしまうという異常事態でもないかぎり、初産という不利さと負担を、「特定の人間たち」だけが負担しているのだ。今までこのことにあまりにも無関心だったのではないか。こういう人たちを保護すべきとはいかないものの、ある程度の配慮があってもいいのではないかという気がする。
次男次女や三男三女として生まれても、親になる以上は初産児を育てることになる。初産の親も同様だ。このように、ほとんどの親たちに関係する事情なのだ。
一姫二太郎は普及するか?
初産の危険を減らすには、「一姫二太郎」の言葉通り、女の子を最初に産むしかない。ただ、かといって、このことを普及させようとしたり勧めたりするわけにもいかない。色々な事情があるからだ。それに、何の問題もなく生活している人たちもたくさんいて、別にかまわないと言うだろう。それはそれでかまわない。ただ、知識として、知っていなくてもかまわないが、知っておいたほうがいい。
それ以前に、男女の産み分け技術が普及してもいいのではないかと思う。技術的にはほぼ問題ない水準に達しているらしく、精子にほとんど損傷を与えることなくX精子とY精子とに分離できるらしい。女の子がほしいという親は多いだろうし、男の子を産むことに不安を感じる母親も多いらしい。母親が感じるこの不安には根拠があり、男児は死産や流産になる危険が多いし、男児を産んだ母親は次の子を産むまで間隔を開けるらしい。それだけ母体の負担が大きいということであり、それだけでなく、出産後の母親には、産んだ子どもの細胞組織の破片が残っている可能性があり、とくに男の場合は母体に悪影響を及ぼす可能性も指摘されている。
男女の産み分け技術の普及については別項で取り上げる予定だが、産婦人科学会が反対しているというのを読んだ記憶がある。賛否はともかく、そもそも産婦人科学会がこの問題について決定する権限があるのだろうか? 男女の産み分け問題については別項で取り上げているので、読んで頂きたい。
前提として、X精子とY精子とを損傷を与えることなく分離できることが必要で、これが普及して親が納得するなら、一姫二太郎が増えてもいいのではないか?
投資家は、今後のこの事態からどう考えるべきか?
すぐにも判るのは、体育会系型の人間が減って文科系の人間が増えてくるだろう。このことが、消費者の需要や産業構造にどのように影響してくるだろうか? 考えてみるのも面白いのではないか? 意外にも、医療技術の進歩によって、初産の危険性がいくらか薄らいでいるかもしれない。それでも、その不利さそのものはなくならないだろう。
頭脳王の亀谷さんは難産だったらしいですが、彼の優れた記憶力と無関係ではない筈です。これだけが原因ではありませんが、「禍が転じて福と為す」ことの一例かもしれません。この諺の語義からしてこういう場合に使うのは不適切ですが、適当な言い回しが見当たらなかったので使いました。
出産については無知なので不謹慎な提言になってしまうかもしれないが、初産婦は膣の拡張器具などによる危険性の軽減ということについて検討してもよいのではないかという気もする。
文字数が超過してきたので、引き続き寸記の続きを書き込んでいきます。
フェミニズムの是非についての私の考えを述べさせてもらうが、賛同できる面とできない面とがあるのだ。
能力や行動特徴や気質や依存のなりやすさなどの、さまざまな個人差というものは、環境や教育による影響よりも生来のものによる影響のほうが大きいらしく、事実実証されつつあるのだ。男女の性差についてもこの事情は当てはまる筈で、この事情を見て見ぬふりをしているのか、知ってはいるが、戦略的に無視しているのか判然としないが、こういうところはけしからんと感ずる。
その一方で、そもそも男尊女卑という考え方が普及していたこと自体が不思議であり、男のほうが病気や障害を負いやすく、ということは、品質が低いわけであり、男のほうが価値が低い筈なのだ。このほかにも、メスしか存在しない生物は存在し得るし実際に存在するが、この逆は存在しないし存在し得ない。つまり、メスは必要不可欠な存在なのだが、オスは存在しなくてもかまわないのだ。人間も生物の一種であるのだから、この事情と完全に無縁ではありえないのだ。
それにもかかわらず古今東西男尊女卑的な考えが普及していたのは、なんといっても身体が大きくて筋力も強いため、それが仕事や社会的な活動の上で有利だったためではないか。大袈裟に言えば、社会のヤクザ性が強かったためで、ヤクザというのが大袈裟なら、体育会系性と言ってもいいかもしれない。ということは、男女関係なく活躍できる分野が拡がっていくということは、それだけその世界のヤクザ性が減っていくと解釈できるわけで、これは文明や文化の進歩の必然と不可逆過程であり、この点からは賛同できるし大いに推進していくべしと考えるのだ。
肥満や食べ過ぎで悩んでいるひとたちへ・・
所詮ご都合主義的な自己慰安に過ぎない提言かもしれないが、俗に、「食っていく」とか、「この分野で食っていけるのか?」といったたぐいの言い方があり、「ひとはパンを食うのみにて生きるにあらず」という言葉の好きな私としてもいまひとつであるのだが、食料品を購入するには代金が必要であり、お金を得るためには労働という苦痛が必要だ。したがって、食べる量を減らす。つまり食費の節約は、労働という苦痛をある程度減らすということでもあり、よい意味での負担軽減なのだ。
小池氏「日本にタリバンいないのに」 女性少ない自民総裁選に苦言
この問題を考えるとき、政界のヤクザ性をどこまで残して、どこまで減らしていくべきなのかという点が・・・
「千葉県警は10日までに、ツイッターやYouTubeで公開していた子ども向けの交通ルール啓発動画を削除した。全国フェミニスト議員連盟から、動画に出演しているVチューバーの女性キャラクター「戸定梨香」について「おへそが見えている」「動くと胸が揺れる」「スカートの丈が短い」といった点を挙げ、「女性蔑視にあたる」「性的で不適切だ」との抗議が寄せられたことが理由だという。
ということだそうだ。そこで、いささか不謹慎な発想かもしれないが、いっそのこと、男の娘をキャラクターとして使用すればよいではないか。これなら女性蔑視にはならないはずだ。
ひろゆきが「昭和の体育会ノリは社会で役に立つ」と断言する意外なワケ
あえてこの主張自体は認めるとして、外胚葉型の私としては、それを敵視か目標として今後の活動の参考にしますわ。たしかに、岡田斗司夫氏も指摘していたように、米国のほうがよほどマッチョ文化であるし、運動や組織の苦痛に耐えられるということはある種の才能でもあるし、基本的に労働というものは、「給料とは、労働という苦痛に対して支払われる慰謝料なのだ。」という名言もあるくらいだから、たしかに根拠はあるのだろう。
【首から下で稼げるのは1日数ドルだが、首から上を働かせれば無限の富を生み出せる】
しかしそれでもなお、上記の格言のごとく、体力よりも知力による社会的影響のほうが勝るのだ。そもそも考えるという行為自体が重労働であるし、事実単位細胞当たり筋肉の十数倍くらいの養分を消耗するということらしいのだ。
退化の改新
分母を体力、分子を学力(知能)とする数値は、文化程度の高さや進化の進み具合を概ね示すと考えて良いだろう。歴史を遡るほどこの数値は下がってくるし、極端な話、類人猿や、野生動物になるとさらに数値が下がってくるだろう。このように、知力の価値が下がって体力の価値が上がるということは、社会や文明の退化が始まっていると解釈できそうなのだ。
毒親や親ガチャなど・・
それでもなお、こうした問題が話題になってくるということ自体が、社会全体としては進歩してきていると考えるべきなのだ。
自分の時間に出遅れているだけの者は、いつかは自分の時間に追いつけるのだ。
毒親や不幸な境遇によって、十分な発達や能力が発揮できなかったという遺恨を抱えている人たちにたいしては、人間の諸能力や資質は、環境や教育による影響よりも生来のもののほうが影響力が大きいのだから、大人になってからの追い上げが期待できるぞ。つまり、あなたのような不幸な境遇で育ってきた人たちは、両手を縛りつけられて今まで生活させられてきたようなものなのだ。今後は両手は自由に使えるし、今までの自分よりも高度な能力を発揮していけるのだ。
「子どもになってほしくない職業」
ユーチューバーが上位に挙がっていることが話題になっていたようだが、正確に言うと、ユーチューバーを本業(専業)にすることに反対ということなのではないか。この点に関しては私も賛同する。まさに水商売の極めつけのようなもので、副業(兼業)としてやるのならかまわないし、むしろ大いに挑戦すべきと思う。向いた人の特徴とは、知識や話題が豊富で、好奇心旺盛なというとこだろうか。
ユーチューバーというと、逮捕者やら迷惑系などがやたら話題になっているが、大多数はまともであり、真面目で質の高いものも多数投稿されているのだ、失礼ではないか。
詳しいことは知らないが、マコなり社長のプログラミングスクールが問題視されているらしい。そういえば、動画の広告にホリエモンが出ていたが、いかにもうさんくさい感じはしていた。
・誰でもできる。
・プログラミングは簡単
このブログを常読してくれている賢明な読者にはお分かりのように、誰にでもできて、かつ簡単なことなど。たいした価値はないのだ。詐欺というのは言い過ぎかもしれないし営業妨害になる恐れもあるが、慎重に検討すべきだろう。
中には、受講して就労にも成功したと報告している動画もあるが、これはむしろ、教育よりも本人がもともと優秀な素質を備えていたからだと考えるべきなのだ。
おすすめの勉強法とは?
優秀なプログラマーを目指すのなら、英文の読解や難解な数学の問題を解くという勉強が効果的だ。英文の読解力や数学の能力が高ければ、その分だけプログラムの能力も高くなってくる筈なのだ。同じ脳を使っているのだから当然なのだ。
こうした勉強で挫折するのなら、プログラマーとしてもさほど活躍できなさそうなので、そのつもりで今後の計画を立てていきたまえ。
上の書き込みの指摘である、射殺された漁協組合の組長(!)さんは、じつはカタギではないということについて、このことを知ったとき、正直やはりという感じはした。不謹慎かもしれないし偏見かもしれないが、そもそも漁協自体がヤクザ組織のような感じがするのだ。しかし、カタギではないからといって、射殺してはいけないだろう。
死刑自体の良し悪しはともかくとして、いかに死刑囚の食事その他が恵まれているとはいえ、いつ執行されるかわからないという心情の中で日々生活しているのだから、とてもうらやましいとは思えないし、これ自体が精神的な拷問ではないかという気にすらなってくるのだ。
「自分の時間に先行しているだけの者は、いつかは自分の時間に追いつかれる。」
まさに、上記の名言がそのまま当てはまるのが今の動画界だと感ずる。シバター氏がこういう提言をするということは、これ以上参加者が増えると自分の再生回数が減ってしまうという恐怖があるからではないか。ということは、シバター氏も、もうじきいわゆるネタ切れが近づきつつあるという不安を感じているのだろう。
そもそも、他の項目でもさんざん指摘してきたように、大学の研究予算を減らし続けてじり貧にさせておく一方で、オリンピックという運動会のお祭りには何のためらいもなく資金を投入して自賛しているのだ。こうした、知力よりも体力を称賛するという、類人猿みたいな精神性を持つ国民性なのだ。不毛な精神論(思考の放棄)や、いじめ、暴力、体罰、しごき等々が、スポーツマンシップという名のもとに正当化されるという、ヤクザ組織にこの国は牛耳られてきたし、国民もこうした人たちに依存して生活してきたのだ。したがって、いつまで経ってもデフレは改善しないし、有能な人材の流出も止まらないのだろう。
猿の惑星
さて、今後もこうした社風や文化を続けていくのだろうか? 警察や警備員や消防署員や引っ越し業者などは、ある程度こうした要素を考慮されるのは仕方ないとはいえ、理系離れや競争力の停滞など・・問題が山積みなのだ。問題が少なくて、それどころか競争力で諸外国を凌駕していたとしても、常に監視の目を怠らずに切磋琢磨していかなければならないくらいなのにだ。
首から下で稼げるのは1日数ドルだが、首から上を働かせれば無限の富を生み出せる。
あの世からエジソンが嘲笑していそうだ。
いろいろ書いているようだが、それぞれについて書き込んでみる。
「そう考えると、人間が集団で生活している以上、いじめをなくすのは無理なのだから、解決ではなく「いじめを回避する方法を」考えることだと思いますね。」
最優先すべきなのは、「いじめに起因する自殺を減らす」ことなのではないのか。
「ただ、子どもの場合、コミュニティ全体の損や利益、自分が受けるデメリットを論理的に理解するのがまだ難しい。そこで、物理的に「肉体を強くすること」もひとつの手です。いじめの解決が難しい以上、回避するためには筋トレをしたり、格闘技を習ったりするのが現実的な正解だと思うのです。」
たとえば私のような、外胚葉型の人間はもともと筋肉が付きにくいし、みんなが同じように筋トレしたとすれば、内胚葉型や中胚葉型の人間と外胚葉型の筋肉量の差が拡がってしまうだろう。
格闘技を習うことを提言しているが、脳細胞を構成している神経細胞は年齢に関係なく、いったん壊れると一生再生しないのだ。ヘディングですら未成年者は禁止されている国もあるのに、格闘技を習わすなど危険過ぎるのだ。そしてまた、ここにもさっきと同じ事情が生じ、生まれつき向いている人と向いていない人との格差が拡大し、問題の解消につながるとも思えない。
別項でも触れたが、いじめ自殺を減らすには、家庭内暴力の被害者用と同様の避難用のシェルターを用意すべきだ。食事と排泄と、生活に必要な最低限のものを備えておくのだ。
それにしても、教育再生実行会議は何をしているのか? この程度の提案もできないのか? 道徳教育でどの程度いじめが減ったのか? 検証すらしないのか。百年河清を待つぞ。
いじめ自殺が起こるたびに、学校や教員を非難する声が沸き起こるが、そもそも証拠がないのだし、アンケート調査などをしてみたところで、本当のことを書いているのかどうかも確認できない。つまり証拠にならないのだ。当然のことながら、証拠の残らない時空間で実行されるわけだから、あらゆる場所に監視カメラを設置するという方法があるが、世論の反対で実現は困難だろう。
というわけで、今後もいじめ自殺は起き続けるのだろう。
妻に性行為を拒否されて悩んでいる夫の相談の掲示板を以前読んだことがある。しばしば夫の不能とか夫のセッスクレスが話題になるが、実際には妻が拒否するほうが多いのではないかと思われる。
数人の女性から、アドバイスらしき書き込みがしてあり、「妻は分かり合えることを求めているんです。」といったような説教じみたことを長々と書いてあったが、印象的なのは、男が性行為ができないまま過ごすということが、どれほど欲求不満と精神的なダメージを与えるのかということについての記述がほとんどなかったことなのだ。その深刻さどころか、存在にすら気付かないらしいのだ。そもそも性行為をしなくても平気な女と、しないでいるとどんどん溜まってきて、精神状態すら危うくなりかねない男とは、やはり別の生物なのであり、ということは、夫婦ですれ違いが起こらないほうが不思議なくらいなのだ。
ある程度の資産が築けたら、退職して自由に生きるというのも、それは本人の勝手であり、他人が批判することではないと思う。ただ、いくら資産が増えたとしても、可能なら仕事は続けた方が良いのだ。収入があった方が心理的な不安は低減するし、資産運用にも好都合だからだ(どうしても嫌なら、アルバイトでも良い、というか、しないよりかはましなのだ)。
ついでながら、投資で資産を増やして金持ちを目指すのなら、貯蓄が第一歩なのだ。一定以上の資金がないと資産は増えないし、精神的にも安定しないので投資成績もおぼつかなくなりがちなのだ。
最近はあまり聞かなくなったが、以前は、日本人は貯蓄ばかりして投資にお金を使わないといった批判があったが、貯蓄があると上記のごとく精神安定剤として作用するので、十分価値があるし、貯蓄すらできないようでは、お金持ちを実現するのは厳しいと考えるべきだろう。
さらに追加すると、日本の企業は内部留保を溜め込むばかりで、給料を上げないという批判もよく聞くが、これも考えようによっては、余裕資金が潤沢にあるということは、安心して商品開発その他の研究に打ち込めるし、新規参入するさいにも、それだけリスクが取れるということで、すくなくとも悪いことばかりではないようだ。そんな調子だから国内の企業は新陳代謝が進まないのだという批判もあるし、それはそうなのかもしれないが、多角的な視点もあって悪くはないだろう。
投票率の低さがよく問題になっているが、普及してみんなが投票できるようになったということは、市場原理によって投票の価値が下落したということになり、よしあしはともかくとして、そういう要因もあるのではないかと思えるのだ。
与野党が逆転しにくい理由として・・
他の項目でもしばしば指摘してきたように、大学にしろ企業にしろ、優秀な人間をどれだけ確保できたかによって、競争力はほぼ確定してしまうのだ。これが政党にも当てはまるとすれば、与党には優秀な人間が集まりやすいし、その後はその好循環が続いてさらなる安定化へと向かいそうだし、野党は悪循環に陥りそうなのだ。
いくつか挙げると、日本人は正直だというのもありそうだ。勉強や数学は好きか? というアンケートで、日本の子どもは「嫌い」という回答が諸外国よりも多いらしく、正直な子が多いと感心したものだ。勉強も労働の一種だし、ということは、労働も基本的には苦痛なものの筈で、楽しくておもしろくてやりがいのある仕事があれば、お金を払って他人に依頼などせず、自分でやるだろうと指摘される所以なのだ。
もともと滅私奉公的な国民気質であるみたいで、公立校での児童生徒の清掃の義務に誰も文句を言わないし、自賛すらするというありさまなのだ。他人に厳しいというところもありそうだし、なによりも、実績があろうがなかろうが、天皇家か皇族に生まれれば、生涯現人神として崇められるというわけだ。朝鮮民主主義人民共和国の別バージョンというところか。
私のような人間ですら、こうした人たちから相談されれば、何か協力できることはないかと、少なくとも検討くらいはするだろう。ただし、この問題を政治的に利用しようとする活動家がいるようなので、今一つ乗り気にはなりにくいのだ。ただし当事者ではないので、こういう人たちの苦労は知らないし、関心もないのでそれについてはどうしようもないのだ。
この記事で、学校は治外法権なので、どんな犯罪紛いの行為でも逮捕起訴されないという記事があったが、かつてお寺も治外法権であったように、宗教法人学校教育教の信仰者が国内にあふれていることのほか、そもそも警察自体が体育会系というヤクザ屋さんの巣窟であり、パワハラ・いじめが横行している筈なのだ。教員を逮捕起訴するくらいなら、まず警察官を逮捕起訴していかなければならないのだから、乗り気にならないのも当然というべきだろう。
再々度追加するが、なぜか、神経細胞(脳はこれによって構成されている)というものは、未成年者でさえも、一度壊れると二度と再生されないということを話題にしないのだ。
それは言い過ぎでしょ
維新の会の代表が、「日本はここ数十年進歩していない」と発言していたが、そのような、自戒の意味では有意義なのかもしれないが、いくら何でも言い過ぎだ。数字に表れてこないところでどんな動きがあるのか、誰一人として正確には知らないし、改革を進めるべしというのも基本的には賛同するが、その代償として格差が広がるだろう。
若者の政治の無関心について
家族や兄弟姉妹間や、友達や同級生らと、動画やゲームや音楽やアニメやら映画といった話題よりも、政治のことについての興味が強くて、日々政治についての議論に夢中になる児童・生徒・学生がいたとしたら、むしろ気味が悪いのだ。投票率の低さについても、考えるという行為は重労働であるから、たいていの人たちにとっては面倒であるし、毎度のことながら、裁判官の信任のための経歴を読んでいると、うんざりしてくる。
経済については無知なので、この指摘についての是非については書けない。ただ、まったく根拠がないと言い切ることもできないのではないか。仮に根拠がないとしても、債務は少ない方が好ましいのは間違いない筈だろうから、そうした危機感は持っておいて悪くはないのではないかと思う。
このひとはもともと、原発事故の放射能がきっかけで政治家を目指していたような印象だ。今回とは論点が異なるが、別項でも書いたように、地球上にはコンクリートや石灰岩や花崗岩など、放射性物質だらけなのだ。あらゆる野菜や果物や穀物もみな放射性物質であり、これらを餌にしている家畜、すなわち牛肉・豚肉・鶏肉類もみな放射性物質なのだ。このひとは何を食って生活しているのか?
これはつまり、あらゆる生物は、数億年間もの間、一瞬たりとも途切れることなく放射性物質と放射線にさらされ続けて今日まで生き抜いてきたわけだし、ずっと共存してきたのだ。
温暖化について言えば、これも別項で説明しておいたのでうんざりするひともいるかもしれないが、国内の産業革命以来の総排出量による気温上昇分は、せいぜい100分の3~4℃程度に過ぎない。この程度気温が上昇したくらいで、どこにどんな損害を与えたというのか? たしかにまったく責任がないとは言えないが、この程度の影響を与えたくらいで化石賞を受賞したり、途上国への多額の出費が迫られるというのだから、まるで戦時中の日本軍の全体責任のような印象なのだ。
そもそも100分の3℃とは、どういう温度なのか、見当もつかないのだ。
欲しがりません、勝つまでは・
日本人ならぜいたくは出来ない筈だ。
どれほど原油が値上がりしようが、再生可能エネルギーが普及して脱原発と脱石油(脱炭素)が実現するまで、100年間も河清を待ち続けるつもりらしい。
どうやら日本人の精神構造は、戦時中から変わっていないようだ。
YouTubeの将来について
「いずれはオワコンになる。」とかいった悲観的な見解が散見されるが、テレビよりも使い勝手が良いし(むしろテレビがオワコン化しつつあると感ずる)、選択の幅や情報量も比較にならないほど多いのだから、衰退とか、ましてやオワコンなどにはならない筈なのだ。参加者が増え続けていくだろうから、格差は拡大していくだろうし、収益も一層困難になるかもしれない。しかし、そうした事情を考慮しても、悲観視するほどのものではないだろう。
「今後は収益が厳しくなる。」とか、その他さまざまな不安感の漂う記述がしばしば登場してくるが、視野を動画よりも広くして考えてみれば、たいした問題ではない筈なのだ。別に動画サイトがあろうがなかろうが、どれほど普及しようが廃れていこうが、それぞれの各個人間の才能や手腕や知識量その他の格差はそのままなのだ。今後どのように動画サイトが発展しようが変質しようが、才能や気概ややる気のある奴は、いずれ頭角を現すだろうし、動画で伸びない奴は、動画が駄目だったというよりも、もともとその程度の人間だったということなのだ。
いわゆる迷惑系のような悪質なものは淘汰されていくだろうから、むしろ喜ぶべきだろう。
動画投稿に向けて‥
前にも触れたような、「こうすれば再生回数が伸びる。」といったような説教動画を視聴して参考にするのも、したい人はすればいいが、基本的には、というか私であれば、たった10人ですら、視聴してくれたということに感謝と喜びを感ずるくらいの謙虚さでいいのではないかと思うのだ。再生回数が100回だとしても(回数と視聴者数が同義なのかは確認していないが・)、100人もの人たちが視聴してくれたのだと考えてみたまえ。100人を相手に演奏か講演したようなものなのだ。すごいことではないか。
自分には訴えたいこと、伝えたいこと、主張したいこと、見てほしいもの、聴いてほしいものがあって、これを公表することにやりがいを感ずるというのが基本ではないか。
「自分の時間に先行しているだけの者は、いつかは自分の時間に追いつかれる。」
ゆたぼん 連日炎上も再生回数は失速…専門家が指摘するYouTuberとしての実力「企画力が乏しい」「教訓もない」
不登校の子供たちに元気と勇気を与えるべく、6月30日から全国を旅している“少年革命家”でYouTuberのゆたぼん(13)。
最近ではクラウドファンディングで集めた約487万円の資金が赤字となったため、投げ銭を呼びかけたことも記憶に新しい。すぐに100万円の投げ銭提案があったが、振り込め詐欺だったと判明。意気消沈するも一転して、IT経営者から本当に100万円の振り込みがあったことを大喜びで報告していた。
ほぼ毎日のように各地を訪れた様子を動画にアップしているが、ゆたぼんの言動が炎上することもしばしば。11月1日には、《神主さんに「ゆたぼんは福の神だね」って言われた これからも俺はみんなに元気と勇気を届けるで アンチのことは『餓鬼畜生』って言うらしいで》とツイートし“アンチ”を挑発。しかし添付した写真が寺院だったため、「寺なのに神主?」と物議を醸すことに。
翌2日には、写真の撮影場所であった福岡県久留米市にある大本山成田山久留米分院が《ゆたぼんさんが仰っているような事実はございません》とTwitterで表明。本誌の取材に応じた同寺は、ゆたぼんのツイートによって問い合わせが相次ぎ困惑したことを明かしていた。
そうしたゆたぼんの一挙手一投足は世間の関心を集め、連日メディアを賑わせている。10月にヤフーニュースに配信されたゆたぼん関連の記事は93本(本誌調べ)。100本近くネットニュースで取り上げられたことに、ゆたぼんは《これが少年革命家ゆたぼんやで 俺を超える13歳がおったら教えてな》と自慢げにツイートしていた。
遡ること、ゆたぼんがYouTuberデビューしたのは17年3月。初投稿は兄妹3人でじゃんけんをして遊ぶという内容で、以後は“歌ってみた”や“食べてみた”といった企画が並んだ。そして18年8月に投稿した「不登校は不幸じゃない!」と題する動画が注目を浴び、新聞やメディアでも取り上げられることに。同年12月にアップした「【ロボットになるな!】不登校の天才YouTuber『麦わらのゆたぼん』」と題する動画は、500万回以上再生され一躍YouTube界の注目株となった。
■ネットを賑わすも、動画1本あたりの再生回数は月平均4.6万回
しかし、徐々に物議を醸す動画が増えていくことに。
「“学校にいかんでもググったらいい”という主張をしたり、『人生は冒険だ!』と言いながら小学校の卒業証書を破ってみせたりする挑発的な言動に批判の声が相次ぎました。また、ボクシングの告知をした21年12月の動画では、『カッコ悪いボクシングをしたり、情けない戦いをしたその時はYouTube引退して学校行きます』と宣言し、学校に通うことを“罰ゲーム”のように扱う発言も。そうした炎上が相次ぎ、次第に再生回数も減少していきました」(スポーツ紙記者)
そんなゆたぼんは、今年6月に出演したネット番組で「多い時は100万ですけど、今はちょっと減ってきちゃって」と収入について明かす一幕もあった。
現在、ゆたぼんの登録者数は15.3万人で、直近の10月にアップした動画は計25本。とりわけ多く再生された動画は、投げ銭を呼びかけた動画(25日/17万回)、100万円の投げ銭提案があったことを報告した動画(26日/11万回)、そして振り込め詐欺だったことを報告した動画(28日/19万回)だった(すべて11月5日時点)。
しかし、この3本以外は1万~5万回再生で推移しているものがほとんどで、月合計では116.5万回再生。つまり、1本あたり平均して約4.6万回再生ということになる。
そうした状況に、「仮に1再生あたりの単価が0.1円だとしても、月収は20万円いくかどうかではないでしょうか」と語るのはITジャーナリストの井上トシユキ氏だ(以下、カッコ内は井上氏)。
「直近2週間では投げ銭に関する動画だけは伸びていますが、他は1万~5万回くらいで再生回数は少ないわけです。いっぽう、Twitterなどでの威勢のよさから見てとれるのは、ゆたぼん自体が炎上商法だということ。これまでの動画を見ても、学校に行っている人に対して『国のロボットになってる』というような言い方をするなど、反権力的あるいは真面目に学校に行って勉強している人を上からバカにするようなことをやっていますよね。要するに、無理筋なところで喧嘩を売って視聴者を反応させ、自分に注目を向けるという炎上商法の初歩的なやり方を続けているのです」
「ゆたぼんのことが本当に嫌いな人は動画なんて見ない」と指摘する井上氏は、ゆたぼんの再生回数が伸び悩んでいる原因についてこう読む。
「15万人いる登録者数のなかで、仮に3万人が動画を視聴しているとすると、おそらくこの3万人はゆたぼんの賛同者ないし支持者だと思います。残りの12万人は『何が起きているんだ』『どんなYouTuberなんだ』と、野次馬的に見にきている人たちでしょう。現状を見ると、これまで野次馬的に見にきていた人たちが飽きてしまったのではないかと思われます。厳しいようですが、他の人気YouTuberと比べて企画力が乏しいですし、話している内容も“底が浅い”と思われがちです」
■「視聴者にしてみればほとんど得るものや教訓もない」「内容が薄すぎる」
実力不足が視聴者離れを引き起こしているようだが、いったい、どのような内容だったら多くの視聴者に受け入れてもらえるだろうか?
「真面目に『なぜ不登校なのか』『いまの小学生が学校生活のなかで抱えている問題は何なのか』といったことを説明したり、自分と異なる意見を持つ小学生と対談したりしていれば視聴者の反応も違ったのではないでしょうか。不登校というのは小学校だけでなく、さまざまな学校にもある問題です。学校と児童・生徒との向き合い方や関わり合い方について、『改善すべきところってあるよね』という問題提起をきちんと真正面からしていれば、視聴者も耳を傾けると思います。ですが、挑発的な言動を何度も繰り返しているため、『結局、この人ってそれしかないんだね』と飽きられてしまっているように見えます」
自分に批判的な人たちを“アンチ”と呼び、反発を続けるゆたぼん。その姿勢を改める気配は見られず、5日にも次のようにツイートしている。
《友達もおらんくて、食べたい物も食べれんくて、行きたい所にも行けんくて、何も挑戦できひんようなアンチが俺に嫉妬してごちゃごちゃ言ってて、めっちゃダサいやん 俺は毎日が楽しくて天国やけど、アンチの人生は地獄みたいなんやろうなwアンチなんかしてるヒマあったら自分の人生を全力で生きろよ!!》
このような挑発的な態度は、いずれ自分を追い詰めてしまう可能性があるという。最後に、井上氏はこう警鐘を鳴らす。
「動画は『どこに行った』『何を食べた』『アンチはバカだ』といった内容の繰り返しなので、視聴者にしてみればほとんど得るものや教訓もないわけです。まだ教訓があればよいと思うのですが、威勢がよいわりには内容が薄すぎると思います。支持者の人は『どうしてるかな?』という気持ちで動画を見ると思いますが、それ以外の視聴者がこの先も見たくなるようなモチベーションアップに繋がるものが感じられません。
このままだと支持者だけが見るチャンネルになり、再生回数も低空飛行が続いてしまうでしょう。『確かにそうだね』『面白いな』という風に、視聴者から納得や共感を得られることをしない限り、登録者数や再生回数が増えることは難しいでしょう。いつしか『炎上した親子がいたね』くらいに、忘れられてしまうかもしれません」
果たして、ゆたぼんは現状に危機感を抱いているだろうか。