経済問題についていろいろと書き込んでみたい。経済について考えるには、「好きこそものの上手なれ」とかいうことわざ通り、お金を好きになることが一番重要だと感じている。
お金は人類が発明した最高の制度のひとつである。
「貧しい人たちはさいわいだ。」とかいうようなイエスの金言が新約聖書に載っていたような記憶がある。これに限らず、なぜか日本人は、お金が増えれば増えるほど堕落していくとか、お金もうけをあまり良くないことだと捉える奇妙な風潮がある。これは国益という点からしても好ましいことではない。たとえば、子どもに、「将来何になりたい?」と訊いて、「お金持ち!」と返答すると、「まあ、なんて子」と顰蹙を買うような雰囲気がある。なぜだろう。お金というのはある種の権力だから、権力者を目指しているというのでけしからんということだろうか? それを言うなら、政治家(権力者そのもの)、スポーツ選手・タレント・歌手・研究者その他もろもろ、すべてある種の権力者だろう。これらを目指して訓練なり勉強している子供を賞賛しておきながら、お金持ちを目標にするのはけしからんというのは、まさにダブルスタンダードというべきだ。
お金は強い!
おそらく脱原発はあまり進まない。このブログを常読してくれている賢明な読者にはお分かりのように、テレビも新聞も本当の現実についてはあまり報道しない。原子力のエネルギー発生効率は、火力による化学反応よりも5桁くらい大きい。具体的には、1トンの核燃料で発電できるエネルギーと同等のエネルギーを火力で発生させるには、10万トンくらいもの燃料を燃焼させなくてはならないということだ。大型タンカーくらいだろう。ましてや、自然エネルギーとでは、桁の数の桁が違うとまではいかなくても、この手前くらいまで違うのだ。少々効率を高めたり、大量生産による価格下落くらいではどうにもならないだろう。
これはどういうことか、結局はこの問題もお金の問題だということだ。人間はお金に弱いのだ。ということで、脱原発はあまり進まないだろう。
ジレンマ
米国で格差への不満からのデモが発生しているらしい。1%が富を独占し、99%が取り残されているということらしい。事実、年収が100億円を超えるCEOがいる一方で、ホームレスなどの貧困層も夥しいらしい。これは自業自得というべきで、自由を進めていけば格差が拡大していくのは当然なのだ。デモの目的がはっきりしないそうだが、格差を是正するためには、自由を規制するしかないが、建国以来の理念を今さら変更することもできないだろう。
経済政策というものは、基本的に、誰がどんな政策を立案し、どの政党が多数派になろうとも、結局は自由を優先するのか、平等を優先するのか、の、どちらかに収斂してしまうのだ。金利や通貨発行量がどうの、といった細かいことはともかくとして。
自由化すれば格差が拡大して社会不安を招くし、自由を規制すれば、有能な人材はヤル気をなくすか海外に逃避するかし、投資資金も逃げ出して国家的な損失になる。どのような政策を採ろうとも、何かを犠牲にしなければならないのだ。
こう考えよう
株を買ったら下がり始め、売ったら上り始めた。という嫌な経験を持っている人は多いのではないかと考える。これについては、「相場というものは、もともと買えば下がり、売れば上がるようにできているのだ。」と解釈すればいいのだ。所詮自己慰安に過ぎないとしても、心理的負担と損失を抱えるということは、それだけで余計に経済的な損失を抱えているということなのだ。
タイムマシンを使って過去の自分へと、底値や持ち株が下がり始めた頃を教えてやることができれば、おもしろいように儲かって幸せになれるだろうという空想をしたこともあるだろう。だが甘いのだ! 売り時や損切りをやりそこなって含み損や塩漬けにしたり、まだ下がるだろうと様子見しているうちに上昇に転じ、『あのときに買っていれば』『あのときに売っていれば』」と後悔し、本当に過去の自分にその情報を送信し、売り逃げや底値買いをしたとする。そうすると、そのことによって、今度は相場が逆に動いてしまうのだ。なぜ下がり始めたのか? それは、あなたが売らずに持ち続けたからなのだ。なぜ上昇し始めたのか? あなたが買わなかったからなのだ! したがって、もし過去の自分に送信して持ち株を売ると、売った後に上がり始めるだろう。底値を教えてもらって買うと、その後下がり始めるのだ。量子論に、こちらの観測の仕方によって対象が変化してしまうなんとか原理とかいうのがあるが、まさにそれなのだ。
とかく人間というものは自分にとって都合のよいように考えがちなのだ。という教訓があるが、これが役に立つこともある。上述のように考えておけば、罪悪感も軽減されるだろうし、心理的損失も減らすことができるのだ。
エルピーダの破綻について
このニュースを知っても驚かなかった。じつは数年前に、この会社の株の購入を検討したことがあるが、見送った。もともと日本は供給過剰なのに需要が少なく、節約文化があるのでなおさらデフレによる価格下落になりやすい。この社長が体育会系だというのも気になる。どこまで製造技術を熟知しているのか疑わしい。責任体制があいまいなのも問題だろう。
家電業界の数が多過ぎて、供給過剰による価格下落に陥りやすいということはよく指摘されていたが、自動車業界にも似た事態が発生する恐れはないのだろうか? 経営危機に陥った自動車会社への公的資金のつぎ込みが続き、結局膨大な国費を投入したもののそれらの大部分が紙屑になったという事態も十分予想できる。農業というのはもともと生産性が低くて儲かりにくいので、途上国や新興国は経済発展のために製造業の誘致と技術開発による工業化へと国力を注ごうとするだろう。これは必然的だ。これによる経済発展による需要の伸びが生産量の増加分を吸収してくれるかもしれないが、供給過剰による値崩れとデフレに陥る危険もある。こうなると、今後日本の製造業はますます価格下落とデフレの危険が高くなってくるだろう。早めに統合させるか、あるいは撤退か売却の検討もしなければならなくなってくるだろう。
新興国の脅威を云々する前に、日本人の手先が器用神話を徹底的に検証すべし。
投資雑誌などに、元ファンドマネージャーとか何とかといったもっともらしい肩書きのコメンテーターが、個人投資家について偉そうにどうのこうのと評論しているのを見かけるが、その前に、あなた自身は投資でどれくらいの利益を出したことがあるのか、ということについて、きちんと報告すべきだ。それに、投資ファンドと個人とでは、扱う金額がかなり違うものだ。だから、かつていくら優れた成績を上げていたとしても、それが個人の運用能力の高さを意味するのかどうかは判然としない。こういう「偉そうなことを言う」評論家達は、たとえば100万円の資金を元手として、個人と同じ環境のもとでどれだけの利益を出すことができるのか、やらせてみたいものだ。
澤上教
長期投資を自称するさわかみファンドに関してのおもしろい記述があったので触れておく。日本風力開発をかなり保有していたらしい。私は当初からこれは地雷銘柄であり、長期保有できるものではないと考えていた。数日間の売買である程度の利益を得たが、すぐに手仕舞いした。太陽光や風力というものは、大げさに言えば合法的な詐欺商法であるというのが私の考えだ。予想通り監理銘柄に指定されたが、この程度の知識もない人でもファンドマネージャーが務まるというのには驚いた。というか、あきれたというべきか。
日経新聞から
日経に、いわゆる「優生思想」の記事が載っていた。その歴史的経緯についての紹介が主題で、これ自体の是非の議論ではなかった。大手の新聞である以上無理もなかろうが、徹底した議論を読んでみたいものだ。
障害者や病人が迫害されたり差別されてはいけない。それは説明するまでもないが、もしも優生思想をすべて否定するのなら、怪我や病気を治療することだってある種の優生思想だし、教育も優生思想だ。というよりも、社会的な活動の大部分は優生思想なのではないか。
売れ残りの廃棄問題について
コンピニやスーパーなどの売れ残りの食材が廃棄処分にされていることが問題視されているらしいが、多量に売れ残るほどの供給過剰状態だからこそ低価格で購入できるのだ。売れ残りを減らすためには供給量を減らすしかないが、そうすると相場が上昇してしまうだろう。もともと需要には限界があるのだから。
経済界 対 農協
経済界には農業界の閉鎖性や社会主義性、進歩の遅さなどを批判する意見が多いが、もともと農産物というものは生産性が低く、ということは手間がかかる割に儲からないのだ。農業の生産性や効率性を改善するためには、優秀な人材を増やさなければならないが、そのためには高い報酬が得られなくてはならない。ところが農業というのは儲かりにくいので優秀な人材が集まりにくいのだ。古今東西問わず若者が就農を嫌がるのもこのためなのだ。というわけで、そうなってしまうのはそれなりの理由があるということだ。
考え方や見方次第でどちらも正しいしどちらも間違っていることになる。どっちもどっちだということだ。
農業への補助金について
やはり必要なのではないか。なぜなら、それでなくとも農業は生産性が低く収益が少ない。太陽エネルギーの1%未満くらいしか植物は利用していないのだ。補助金を減額すれば離農者が増え、生産量も減っていくだろう。そうなれば供給不足で価格が上昇し、消費者は高価な農産物を購入しなければならなくなるだろう。もっとも、海外から安い農産物を輸入するという方法もあるが、社会不安を招いて政治も不安定化するのではないか。
日本の大学
これもよく日経新聞に掲載されている問題で、日本の大学のランキングを上げることについていろいろと議論されているが、向こうの大学のランキングが高いのは教育が優れているからではなく、世界中から優秀な人材をかき集めているからなのだ。むしろ政策の違いなのだ。各国が公的な資金で育てた優秀な人材のつまみ食い、というか横取りをしているのだ。
若い女性に人気
以前たまたま見ていた番組で、株式投資に凝っているらしい女性が数名集まって投資話に花を咲かせているというのが放映されていた。「この人たちは株の本を読破していないし相場格言も覚えていないな。」というのがすぐに分かった。付和雷同的な行動をするのが女性の特徴みたいで、だから「若い女性に人気」というコピーが長々と使用されているのだろう。若い女性といっても好みや興味関心はさまざまではないかと思うが、男よりかは付和雷同的なものであるらしい。ということはそれだけ投資には向いていないということになりそうだ。
何とかのひとつ覚えというやつ
日経新聞に、「偏差値重視、見直しを」という、どこかで聞いたことのある何とかのひとつ覚えのような教育批判が載っていた。「欧米が独自の発想力や思考力を重視するのに対し、日本は記憶重視である。」「偏差値が高く点を取るのが上手だが、・・・」という、お決まりの学力や偏差値重視批判の教育論だ。
歴史に名を残すほどの作曲家や小説家、作家、科学者・研究者等々ですら、本人の独創性などせいぜい数%未満だろう。ほとんどは先人の残した遺産の模倣と応用だ。これほどの極めて稀な才人ですら、発揮された独創性や創造性などごくわずかなものに過ぎない。まして大多数の一般人のための教育などに独創性や創造性を重視するなど、見当違いも極まれりだ。そもそも独創性や創造性など教育できるものではない筈だ。ほんとうに創造性や独創性が優れているのなら、どんなに画一的な教育を受けようとも、いずれどこかで必ず頭角を現す筈だし、もともと独創性や創造性の欠如した人間なら、どう工夫して教育しても独創的にはならない。
試験で高得点を取れる優秀者は、概ね何をやっても優秀であるし創造性もそれなりに優れているものだ。日本の教育が偏差値を重視するのは、不毛な受験競争を回避するために取り入れられた制度であり、教育そのものの是非ではない。
偉そうに日本の教育の批評などする前に、このようなじつに「没個性的」「画一的」「非独創的」「非創造的」「非建設的」な教育論しか展開できない自分自身の頭脳を改革すべきだ。
十年一日
日経新聞になんとかの一つ覚えのような教育批判がまたしても載っていた。お決まりの画一化教育批判であるが、上述と重複するので省略する。日本の教育を批判するのなら、部活動そこ槍玉に挙げるべきだ。いじめ・暴力・体罰・しごき・不毛な精神主義(こういうのが生産性の向上を邪魔するのだ)など、諸悪の根源なのだ。早朝に登校して練習するとか、休日も登校するなど・・そんな余裕があるのなら勉強すべきだ。勉強ばかりして身体の訓練をしないとひ弱になるだと??・・大脳は酸素を多量に消費するし、考えたり勉強するという行為は重労働なのだ。このほか、成績が悪くても甲子園に出場していたり部活で実績があると合格に有利になるという風潮にも問題はないのか。スポーツ選手などしょせんは芸人なのだ。成績が悪くても、ものまねがうまいとか笑わせるのが得意だというので合格できたりするようなものなのだ。こういう体質こそ批判されるべきだろう。
部活で鍛えないとひ弱になるなどと批判しているスポーツ至上主義者に反論しておく。そんなに身体的訓練が苦しくてつらく、頭脳を鍛えるのが楽なのなら、一流大学に合格できるくらいの学力やTOEICで満点をとれるくらいの語学力を習得してみてください。どっちの方が価値が高いのだ? 今時土木作業ですら、機械が入れない狭い場所は例外として、油圧ショベルで掘るのだ。人力で掘る奴などいるか! 人間の出せる力など、プロレスラーですらベンチプレスで200kgくらいが精一杯だろう。油圧ショベルやユニックやフォークリフトならトンを超えるくらいのものなど軽々と持ち上げるぞ。しかも毎日毎日四六時中稼働しても平気だ。
土木作業員の不足について
土木建設作業員が不足しているらしい。ということは、彼らにとっては好都合なわけだ。これに加えて、低能力のくせに態度のでかい悪質な土建屋オヤジが淘汰され、良質な作業員へと新陳代謝される好機と考えるべきだろう。
損切りと手仕舞いと利食いは同じことだ。
損切りはマイナスの利食いで、利食いはマイナスの(というかプラスのというべきか)損切りと解釈すればいいのだ、どちらも自分にとって有益なことだ。
「損切り」というよりも「損失拡大の阻止措置」というべき代物だろう
損切りという不快なことを無理強いしてやろうとするのではなく、今後損失が拡大していくのを防止するための措置をすると考えるべきだし、事実そう考えた方が精神衛生上も好ましいだろう。損益がマイナスになってから損切りしても、その時点で生じていた損失が回復するわけではないからだ。
取引時間を廃止せよ
前場と後場とか夜間取引がどうのなどというけちけちしたことを考えずに、取引時間そのものをなくして為替のように連続して取引できるようにすべきだ。技術的には十分可能だろう。為替取引ではとうにやっているではないか。
投資に臨むときの然るべき姿勢とは?
高校野球とかワールドカップやらオリンピックで一喜一憂するくらいなら、株取引その他による自分の時価総資産の変動ぶりについては、その何千~何万倍かそれ以上に一喜一憂するべきだろう。そうなると判断力に悪影響が出るので好ましくないのかもしれないが、所詮スポーツなど少数の利害関係者を除いて自分たちの収入や資産とはほとんど関係ない筈だ。せいぜい関連銘柄による利鞘狙いくらいが関の山だろう。ということは、応援しているチームや選手が勝とうが負けようが、はっきり言ってどうでもいいことなのだ。そんなことをする暇があるのなら、自分の資産運用や利害について研究したほうがよほど役に立つだろう。これは良い意味での利己主義だ。
投資家たるもの、思想家・哲学者であるべし
相場に対する姿勢は、自分が参加するのではなく、対象を外側から眺める古典物理学者か思想家か哲学者たるべきだ。売買することによって参加はしているが、この部外者的心理を保つことが重要なのだ。そしてまた、けっして楽観的になってはいけないし、かといって悲観的になってもいけないのだ。
再稼働なくして日本経済の再生はありえない。
大発会に向けて、上記の標語を肝に銘ずるべし。再稼働すらできなくて何が景気か?
さっさとユーロから脱退しなさい
そもそも単一通貨などという不自然なことをするからこういうおかしな事態に陥ったのだ。いさぎよくユーロから離脱して、元の状態に戻ればいいのだ。ユーロに加盟するまではずっとやってきたのだから、問題はない。かんたんなことだ。
増田足なるものについて、
この種の商材の広告が良く表示されるが、それで本当に株価が先読みできるのなら、開発者の増田氏自身がそれを利用して大富豪になれただろう。それが決定的な証左になる。このほか、四次元足なるものもあるらしいが、次元という概念の広告用語化だ。黒田氏の異次元緩和というのにも似た傾向があり、「次元」とか「異次元」という概念のコピー化と頻用に過ぎず、チョーという接頭語の頻用のように、言葉や意味や概念を軽薄化させており、腹立たしさを感ずる。後者についてはなんのことはなく、たんにお金を多量に発行してお金の価値を下落させ、その分物価を上昇させようということに過ぎない。経済の門外漢の私ですらこの程度のことはわかる。
与沢翼先生について
与沢翼なる人物が株の売買その他で多額の利益を得ているらしい。動画の当人の解説はかなりまともだが、株アカデミーなるいんちきくさいものを紹介しており、動画を視聴してみたが、損切りせずに利益を出せるらしい、建玉が下落して含み損が出てもそのまま放置しておけばよいらしく、この時点で敗北トレーダーであることが確定している。買った玉が下落して損失が出ても売却しなければ損が現実化しないという発想自体が初心者以下であり、いくら資金を何分割しようが両建てにしようが、下がり始めたところで手仕舞いできなかったことによる損失がその時空間で現実化したという事実は永遠に動かない。買値に戻ったとしても、下がった時点で買っておけば利益が得られたわけで、その機会を失ったという事実は動かない。講師の下山先生の講義は私の理解力を超えているらしく、なんで損切りせずに利益が得られるのかという肝心のところが理解できないので断定することはできないが、かなりいんちきくさいものを感じた。こんなものを紹介しているから詐欺師呼ばわりされるのだろう。
これに近似するものとして、原発停止による経済損失が原油安によって軽減されるから原発依存度を下げてもかまわないなどと考えているひとがいるとすれば、資産運用の基礎的なことが理解できていない可能性が高い。そのような人たちは株や先物その他の取引をする前に勉強し直したほうが良かろう。
損を惜しみ、辛抱するほど大損するものなり
日本文化は株の売買に向いていないと指摘されるらしいが、ある程度は当てはまるだろう。ひとつには、「みんなで一緒に同じことをする。」ことを善しとする文化であり、農耕民族なので仕方ないのだろうが、このような気質の人間は株の売買に向いていない。すくなくとも、学校という悪平等の極みのような時空間内で株の売買について勉強させようなどという愚かな教育改革だけはしないでほしいものだ。保守派には教育音痴が多いので危ういものを感ずる。道徳教育の推進論などその典型であり、そのような愚かな発想しかできない自分自身の頭を教育すべきだろう。
我慢する。耐えることを美徳と考える風習についても同様であり、上記の相場格言のようにそのような態度で投機に挑むというのは危険極まりないのだ。金儲けを道徳的な悪だと考えるのも不毛な思想であり、そもそもお金を道徳的倫理的な良し悪しと捉えるという発想そのものが筋違いなのだ。たんなる手段にすぎない。むしろお金を粗末にする。ギャンブルや株その他で散財する。これらは自己責任では済まされず、結局は社会的な負担になってしまうからだ。そのような連中こそが厄介者なのだ。
売るべし 買うべし 休むべし
買値にこだわる人は上手ではありませんね。という、株の評論家の指摘を読んだことがあるが、たしかにこれでは初歩の初歩といってよい段階だ。そうではなく、時価の発想に変更すべしと助言してあったが、買値にこだわるよりかはましという程度に過ぎず、すくなくとも私は時価にすらこだわらない主義だ。
これに似た指摘として、何割下がったら損切りするかを予め決めておく、あるいはどれくらい含み益が出たら利食いするかを決めておくべし、というのもよく見かけるが、私はそんな基準では売買しない主義だ。相場が上昇していれば買いで、下がっているときは売り(空売り)で、含み損や利益の額は関係ない。もみ合いや膠着状態に移行すれば、というよりも、相場の上昇が停止すればすぐに仕舞うべし、という方針で、休むも相場の格言通りだ。まさに、売るべし買うべし休むべしの三択なのだ。
21世紀の相場格言
与沢氏が勧めている株アカデミーなるものの内容を散見すると、携帯だけで1日5分程度の取引で、しかも勉強しなくても定期的に利益が得られるということらしいが、夏木智氏の名言である、「勉強はある種の労働だ。」という考え方に基づいて考えると、勉強せずに儲けようとしているということは、働かずに利益を得ようとしていることと同じだということなのだ。さて、問屋が卸すかどうか、株アカデミーの講師のような才能ある人は例外として、この諺を肝に銘じておくべきだろう。
与沢評
このひとは、多数派が損をして自分を含む少数に多額の利益が集まることが痛快ならしく、他人の不幸はなんとかというものかもしれないが、基本的にどれくらいの比率で負けてどれだけの損失が出るかということは、どうでもよいとまではいわないが二次的な問題なのであり、与沢先生自身がどれだけの利益が得られるのかということに集中すべきなのだ。
保守派の渡部昇一は、最近の株ブームに苦言を呈して、「ああいうものは、ファンドマネージャーといったプロが死ぬ気で取り組むものなんです。」といったようなことを発言していたようであるが、これこそまさに保守派の論客らしい不毛な精神論に過ぎない。死ぬ気でやっても負ける奴は負けるし、与沢先生のようにゲーム感覚で数十億円も稼ぐ奴もいるのだ。これが現実なのであり、この点だけは与沢氏のほうが現実を知っていると評価できる。
ほんとの問題
やたらと人口減少が報道されるが、その一方で機械化やロボットや人工知能の普及による仕事の減少の予測も話題になっている。両者で相殺されるのではないかという気がするが、その可能性についてはなぜか触れないのだ。別項でも指摘したように、むしろ低能力者が多産で優秀な人たちが晩婚で少子化しているということのほうが問題なのだ。
どうでもいいこと
さっきの株アカデミーと与沢氏がいんちきであろうとなかろうと、自分にとって役に立つと感ずれは利用すれば良いだけのことだ。参加者の何割が損をしているとか、資金の奪い合いであるかなどあなたには関係ないのだ。自分が得をするか損をするかだけに集中していけばいいのだ。なお、この両者の話からは知性が感じられないので私にとってはどうでもいい存在だ。神王というひとの話もすでに知っていることばかりで聞く価値を感じない。
投資家と投機家たるもの、大いに相場に淫するべし。
「きちがいと何とかは紙一重」という諺がある通り、むしろ徹底的にこだわってみるのが良かろう。上場企業の銘柄をすべて覚えるくらいのこだわりを発揮するといい、何でも熱中すればするほど習熟するものだし、それこそ好きこそものの上手なれ。お金好きが亢進してお金狂になってしまえばよい。良い意味での「金の猛者」を目指せ!
「きちがい」という単語を差別用語だと糾弾する人たちに対しては、言葉の多義性というものについて考えてください。と説明する。物事にえらく熱中するという良い意味を含んでいるのだ。そう呼ばれる本人たちにとっても誇るべきことであるし名誉なのだ。
機関投資家は準インサイダー取引に抵触するのではないのか?
機関投資家は個人よりも先に情報を入手して売買していると指摘されているが、これは市場の公平性に反する行為であり、問題なのではないのか。彼らはそれだけの経済的負担をしてるからというが、それなら、お金を払えばそういうことをしてもかまわないのか。
お得な買い物とは?
おいしくてうまいものは高価だ。あるいは良いものはやはり高い。みんなが買おうとするから高価になるのだ。ということは、人気はないがうまいもの、価値のあるものを探し当てれば良いのだ。
勝負はすべて勝つか負けるかだ 俺の勝負に引き分けなどない
ドカベンという漫画に岩鬼という体のでかい奴が登場する。このひとの名言に上記のがあったが、相場の世界はまさにこれそのものだ。損益が常に0などありえないのだ。
空売りとは??
自分の所有物が1億円で売れたとする。その後同一物が多量に出回り価格が暴落する。1万円に下落した時点で買い戻した。差額の9999万円が利益になる。こういうことだと解釈すればいいのではないか。
あるいは、通常の売買では安く買って高く売れれば差額が利益になる。空売りは前後が逆になっているだけで、安く買って高く売るということは同一だ。
なんじゃそりゃ???
いわゆるオプション取引には、「買う権利」を買う。「買う権利」を売る。「売る権利」を買う。「売る権利」を売る。の4つがあるということらしいが、そもそも買う権利とは何ぞや? ということだが、お金が買う権利の具体例だろう。ということは、コールを売買するということは、お金を売買するようなものではないか。お金自体の価格が変動して、売買後上昇すれば買い方が利益になり、売り方が損をする。これは株や先物の売買と同じではないか。そして、売る権利の具体例は商品ではないか。商品を買ったり売ったりしていると解釈すればいい、というか、結局は自分の利益が第一なのだから、いかにして損益を改善すればいいのかということだけにこだわっていればいいだろう。
ジェイコム男ことBNF氏について
このひとは時価数百億くらい保有している株の投資家だということだが、たまたま動画を視聴していて疑念を感じた。1日に何億円もの株を売買していると紹介されていたが、そんなに多量に売買すれば株価が変動したり約定しにくくなったりということは起こらないのだろうか? へたをすると証券取引法に抵触するのではないか。
というよりも、そもそもそんな多量に売買すれば、買うという行為によって価格を上げてしまうし、俗に言う「売り崩す」というように、売却によって暴落させてしまうのではないか。つまり、高く買って安く売るという、売買するたびに損をすることになってしまいそうだが。
捨てられない病も、結局はお金の問題なのではないか
私もあまり偉そうなことは言えないが、捨てることができずに室内が物で溢れてしまうようになってしまうのも、収入と資産に不安があるからそうなってしまうわけだ。急に食事を減らすと飢餓状態に陥ったと判断して脂肪を溜め込む体質に変質するのを連想する。
デモトレードは役に立たないか?
デモトレードなどやってみても、本当に損益が発生するわけではないから緊張感もなく、さほど役に立たないという意見が散見されるが、なるほどそのとおりだ。パイロットの訓練に使われるフライトシミュレーターも同じで、実際に飛ぶわけではないから事故や墜落の危険もなく、恐怖感や不安感に雲泥の差が出てくるだろうからだ。訓練に使用されているから役に立たないとまでは言わないが、同時進行で超小型の飛行機で実際に飛ぶ訓練を併用した方が効果は大きいだろう。デモトレードを続ける時間があるなら、少額で投資して経験を積んだ方が効果的だという指摘のように。その点、仮免許は実際に公道を走行するわけだから事故の危険もあるし、緊張感があるので役に立つだろう。
なお、動画や書物その他の相場についての教材が溢れているが、あまり役に立たない。せいぜい相場格言くらいを通読しておけばいいと思う。実践を続けながら試行錯誤していったほうが効果的なのではないか。歴史に名を残している相場師の名言などは、それなりの時間的な淘汰を経て生き残っているわけだから価値はあるのだろうし、その程度のものを覚えておけば十分だろう。もっとも、「天井三日、底百日」などという、現在の相場には当てはまらないものもあろう。分足や時間足はもちろん、日足どころか週足や月足ですから、地雷銘柄を除いてあまり当てはまらない。
伊藤祐輔氏について
オプショントレーダーの伊藤氏の講義を聞くと、自分の優秀さを自慢したくてしょうがないという印象だ。亀井静香のごとく頭を左右に振りながらの熱弁で、数学が専門で体育会系という感じだ。すくなくとも私などよりかははるかに優れた数学能力があるのだから、自慢したくなるのも当然なのかもしれない。
このひとの発言で唯一共感と評価ができるのは、「じつはプロはチャートはあまり使わないんです。今現在市場がどうなりつつあるか? ということに注目する。」という発言だ。私の売買の基本的な姿勢そのものだ。
提案する。伊藤氏自身がこれまでどういう状況の中でどんな売買をしてきたのか、それによってどれくらいの成績を残せたのかということについて報告すべきだ。そうすれば説得力が増すだろう。
損切りの価値とは??
私はあまり損切りなどという発想は採りたくないが、あえてその価値について検討してみる。
保有している株が下がり始めた。あるいは横ばいかもみ合い状態でも良い。で、とりあえず手仕舞いしておけば、その後の下落や大幅下落による塩漬け化は確実に避けることができるわけだ。売却後に上昇したとしても、じつは当人にとっては関係ないのだ!! そして、そうなったとしても、売却した人は何も損をしていないのだ。ここを感覚的に納得するのが困難だが、長年売買を続けていて、損切りせずに暴落相場による損失を回避するというのは困難を極めるだろう。ということは、損切りを確実に実行してさえすれば、長年の間に確実に損失額を減らしていけるというわけだ。相場というものは、いったん下落を始めるとそのままずるずると下がり続けるという動きになりやすいからだ。
このほか、含み損を抱えたままでいたり損失が拡大していくと、それが心理的な負担になるために判断力にも悪影響が及び、さらなる損失の拡大という負の連鎖や弱り目に祟り目といった悪循環に陥りやすい。全力買いはするな。常に余裕資金を確保しておけ。というのもこうした理由によるものだろう。
何人にも正確な予知など不可能だ。それでも可能なことは、もみ合いになったり下落し始めると早めに手仕舞いするということだ。いくらかの損失が出たとしても、しょせん予知など不可能なのだから、家族や知人はあまり責めないような気遣いをしてもらいたいものだ。もちろん売買をしている本人自身もだ。
どうでもいいことだし知っている人はとっくに知っていることだが、チャートの形が自己相似形をしているというのはおもしろい。そもそもフラクタルの発案者自身がチャートから思い付いたらしい。1.4次元くらいか?
ローカル線の未来について
今たまたまJR九州が減便を実施するらしいという記事を見た。全文は読んでいないが、ほぼ見当がつく。ここに限らずローカル線はどこも大赤字で、何をどう工夫しようとも黒字化する可能性はない。別項にも書いたように、こんな不便極まりない前時代の産物を利用する人など、ほとんどいないからだ。じっさい沿線住民は見向きもしない。自家用車が2次元的な行動ができるのに対して、鉄道は1次元的にしか動けないからだ。自由度の次元が違うのだ。周辺の自治体は、このような将来性がなく利用価値の乏しい交通機関への支援などをする余裕があるのなら、自動運転技術の発展と普及のために投資すべきだ。ローカル線に支出するというのは、上場廃止になりそうな監理名柄に投資するようなものなのだ。
おバカ投資家の特徴とは?→メディア、とくに旧媒体であるテレビと新聞が報道する情報が社会の真実だと考え、それに基づいて投資する。
お利口投資家の特徴は?→メディアは本当のことはあまり報道しないし取り上げないということを熟知しており、ほかの方法で得た情報から投資する。
投資家たるもの、大いに誇大妄想を膨らますべし!
強欲な欲望と権力に基づいた誇大妄想を思い巡らすのは、大いに推奨されるべきだし、そもそもそうした動機がないのなら、苦労して研究したり調べたり勉強したり働いたりする必要もないのだ(俗に言う、「食っていく」という表現があるが、食費だけを確保するのならアルバイト程度で十分なのだ)。豪邸に住んで高級車を所有し、酒池肉林の生活を送るとか、ありきたりの表現しかできないが、悠々自適の老後を目指すとか、なんでもよい。要するに自分が夢中になれる世界を構築するとでも言えようか。欲望、とくに金銭欲は批判の対象になりやすいが、そうした習性や考え方こそがデフレを促進し景気を悪くするのだ。
ギャンブルの価値と投資の姿勢について
株がギャンブルであるかどうかはともかく、怒ったり落ち込んだり悲しんだり有頂天になったりと、喜怒哀楽が激しくなり人生がドラマチックになるという効用がある。
とかく付和雷同になりがちで、我慢することが称賛され、精神論に依存しがちな国内の生活環境の中で投資に適した心理状態を保つというのはなかなか大変だが、これほど取り組みがいのある代物もすくないだろう。「迷ったらすぐに仕舞うべし。」「我慢することは禁物なり。」「笑う門には福きたる。」など、むしろ心理状態を楽にした方が成績が向上しそうなことが多いのだ。ふだんの生活態度というものは当然投資行動と判断にも影響を及ぼすし良くも悪しくも汚染されてしまっているのだ。取り組みがいのある課題なのだ。
お金に色はないのだ
投資と投機のどちらがよいとか、そういうこだわりは本人にどれが向いているかということで選択すればよいだけなのだ。分足だろうが時間足だろうが、日足だろうか週足だろうが、効果的に売買できればよい。チャートではなく、純資産倍率その他の指標で投資するというのなら、それが得意ならそうすればよい。どのような方法で利益を得ようが、金銭に色はないからだ。よく、投資(投機もだろう)は、自分の得意な分野で勝負しろ! などと指摘されるが、投資に限らずもともと人間というものは得意な分野でしか勝負出来ないものなのだ。当たり前過ぎて誰でも知っているし経験していることなのだ。
一寸先は闇
売買をするときの心掛けとして、予想しない、あるいはするにしてもあまりあてにしないことだ。1秒後ですら、上がるのか下がるのかということを予知することなどできないからだ。こう動く筈だという思い込みが強いと、反対側に動いたときに、素早く損切り・手仕舞い・利食い・途転することの邪魔になるからだ。
怖気ではなく、怖気の克服が称賛に値し、人生を生きるに値するものにする。器用さではなく、勇気こそが辛子粒であり、成長して大木になる。
最終目標は超気違い相場中毒依存症患者なのだ。
株好きのむらやんさんは、動画で株の楽しさについて解説しているようですが、べつに批判しませんしむしろ結構なことで賛成です。じっさい、取引している最中は、我慢して損失を拡大するのは厳禁なので、気を楽にした方が有利なのです。「やばいと感じたらすぐに仕舞うべし!」というのは、相場の神として知られる本間宗久も忠告していることですし、苦痛なのを我慢したり耐えることが好きで心地よい人などいないでしょう。ですから、精神的に開放されるべきなのです。ところがひねくれ者の私などは、好きなどというところを超えて、相場中毒者か相場依存症になるくらいを目標にすることをおすすめします。なんでもよろしい。たとえば、過去のチャートを眺めて、このときこれだけ買ってここで売っておけば、どれくらいの利益が得られた筈だと妄想するのもよし。伝説的な相場師の多くは、きちがい相場で巨利を得たわけですし、大いに夢中になるべし。すなわち、いっそのこと、ハイパーマッドマックスたるべし。
上記を加えて、勇敢な超狂人的相場中毒依存症患者を目標とすべし。
(追記)いささか表現が行き過ぎた感がありますので追加しますと、誰でも何かに依存しているわけで、何も依存することなく生きていける人などいない筈なのです。お酒であったり煙草であったりギャンブルであったり音楽や小説であったり、食事であったりといった具合にです。その、誰でも持っている依存性を効果的に、かつ正しく昇華させていこうということなのです。私は十代の終わり頃に父親に一度連れていかれたことを除けばパチンコをしたことはありませんし、競馬や競艇その他の賭け事をしたこともありません。これらに夢中になっている人たちは、当然のことながら私などよりも遥かに詳しく知っているでしょうし、研究熱心でしょう。そうしたエネルギーを資産運用に投入していきましょう。
自分の依存性に悩んでいる人に・・夢中になれるということは、考えようによってはあなたの才能かもしれませんよ!
ものは考えようだ
自宅のすべての部屋に置いてある物の種類と位置。どの引き出しに何が入れてあり、壁や天井の模様や冷蔵庫に入っている物と種類について、さらには、庭の植木の配置やブロックやレンガの数と配置、石ころの配置。物置に入っている物とその種類等々について、CGのごとく正確に描写でき、完璧に覚えている人など滅多にいないのではないか。いちばん良く知っていて、しょっちゅう目にしている筈の自宅の映像ですら、じつは知っているつもりになっているだけであまり目に入ってはいないのだ! ということは、チャートについても同様で、昨日の時間足ですら正確に描写できるひとは少ないだろう。チャートなどあてにならないとか、バックミラーからは未来は見えないなどといってバカにしている人も多いが、ほかに手がかりがないのだから仕方ないのだ。ところが実態はそれどころではなく、あてになるのかならないのかということ以前に、そもそもチャートを見ているつもりになっているだけで、じつはあまり見ていないのではないか。これはあくまで一例に過ぎないが、改善や再考の余地がたくさん残っていそうだということだ。ということは、あなたはまだ自分の力を出し切ってはいないかもしれないのだ。新興国の市場みたいなもので、上昇の余地が残っていると考えることもできそうだ。
これを読んで気が楽になれたのなら、私の読者へのサービスのひとつが成功したということだ。
二兎を追う者は・・・
だいぶ前に読んだことなので記憶があいまいになっていますが、人間は一度にふたつ以上のことを考えることはできないらしい。二兎を追うというよりも、そもそも二兎を追うこと自体が不可能だということらしいのだ。従って、チャート、というか足なら足に集中して売買した方が良さそうなのだ。私は基本的には、足しか見ない。成り行きは板には表示されないし、移動平均線も使わない。煩わしいからだ。足を見ればだいたいの方向は判るしそのために足というものがあるのだ。寄り付き前の板くらいは見るが、あまりあてにならないし、せいぜい参考程度に過ぎない。
もちろんこれは私のやり方を書いただけであり、人によっては得意不得意や向き不向きがいろいろあるのだから、それぞれが得意なやり方でやっていけばいいだろう。ただ一般論としても、特定のことに集中して取り組んだ方が効果的であるらしい。
その一方で、扱う金額が大きくなってくると、特定の銘柄だけでは売買することが困難になってくるため、どうしても複数銘柄を同時進行で売買せざるを得なくなってくる。これは中級以上の課題であるが、五分足と組み合わせるとか、日足も加えるなど、いろんな工夫が必要になってくるだろう。
夢中になれるのも才能のひとつだ!!
半信半疑で挑もう
チャートやその他の手がかり材料を、当てにならないとして否定してはいけないし、かといってそのまま信頼してもいけない。常に半信半疑の宙ぶらりんの心理を保ちつつ売買に臨むべきだ。
不謹慎なことを書きますが・・
今回の豪雨災害はデフレ対策としての効果もありそうだ。
これでよし
お金持ちと読書量とは予想通り相関があるらしい。読書好きの人は喜べばいいし、嫌いな人は無視しておけばいい。なんでも有利な材料は心理的な貯蓄として利用すればいいのだ。
?
大塚家具の株を米国の企業が売却したというのを読んだが、売ったということは誰かが買ったわけだ。そもそも売買という行為は売り手と買い手の両方が揃っていないと成り立たない筈なのだ。さて、誰が買ったのだろうか? 買い手は恐らく少数だろうから、0円近くの安値で買っておいたということだろうか。
大塚家具といえば例の久美子社長だが、そもそも常識的に考えても、家具などしょっちゅう購入するものではないし、それでなくても慢性的な供給過多によるデフレ状態なのだから、どんな改革をしようともそんなに売れる筈はないのだ。経営などと無縁な私ですらこの程度の見当は付く。
お金は力なのだ!
筋力トレーニングや受験勉強の類も、自分自身の力の増強への投資なのだから、やりたい人はやればいいが、その一方でお金も重要な社会的な力であることを忘れてはいけない。蓄財は自分自身の社会的な力の増強のひとつであることは間違いないのだ。
職場のいじめ、パワハラ・セクハラ・マタハラ。雇用不安等々、安心して生活できない。というよりも、収入と資産に不安があるからこそ、節約して消費を控えようとするのだ。防衛は攻撃の一種だから、支出を減らすという防衛行為は、とりもなおさず社会や経済に対してデフレという攻撃をしているわけだ。
今後どれほどAIが高性能化しようとも、相場の正確な予知などおそらく永遠に実現しないだろう。
外胚葉型の投資戦略について
お読みになっている読者には外胚葉型の人が多いと思われますので、外胚葉に適した人生設計や戦略について書いてみます。
筋肉の付きやすさは手首の太さとほぼ比例しており、手首の細い外胚葉型の人は筋力トレーニングをしても効果が少ないですから、投資としての価値も低いです。外胚葉型の人が優位なのは、知識の豊富さ。勉強することによる知力の向上に効果が出やすく、知能と運動能力とには相関がありますから、エンジンが小さくて出力は弱いが燃費が良いというようなものです。人間の持つ諸能力の中では知力の影響と威力が最大規模である筈で、人間を人間たらしめている最も優位な型に属するわけですから、大いに自信と誇りを持つべきです。それでもあえて筋力増強に挑むのなら、トレーニングによる成果は運動神経の構築の方が優先的に先行してしまいそうですから、そのおまけとして筋肉の増大という成果が出るというようなメニューというか戦略にした方がお得のような感じです。
筋力トレーニングよりも金力トレーニングを優先すべきだ
知力と共に強力な力であるお金を肥大させることを先行させるべきで、たとえ筋力トレーニングに取り組むにしても、ダンベルやバーベルやプロテインその他のサプリメントを購入するにはお金が必要ですし、筋力トレーニングに取り組むとしても、部活動のようにやたらと長時間過酷な練習を続けていけばそれに比例した効果が出るというものでもない筈です。いかに効果的に筋力を増強させていくかということを知り実践するのも知力です。低俗な言い方になってしまいますが、しょせん金次第であり、経済的に余裕が出てから取り組んだ方が精神衛生上も好ましいですしやる気も湧いてくるでしょう。
日本社会は中胚葉型の部活顧問型男やスポーツオヤジが牛耳ってきた傾向があり、外胚葉型の人に社会的経済的な権力を取り戻すべきであると考えます。国家や社会や世界を支配していくのは結局は知力であり、素質的に適した外胚葉型の人は人類の進化を先取りしていると解釈できますし、最も人間的な、言わば「人間の中の人間」的な存在であると思うのです。
相場の現象論
相場は実体として存在するものではなく、現象なのだというのが私の捉え方だ。
お金持ちへGO!!
どっちもどっちか
平均足はいわゆるダマシに引っかからないという指摘を読んだが、その分だけ反発や反落が遅れて表示されてしまうのだから、それだけ利幅が減ってしまうのではないか。
オプション取引のプット買いとコール買いも、損失は限定で利幅は無制限に大きいということらしいが、そのためには相場の大変動が必要なので滅多に好機は訪れないだろう。結局はどっちもどっち、というか、やはり簡単には問屋は降ろさないということだろうか。
いずれにしても、当然と言えば当然のことだが、どんな表示方法を使おうとも、現実の値動きそのものは変わらないのだ。
日経新聞から・・
サウジアラビアが、脱石油の産業育成の可能性が見えてこないという記事が出ていたが、皮肉なことに脱石油はなかなか進まないだろうから、国民の石油依存も改まらないだろう。おもしろくて楽しくてやりがいのある職場に就ける人というのは少数派だから、石油収入の激減という現実が訪れない限り実現しないだろう。石油依存に限らず、国教のようなイスラム教も国民を思考停止へと陥れている面があると考えられるので、脱宗教も課題だろう。
ゴーン会長の逮捕について
だいぶ前のことだが、山本一郎氏が、「カリスマの経営する企業は要注意だ」と忠告していたことが的中した。
万事塞翁が馬ということか?
これが果たして株主にとって得なのか損なのか。私は車にはあまり興味がないし詳しくもないし、まして日産の技術力や将来性についても無知だが、仮にルノーが日産にとって有害な存在であろが有益な存在であろうが、ほんとに日産に将来性があるのなら、仮にフランスが株式の大半を売却したとしても、いずれは株価は適正な水準にまで回復するであろうし、投資家にとっては絶好の難平買いの好機を与えてくれるわけだ。そうならば、日産は強気に出るべきだろうしそうするだろう。
株主が提案すべきなのは、その銘柄の価値を上げることであり、そうなのであればルノーという不採算部門(どこまで本当なのかは知らないが)を切り捨てるということも検討しなければならないだろう。もしそうなのであれば、日産側からすると、仮に、「株式の大半を売却するぞ!」と脅迫してきたとしても、「どうぞご自由に!」と反論できそうだ。
ついでに、ゴーン氏について、「日産を救った恩人」と評価しているひともいるらしいが、勘違いも極まれりだ。たった1人の人間にできることなど知れたものだ。エンジンさえ製造できないだろう。それどころか工作機械さえ扱えないのではないか。潜在的な企業力があったから回復できたわけで、「私はそのためのお手伝いをさせてもらった。」というべきだろう。
高額の報酬への批判についてはともかくとして、製造技術至上主義や製造業主義的な発想を見直すきっかけとしては有効かもしれないし、活用すべきだろう。
なるほど・・
上場したソフトバンクに1億6千万円(!)も投資した男性が記事に出ていた。その額もさることながら、どれくらいの余裕資金があるのかということのほうが重要だ。まさかいわゆる全力買いというわけでもないとは思うが、もしそうなら愚の骨頂だ。孫氏は自転車操業を続けていることで有名だし、かつてのホリエモンのごとく買収ごっこを繰り返しているのだ。この程度の知識すらない人が投資するというのだから、個人投資家の多くが負けるというのも当然というべきか。
(追記)売却、というか、いわゆる戻り売りをしたらしい。やれやれといったところだろうが、売るときにも徐々に手仕舞いしていかないと、一気に売ると株価を暴落させてしまうのではないか。
妄想は実現への第一歩なのかもしれませんよ
個人投資家は風俗嬢並みのご気楽労働か
いったん風俗嬢になるとなかなか辞められず、辞めても復帰する人が多いらしいが、たしかに出勤日と欠勤日を自由に決めることができ、おまけに遅刻や早退をしても一般の業種のような罰則もなく、これほど自由気ままな労働というものはなかろう。個人投資家も似たところがあり、もみ合いや流動性が低下した時は休めばよいし、いつでも再開できる。再開して再度休んでも構わないし、一定の成果が出なければ解雇されるということもない。投資の金額次第ではとんでもない利益が得られるというところも似ていると言えそうだ。
最後の相場師こと是川銀蔵氏について
徴用工が話題になっているが、私も詳しくはないが、かつて是川氏が経営していた会社で朝鮮人を平等に扱っていたため、訴追を免れていたらしい。すくなくともそういうひとが存在していたという事実は特筆に値するのではないか。このほか、上場廃止になりそうな銘柄を空売りするように証券会社からすすめられた時も、「わしはそんな他人の不幸に乗じて金儲けするような卑怯なことはできない。」などと断っていたそうだ。私など躊躇することなくやってしまいそうだ。なんか銀蔵先生からお叱りを受けそうだ。
福沢桃介氏もそうだが、昔の相場師には人格者が多くて恐れ入る。それだから君は駄目なんだということだろうか。
追加すると、是川というのは妻の名字だったらしく、夫婦別姓や男女平等が今ほど騒がれていなかった頃にそういうことをしていたというのも興味深い。照れ隠しか韜晦だろうか。
板野友美に西野七瀬、“大所帯” を離れたあとに待ち受ける「試練と課題」について
この記事についていろんな人たちがコメントを書き込んでいて、この記事よりもコメントを読むほうがおもしろいほどだ。卒業後の厳しい現実についての部外者からの無責任な意見を言わせてもらうが、とりあえずはお金さえ何とかなればいいのではないか。アイドル時代に節約に努めて貯金しておき、あるいは高配当利回りの銘柄を保有しておき、配当金で生活費を補助しつつ地道に活動を続けていくなど・・卒業後のことを考慮して生活費や資産運用の勉強と研究をしておくべきだろう。
AKBや乃木坂などの大人数化が進んで行けば、市場原理によってひとりひとりの価値は下落していくのは当然なのだ。卒業後の女優やソロも、もともと需要が少ないのだから供給過多に陥るのは当然であるし必然的でもあるのだ。
ようするに、なんとか生活費を確保できていればいいのだ。活動中にしっかり稼いで貯蓄しておき、その後は悠々自適の生活を送るのもよし、ニートだろうがフリーターだろうが、あるいは風俗嬢やAV女優になるのもよし。やりたいようにやっていけばいいだろう。
捨てられない病の効用について
自宅が物で溢れてしまうという困った性向も、インフレへの耐性とそのことからくる心理的な安定という面では評価できなくもなさそうだ。
これは意外と役に立つのではないか!
最近では、例の米中の摩擦と対立や、日韓の対立もそうだろうが、あえてどちらが正しいのかという先入観は捨てて、どちらの言い分にもそれなりの理由があるのだという姿勢に基づいて、交渉人のごとく揺れ動くのだ。この感覚を養っておくと、売り勢力と買い勢力との拮抗によって揺れ動くさま、これはまさに相場の変動現象とそっくりではないか。
相場が上昇しつつあるとき、あるいは下落しつつあるときでも、常にその反対側の勢力がいて、下落している最中もどこかで買ってやろうと思案している人たちがいるのだ。つまりこのことは、いつでも反発したり反落する可能性や危険性を孕んでいるということなのだ。交渉しているときは常に相手のことも意識しておかないといけないということとそっくりだ。このことは、相手のことを尊重するということと同義ではないのだ。
このほかにも、ふだん高価な商品が値引きされていた。はたしてこれはほんとにお買い得なのか? とか、走行距離と年数が相当に達したので、そろそろ売却か廃車にしようかと・・私はそんな発想はしない。あくまで今現在における性能と劣化具合のみで判断するだろう。
教養というものは、一見関係なさそうなものが意外につながっていたりするものなのだ。
ついでながら、学力の向上や教養のもつほんとの価値というものを知らないし理解しようともしないバカ保守が多いが、学力や知能が向上すると、それが他の様々な分野や諸能力にも影響を及ぼしてくるのだ。
日本はもはや後進国であると認める勇気を持とう
労働生産性の低さその他が指摘されているが、不毛な精神論を信奉する部活主義男や体育会系男が社会的な権力と地位と資産を占領してきたのだから、むしろ当然だというべきだろう。日本大学のアメフト部の問題でも明らかになったように、なにしろ、部活のために高校や大学に進学して、部活のために日々通学しているのだから。
逆に考えると、それだけ改善の余地が大きいということでもある。部活主義教員型男や体育会系男らの社会的価値をどこまで下落させ、どこまで無用の存在にすることができるかということが、それがそのまま日本の今後の生産性の向上や未来の発展につながっていくかということに重なってくるだろう。
お金がほしい
ある議員が香典その他を有権者に渡していたとして辞任に追い込まれたそうだ。この行為の何がどのようにいけないのか、といった法的なことは詳しくないが、良し悪しはともかくとして、国民の大部分が政治家に要求しているのは、景気を良くして収入が増え、社会保障を充実させて、税負担や奨学金を軽減してといったような・・ようするに、お金をよこせということなのではないか。日本共産党もその象徴で、金持ちや大企業から多額の税金を徴収して国民にばら撒けというのだから、これなどまさに、「金よこせ党」というべき代物なのだ。
オリンピックを廃止せよ
昨日の日経新聞に、温暖化によって開催地が減っていくであろうという予測が出ていたが、これを絶好の好機として、オリンピック自体を廃止すればよい。しょせんはたんなる運動会のイベントに過ぎないし、こんなものが消えても誰も何も困らない。そんなことよりも、たとえば再生医療の研究にでも投資したほうがずっと有意義だ。
相場は三寒四温だ
下落相場も上昇相場も、上下動を繰り返しながら変位していくものなのだ。
こんな時こそ、あたかも爆縮型原爆のごとく、あらゆる体力や精神力を相場に集中させるべきだ。
お金は人類が発明した最高の制度のひとつである。
「貧しい人たちはさいわいだ。」とかいうようなイエスの金言が新約聖書に載っていたような記憶がある。これに限らず、なぜか日本人は、お金が増えれば増えるほど堕落していくとか、お金もうけをあまり良くないことだと捉える奇妙な風潮がある。これは国益という点からしても好ましいことではない。たとえば、子どもに、「将来何になりたい?」と訊いて、「お金持ち!」と返答すると、「まあ、なんて子」と顰蹙を買うような雰囲気がある。なぜだろう。お金というのはある種の権力だから、権力者を目指しているというのでけしからんということだろうか? それを言うなら、政治家(権力者そのもの)、スポーツ選手・タレント・歌手・研究者その他もろもろ、すべてある種の権力者だろう。これらを目指して訓練なり勉強している子供を賞賛しておきながら、お金持ちを目標にするのはけしからんというのは、まさにダブルスタンダードというべきだ。
お金は強い!
おそらく脱原発はあまり進まない。このブログを常読してくれている賢明な読者にはお分かりのように、テレビも新聞も本当の現実についてはあまり報道しない。原子力のエネルギー発生効率は、火力による化学反応よりも5桁くらい大きい。具体的には、1トンの核燃料で発電できるエネルギーと同等のエネルギーを火力で発生させるには、10万トンくらいもの燃料を燃焼させなくてはならないということだ。大型タンカーくらいだろう。ましてや、自然エネルギーとでは、桁の数の桁が違うとまではいかなくても、この手前くらいまで違うのだ。少々効率を高めたり、大量生産による価格下落くらいではどうにもならないだろう。
これはどういうことか、結局はこの問題もお金の問題だということだ。人間はお金に弱いのだ。ということで、脱原発はあまり進まないだろう。
ジレンマ
米国で格差への不満からのデモが発生しているらしい。1%が富を独占し、99%が取り残されているということらしい。事実、年収が100億円を超えるCEOがいる一方で、ホームレスなどの貧困層も夥しいらしい。これは自業自得というべきで、自由を進めていけば格差が拡大していくのは当然なのだ。デモの目的がはっきりしないそうだが、格差を是正するためには、自由を規制するしかないが、建国以来の理念を今さら変更することもできないだろう。
経済政策というものは、基本的に、誰がどんな政策を立案し、どの政党が多数派になろうとも、結局は自由を優先するのか、平等を優先するのか、の、どちらかに収斂してしまうのだ。金利や通貨発行量がどうの、といった細かいことはともかくとして。
自由化すれば格差が拡大して社会不安を招くし、自由を規制すれば、有能な人材はヤル気をなくすか海外に逃避するかし、投資資金も逃げ出して国家的な損失になる。どのような政策を採ろうとも、何かを犠牲にしなければならないのだ。
こう考えよう
株を買ったら下がり始め、売ったら上り始めた。という嫌な経験を持っている人は多いのではないかと考える。これについては、「相場というものは、もともと買えば下がり、売れば上がるようにできているのだ。」と解釈すればいいのだ。所詮自己慰安に過ぎないとしても、心理的負担と損失を抱えるということは、それだけで余計に経済的な損失を抱えているということなのだ。
タイムマシンを使って過去の自分へと、底値や持ち株が下がり始めた頃を教えてやることができれば、おもしろいように儲かって幸せになれるだろうという空想をしたこともあるだろう。だが甘いのだ! 売り時や損切りをやりそこなって含み損や塩漬けにしたり、まだ下がるだろうと様子見しているうちに上昇に転じ、『あのときに買っていれば』『あのときに売っていれば』」と後悔し、本当に過去の自分にその情報を送信し、売り逃げや底値買いをしたとする。そうすると、そのことによって、今度は相場が逆に動いてしまうのだ。なぜ下がり始めたのか? それは、あなたが売らずに持ち続けたからなのだ。なぜ上昇し始めたのか? あなたが買わなかったからなのだ! したがって、もし過去の自分に送信して持ち株を売ると、売った後に上がり始めるだろう。底値を教えてもらって買うと、その後下がり始めるのだ。量子論に、こちらの観測の仕方によって対象が変化してしまうなんとか原理とかいうのがあるが、まさにそれなのだ。
とかく人間というものは自分にとって都合のよいように考えがちなのだ。という教訓があるが、これが役に立つこともある。上述のように考えておけば、罪悪感も軽減されるだろうし、心理的損失も減らすことができるのだ。
エルピーダの破綻について
このニュースを知っても驚かなかった。じつは数年前に、この会社の株の購入を検討したことがあるが、見送った。もともと日本は供給過剰なのに需要が少なく、節約文化があるのでなおさらデフレによる価格下落になりやすい。この社長が体育会系だというのも気になる。どこまで製造技術を熟知しているのか疑わしい。責任体制があいまいなのも問題だろう。
家電業界の数が多過ぎて、供給過剰による価格下落に陥りやすいということはよく指摘されていたが、自動車業界にも似た事態が発生する恐れはないのだろうか? 経営危機に陥った自動車会社への公的資金のつぎ込みが続き、結局膨大な国費を投入したもののそれらの大部分が紙屑になったという事態も十分予想できる。農業というのはもともと生産性が低くて儲かりにくいので、途上国や新興国は経済発展のために製造業の誘致と技術開発による工業化へと国力を注ごうとするだろう。これは必然的だ。これによる経済発展による需要の伸びが生産量の増加分を吸収してくれるかもしれないが、供給過剰による値崩れとデフレに陥る危険もある。こうなると、今後日本の製造業はますます価格下落とデフレの危険が高くなってくるだろう。早めに統合させるか、あるいは撤退か売却の検討もしなければならなくなってくるだろう。
新興国の脅威を云々する前に、日本人の手先が器用神話を徹底的に検証すべし。
投資雑誌などに、元ファンドマネージャーとか何とかといったもっともらしい肩書きのコメンテーターが、個人投資家について偉そうにどうのこうのと評論しているのを見かけるが、その前に、あなた自身は投資でどれくらいの利益を出したことがあるのか、ということについて、きちんと報告すべきだ。それに、投資ファンドと個人とでは、扱う金額がかなり違うものだ。だから、かつていくら優れた成績を上げていたとしても、それが個人の運用能力の高さを意味するのかどうかは判然としない。こういう「偉そうなことを言う」評論家達は、たとえば100万円の資金を元手として、個人と同じ環境のもとでどれだけの利益を出すことができるのか、やらせてみたいものだ。
澤上教
長期投資を自称するさわかみファンドに関してのおもしろい記述があったので触れておく。日本風力開発をかなり保有していたらしい。私は当初からこれは地雷銘柄であり、長期保有できるものではないと考えていた。数日間の売買である程度の利益を得たが、すぐに手仕舞いした。太陽光や風力というものは、大げさに言えば合法的な詐欺商法であるというのが私の考えだ。予想通り監理銘柄に指定されたが、この程度の知識もない人でもファンドマネージャーが務まるというのには驚いた。というか、あきれたというべきか。
日経新聞から
日経に、いわゆる「優生思想」の記事が載っていた。その歴史的経緯についての紹介が主題で、これ自体の是非の議論ではなかった。大手の新聞である以上無理もなかろうが、徹底した議論を読んでみたいものだ。
障害者や病人が迫害されたり差別されてはいけない。それは説明するまでもないが、もしも優生思想をすべて否定するのなら、怪我や病気を治療することだってある種の優生思想だし、教育も優生思想だ。というよりも、社会的な活動の大部分は優生思想なのではないか。
売れ残りの廃棄問題について
コンピニやスーパーなどの売れ残りの食材が廃棄処分にされていることが問題視されているらしいが、多量に売れ残るほどの供給過剰状態だからこそ低価格で購入できるのだ。売れ残りを減らすためには供給量を減らすしかないが、そうすると相場が上昇してしまうだろう。もともと需要には限界があるのだから。
経済界 対 農協
経済界には農業界の閉鎖性や社会主義性、進歩の遅さなどを批判する意見が多いが、もともと農産物というものは生産性が低く、ということは手間がかかる割に儲からないのだ。農業の生産性や効率性を改善するためには、優秀な人材を増やさなければならないが、そのためには高い報酬が得られなくてはならない。ところが農業というのは儲かりにくいので優秀な人材が集まりにくいのだ。古今東西問わず若者が就農を嫌がるのもこのためなのだ。というわけで、そうなってしまうのはそれなりの理由があるということだ。
考え方や見方次第でどちらも正しいしどちらも間違っていることになる。どっちもどっちだということだ。
農業への補助金について
やはり必要なのではないか。なぜなら、それでなくとも農業は生産性が低く収益が少ない。太陽エネルギーの1%未満くらいしか植物は利用していないのだ。補助金を減額すれば離農者が増え、生産量も減っていくだろう。そうなれば供給不足で価格が上昇し、消費者は高価な農産物を購入しなければならなくなるだろう。もっとも、海外から安い農産物を輸入するという方法もあるが、社会不安を招いて政治も不安定化するのではないか。
日本の大学
これもよく日経新聞に掲載されている問題で、日本の大学のランキングを上げることについていろいろと議論されているが、向こうの大学のランキングが高いのは教育が優れているからではなく、世界中から優秀な人材をかき集めているからなのだ。むしろ政策の違いなのだ。各国が公的な資金で育てた優秀な人材のつまみ食い、というか横取りをしているのだ。
若い女性に人気
以前たまたま見ていた番組で、株式投資に凝っているらしい女性が数名集まって投資話に花を咲かせているというのが放映されていた。「この人たちは株の本を読破していないし相場格言も覚えていないな。」というのがすぐに分かった。付和雷同的な行動をするのが女性の特徴みたいで、だから「若い女性に人気」というコピーが長々と使用されているのだろう。若い女性といっても好みや興味関心はさまざまではないかと思うが、男よりかは付和雷同的なものであるらしい。ということはそれだけ投資には向いていないということになりそうだ。
何とかのひとつ覚えというやつ
日経新聞に、「偏差値重視、見直しを」という、どこかで聞いたことのある何とかのひとつ覚えのような教育批判が載っていた。「欧米が独自の発想力や思考力を重視するのに対し、日本は記憶重視である。」「偏差値が高く点を取るのが上手だが、・・・」という、お決まりの学力や偏差値重視批判の教育論だ。
歴史に名を残すほどの作曲家や小説家、作家、科学者・研究者等々ですら、本人の独創性などせいぜい数%未満だろう。ほとんどは先人の残した遺産の模倣と応用だ。これほどの極めて稀な才人ですら、発揮された独創性や創造性などごくわずかなものに過ぎない。まして大多数の一般人のための教育などに独創性や創造性を重視するなど、見当違いも極まれりだ。そもそも独創性や創造性など教育できるものではない筈だ。ほんとうに創造性や独創性が優れているのなら、どんなに画一的な教育を受けようとも、いずれどこかで必ず頭角を現す筈だし、もともと独創性や創造性の欠如した人間なら、どう工夫して教育しても独創的にはならない。
試験で高得点を取れる優秀者は、概ね何をやっても優秀であるし創造性もそれなりに優れているものだ。日本の教育が偏差値を重視するのは、不毛な受験競争を回避するために取り入れられた制度であり、教育そのものの是非ではない。
偉そうに日本の教育の批評などする前に、このようなじつに「没個性的」「画一的」「非独創的」「非創造的」「非建設的」な教育論しか展開できない自分自身の頭脳を改革すべきだ。
十年一日
日経新聞になんとかの一つ覚えのような教育批判がまたしても載っていた。お決まりの画一化教育批判であるが、上述と重複するので省略する。日本の教育を批判するのなら、部活動そこ槍玉に挙げるべきだ。いじめ・暴力・体罰・しごき・不毛な精神主義(こういうのが生産性の向上を邪魔するのだ)など、諸悪の根源なのだ。早朝に登校して練習するとか、休日も登校するなど・・そんな余裕があるのなら勉強すべきだ。勉強ばかりして身体の訓練をしないとひ弱になるだと??・・大脳は酸素を多量に消費するし、考えたり勉強するという行為は重労働なのだ。このほか、成績が悪くても甲子園に出場していたり部活で実績があると合格に有利になるという風潮にも問題はないのか。スポーツ選手などしょせんは芸人なのだ。成績が悪くても、ものまねがうまいとか笑わせるのが得意だというので合格できたりするようなものなのだ。こういう体質こそ批判されるべきだろう。
部活で鍛えないとひ弱になるなどと批判しているスポーツ至上主義者に反論しておく。そんなに身体的訓練が苦しくてつらく、頭脳を鍛えるのが楽なのなら、一流大学に合格できるくらいの学力やTOEICで満点をとれるくらいの語学力を習得してみてください。どっちの方が価値が高いのだ? 今時土木作業ですら、機械が入れない狭い場所は例外として、油圧ショベルで掘るのだ。人力で掘る奴などいるか! 人間の出せる力など、プロレスラーですらベンチプレスで200kgくらいが精一杯だろう。油圧ショベルやユニックやフォークリフトならトンを超えるくらいのものなど軽々と持ち上げるぞ。しかも毎日毎日四六時中稼働しても平気だ。
土木作業員の不足について
土木建設作業員が不足しているらしい。ということは、彼らにとっては好都合なわけだ。これに加えて、低能力のくせに態度のでかい悪質な土建屋オヤジが淘汰され、良質な作業員へと新陳代謝される好機と考えるべきだろう。
損切りと手仕舞いと利食いは同じことだ。
損切りはマイナスの利食いで、利食いはマイナスの(というかプラスのというべきか)損切りと解釈すればいいのだ、どちらも自分にとって有益なことだ。
「損切り」というよりも「損失拡大の阻止措置」というべき代物だろう
損切りという不快なことを無理強いしてやろうとするのではなく、今後損失が拡大していくのを防止するための措置をすると考えるべきだし、事実そう考えた方が精神衛生上も好ましいだろう。損益がマイナスになってから損切りしても、その時点で生じていた損失が回復するわけではないからだ。
取引時間を廃止せよ
前場と後場とか夜間取引がどうのなどというけちけちしたことを考えずに、取引時間そのものをなくして為替のように連続して取引できるようにすべきだ。技術的には十分可能だろう。為替取引ではとうにやっているではないか。
投資に臨むときの然るべき姿勢とは?
高校野球とかワールドカップやらオリンピックで一喜一憂するくらいなら、株取引その他による自分の時価総資産の変動ぶりについては、その何千~何万倍かそれ以上に一喜一憂するべきだろう。そうなると判断力に悪影響が出るので好ましくないのかもしれないが、所詮スポーツなど少数の利害関係者を除いて自分たちの収入や資産とはほとんど関係ない筈だ。せいぜい関連銘柄による利鞘狙いくらいが関の山だろう。ということは、応援しているチームや選手が勝とうが負けようが、はっきり言ってどうでもいいことなのだ。そんなことをする暇があるのなら、自分の資産運用や利害について研究したほうがよほど役に立つだろう。これは良い意味での利己主義だ。
投資家たるもの、思想家・哲学者であるべし
相場に対する姿勢は、自分が参加するのではなく、対象を外側から眺める古典物理学者か思想家か哲学者たるべきだ。売買することによって参加はしているが、この部外者的心理を保つことが重要なのだ。そしてまた、けっして楽観的になってはいけないし、かといって悲観的になってもいけないのだ。
再稼働なくして日本経済の再生はありえない。
大発会に向けて、上記の標語を肝に銘ずるべし。再稼働すらできなくて何が景気か?
さっさとユーロから脱退しなさい
そもそも単一通貨などという不自然なことをするからこういうおかしな事態に陥ったのだ。いさぎよくユーロから離脱して、元の状態に戻ればいいのだ。ユーロに加盟するまではずっとやってきたのだから、問題はない。かんたんなことだ。
増田足なるものについて、
この種の商材の広告が良く表示されるが、それで本当に株価が先読みできるのなら、開発者の増田氏自身がそれを利用して大富豪になれただろう。それが決定的な証左になる。このほか、四次元足なるものもあるらしいが、次元という概念の広告用語化だ。黒田氏の異次元緩和というのにも似た傾向があり、「次元」とか「異次元」という概念のコピー化と頻用に過ぎず、チョーという接頭語の頻用のように、言葉や意味や概念を軽薄化させており、腹立たしさを感ずる。後者についてはなんのことはなく、たんにお金を多量に発行してお金の価値を下落させ、その分物価を上昇させようということに過ぎない。経済の門外漢の私ですらこの程度のことはわかる。
与沢翼先生について
与沢翼なる人物が株の売買その他で多額の利益を得ているらしい。動画の当人の解説はかなりまともだが、株アカデミーなるいんちきくさいものを紹介しており、動画を視聴してみたが、損切りせずに利益を出せるらしい、建玉が下落して含み損が出てもそのまま放置しておけばよいらしく、この時点で敗北トレーダーであることが確定している。買った玉が下落して損失が出ても売却しなければ損が現実化しないという発想自体が初心者以下であり、いくら資金を何分割しようが両建てにしようが、下がり始めたところで手仕舞いできなかったことによる損失がその時空間で現実化したという事実は永遠に動かない。買値に戻ったとしても、下がった時点で買っておけば利益が得られたわけで、その機会を失ったという事実は動かない。講師の下山先生の講義は私の理解力を超えているらしく、なんで損切りせずに利益が得られるのかという肝心のところが理解できないので断定することはできないが、かなりいんちきくさいものを感じた。こんなものを紹介しているから詐欺師呼ばわりされるのだろう。
これに近似するものとして、原発停止による経済損失が原油安によって軽減されるから原発依存度を下げてもかまわないなどと考えているひとがいるとすれば、資産運用の基礎的なことが理解できていない可能性が高い。そのような人たちは株や先物その他の取引をする前に勉強し直したほうが良かろう。
損を惜しみ、辛抱するほど大損するものなり
日本文化は株の売買に向いていないと指摘されるらしいが、ある程度は当てはまるだろう。ひとつには、「みんなで一緒に同じことをする。」ことを善しとする文化であり、農耕民族なので仕方ないのだろうが、このような気質の人間は株の売買に向いていない。すくなくとも、学校という悪平等の極みのような時空間内で株の売買について勉強させようなどという愚かな教育改革だけはしないでほしいものだ。保守派には教育音痴が多いので危ういものを感ずる。道徳教育の推進論などその典型であり、そのような愚かな発想しかできない自分自身の頭を教育すべきだろう。
我慢する。耐えることを美徳と考える風習についても同様であり、上記の相場格言のようにそのような態度で投機に挑むというのは危険極まりないのだ。金儲けを道徳的な悪だと考えるのも不毛な思想であり、そもそもお金を道徳的倫理的な良し悪しと捉えるという発想そのものが筋違いなのだ。たんなる手段にすぎない。むしろお金を粗末にする。ギャンブルや株その他で散財する。これらは自己責任では済まされず、結局は社会的な負担になってしまうからだ。そのような連中こそが厄介者なのだ。
売るべし 買うべし 休むべし
買値にこだわる人は上手ではありませんね。という、株の評論家の指摘を読んだことがあるが、たしかにこれでは初歩の初歩といってよい段階だ。そうではなく、時価の発想に変更すべしと助言してあったが、買値にこだわるよりかはましという程度に過ぎず、すくなくとも私は時価にすらこだわらない主義だ。
これに似た指摘として、何割下がったら損切りするかを予め決めておく、あるいはどれくらい含み益が出たら利食いするかを決めておくべし、というのもよく見かけるが、私はそんな基準では売買しない主義だ。相場が上昇していれば買いで、下がっているときは売り(空売り)で、含み損や利益の額は関係ない。もみ合いや膠着状態に移行すれば、というよりも、相場の上昇が停止すればすぐに仕舞うべし、という方針で、休むも相場の格言通りだ。まさに、売るべし買うべし休むべしの三択なのだ。
21世紀の相場格言
与沢氏が勧めている株アカデミーなるものの内容を散見すると、携帯だけで1日5分程度の取引で、しかも勉強しなくても定期的に利益が得られるということらしいが、夏木智氏の名言である、「勉強はある種の労働だ。」という考え方に基づいて考えると、勉強せずに儲けようとしているということは、働かずに利益を得ようとしていることと同じだということなのだ。さて、問屋が卸すかどうか、株アカデミーの講師のような才能ある人は例外として、この諺を肝に銘じておくべきだろう。
与沢評
このひとは、多数派が損をして自分を含む少数に多額の利益が集まることが痛快ならしく、他人の不幸はなんとかというものかもしれないが、基本的にどれくらいの比率で負けてどれだけの損失が出るかということは、どうでもよいとまではいわないが二次的な問題なのであり、与沢先生自身がどれだけの利益が得られるのかということに集中すべきなのだ。
保守派の渡部昇一は、最近の株ブームに苦言を呈して、「ああいうものは、ファンドマネージャーといったプロが死ぬ気で取り組むものなんです。」といったようなことを発言していたようであるが、これこそまさに保守派の論客らしい不毛な精神論に過ぎない。死ぬ気でやっても負ける奴は負けるし、与沢先生のようにゲーム感覚で数十億円も稼ぐ奴もいるのだ。これが現実なのであり、この点だけは与沢氏のほうが現実を知っていると評価できる。
ほんとの問題
やたらと人口減少が報道されるが、その一方で機械化やロボットや人工知能の普及による仕事の減少の予測も話題になっている。両者で相殺されるのではないかという気がするが、その可能性についてはなぜか触れないのだ。別項でも指摘したように、むしろ低能力者が多産で優秀な人たちが晩婚で少子化しているということのほうが問題なのだ。
どうでもいいこと
さっきの株アカデミーと与沢氏がいんちきであろうとなかろうと、自分にとって役に立つと感ずれは利用すれば良いだけのことだ。参加者の何割が損をしているとか、資金の奪い合いであるかなどあなたには関係ないのだ。自分が得をするか損をするかだけに集中していけばいいのだ。なお、この両者の話からは知性が感じられないので私にとってはどうでもいい存在だ。神王というひとの話もすでに知っていることばかりで聞く価値を感じない。
投資家と投機家たるもの、大いに相場に淫するべし。
「きちがいと何とかは紙一重」という諺がある通り、むしろ徹底的にこだわってみるのが良かろう。上場企業の銘柄をすべて覚えるくらいのこだわりを発揮するといい、何でも熱中すればするほど習熟するものだし、それこそ好きこそものの上手なれ。お金好きが亢進してお金狂になってしまえばよい。良い意味での「金の猛者」を目指せ!
「きちがい」という単語を差別用語だと糾弾する人たちに対しては、言葉の多義性というものについて考えてください。と説明する。物事にえらく熱中するという良い意味を含んでいるのだ。そう呼ばれる本人たちにとっても誇るべきことであるし名誉なのだ。
機関投資家は準インサイダー取引に抵触するのではないのか?
機関投資家は個人よりも先に情報を入手して売買していると指摘されているが、これは市場の公平性に反する行為であり、問題なのではないのか。彼らはそれだけの経済的負担をしてるからというが、それなら、お金を払えばそういうことをしてもかまわないのか。
お得な買い物とは?
おいしくてうまいものは高価だ。あるいは良いものはやはり高い。みんなが買おうとするから高価になるのだ。ということは、人気はないがうまいもの、価値のあるものを探し当てれば良いのだ。
勝負はすべて勝つか負けるかだ 俺の勝負に引き分けなどない
ドカベンという漫画に岩鬼という体のでかい奴が登場する。このひとの名言に上記のがあったが、相場の世界はまさにこれそのものだ。損益が常に0などありえないのだ。
空売りとは??
自分の所有物が1億円で売れたとする。その後同一物が多量に出回り価格が暴落する。1万円に下落した時点で買い戻した。差額の9999万円が利益になる。こういうことだと解釈すればいいのではないか。
あるいは、通常の売買では安く買って高く売れれば差額が利益になる。空売りは前後が逆になっているだけで、安く買って高く売るということは同一だ。
なんじゃそりゃ???
いわゆるオプション取引には、「買う権利」を買う。「買う権利」を売る。「売る権利」を買う。「売る権利」を売る。の4つがあるということらしいが、そもそも買う権利とは何ぞや? ということだが、お金が買う権利の具体例だろう。ということは、コールを売買するということは、お金を売買するようなものではないか。お金自体の価格が変動して、売買後上昇すれば買い方が利益になり、売り方が損をする。これは株や先物の売買と同じではないか。そして、売る権利の具体例は商品ではないか。商品を買ったり売ったりしていると解釈すればいい、というか、結局は自分の利益が第一なのだから、いかにして損益を改善すればいいのかということだけにこだわっていればいいだろう。
ジェイコム男ことBNF氏について
このひとは時価数百億くらい保有している株の投資家だということだが、たまたま動画を視聴していて疑念を感じた。1日に何億円もの株を売買していると紹介されていたが、そんなに多量に売買すれば株価が変動したり約定しにくくなったりということは起こらないのだろうか? へたをすると証券取引法に抵触するのではないか。
というよりも、そもそもそんな多量に売買すれば、買うという行為によって価格を上げてしまうし、俗に言う「売り崩す」というように、売却によって暴落させてしまうのではないか。つまり、高く買って安く売るという、売買するたびに損をすることになってしまいそうだが。
捨てられない病も、結局はお金の問題なのではないか
私もあまり偉そうなことは言えないが、捨てることができずに室内が物で溢れてしまうようになってしまうのも、収入と資産に不安があるからそうなってしまうわけだ。急に食事を減らすと飢餓状態に陥ったと判断して脂肪を溜め込む体質に変質するのを連想する。
デモトレードは役に立たないか?
デモトレードなどやってみても、本当に損益が発生するわけではないから緊張感もなく、さほど役に立たないという意見が散見されるが、なるほどそのとおりだ。パイロットの訓練に使われるフライトシミュレーターも同じで、実際に飛ぶわけではないから事故や墜落の危険もなく、恐怖感や不安感に雲泥の差が出てくるだろうからだ。訓練に使用されているから役に立たないとまでは言わないが、同時進行で超小型の飛行機で実際に飛ぶ訓練を併用した方が効果は大きいだろう。デモトレードを続ける時間があるなら、少額で投資して経験を積んだ方が効果的だという指摘のように。その点、仮免許は実際に公道を走行するわけだから事故の危険もあるし、緊張感があるので役に立つだろう。
なお、動画や書物その他の相場についての教材が溢れているが、あまり役に立たない。せいぜい相場格言くらいを通読しておけばいいと思う。実践を続けながら試行錯誤していったほうが効果的なのではないか。歴史に名を残している相場師の名言などは、それなりの時間的な淘汰を経て生き残っているわけだから価値はあるのだろうし、その程度のものを覚えておけば十分だろう。もっとも、「天井三日、底百日」などという、現在の相場には当てはまらないものもあろう。分足や時間足はもちろん、日足どころか週足や月足ですから、地雷銘柄を除いてあまり当てはまらない。
伊藤祐輔氏について
オプショントレーダーの伊藤氏の講義を聞くと、自分の優秀さを自慢したくてしょうがないという印象だ。亀井静香のごとく頭を左右に振りながらの熱弁で、数学が専門で体育会系という感じだ。すくなくとも私などよりかははるかに優れた数学能力があるのだから、自慢したくなるのも当然なのかもしれない。
このひとの発言で唯一共感と評価ができるのは、「じつはプロはチャートはあまり使わないんです。今現在市場がどうなりつつあるか? ということに注目する。」という発言だ。私の売買の基本的な姿勢そのものだ。
提案する。伊藤氏自身がこれまでどういう状況の中でどんな売買をしてきたのか、それによってどれくらいの成績を残せたのかということについて報告すべきだ。そうすれば説得力が増すだろう。
損切りの価値とは??
私はあまり損切りなどという発想は採りたくないが、あえてその価値について検討してみる。
保有している株が下がり始めた。あるいは横ばいかもみ合い状態でも良い。で、とりあえず手仕舞いしておけば、その後の下落や大幅下落による塩漬け化は確実に避けることができるわけだ。売却後に上昇したとしても、じつは当人にとっては関係ないのだ!! そして、そうなったとしても、売却した人は何も損をしていないのだ。ここを感覚的に納得するのが困難だが、長年売買を続けていて、損切りせずに暴落相場による損失を回避するというのは困難を極めるだろう。ということは、損切りを確実に実行してさえすれば、長年の間に確実に損失額を減らしていけるというわけだ。相場というものは、いったん下落を始めるとそのままずるずると下がり続けるという動きになりやすいからだ。
このほか、含み損を抱えたままでいたり損失が拡大していくと、それが心理的な負担になるために判断力にも悪影響が及び、さらなる損失の拡大という負の連鎖や弱り目に祟り目といった悪循環に陥りやすい。全力買いはするな。常に余裕資金を確保しておけ。というのもこうした理由によるものだろう。
何人にも正確な予知など不可能だ。それでも可能なことは、もみ合いになったり下落し始めると早めに手仕舞いするということだ。いくらかの損失が出たとしても、しょせん予知など不可能なのだから、家族や知人はあまり責めないような気遣いをしてもらいたいものだ。もちろん売買をしている本人自身もだ。
どうでもいいことだし知っている人はとっくに知っていることだが、チャートの形が自己相似形をしているというのはおもしろい。そもそもフラクタルの発案者自身がチャートから思い付いたらしい。1.4次元くらいか?
ローカル線の未来について
今たまたまJR九州が減便を実施するらしいという記事を見た。全文は読んでいないが、ほぼ見当がつく。ここに限らずローカル線はどこも大赤字で、何をどう工夫しようとも黒字化する可能性はない。別項にも書いたように、こんな不便極まりない前時代の産物を利用する人など、ほとんどいないからだ。じっさい沿線住民は見向きもしない。自家用車が2次元的な行動ができるのに対して、鉄道は1次元的にしか動けないからだ。自由度の次元が違うのだ。周辺の自治体は、このような将来性がなく利用価値の乏しい交通機関への支援などをする余裕があるのなら、自動運転技術の発展と普及のために投資すべきだ。ローカル線に支出するというのは、上場廃止になりそうな監理名柄に投資するようなものなのだ。
おバカ投資家の特徴とは?→メディア、とくに旧媒体であるテレビと新聞が報道する情報が社会の真実だと考え、それに基づいて投資する。
お利口投資家の特徴は?→メディアは本当のことはあまり報道しないし取り上げないということを熟知しており、ほかの方法で得た情報から投資する。
投資家たるもの、大いに誇大妄想を膨らますべし!
強欲な欲望と権力に基づいた誇大妄想を思い巡らすのは、大いに推奨されるべきだし、そもそもそうした動機がないのなら、苦労して研究したり調べたり勉強したり働いたりする必要もないのだ(俗に言う、「食っていく」という表現があるが、食費だけを確保するのならアルバイト程度で十分なのだ)。豪邸に住んで高級車を所有し、酒池肉林の生活を送るとか、ありきたりの表現しかできないが、悠々自適の老後を目指すとか、なんでもよい。要するに自分が夢中になれる世界を構築するとでも言えようか。欲望、とくに金銭欲は批判の対象になりやすいが、そうした習性や考え方こそがデフレを促進し景気を悪くするのだ。
ギャンブルの価値と投資の姿勢について
株がギャンブルであるかどうかはともかく、怒ったり落ち込んだり悲しんだり有頂天になったりと、喜怒哀楽が激しくなり人生がドラマチックになるという効用がある。
とかく付和雷同になりがちで、我慢することが称賛され、精神論に依存しがちな国内の生活環境の中で投資に適した心理状態を保つというのはなかなか大変だが、これほど取り組みがいのある代物もすくないだろう。「迷ったらすぐに仕舞うべし。」「我慢することは禁物なり。」「笑う門には福きたる。」など、むしろ心理状態を楽にした方が成績が向上しそうなことが多いのだ。ふだんの生活態度というものは当然投資行動と判断にも影響を及ぼすし良くも悪しくも汚染されてしまっているのだ。取り組みがいのある課題なのだ。
お金に色はないのだ
投資と投機のどちらがよいとか、そういうこだわりは本人にどれが向いているかということで選択すればよいだけなのだ。分足だろうが時間足だろうが、日足だろうか週足だろうが、効果的に売買できればよい。チャートではなく、純資産倍率その他の指標で投資するというのなら、それが得意ならそうすればよい。どのような方法で利益を得ようが、金銭に色はないからだ。よく、投資(投機もだろう)は、自分の得意な分野で勝負しろ! などと指摘されるが、投資に限らずもともと人間というものは得意な分野でしか勝負出来ないものなのだ。当たり前過ぎて誰でも知っているし経験していることなのだ。
一寸先は闇
売買をするときの心掛けとして、予想しない、あるいはするにしてもあまりあてにしないことだ。1秒後ですら、上がるのか下がるのかということを予知することなどできないからだ。こう動く筈だという思い込みが強いと、反対側に動いたときに、素早く損切り・手仕舞い・利食い・途転することの邪魔になるからだ。
怖気ではなく、怖気の克服が称賛に値し、人生を生きるに値するものにする。器用さではなく、勇気こそが辛子粒であり、成長して大木になる。
最終目標は超気違い相場中毒依存症患者なのだ。
株好きのむらやんさんは、動画で株の楽しさについて解説しているようですが、べつに批判しませんしむしろ結構なことで賛成です。じっさい、取引している最中は、我慢して損失を拡大するのは厳禁なので、気を楽にした方が有利なのです。「やばいと感じたらすぐに仕舞うべし!」というのは、相場の神として知られる本間宗久も忠告していることですし、苦痛なのを我慢したり耐えることが好きで心地よい人などいないでしょう。ですから、精神的に開放されるべきなのです。ところがひねくれ者の私などは、好きなどというところを超えて、相場中毒者か相場依存症になるくらいを目標にすることをおすすめします。なんでもよろしい。たとえば、過去のチャートを眺めて、このときこれだけ買ってここで売っておけば、どれくらいの利益が得られた筈だと妄想するのもよし。伝説的な相場師の多くは、きちがい相場で巨利を得たわけですし、大いに夢中になるべし。すなわち、いっそのこと、ハイパーマッドマックスたるべし。
上記を加えて、勇敢な超狂人的相場中毒依存症患者を目標とすべし。
(追記)いささか表現が行き過ぎた感がありますので追加しますと、誰でも何かに依存しているわけで、何も依存することなく生きていける人などいない筈なのです。お酒であったり煙草であったりギャンブルであったり音楽や小説であったり、食事であったりといった具合にです。その、誰でも持っている依存性を効果的に、かつ正しく昇華させていこうということなのです。私は十代の終わり頃に父親に一度連れていかれたことを除けばパチンコをしたことはありませんし、競馬や競艇その他の賭け事をしたこともありません。これらに夢中になっている人たちは、当然のことながら私などよりも遥かに詳しく知っているでしょうし、研究熱心でしょう。そうしたエネルギーを資産運用に投入していきましょう。
自分の依存性に悩んでいる人に・・夢中になれるということは、考えようによってはあなたの才能かもしれませんよ!
ものは考えようだ
自宅のすべての部屋に置いてある物の種類と位置。どの引き出しに何が入れてあり、壁や天井の模様や冷蔵庫に入っている物と種類について、さらには、庭の植木の配置やブロックやレンガの数と配置、石ころの配置。物置に入っている物とその種類等々について、CGのごとく正確に描写でき、完璧に覚えている人など滅多にいないのではないか。いちばん良く知っていて、しょっちゅう目にしている筈の自宅の映像ですら、じつは知っているつもりになっているだけであまり目に入ってはいないのだ! ということは、チャートについても同様で、昨日の時間足ですら正確に描写できるひとは少ないだろう。チャートなどあてにならないとか、バックミラーからは未来は見えないなどといってバカにしている人も多いが、ほかに手がかりがないのだから仕方ないのだ。ところが実態はそれどころではなく、あてになるのかならないのかということ以前に、そもそもチャートを見ているつもりになっているだけで、じつはあまり見ていないのではないか。これはあくまで一例に過ぎないが、改善や再考の余地がたくさん残っていそうだということだ。ということは、あなたはまだ自分の力を出し切ってはいないかもしれないのだ。新興国の市場みたいなもので、上昇の余地が残っていると考えることもできそうだ。
これを読んで気が楽になれたのなら、私の読者へのサービスのひとつが成功したということだ。
二兎を追う者は・・・
だいぶ前に読んだことなので記憶があいまいになっていますが、人間は一度にふたつ以上のことを考えることはできないらしい。二兎を追うというよりも、そもそも二兎を追うこと自体が不可能だということらしいのだ。従って、チャート、というか足なら足に集中して売買した方が良さそうなのだ。私は基本的には、足しか見ない。成り行きは板には表示されないし、移動平均線も使わない。煩わしいからだ。足を見ればだいたいの方向は判るしそのために足というものがあるのだ。寄り付き前の板くらいは見るが、あまりあてにならないし、せいぜい参考程度に過ぎない。
もちろんこれは私のやり方を書いただけであり、人によっては得意不得意や向き不向きがいろいろあるのだから、それぞれが得意なやり方でやっていけばいいだろう。ただ一般論としても、特定のことに集中して取り組んだ方が効果的であるらしい。
その一方で、扱う金額が大きくなってくると、特定の銘柄だけでは売買することが困難になってくるため、どうしても複数銘柄を同時進行で売買せざるを得なくなってくる。これは中級以上の課題であるが、五分足と組み合わせるとか、日足も加えるなど、いろんな工夫が必要になってくるだろう。
夢中になれるのも才能のひとつだ!!
半信半疑で挑もう
チャートやその他の手がかり材料を、当てにならないとして否定してはいけないし、かといってそのまま信頼してもいけない。常に半信半疑の宙ぶらりんの心理を保ちつつ売買に臨むべきだ。
不謹慎なことを書きますが・・
今回の豪雨災害はデフレ対策としての効果もありそうだ。
これでよし
お金持ちと読書量とは予想通り相関があるらしい。読書好きの人は喜べばいいし、嫌いな人は無視しておけばいい。なんでも有利な材料は心理的な貯蓄として利用すればいいのだ。
?
大塚家具の株を米国の企業が売却したというのを読んだが、売ったということは誰かが買ったわけだ。そもそも売買という行為は売り手と買い手の両方が揃っていないと成り立たない筈なのだ。さて、誰が買ったのだろうか? 買い手は恐らく少数だろうから、0円近くの安値で買っておいたということだろうか。
大塚家具といえば例の久美子社長だが、そもそも常識的に考えても、家具などしょっちゅう購入するものではないし、それでなくても慢性的な供給過多によるデフレ状態なのだから、どんな改革をしようともそんなに売れる筈はないのだ。経営などと無縁な私ですらこの程度の見当は付く。
お金は力なのだ!
筋力トレーニングや受験勉強の類も、自分自身の力の増強への投資なのだから、やりたい人はやればいいが、その一方でお金も重要な社会的な力であることを忘れてはいけない。蓄財は自分自身の社会的な力の増強のひとつであることは間違いないのだ。
職場のいじめ、パワハラ・セクハラ・マタハラ。雇用不安等々、安心して生活できない。というよりも、収入と資産に不安があるからこそ、節約して消費を控えようとするのだ。防衛は攻撃の一種だから、支出を減らすという防衛行為は、とりもなおさず社会や経済に対してデフレという攻撃をしているわけだ。
今後どれほどAIが高性能化しようとも、相場の正確な予知などおそらく永遠に実現しないだろう。
外胚葉型の投資戦略について
お読みになっている読者には外胚葉型の人が多いと思われますので、外胚葉に適した人生設計や戦略について書いてみます。
筋肉の付きやすさは手首の太さとほぼ比例しており、手首の細い外胚葉型の人は筋力トレーニングをしても効果が少ないですから、投資としての価値も低いです。外胚葉型の人が優位なのは、知識の豊富さ。勉強することによる知力の向上に効果が出やすく、知能と運動能力とには相関がありますから、エンジンが小さくて出力は弱いが燃費が良いというようなものです。人間の持つ諸能力の中では知力の影響と威力が最大規模である筈で、人間を人間たらしめている最も優位な型に属するわけですから、大いに自信と誇りを持つべきです。それでもあえて筋力増強に挑むのなら、トレーニングによる成果は運動神経の構築の方が優先的に先行してしまいそうですから、そのおまけとして筋肉の増大という成果が出るというようなメニューというか戦略にした方がお得のような感じです。
筋力トレーニングよりも金力トレーニングを優先すべきだ
知力と共に強力な力であるお金を肥大させることを先行させるべきで、たとえ筋力トレーニングに取り組むにしても、ダンベルやバーベルやプロテインその他のサプリメントを購入するにはお金が必要ですし、筋力トレーニングに取り組むとしても、部活動のようにやたらと長時間過酷な練習を続けていけばそれに比例した効果が出るというものでもない筈です。いかに効果的に筋力を増強させていくかということを知り実践するのも知力です。低俗な言い方になってしまいますが、しょせん金次第であり、経済的に余裕が出てから取り組んだ方が精神衛生上も好ましいですしやる気も湧いてくるでしょう。
日本社会は中胚葉型の部活顧問型男やスポーツオヤジが牛耳ってきた傾向があり、外胚葉型の人に社会的経済的な権力を取り戻すべきであると考えます。国家や社会や世界を支配していくのは結局は知力であり、素質的に適した外胚葉型の人は人類の進化を先取りしていると解釈できますし、最も人間的な、言わば「人間の中の人間」的な存在であると思うのです。
相場の現象論
相場は実体として存在するものではなく、現象なのだというのが私の捉え方だ。
お金持ちへGO!!
どっちもどっちか
平均足はいわゆるダマシに引っかからないという指摘を読んだが、その分だけ反発や反落が遅れて表示されてしまうのだから、それだけ利幅が減ってしまうのではないか。
オプション取引のプット買いとコール買いも、損失は限定で利幅は無制限に大きいということらしいが、そのためには相場の大変動が必要なので滅多に好機は訪れないだろう。結局はどっちもどっち、というか、やはり簡単には問屋は降ろさないということだろうか。
いずれにしても、当然と言えば当然のことだが、どんな表示方法を使おうとも、現実の値動きそのものは変わらないのだ。
日経新聞から・・
サウジアラビアが、脱石油の産業育成の可能性が見えてこないという記事が出ていたが、皮肉なことに脱石油はなかなか進まないだろうから、国民の石油依存も改まらないだろう。おもしろくて楽しくてやりがいのある職場に就ける人というのは少数派だから、石油収入の激減という現実が訪れない限り実現しないだろう。石油依存に限らず、国教のようなイスラム教も国民を思考停止へと陥れている面があると考えられるので、脱宗教も課題だろう。
ゴーン会長の逮捕について
だいぶ前のことだが、山本一郎氏が、「カリスマの経営する企業は要注意だ」と忠告していたことが的中した。
万事塞翁が馬ということか?
これが果たして株主にとって得なのか損なのか。私は車にはあまり興味がないし詳しくもないし、まして日産の技術力や将来性についても無知だが、仮にルノーが日産にとって有害な存在であろが有益な存在であろうが、ほんとに日産に将来性があるのなら、仮にフランスが株式の大半を売却したとしても、いずれは株価は適正な水準にまで回復するであろうし、投資家にとっては絶好の難平買いの好機を与えてくれるわけだ。そうならば、日産は強気に出るべきだろうしそうするだろう。
株主が提案すべきなのは、その銘柄の価値を上げることであり、そうなのであればルノーという不採算部門(どこまで本当なのかは知らないが)を切り捨てるということも検討しなければならないだろう。もしそうなのであれば、日産側からすると、仮に、「株式の大半を売却するぞ!」と脅迫してきたとしても、「どうぞご自由に!」と反論できそうだ。
ついでに、ゴーン氏について、「日産を救った恩人」と評価しているひともいるらしいが、勘違いも極まれりだ。たった1人の人間にできることなど知れたものだ。エンジンさえ製造できないだろう。それどころか工作機械さえ扱えないのではないか。潜在的な企業力があったから回復できたわけで、「私はそのためのお手伝いをさせてもらった。」というべきだろう。
高額の報酬への批判についてはともかくとして、製造技術至上主義や製造業主義的な発想を見直すきっかけとしては有効かもしれないし、活用すべきだろう。
なるほど・・
上場したソフトバンクに1億6千万円(!)も投資した男性が記事に出ていた。その額もさることながら、どれくらいの余裕資金があるのかということのほうが重要だ。まさかいわゆる全力買いというわけでもないとは思うが、もしそうなら愚の骨頂だ。孫氏は自転車操業を続けていることで有名だし、かつてのホリエモンのごとく買収ごっこを繰り返しているのだ。この程度の知識すらない人が投資するというのだから、個人投資家の多くが負けるというのも当然というべきか。
(追記)売却、というか、いわゆる戻り売りをしたらしい。やれやれといったところだろうが、売るときにも徐々に手仕舞いしていかないと、一気に売ると株価を暴落させてしまうのではないか。
妄想は実現への第一歩なのかもしれませんよ
個人投資家は風俗嬢並みのご気楽労働か
いったん風俗嬢になるとなかなか辞められず、辞めても復帰する人が多いらしいが、たしかに出勤日と欠勤日を自由に決めることができ、おまけに遅刻や早退をしても一般の業種のような罰則もなく、これほど自由気ままな労働というものはなかろう。個人投資家も似たところがあり、もみ合いや流動性が低下した時は休めばよいし、いつでも再開できる。再開して再度休んでも構わないし、一定の成果が出なければ解雇されるということもない。投資の金額次第ではとんでもない利益が得られるというところも似ていると言えそうだ。
最後の相場師こと是川銀蔵氏について
徴用工が話題になっているが、私も詳しくはないが、かつて是川氏が経営していた会社で朝鮮人を平等に扱っていたため、訴追を免れていたらしい。すくなくともそういうひとが存在していたという事実は特筆に値するのではないか。このほか、上場廃止になりそうな銘柄を空売りするように証券会社からすすめられた時も、「わしはそんな他人の不幸に乗じて金儲けするような卑怯なことはできない。」などと断っていたそうだ。私など躊躇することなくやってしまいそうだ。なんか銀蔵先生からお叱りを受けそうだ。
福沢桃介氏もそうだが、昔の相場師には人格者が多くて恐れ入る。それだから君は駄目なんだということだろうか。
追加すると、是川というのは妻の名字だったらしく、夫婦別姓や男女平等が今ほど騒がれていなかった頃にそういうことをしていたというのも興味深い。照れ隠しか韜晦だろうか。
板野友美に西野七瀬、“大所帯” を離れたあとに待ち受ける「試練と課題」について
この記事についていろんな人たちがコメントを書き込んでいて、この記事よりもコメントを読むほうがおもしろいほどだ。卒業後の厳しい現実についての部外者からの無責任な意見を言わせてもらうが、とりあえずはお金さえ何とかなればいいのではないか。アイドル時代に節約に努めて貯金しておき、あるいは高配当利回りの銘柄を保有しておき、配当金で生活費を補助しつつ地道に活動を続けていくなど・・卒業後のことを考慮して生活費や資産運用の勉強と研究をしておくべきだろう。
AKBや乃木坂などの大人数化が進んで行けば、市場原理によってひとりひとりの価値は下落していくのは当然なのだ。卒業後の女優やソロも、もともと需要が少ないのだから供給過多に陥るのは当然であるし必然的でもあるのだ。
ようするに、なんとか生活費を確保できていればいいのだ。活動中にしっかり稼いで貯蓄しておき、その後は悠々自適の生活を送るのもよし、ニートだろうがフリーターだろうが、あるいは風俗嬢やAV女優になるのもよし。やりたいようにやっていけばいいだろう。
捨てられない病の効用について
自宅が物で溢れてしまうという困った性向も、インフレへの耐性とそのことからくる心理的な安定という面では評価できなくもなさそうだ。
これは意外と役に立つのではないか!
最近では、例の米中の摩擦と対立や、日韓の対立もそうだろうが、あえてどちらが正しいのかという先入観は捨てて、どちらの言い分にもそれなりの理由があるのだという姿勢に基づいて、交渉人のごとく揺れ動くのだ。この感覚を養っておくと、売り勢力と買い勢力との拮抗によって揺れ動くさま、これはまさに相場の変動現象とそっくりではないか。
相場が上昇しつつあるとき、あるいは下落しつつあるときでも、常にその反対側の勢力がいて、下落している最中もどこかで買ってやろうと思案している人たちがいるのだ。つまりこのことは、いつでも反発したり反落する可能性や危険性を孕んでいるということなのだ。交渉しているときは常に相手のことも意識しておかないといけないということとそっくりだ。このことは、相手のことを尊重するということと同義ではないのだ。
このほかにも、ふだん高価な商品が値引きされていた。はたしてこれはほんとにお買い得なのか? とか、走行距離と年数が相当に達したので、そろそろ売却か廃車にしようかと・・私はそんな発想はしない。あくまで今現在における性能と劣化具合のみで判断するだろう。
教養というものは、一見関係なさそうなものが意外につながっていたりするものなのだ。
ついでながら、学力の向上や教養のもつほんとの価値というものを知らないし理解しようともしないバカ保守が多いが、学力や知能が向上すると、それが他の様々な分野や諸能力にも影響を及ぼしてくるのだ。
日本はもはや後進国であると認める勇気を持とう
労働生産性の低さその他が指摘されているが、不毛な精神論を信奉する部活主義男や体育会系男が社会的な権力と地位と資産を占領してきたのだから、むしろ当然だというべきだろう。日本大学のアメフト部の問題でも明らかになったように、なにしろ、部活のために高校や大学に進学して、部活のために日々通学しているのだから。
逆に考えると、それだけ改善の余地が大きいということでもある。部活主義教員型男や体育会系男らの社会的価値をどこまで下落させ、どこまで無用の存在にすることができるかということが、それがそのまま日本の今後の生産性の向上や未来の発展につながっていくかということに重なってくるだろう。
お金がほしい
ある議員が香典その他を有権者に渡していたとして辞任に追い込まれたそうだ。この行為の何がどのようにいけないのか、といった法的なことは詳しくないが、良し悪しはともかくとして、国民の大部分が政治家に要求しているのは、景気を良くして収入が増え、社会保障を充実させて、税負担や奨学金を軽減してといったような・・ようするに、お金をよこせということなのではないか。日本共産党もその象徴で、金持ちや大企業から多額の税金を徴収して国民にばら撒けというのだから、これなどまさに、「金よこせ党」というべき代物なのだ。
オリンピックを廃止せよ
昨日の日経新聞に、温暖化によって開催地が減っていくであろうという予測が出ていたが、これを絶好の好機として、オリンピック自体を廃止すればよい。しょせんはたんなる運動会のイベントに過ぎないし、こんなものが消えても誰も何も困らない。そんなことよりも、たとえば再生医療の研究にでも投資したほうがずっと有意義だ。
相場は三寒四温だ
下落相場も上昇相場も、上下動を繰り返しながら変位していくものなのだ。
こんな時こそ、あたかも爆縮型原爆のごとく、あらゆる体力や精神力を相場に集中させるべきだ。