最近見つけましたのでアップします。
この徳利はもう一つ絵が違う徳利があって、またアップしたいと思います。
やはり時代が不明です。
古伊万里 色絵柿右衛門手竹形鶉花文徳利
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/f3/f4b8567d968961ca0276cb324b32c287.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/ae/ddbfc31d6c8e896a8bfb52898921dd90.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/e3/cf0f11b2f441d495c0ae3b23c712e01c.jpg)
高さ約23cmx胴10cm
珍しい徳利だと思います、思うにヨーロッパへ渡った可能性があるのではと?思います
故郷は、やはりいいね、許可書を入て久しぶりに、家へ帰りました。
今回は、家の周りや、家の中をアイガーカンター(放射能測定器)を待ち測定してきました。
外では3.0~4.0μsv/hで、家の中は1.5~2.0μsv/h、土上では、4~4.5μsv/hでした。
住める状態じゃないと感じました。
家へ帰る途中ですが、畜産農家の人が、多分ですが、牛を生きさせる為に
何頭か自由に生きろと、放したのでしょう。
この町は、わしらの町じゃ・・・・・・ウシ・♪ シシシシシ♪ ~♪ ウシと言っているようでした。
本当に、野生化になってしまったのですね。
↓
それにしても、町は、本当に、ゴーストタウーンになってしまた。
人っ子一人もいませんでした。
町の駅jR(常磐線)は、昔、乗り入れの激しかった駅も無人です。だ~れもいません。
今では、雑草がはいています・
↓
家の近くには、常磐線の線路がありますが、今では線路の上に雑草が生き生きとはいていました。
何かむなしいです・・・・・・・・・・
こんな時でも、かわちゃんのガンバッペィ福島は、元気良く更新を続けます。
関川の関所に行ってきました。 箱根の関所とか、福島県は勿来の関所など見てきましたが
ここの(関川)の関所は、ほどほどに凄いです・・・・・・・・
説明によると・・・・・・・
江戸中期、全国53の関所は、重関所と軽関所に分けられ、越後の関所5ヶ所のうち重関所は関川だけでした。これは、この地が加賀藩などの参勤交代や佐渡産金が通過する要路にあったためと考えられ
ます。
関所は幕府の支配をうけ、直接にはその土地の大名や代官が管理しました。関川の関所は、榊原時代には藩士足軽数名と現地採用の郷足軽など10数名が勤務し、
そのなかに常勤の人見女がいましたが、「入鉄砲と出女」の取締りをするために土地の女が選ばれました。
関所の開門は明六つ(午前6時)から暮六つ(午後6時)までで、閉門後は特別の者以外通さず、いわゆる関所破りは死刑になりました。
しかし、関所附近の女が川向こうの野良仕事に出るときは、前もって配布された「女通手札」で通関できました。
幕末になると取締りもゆるみ、明治2年には関所が廃止されました。
ここで通行人を取り締まっていたんですね・・・・・・・・
怖い侍が正面を睨んでいました。関所の代官でしょうか??
今日も元気に、かわちゃんのガンバッペィ福島は、力強く更新をするぞーぉ