旅 ・ 懐かしいもの探しetc

 旅行はあまり有名ではないところをメインに身勝手な感覚で記述し、武漢ウイルス以降はグチばかり・・・

『青べか物語』 の舞台の街

2019年08月29日 | 観光地ではない旅行
黒沢明監督の映画 『どですかでん』 は山本周五郎の  『季節のない街』 を基礎として作られましたがこの舞台となった街の 『横浜・寿町、松影町』 に続いて   ※過去記事は⇒こちら
同じ山本周五郎の名作 『青べか物語』 の舞台だった 『千葉の浦粕』 浦粕は物語の中の街で実際の名前は 千葉県浦安町 (現在は浦安市) を訪れてみました。

東京に近い小さな漁村だった浦安村


伝馬船 (各家庭から集めた肥えを樽に入れて運んだ船)
べか船はもっと小型の人が乗ると船床がベコベコするような船なので 「ベコ船~べか船」 と呼ばれていました

川沿いの漁師の家

焼き玉エンジン。今でも動くそうです (驚)


べか船。これが青ければ 『青べか物語』 の 『青べか船』
山本周五郎が浦安に住んだ時に 「浦安のような田舎の人だから悪い人はいないはず」 という東京から来た周五郎に浦安漁民は純朴そうなフリをして 「壊れたべか船を高価で売りつけた」 というのがコレです


たばこ屋
昔であっても都市部では見掛けない風情です

路地風景は なんとなく分かる気がします

船宿
都会から来た釣り客などには  『ボッタクリ』  は当たり前だったそうです

「やんめ」 売り場
価格を表示せずに地元住民には適価ですが、他所から来た人には暴利をもって販売していたとのことです。

一般民家の庭先風景。 洗濯した浴衣が干してあります

これも一般民家の軒先。廊下の突き当たりが厠って普通の構造でしたね。
用便後の手を洗う水差しと手拭いが微笑ましいです。

室内は、4畳半の畳敷きの部屋に折り畳み式ちゃぶ台と葛籠箱


お寿司屋さん

通りの板塀


板塀に掲げられた映画看板
阪東妻三郎や津島恵子さん? 年代の違いでしょうか? 解りません。

銭湯。各家庭には内風呂  (内風呂という言葉自体が死語ですが・・・)  なんて無かったので、ご近所の人たちは身体の隅々まで裸の姿まで知り合っていました


魚屋
こんな箱に生魚を入れて売っていたのを思い出しました。


あさり 店頭にザル入りで路上に置いて販売

天ぷら屋

店内には作家山本周五郎の説明板

机の上には 「山本周五郎の青べか物語」 に関する 『青べか四方山噺』
お品書きとして目次に浦安の小噺
浦安の狡猾な漁民が都内から来た周五郎に壊れたべか船を高く売り付けた話
浦安は幾度も大火に見舞われています
浦安と市川の行徳地区 (青べか物語では 「浦粕」 「徳行」 と表現されています) では近年まで路上喫煙や裸火を使うと急に殴られても仕方がないというのが常識とされていました。
浦安のおっかあはよく働き、旦那は手近にあって簡単な漁以外は博打と酒・煙草の怠惰な生活者が平均的だったようです
浦安の子供たちは小賢しくて、女の子は幼くても性的なことでお金を稼ぐことがあったようです
山本周五郎は物語の中で 「浦粕」 の実情を暴露してしまったために浦安町に住むことを止めてから町には足を踏み入れないようにしていたと述壊しています
しかし何かの拍子に浦安を訪れると 自分たちの街の悪い所ばかり描かれて怒っているはずの町民がヤンヤの大喝采で周五郎を迎えたそうです。
 当時の町民のレベルは、恥を恥とも思わずに何でも町が有名になって、都会から客が来てお金をボッタクレることが嬉しかったようです。
 周五郎自身が 「町民から石を投げられると思っていたのに大歓迎されて驚いた」 と書いています。

そして今の浦粕町 (浦安市)
※ウキペディアから引用
浦安市(うらやすし)は、千葉県北西部の葛南地域に位置する人口約17万人の市。
国際会議観光都市に認定されている。
千葉県内では佐倉市に次いで第11位の人口規模である。
日本全国813市区中、財政力指数首位を記録する 【これは凄いことです】

県庁所在地である千葉市から約20キロメートルの距離である。東京都の都心から10 - 20キロメートル圏内である。

自然地形としての山や丘は市内に存在しない。築山としては、中央公園に高さ14メートルほどの通称「浦安富士」がある。

現在の浦安市域は昭和中期まで現在市川市の一部となっている旧南行徳町・旧行徳町と一体的に「行徳」と呼ばれていた地域であり、近代以前の当地の歴史についてはこちら及び行徳塩田も参照の事。

1889年(明治22年)4月 - 堀江・猫実・当代島の3村が合併し浦安村に
1909年(明治42年)9月 - 町制を施行、東葛飾郡浦安町が成立。
1947年(昭和22年)4月 - 第1回町長選挙が実施され、宇田川謹二が当選。
1964年(昭和39年) - 海面埋立事業が開始。
1969年(昭和44年)3月 - A地区(海楽・美浜・入船)の埋立工事が完了、営団地下鉄(現在の東京地下鉄)東西線が開通、浦安駅が開業(快速は当初通過)。
1971年(昭和46年)4月 - 漁業権を完全に放棄。
1974年(昭和49年) 8月 - オリエンタルランドの遊園地計画を千葉県が承認。
            オリエンタルランドはディズニーランド運営会社です
1975年(昭和50年) 11月29日 - 舞浜が誕生。
1981年(昭和56年)4月1日 - 市制を施行し、浦安市となる
【初代市長~熊川好生(くまかわ よしお)(1981年4月 - 1998年9月28日)5期  ※浦安町長の頃から数えると8期、29年間首長。体調不良で任期を残して辞職。背の高い頭が良くて人情味のある方でした。】
1983年(昭和58年)4月15日 - 東京ディズニーランドが開業
1985年(昭和60年)11月 - 老人人口比率が全国で最低に。
1991年(平成3年) - 人口113,947人(42,348世帯)
2001年(平成13年)9月4日 - 東京ディズニーシーが開業
2011年(平成23年)3月11日 東日本大震災による液状化現象被災
          3月24日 - 災害救助法の適用を受ける。

浦安の市役所



向かいには広大な整備された都会的な公園も

市立図書館もリニューアル中。浦安に図書館なんてひと昔前は考えもつきません。

隣の市文化会館も立派な建物です

そして、今でも 『青べか物語』 は町民(市民)の誇りのようです。
ひと昔前には浦安に住んでいる人は
『よその人に自分が住んでいるのは 「浦安」 だとは恥ずかしくて絶対に言えない』
と話していましたが、今では誇らしげに 「浦安に住んでいる」 と言う人が増えたのには驚いています。


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