三木市音楽教室告野雅子の音楽日誌

ピアノ・ソルフェージュ・リトミック指導者。時にはピアニスト。日々関わる音楽や心境、感じたことなど気ままに綴ってます。

阪神淡路大震災

2020-01-17 22:25:13 | 日記
1.17
哀悼の意を込めて…黙祷

5時46分…25年前京都で1人暮らしをしてた私(女子高勤め)は、あまりに強い揺れ(マンション4階)に思わず、お母さん地震!と叫んで飛び起きました。←1人暮らしで独身でした…
アップライトピアノは20センチ動き、本棚の上段飾りガラスものは形なきものになり、扉だけあかなくてよかった…本棚の横で寝てましたので。その本棚は今もレッスン室にあります。横に揺れた地区だったようで、養護教諭はマンションの中水浸し…
すぐガス元栓、窓を開け身支度。
すぐ三木市(神戸市の西上の市)の実家に電話つながりました!そして、一旦切ると、もう繋がりません…三木市は屋根まで落ちる新築の隣に、びくともしない築30年だったり…地盤によりかなり違ってました。震災後の実家では、布団を干すと、持って行く方も出て…生きるために必死です。

当時女子高に勤めてたので、
携帯は東京で高校生達も持ち始めたと、職員会議で話して、そろそろ関西やねという状況。ポケベルの時代です。

連絡手段は、自宅電話でしかなかったので、かけ直すこと5分ごに不通になりました。
身支度をした私は、直ぐ勤め先の高校に…道は、トラックや車で大混雑…
授業とならず、安否確認です。
同じ関西でも京都は少し離れた感覚で、
生徒達が関係ないもん…との言葉に、ホームルームで悲しくなり激怒した若い私でした。
変な私は、恩師達にご連絡しました。一週間でやっと繋がりました。神戸の高校だったのですが、幸い知っておられる方の安否は確認できました。凄まじい状態でした。

今は新神戸トンネル出た道に桜が咲くと、涙が止まらない私です。
どうすることもできないのが情けなく、涙が止まらない時も沢山ありました。今も思い出すとただただ涙。当時はこちらに来てくださいとお話しさせて頂くだけでした。

今や京都から三ノ宮まで、1時間。
震災後は、北周りから6時間かかりました。
娘の学校は、神戸。100年の歴史があるので、戦時中の身元確認場所や、安否確認場所や連絡先なども、配られます。

忘れてはいけない震災。合掌

#三木市音楽教室
#告野雅子


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