こんにちは、のほせんです。
桜があやしく散り染めた道を
そっと歩んでゆく心地よさを
つかの間とはいえ、あじわえてすがすがしい。・・
さて、みなさんは桜の季節をどのようにおすごしですか?
すこしおそくなりましたが今回は、「心の病気の現実」についておはなししたいとおもいます。
心の病は、
「なんだか人とうまくやれない」といった一見それほど深刻ではない、
正常な人の悩みのようにみえるものから、
医者から「00性00症候群」などと診断されて、向精神薬を山ほど処方されている人の症状まで、
多様に発現されるものです。
しかし、その「うまくいかなさ」をふくめた “病の根っこ ” のところには、
その人のご両親とくに胎乳幼児期の母親の性格的な影響がすりこまれています。
(以前の「性同一性障害・母型論考」に原理論をくわしく記述しています)
そのほかにも、幼児期に親子が同じ部屋で寝起きしたか?
あるいはなんども転校したか?
片方の親の愚痴をよく聞かされたか? など
子どもの性格形成にとって無意識のうちに負の学習、心の負担がくりかえされてきたことも要因となってきます。
子どもの性格形成すなわち社会にたいする受けとめ方、ものの考え方が
自我の成長の過程でも、その子の根源的な負の学習やゆがんだ母子関係が
かならずといってよいほどさまざまに影響をおよぼすものです。
また、その子の負の影響の度合いによっては
社会、人の輪に理由なく違和や不安緊張を感じたり、反発をいだいてしまうことから、しだいに
じぶんの観念の世界に内向することをよしとしてゆくようになっていきます。
心理カウンセリングでは、
こうした社会への不適応のものの考え方をあらためてゆくための “再学習” が
病理の程度の差がどうあれ、それぞれに必須のことになります。・・・
ただし、社会そのものもいまのあり様をおおきく転換されなければならないわけですが・・・。
-- このまえ映画「路上のソリスト」を観る機会がありました。
いわゆるアスペルガー症候群とみられる青年が
社会からはじきだされ路上生活をしいられるなかで、
二弦しかないバイオリンをゆたかに響かせるかれに魅かれる人があらわれます。
記者だというその人は、
「ときどきおかしくなることがある自分がこわいんだ。」というかれを精神障害者施設につれてゆく。
だが、施設のベテラン責任者は記者の素朴な願いにリアルな言葉でこたえる。
「病名など知っても仕方がない!」
「かれらは皆診断を受けてるが、何の役にも立ってない!」
(記者)-「しかし薬は必要だろう?」
「必要なのは、治療が必要と宣伝する人間の方だけさ。」
これが米国精神医療の現場であり、“ほんとうのこと ” なのだ。
もっとも日本もすこしも違わないだろう。
クスリ漬けビジネスのおいしいお客さんにすぎないようだ。
このロサンジェルスの施設のまだしもよいところは、
過剰な治療をせず、すくなくとも個々の孤立を防いでいる点にある。
重度の人でも過剰な介護を廃し、できるだけ好きなスタイルのままにすごさせていることが救われるところだ。
とりあえず現実にいま、何より大切なことは、
周囲の者だれもが、“ たがいにどんな相手をも受け入れてゆく ” ことによって、
すこしでもおたがいの孤立を防ぐことで安心を得、
生き難さにさいなまれる心の病をやわらげることであろう。
心の病から解放される前提には、もっともっと
おたがいの個の尊厳を確認しあえる社会の成熟がもとめられる。・・・
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