( 虐待の根っこに病としての親子密着がある )--
こんにちは、大木です。
のほほんとしているうちに、正月も過ぎてしまいましたが
みなさんは、いかがおすごしでしょうか?
今朝も寒のもどりで 空気が冷たいですね。
それでもこの辺りの冬は 関東以北とちがってずいぶんしのぎよい。
桃の枯枝にさした蜜柑をめざして ことし二度目のつがいのメジロが飛んできました。
あたりを気にしながら 旨そうに蜜柑をついばんでいます。
ヒヨドリがやって来ぬ間の ランチタイムというところでしょうか。
-- さて、この国のマスメディアでは連日のように、
「女子児童虐待死」の報道がなされています。
たいへんに残念な結末に胸が痛みます。・・・
日ごろウソくさい、識者や報道関係者や芸能人までが
「 なぜ? 助けられなかったのか!」と
学校教員や当該担当職員らに疑問を投げかけています。
たしかに不思議なほどに、女子児童は見捨てられたようにおもわれます。
事実かかわった大人のすべてから 彼女はほんとうに見捨てられた。・・・
「なぜなんだ?」--
それはすなわち、
お役人仕事の「常道」に照らしただけのマニュアルどおりのやっつけ仕事だからだ。
文字づらから直解するだけの対応で、
表面的なツジツマさえ合っていれば、
あえて親側と事を荒げることはしないで済むと、かんがえたわけでしょう。
少女のまなざしや表情をみれば
真実がどちらにあるのか、気づくはずだが?
誰も彼女の苦悩に真摯に向きあおうとしなかった、
「なんとしても救い出そう!」と 行動しなかったということでしょう。
じぶんたちの職務が何なのかを、まるで分かっていないかのような当事者たち。
「そこまでしなくても、いいかー」といった日頃の00根性によるのか?・・・
もっともかれらは「いつものふつう」の対応だとおもっているだろうが
どうみても命にかかわる「不作為」というか、「サボタージュ」行為とみるほかないだろう。
もとから人でなしの政府が出てきて、どうとり繕おうと、はなしにならない。
ただ、たしかに言えることは、
当事者たちには 「虐待」ということの「本質」が
まったく視えていない、理解できていないということだ。・・・・・
(次回につづきます。)
................................................
あなたの推薦クリックを今回もよろしく願います! へ!
みんないったいどうしたのー?
担任は何してたの?
だれもが「そちらにおまかせ!」って、
やめちまえー!