その出漁の際唄われた唄だという。
漁場に向かう船の上で唄われたのだろうか。
船に乗り組むヤン衆たちの、その音頭をとるひとを”波声”と呼んだそーな。
その波声船頭の唄によって櫓をたくみに使い分け、ヤン衆たちの疲れを癒し活力を保持し、船のスピードを上げることもできたという。
いろいろな漕ぎ唄があり、たくさん知っている人物が良い波声船頭とされ、その船頭しだいで漁獲高も決まったとか。
この曲は比較的ゆっくりした調子なので、漁が終わった帰りにうたわれた唄ではないかと言われているそーな。
たぶん、もっと早い調子の唄もあるのだろう。
もちろん私は民謡初心者なので、これしか知らないのだが。
民謡教室で先生の指導を受けながら唄っていると、屈強な男たちの乗り組むニシン船に乗っている気分になる。
その昔ニシン漁でにぎわった豊穣の海が、目に見えるような気がする。
ある民謡関係のサイトでは、こう説明されている。
海のふねは船で、舟は川にうかぶもの・・・とか。
つまり、舟漕ぎ流し唄に出てくるヤン衆たちが乗り組み船も、もしかしてサッパ舟のような波間に漂う木の葉のような船だったのかもしれない。
荒れ狂う北の大海原へ、そんな小さな船をこぎ出していく男たち。
周囲の山々には雪があり、やませの冷たい雨が降る船のうえなのだ。
しかし家で待つ家族を養うため、懸命に働いたのだろう。
ヤン衆たちの、そんな熱い息吹が感じられる一曲だ。
ついつい、唄に必要以上に力が入ってしまう(笑)
だいいち、始めの掛け声でとちってしまった。
ヤーセーノ ヤーセーエェ・・・というところを、ヤーセーノ やぁ~ああセと唄って先生に叱られた。
「そご、違うでば!」
なんとなく、剣舞を習い始めた若いころの記憶が戻った。
歳を取り図々しくなった今となっては、無性に懐かしく新鮮な気持ちだった。
つまり若返る(笑)ことができるのだ。
民謡は大きな声を出し、横隔膜を使うので健康にはすこぶるよろしいとか。
ずっと続けようと思う
