民謡の先生からだった。
「えがったら、手伝ってくれ。」
とのこと。
新入りの私なので、さっそく駆けつけねば・・・
ぞうきんがけはもとより、雑事は率先して引き受けるのは当然のこと(笑)
ということで、さっそく車で待ち合わせのコンビニに向かった。
駐車場では、先生の個人所有だというアンプやスピーカーを満載した軽トラが、のんびりと待っていた。
と、思ったら先生はすぐに走り出し、私はあわててそのあとを追いかけた。
しばらく行くと、ほどなく田んぼに囲まれた空き地に着いた。
空き地だと思ったが、なにやら建物があり、そこには自動車整備組合・・・という文字が見えた。
どーやら空き地と思ったのは、事務所前の駐車場のようだった。
そこには、すでに尺八の先生も到着されていた。
「お、来たな。」
と、笑顔を向けるその足元は、サンダル履きだった。
目の前には大きなトラックが停めてあり、その荷台のゲートを開けると、よく見かける臨時のステージに早変わりするようだった。
その晩は、会員の家族向け(?)納涼会ということで、私たちは踊りの団体とともにお座敷がかかっていた。
準備が終わると休憩ということで、午後4時半再集合となった。
昼食を終えやがて時間通りに現場に戻ると、にわかステージではミキサーマンが調整に余念がなかった。
「尺八持ってきたか?」
と、くだんの尺八の先生。
「いや、私は舞台の上など、まだ・・・」
と、いちおう遠慮したが「な~に、せっかく椅子なども準備したんだから・・・」とのお言葉に甘えて、図々しくもリハーサルから加わることにした。
そろいのTシャツを渡されたので、その場で着替えた。
やがて、浴衣をお召しになった歌手さん(実は先輩女史。ほか1名参加)も到着、本格的に音だし。
エアコンが効いている控室(事務所内部)は快適だったが、外は蒸し暑くお祭り照明にはわんさと羽虫が群がっていた。
まだ明るい午後6時開演で、乾杯と同時に演奏を始めた私たち。
終わり頃、会場にようやく明かりが映える夜がせまってきていた。
緊張する間もなく、ステージはあっという間に終わってしまった。
その後踊りの会の皆さんのステージが、延々午後8時過ぎまで続いた。
私たちは、つまり前座?
いずれ、演奏後椅子やマイクスタンドなどは舞台から降ろしたが、アンプやミキサー照明などそのほかの機器はそのまま使用していたので、踊りの会が終わるまでそれらをかたずけられない私たちは、つまり生ビールはおあずけというわけだった。
もっとも私らは遊びに来たわけではなく、一応”仕事”で来たわけだが。
唄や踊りで宴たけなわだったが、意外にも早めの中締めで午後9時前におひらき。
ようやく私らも本格的に撤収作業にとりかかった。
その後の慰労会で、民謡の先生や先輩方から思いがけなくお言葉を頂戴した。
「初舞台、おめでとう。」
今年1月ごろからお世話になり、たしかにコンクールなどでは僭越ながら1~2度ステージで唄わせていただいた。
が、舞台での尺八吹奏は、たしかにこの日が初めてだった。
ただ尺八を吹きたい一心で門をたたいた民謡教室ではあったが、公の舞台での演奏は遠慮していた。
民謡の先生が「1曲だけでも、吹いてみっか?」などと勧めるのだったが、なにしろコンクールなんだし「唄に集中します!」とか言って辞退していた。
内心は吹きたくてしょうがなかったのに・・・。
つまりこの夜私にとっては、念願かなっての文字通り初舞台だったのだ
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あさがた
おばらあつひろ
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