森の中の恍惚

野山が笛を吹いている

When words leave off music begins.


京極かねよ de リトライだお!

2019年05月29日 | 1/7,726 

昨年は臨時休業で「鰻だお!」といかなかった六角通の『京極かねよ』さんですが、今年はHP回復できるでしょうか !?


おみごと! 「きんし丼」だお。

・・・・・・と、一年越しの鰻を味わったところで、今年の京都1日めは静かに終わるのであった。


■京都だお 2019 1日め
 新京極 再び
 たらたら坂から三条大橋
 伏見稲荷大社
 東丸神社
 伏見神寶神社
 参道茶屋のあまざけ
 いなりふたばの豆大福
 柚子でんぼ
 楊枝のお加持
 京都BALの丸善
 京極かねよ de リトライだお!


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京都BALの丸善

2019年05月29日 | 1/7,726 

「七条駅」から祇園四条、「河原町通り」を上がっていって........『私が最後に立ったのは丸善の前だった。』 しかし、今は「憂鬱」よりも「空腹」なので、とりあえず六角通『京極かねよ』さんで鰻だお!


■京都だお 2019 1日め
 新京極 再び
 たらたら坂から三条大橋
 伏見稲荷大社
 東丸神社
 伏見神寶神社
 参道茶屋のあまざけ
 いなりふたばの豆大福
 柚子でんぼ
 楊枝のお加持
 京都BALの丸善
 京極かねよ de リトライだお!


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楊枝のお加持

2019年05月29日 | 1/7,726 

「伏見稲荷」から京阪本線、「七条駅」でちょっと寄り道です。


大和大路七条

蓮華王院本堂(三十三間堂)

 現在は天台宗妙法院の管理になるお堂で、正式には蓮華王院と言い、長寛二年(一一六四)鳥部山麓(現・阿弥陀ヶ峯)にあった後白河上皇・院政庁「法住寺殿」の一画に平清盛が造進した。一度、焼失したが、直に復興に着手し文永三年(一二六六)に再建。その後、四度の大修理を経て七百五十年間護持されている。
 長大なお堂は「和様入母屋本瓦葺」で、南北に百十八メートルあり、お堂正面の柱間が三十三あることから「三十三間堂」と呼ばれ、堂内には丈六の千手観音坐像(国宝)を中央に千一体もの観音像(重文)と共に風神・雷神、観音二十八部衆という三十体の仏像(国宝)が祀られている。境内の太閤塀と南大門は、豊臣秀吉ゆかりの建造物(重文)で、毎年正月に行なわれる「通し矢」にちなむ弓道大会は、京都の風物詩になっている。
京都市


修学旅行の定番ですね。今日もたくさんの学生さんたちのグループが多く来ています。


堂内は撮影NGなので外観を........。


ここでの目的「三十三間堂の特製三角楊枝」。毎年1月に行われる法要『楊枝のお加持』に由来する「楊枝(やなぎ)」を現代の歯を守る道具に進化させたという優れもの。そのうえ1個100円とリーズナブルなお値段ですね。

 三十三間堂は平安時代の終わりに建立され、ご本尊の千手観音さまはその手に諸病を除くという楊枝(やなぎ)を持っています。
 また、毎年正月の十五日に一番近い日曜には「楊枝のお加持」が行われています。
 この法要は、当院を開かれた後白河法皇の頭痛平癒にあやかる霊験あらたかな行事で、七日間祈願した法水を『人の熱悩を除く』といわれる霊木・楊枝で参拝者にふりかけ、無病息災のご利益を授けるという修法です。
また、仏教ではお釈迦さまが弟子たちに楊枝を奨めたとされ、『禍の門』といわれる口中の毒気を除くことにより、心の中まで清浄になるのだと教えています。
 昔から歯の健康=心身の健康ということが明らかだったのです!
三十三間堂「特製楊枝」


開くと「三角ようじ」の利点が載っていて、なんかリアル。「北海道白樺使用 日本製」とありますが、........楊(やなぎ)じゃないんだ!?


中身はこんなかんじ。残念ながらおみくじは入っていなかった........。


■京都だお 2019 1日め
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 参道茶屋のあまざけ
 いなりふたばの豆大福
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柚子でんぼ

2019年05月29日 | 1/7,726 

「伏見稲荷大社」神幸道入口から少し上がったところ、歴史ある伏見人形の窯元「丹嘉(たんか)」さんとなります。


「稲荷山の土を田畑に入れると、五穀豊穣のご利益にあやかれる。」から発展したという『伏見人形』。農業を営むものとしては、ぜひぜひと「土産にするなり」ですね。代表的な「饅頭喰い人形」もいいですが、やはり丹嘉さんの『柚でんぼ』がほしかったのでした。

 天下に有名な伏見人形は稲荷山の植土を以て造った最も古い郷土玩具であります。
 全国で九十余種以上ある土人形のなかで、伏見人形の系統をひかないものはないといはれるほど我が国土人形の元祖であり、民俗的な美しさを誇っています。即ちその起源はむかしむかし土師部(はじべ・土でいろいろなものを造る人)は歴史に名高い野見宿称(ノミノスクネ)の後裔にあたる土師氏が統轄して土器を造っておりました。垂仁天皇の時代に朝廷より土師職に任命されまして、伏見深草の里に住んで土器、土偶(土人形)を創りだし茲に生まれたのが伏見人形であります。稲荷大社の祭事に使われる耳土器をはじめ、お使姫のお狐さんや饅頭喰い、チョロケン、玉、でんぽ等、お馴染み深いものなど現在残っている原型、土型は三千種余り、往事の風俗、伝説を人形に表現したものが殆どで着想の飄逸、奇抜、ユーモアに富んだ面白さ、豊かな味、そしてその一つ一つににじみでている庶民的な素朴さ、今はは外国の人々にまで親しみをもたれています。

 一休禅師の歌に
西行も牛もおやまも何もかも 土に化けたる伏見人形


■京都だお 2019 1日め
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 伏見稲荷大社
 東丸神社
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いなりふたばの豆大福

2019年05月29日 | 1/7,726 

「伏見稲荷大社」ホッコリ甘いものもう一つは、神幸道入口鳥居をちょっと上ったところにある和菓子店「いなりふたば」さんの『豆大福』です! これは外せませんね。もう一つは『いちご大福』でした。


■京都だお 2019 1日め
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参道茶屋のあまざけ

2019年05月29日 | 1/7,726 

「伏見稲荷大社」神幸道(裏参道)石畳の真ん中にある甘味処『参道茶屋』さん。お山めぐりの帰りにはホッコリ甘いものがありがたい。


今回はこの『あまざけ』がお目当て。通販もあるんですが、やっぱりお店でお土産の雰囲気が楽しいですね。ちょっと重いけど........。


■京都だお 2019 1日め
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 参道茶屋のあまざけ
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伏見神寶神社

2019年05月29日 | 1/7,726 

「伏見稲荷大社」奥社奉拝所から根上りの松のちょっと手前の山道を東へ上がって行くと、天照大御神を主祭として稲荷大神を配祠、十種神宝(とくさのかんだから)を奉安するという「伏見神寶神社(ふしみかんだからじんじゃ)」となります。

伏見神寶神社 御由緒略記

御祭神 天照大御神
御相殿 稲荷大明神

伏見神寳神社は我が国最古至尊の神器十種神宝の御守を授け給いて太陽系大宇宙展開の眞理を示し訓へ給う天地の太祖と崇め奉る天照大御神を主祭神として奉斎してあり併せて神器十種神宝が奉安してあります
 広大無辺なる御神霊は万古の昔より今猶新しき生命の本源として差昇な朝日の如く常に顕般の三千世界を照覧されています
 当神社発祥の起源は平安朝初期と伝えられ中古京洛内外圏にも明記される等浮秘修法の縁起も数多く慈母の神様となつかしまれ天地の祖神と崇め奉る御神徳は「光は東方より」世界的なる格言の如く大宇宙の循環の中にありて無限の恵みを御神器を通して示し給い伝承されて輝いているのであります
 心のふるさとでもある神宝とは悟りの鏡理の爾玉愛の力なり
 神宝の御守によりて国土を拓き経営された神々様の故事等神代に於ける御事蹟も多く歴代の天皇が神宝大祈祷の祭義を執行されるなど貴賎の崇敬誠に篤く御神勅御製頌徳の歌文献数知れず今日に及んでおります
 其の間に於いて秘宝とされる等の事あり一般の拝時ができなく成っていましたが慈しみ深き天照大御神の御神意を奉戴し昭和二十余年より遍く世界に十種神宝の御守を顕し御神訓を詳しく御伝え申上ぐると共に社頭に於いても篤志の希望の方に御守を神秘祈祷奉修の上御授け致しております
拍 手

明治天皇御製
 神代よりうけし宝を守にて治め来にけり日の本の國
万葉集古歌
 眞十鏡見ませ吾が背子我が形見
 持たらん時に会はすあらめや


扁額は「神寶宮」


本殿前に掛かる「六根清浄」の額。ちょっと仏教テイストですが、お山のぼりは“どっこいしょ”ですね。

【六根清浄(ろっこんしょうじょう)】
1)六根の執着を断ち、清浄な精神を所有し霊妙な術を修得すること。六根浄。
2)山参りの修行者や登山者などの唱える言葉。

【六根】感覚や意識をつかさどる六つの器官とその能力。眼根(げんこん)・耳根(にこん)・鼻根・舌根・身根・意根の総称。六つの根。 [大辞林 app]


「龍頭社(りゅうずしゃ)」


「天岩戸社(あまのいわとしゃ)」
岩戸隠れ伝説の功労者「天鈿女命」が祀られています。竹製の鳥居ですね。


「布留社」
白菊大神、白髭大神、白竜大神が祀られています。


「大伴家持卿碑」
竹取り物語由縁でしょうか?
 世界の男、貴なるも賤しきも、いかでこのかぐや姫を得てしかな、見てしかなと、音に聞きめでて惑ふ。そのあたりの垣にも、家のとにも、をる人だにたはやすく見るまじきものを、夜は安き寝もねず、闇の夜に出でても、穴をくじり、垣間見、惑ひあへり。さる時よりなむ、「よばひ」とは言ひける。
 人の物ともせぬ所に惑ひ歩けども、何の験あるべくも見えず。家の人どもに物をだに言はむとて、言ひかくれども、事ともせず。あたりを離れぬ君達、夜を明かし、日を暮らす、多かり。おろかなる人は、
「用なき歩きは、よしなかりけり」
とて、来ずなりにけり。
 その中に、なほ言ひけるは、色好みといはるるかぎり五人、思ひやむ時なく、夜昼来たりけり。その名ども、石作の皇子皇子、車持の皇子、右大臣阿倍御主人、大納言大伴御行、中納言石上麻呂足、この人々なりけり。世の中に多かる人をだに、少しも容貌よしと聞きては、見まほしうする人どもなりければ、かぐや姫を見まほしうて、物も食はず思ひつつ、かの家に行きて、たたずみ歩きけれど、甲斐あるべくもあらず。文を書きてやれども、返事もせず。わび歌など書きておこすれども、甲斐なしと思へど、霜月、師走の降り凍り、水無月の照りはたたくにも、障らず来たり。
 この人々、ある時は、竹取を呼び出でて、
「娘を、我に賜べ」
と、伏し拝み、手をすりのたまへど、
「おのが生さぬ子なれば、心にも従はずなむある」
と言ひて、月日過ぐす。かかれば、この人々、家に帰りて、物を思ひ、祈りをし、願を立つ。思ひやむべくもあらず。さりとも、つひに男逢はせざらむやはと思ひて、頼みをかけたり。あながちに心ざしを見え歩く。(竹取物語「五人の貴公子」)

伏見神宝神社

 当社は、稲荷山を背にする古名丸山(笹山)に鎮まる社である。天照大神、稲荷大神、十種神宝を祀り、社名神宝は、神授十種神寶に由来する。
 祝詞に「布留部由良由良、玉響かして死れる人も反りて生きなん」とあり、神山に抱かれ、五体に宿る魂魄を振り起す神徳を見いだす鎮魂の神社である。
 神域には縄文弥生を彷彿とさせる磐境、神明造の社、竹の神明鳥居、叶え雛と称する願掛雛かぐや姫絵馬が献じられ、丸山笹論の天井に深草産竹墨による天地自然を表す象形文字画月の座と題する螺鈿漆屏風、中世まで存在した社を描く屏風、拝殿に深草憧憬絵、記紀に神語る墨書天井、神殿に源平盛衰記(十四世紀)に語る草童人形、竹取りの迦具夜姫大土鈴、陽炎を表す鏡があり、事物共に自然なる営みを表し、風水の循環を見立る狛龍、磐境、磊が在る。この社にも応仁の乱後笹群磊磊と化したが、昭和三十二年(一九五七)社殿が蘇った。竹の下道に沿う最中伊笹群竹浅黄清々しい静宮である。
京都市


御朱印をいただきました。


この伏見神宝神社前の山道は、山頂(一ノ峰)まで続く「竹乃下道」と呼ばれる山道となっています。


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東丸神社

2019年05月29日 | 1/7,726 

「伏見稲荷大社」外拝殿の南側の鎮座する、学問向上、受験合格の神「荷田東丸命(かだあずままろのみこと)」を祀る『東丸神社(あずままろじんじゃ)』です。

東丸神社由緒略記

祭神 荷田東丸命(かだあずままろのみこと)

祭神荷田東丸(春満)大人(うし)は、寛文九年(一六六九)正月三日この地に誕生、本名は羽倉信盛と申し幼少より歌道並に書道に秀れ、長じては国史、律令、古文古歌、さては諸家の記伝にいたるまで独学にて博く通じ、殊に内容の乏しい形式的な堂上歌道を打破して自由な本来の姿に立返らしめんとしました。元禄十年廿九才の時から妙法院宮に歌道の師として進講されましたが、大人は当時幕府が朱子学を政治の指導理念としていたために、書を学ぶ者皆極端に漢風にのみ走るをみて、古学廃絶の危機にあるを憂え、古学復興こそ急務であるとして

 われならで かけのたれをの たれかよに あかつきつくる こえゑをまつらむ

の一首をのこして、文化の中心たる江戸に下向されました。江戸在住の間、大人はあえて師を求めず、日夜独力孜々として研鑽、傍ら門人達に古学を講じましたが、その卓越せる学識は世に聞え高く、享保七年将軍吉宗は、大人の名声を聞きつたえ幕府の蔵書閲覧をことごとくたのみましたので、大人はその間違いなどを訂正し不審の点は細かく説明されました。その後も吉宗将軍より建議並に百般の書籍の推薦検閲の特権を与えられ偽本の跡を絶たれました。享保八年錦衣帰郷された後も、日夜研究著述を旨とされる傍ら賀茂真淵など門人多数に講義されておりましたが、古学普及のためその宿願たる倭学校を東山の地に創建せんとして幕府に提出すべく「請創造倭学校啓」を著されましたが志もむなしく、享保十五年病を得、ついに元文元年七月二日、六八才をもって帰天せられました。大人病むの報一たび吉宗将軍の許に達するや、将軍より度々秘薬を贈られました。東丸大人には著書が夥しくありましたが、そのうち研究の未だ足らざるものを残すは却って後世に災いありと学者的良心から、その臨終に際し待床の童子に命じて手近なものは焼かしめられましたが、今なお神祇道、日本史、律令、格式、有職古実、歌学及び語釈に関する遺著及び遺墨が多数残っています。されば大人の学徳を偲ぶ有志の人々相寄って荷田旧邸の一部であるこの地に社殿を創建し爾来、「学問守護」の神としてひろく崇敬されることとな りました。

東丸大人と赤穂義士
東丸大人の逸話のうちで、江戸在住中多数の門人に古典古学を講じておられました。吉良上野介もまた教えを受けた一人でありましたが、大人(通称羽倉齋)は彼の日頃の汚行を見聞するに及んで教えることをやめられました。たまたま元禄十五年に以前から親交のあった大石良雄の訪問をうけ、その後堀部弥兵衛同安兵衛、大高源吾等とも交わり、吉良邸の見取図を作り大高に与え、十二月十四日吉良邸に茶会のあることを探って赤穂浪士を援助したこともありました。
 なお当社は御祭神の邸跡の一部に建っていますので伏見稲荷大社と境内が隣接していますが別の神社であることを御承知ください。
(Resource: 案内板より)



遠祖を祀る「荷田社」と御神像を祀る「春葉殿」


御朱印をいただきました。


■京都だお 2019 1日め
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伏見稲荷大社

2019年05月29日 | 1/7,726 

古都京都を代表する観光地となった、稲荷神社の総本社「伏見稲荷大社」。稲荷神を産土とする者としては、混雑覚悟でいざ稲荷山です。........三ツ辻までだけど。

楼門(ろうもん)
 構造 入母屋造 檜皮葺
 建立 天正17年(1589)

南・北廻廊 二棟
 構造 切妻造 檜皮葺
 建立 江戸時代中期

この建物は、天正十六年(一五八八)六月、豊臣秀吉が母大政所の病気平癒を祈願し、本復御礼の奉加米をもって、翌年再興されたのである。その後、元禄七年(一六九四)、社頭拡張時に西方へ五間移築し、前方の石段が造られ、その時それまで築地塀であった南・北廻廊が絵馬掛所として新造された。
昭和四十八年(一九七三)の楼門解体修理の際、再興当時の墨書が発見され、当社の中では本殿に次いで古い建築である。


随身像(左大臣・右大臣)


外拝殿(げはいでん)




「東丸神社」




本殿(内拝殿)
御祭神

宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)
佐田彦大神(さたひこのおおかみ)
大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)
田中大神(たなかのおおかみ)
四大神(しのおおかみ)

権殿(ごんでん)

構造 五間社流造 檜皮葺
建立 寛永12年(1635)

この社殿は、『明応遷宮記録』(1499)によると『御殿ノ北ニハ仮殿 若宮ト云也是ハ遷殿トテ本社造営ノ時、此宮ヘ御ウツリ也 為其仮殿ト申ス也』とあり、この頃には建立されていた様である。
現在の建物は、寛永十二年(1635)に再建されたもので、昭和三十四年(1959)に東北側に移築された。


権殿脇の石段を上がると玉山稲荷社(たまやまいなりしゃ)
大社から宮中鎮守の役で出向されたが、明治維新の東京遷都によりお役目を終え、大社に戻って来たという「玉山稲荷大明神」をお祀りしています。


白狐社、奥宮へ
奥宮(おくみや)

 御祭神 稲荷大神
 例祭日 一月四日 午前十時
 構 造 三間社流造 檜皮葺
 建 立 天正年間(1573~1592)

この社殿は、本殿と同様の流造で建てられ、摂社でも末社でもなく稲荷大神を祀ることから、他の境内社とは別格の社である。『長禄三年(1459)指図』には「命婦」として記され、存在が確認できる。『明応遷宮記録』(1499)には西側に八間の廻廊があったことが記されているが、この廻廊は現存していない。
現在の社殿は天正年間に建立されたもので、元禄七年(1694)に修復された。
末社 白狐社(びゃっこしゃ)
 御祭神 命婦専女神(みょうぶとめのかみ)
 例祭日 一月四日 午前十時三十分
 構 造 一間社春日造 檜皮葺
 建 立 寛永年間(1624~1644)
この社殿は、稲荷大神の眷族を祀る唯一の社で、古くは「奥之命婦」「命婦社」とも称された。元禄七年(1694)までは現在の玉山稲荷社あたりに祀られていた。



さあ、千本鳥居へ


千本鳥居(右側通行)


奥社奉拝所
御朱印をいただきました。


奇妙大明神(根上りの松)
「根上りの松」という松の木を御神木とする拝所となっています。

根上りの松

根上りの松は一方の根が地表に持ち上がっている形状から、往古より『根上りの松』と呼ばれ不思議なご神徳があると伝えられています
商売をする人 特に証券会社や株に関係する人々からは 値(根)が上がるのを待つ(松)と言われ 縁起が良い松として篤い信仰を得ています
又 素朴な庶民の信仰として 持ち上がった松の根が 人々がひざまずいてお祈りする姿に似ていることから『膝松さん』とも呼ばれ 松の根本をくぐったり 木の肌を撫で身体の痛むところを撫でると 腰や膝の痛みが治るとも言い伝えられています




ちょっと寄り道。「伏見神寶神社」(かんだからじんじゃ)




熊鷹社手前のお塚群
お塚の名前を見て回るのも面白いですね。


熊鷹社(くまたかしゃ)
和ろうそくをお供えするという、仏教テイストな熊鷹大神です。


三ツ辻までやってきました。一ノ峰まで行きたいところですが、いろいろあって今回はここから裏参道のお塚を回りながら下ります。


白狐社(白狐大神、口入大神)


毎日社(毎日稲荷大神)


明竹稲荷宮(ひろたけいなりのみや)・腰神不動明王
御朱印をいただきました。


荒木神社
御祭神
荒木大神(あらきおおかみ)
白砂大神(しらすなおおかみ)
荒玉大神(あらたまおおかみ)


口入稲荷本宮(口入稲荷大神)
「口入(くちいれ)」とは「仲人」の意味


末廣大神の狛蛙


真ん中の空いた鳥居「出世門」
1996年(平成8年)に建てられたもの。


産場稲荷社(さんばいなりしゃ)
(十二祠御産場)


戻ってきました........。ほぼ2時間半でした。


御朱印をいただいて、神幸道(裏参道)を京阪線「伏見稲荷駅」まで戻りましょう。


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たらたら坂から三条大橋

2019年05月29日 | 1/7,726 

今年の京都は新京極「たらたら坂」から始まった。


そして三条名店街商店街。


高瀬川を渡った木屋町三条には、悲劇の死をとげた豊臣秀次とその家族を供養するために建てられたという「瑞泉寺(ずいせんじ)」があります。

瑞泉寺(ずいせんじ)

 慈舟山(じしゅうざん)と号し、浄土宗西山禅林寺派に属する。豊臣秀吉の甥、豊臣秀次一族の菩提を弔うため建立された寺である。
 秀次は、秀吉の養子となり(※秀次の母「とも」は秀吉の実姉)、関白の位を継いでいたが、秀吉に嫡男秀頼が生まれてからは、次第に疎んじられ、文禄四年(一五九五)七月、高野山において自害させられた。
次いで、八月、秀次の幼児や妻妾たち三十九人が三条大橋西畔の河原で死刑に処せられた。遺骸は、その場に埋葬され、塚が築かれ石塔が建てられていたが、その後の鴨川の氾濫などにより次第に荒廃した。慶長十六年(一六一一)、角倉了以が高瀬川の開削中にこの墓石を発掘して、墓域を再建するとともに、その地に堂宇を建立した。これが当寺の起こりで、僧桂淑を開基とし、寺号は、秀次の法号、瑞泉寺殿をとって瑞泉寺と名付けられた。本堂には本尊阿弥陀如来像が安置され、寺宝として秀次及び妻妾らの時世の和歌を蔵している。また、境内には秀次の墓及び幼児・妻妾や殉死した家臣らを弔う四十九柱の五輪塔がある。
京 都 市

※瑞泉寺の創建から四年後。慶長二十年(一六一五年・元和元年)大阪城が落城して秀頼と淀君は自害し、豊臣家は滅亡した。


殺生関白とも呼ばれた豊臣秀次の切腹事件については諸説あるようですが、鴨川を真っ赤に染めたという「三条河原の公開処刑」の事実がこの寺によって伝えられています。現代の世にあっては、同様の出来事が起こらないことを願うばかりです。


そして、現在の三条河原(西岸)。「平成30年7月豪雨」呼ばれた氾濫被害による修復工事が行われています。

:その後、この三条大橋付近に野生の鹿が現れたとニュースで流れました。残念ながら上流付近ということで、こちらは逆でしたね。まったく気がつきませんでした........。


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