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飴細工 寿庵 (じゅあん)

飴細工のイベント 
作る体験など
詳しくはホームページにて
記載されております

坂上田村麻呂~大阪摂津の平野あめ~大阪夏の陣~千歳飴、想像も出来ませんでした

2024年12月29日 16時34分53秒 | 飴細工関連歴史

1582 太閤秀吉も口にしたといわれる大阪摂津の「平野あめ」や
   京都東福寺門前の菊一文字屋の飴が江戸で"下りあめ"として大いに評判を呼んだ。
1592年 創業 新潟(上越)栗飴 翁飴 笹飴 大杉屋惣兵衛が2024年1月末であめ製造を終了
1657年 創業 京都市西京区の飴店「桂飴本家 養老亭」が2014年 閉店
かつらあめ、の由来はとっておき京都プロジェクに載っていました
1688頃から浅草寺境内で「千歳飴」当初は「せんざいあめ」と言われ売り出されて人気を博した。
これは大阪夏の陣で豊臣方に敗れ浪人となった平野甚左衛門の子
甚九郎重政が流れて江戸に出てきて飴屋となり考案した。との説もある
平野甚左衛門氏はなんと坂上田村麻呂氏の子孫で今の平野区の由来になっていたとは歴史は繋がっているもんですね

今になってこちらのページを発見2024年12月29日
私の調べていた事の多くがココに書き込まれていました
「今日のことあれこれと・・・」
今迄に書き込んできた事
今後書き込む予定の事
ほぼ近いです先人恐るべし完敗

飴の記事を書き込んでいると飴が食べたくなり
偶然にも、のど飴の日で紹介されていたカンロの那智黒を食べながら
書き込んでいました
完全に私事ですが長年にわたり好きな飴は
黄金糖、不二家ミルキー、江崎グリコ キャラメル、北海道バター飴、那智黒
夏は超ハッカ系 
(佐久間製菓)サクマ式ドロップス好きでした

たまに自分で作った飴細工を割って食べる事もあります

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飴細工と似て非なるもの有平細工

2024年10月17日 11時42分46秒 | 飴細工関連歴史

安土桃山時代、織田信長と豊臣秀吉が活躍した1573年~1603年頃の甘味
有平糖の歴史 
有平糖は、織田信長の全国制覇を目指す室町時代に、ポルトガルから送られた宣教師によって初めて
日本にもたらされました。 この新たな菓子は、南蛮菓子と呼ばれ、
大名たちに贈られる献上品として高く評価されました。 
その名称の由来はポルトガル語で「砂糖菓子」を意味する
「alfeloa(アルフェロア)」から来ています。

有平糖の歴史や有平細工と日本の飴細工の違い等
説明が書かれております
Kanro https://www.kanro.co.jp/sweeten/detail/id=3406
別の記事では1800年頃 有平細工(アルヘイ細工)として最盛期を迎えた
との記述も有りました

フランシスコ・ザビエル写真
神戸市立博物館https://www.kobecitymuseum.jp/

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カステラも好きなのですが飴細工とは

話が大きくそれるので、避けました

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1500年位には能登地域で庶民の間では水飴が作られていました

2024年10月06日 09時10分43秒 | 飴細工関連歴史

戦国時代や山城国一揆、加賀の一向一揆の時代
能登の米飴(じろ飴)
米もやし、麦もやし(麦芽)に米や粟などを加えて発酵させ、しぼり汁を炊いたものです。
松波米飴」は米を長期保存する意味もあって能登町松波地区に500年前から作られ、
貴重な砂糖の代わりとして各農家での自家需要の他に縁日などでも販売されていました
https://www.yokoishoten.com/
横井商店

写真  慈照寺(じしょうじ)銀閣寺(ぎんかくじ)
https://www.shokoku-ji.jp/ginkakuji/gallery/

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不確かな説

2024年10月05日 10時45分19秒 | 飴細工関連歴史

796年 教王護国寺(東寺)建立の際、唐から職人が来て居残った方が飴細工を作り
広めたとの説が有りますが、
不思議なのが1750年近くに飴の鳥(飴細工)と記載される迄の
約900年間、飴細工に関する文献が全く見当たりませんので
こちらでは、取り上げておりません
空白の約900年間,何かしら飴細工らしき文面等で紹介されているのが有れば
新発見になるのですが
西暦800年辺り、砂糖は遣唐使などが船で持ち帰る貴重な品で、とても庶民に手の届くものではありません。
砂糖の作り方や歴史も紹介されておられます
精糖工業会
https://edu.seitokogyokai.com/contents-4.html
東寺写真(教王護国寺)
https://toji.or.jp/history/

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地黄煎じおうせん(飴)訛って、ギョウセン飴→ちゃうせん飴→朝鮮飴

2024年09月25日 10時51分51秒 | 飴細工関連歴史

地黄煎(じおうせん)糖粽(とうそう)糖粽売(あめちまきうり)


飴の歴史を調べると
私がほぼ毎年お参りに行く大神神社とも飴は少なからず関連していたとは
糖粽とは如何なるものか?読み進めると
鹿児島の「あくまき」ならイメージが出来ました
地黄煎(じおうせん)も糖粽も
柔らかくネチャネチャしていたと思います

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B3%96%E7%B2%BD%E5%A3%B2

794平安時代、宮中では生薬の「地黄煎(じおうせん)」を飴で練って服用する習慣があった。
やがて地黄煎の入らない水飴も「地黄煎(飴)」と呼ぶようになり
訛って、ギョウセン飴→ちゃうせん飴→朝鮮飴(江戸時代)
見もの・読みもの日記
https://blog.goo.ne.jp/jchz/e/1e7171fa675aff7d202451c7d822b246

地黄煎売(じおうせんうり)
室町時代の《三十二番職人歌合》には
番匠笠をかぶり小さな桶を棒先につるして担いだ地黄煎売の姿が描かれている
コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E5%9C%B0%E9%BB%84%E7%85%8E%E5%A3%B2-1170754

地黄煎(じおうせん)は、地黄(アカヤジオウ)の根を煎じた生薬
およびそれを添加して練った日本の飴
ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%BB%84%E7%85%8E

加賀藩には地黄煎町じおうせんまち(石川県金沢市にあった旧町名)
というところがあって地黄を栽培し地黄煎飴をつくっていた
https://www.kanpoyaku-nakaya.com/mailmagazineno37.html
生薬・漢方薬の中屋彦十郎薬局

あくまき画像
NPO法人霧島食育研究会
https://kirisyoku.com/info/4188.html

ちょっと便利帳 画像
「三十二番職人歌合さんじゅうにばんしょくにんうたあわせ」
https://www.benricho.org/Unchiku/edo-syokunin/09-1494sanjyuniban/

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