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名作レビュー「仏教発見!」_悟りを開いた後、釈迦は何をしたか?

2019年06月02日 | 名作レビュー

講談社現代新書、西山厚著「仏教発見!」を読みました。奈良国立博物館の名物学芸部長だった著者が仏教の歴史や美術との触れ合いを通じて培った「仏教」の教えや魅力の理解を、たとえ話やエピソードを交えて平易な言葉で語った名著です。

  • 釈迦の生涯を丁寧にたどり、都度の釈迦の心の持ち方から「縁起」と「慈悲」に着目
  • 奈良時代から現代まで、日本仏教に大きな影響を与えた6人の僧の話は宗派の個性がよくわかる
  • 筆者が出会った名言も多く登場、読む者の心に和みをもたらしてくれる


筆者は研究者ですが、アナウンサーのようにしゃべりや文章表現が見事な人物です。仏教を愛し、博物館や仏教に関心を持った人に喜んでもらおうと努力した結果到達した”悟り”のようなものを感じます。


筆者の思い出の地、奈良国立博物館

著者の西山厚氏は、日本の仏教美術の殿堂・奈良国立博物館で仏教美術の学芸員として永らく活躍し、平易でわかりやすい語り口で講演やエッセイの執筆に引っ張りだこの人物です。2014年に奈良国立博物館学芸部長を退官してからは、帝塚山大学教授として活躍の場を広げていました。


仏教は生きるものに元気を与えてくれる

「死ぬことはこわくない」というタイトルで序章が始まります。知的障害施設の利用者に向けて著者が依頼された講演のテーマです。

著者は釈迦の話をします。釈迦が臨終を迎えるシーンを描いた涅槃図(ねはんず)の上には白い雲に乗って飛んでくる女性が描かれています。既に亡くなっている釈迦の母です。息子の釈迦が死を悟って自分に会いたくなると思い、母がはるばるやって来るのです。

著者は自分の父の死の際の話もします。父が亡くなる直前に「死んだ母の姿を見た」という話をしたのてギョッとします。いわゆる「お迎えが来た」と死を覚悟しますが、同時に「自分が死ぬとき、大好きだった父が必ず迎えに来てくれる」とも悟ります。

その後話を聞いた施設の利用者からの感想文が届き、著者は感動します。「死ぬのは怖いけど、お母さんに会えるのが楽しみです」と書いてありました。


「縁起」と「慈悲」で、仏教はあらゆるものを”つなげる”

著者は、仏教を開いた釈迦の人生を丁寧にたどることからも、仏教の教えの原点を理解できるよう努めています。釈迦の伝記としても、仏教の経典の教科書としても、とても優れた内容です。

釈迦が悟りを開くことで会得した最も重要な道理は「縁起」だと説明します。一般的に使われる吉凶の前兆を指すものではなく、すべての事象は原因や条件が絡み合って結果に現れるという概念です。釈迦は、この世に存在するものがすべて自分と”つながっている”と考えるようになり、あらゆるものが愛しく見えるようになります。

生き物が死ぬと別の生き物に生まれ変わると考える「輪廻転生」も、”つながり”の考え方がベースになっているのだと感じました。寺社や仏像の沿革を意味する「縁起」も、吉凶の前兆を指す「縁起」も、”つながり”の意味を含みます。いずれも仏教用語がベースとなって使われるようになったのでしょう。

筆者は「悟りを開いた後にどうなったか」という素朴な疑問に着目します。仏教の修行では悟りを開くことがゴールであり、目標を失うことでかえって心が折れてしまうのではと考えたのです。これを「ブッダの挫折」と名付け、釈迦の心の持ち方の重要な転機になったと説明します。釈迦は、行きとし生けるものあらゆるものに「慈悲」の心を向けることで「ブッダの挫折」を乗り越えます。

「慈悲」も、”つながり”を大切にする考えが根底にあると感じます。”つながり”の結果、発生した事象が運命であり、運命に対する「慈悲」の心が、あらゆるものに”救い”を与えるように思えます。そしてあらゆるものに幸せを与えるようになるのです。


仏法の興廃は人による

第4章のタイトルです。仏教はキリスト教やイスラム教のように開祖を絶対的に信奉する宗教ではないことを伝えています。

釈迦は紀元前5c頃の人物です。その頃インドにはすでに文字がありましたが、存命中に自らの教えを記録に残すことを認めませんでした。弟子たちもその考えに従って釈迦の死後も永らく釈迦の教えを記録に残さなかったため、経典として文字に記録されたのはさらに数百年後と考えられています。さすがに記録に残さないと布教に不便だという認識が広がったのでしょう。

釈迦の死後から数百年も経つと、口頭の伝承では様々な解釈や伝わり方の違いが現れます。その時の治世者の都合も加味されるようになり、どれが本来の釈迦の考えなのかよくわからなくなってきます。仏教の経典の種類が膨大なのはこのためです。宗教の開祖としての釈迦よりも、自らの信ずる経典の解釈を訴える各宗派の開祖を信奉する傾向が、日本では生まれてきます。

筆者は、日本仏教に初めてきちんとしたルールを伝えた鑑真を始まりに、宗派の開祖として最澄と法然、中興の祖の中でも最も尊敬される明恵と叡尊、現代仏教の在り方にかけがえのない一石を投じた薬師寺の高田好胤(たかだこういん)の6人を取り上げます。人によって仏教の伝わり方がいかに変わってくるかを解説します。

有力宗派の開祖の活躍を並べたありきたりの話ではなく、各時代の仏教に大きな影響を与えた僧を的確に選んでいるところが注目されます。


心想事成

切に思ふことは必ずとぐるなり。日本ではあまり聞きなれませんが、中国では有名な言葉です。筆者はこの言葉がとても好きだと語っています。仏教が教える縁起や慈悲の概念を深く理解しようとする過程で出会った言葉でした。”つながり”を信じることの大切さを教えてくれる名言です。

私はこの一冊を読む前にフェノロサをテーマにした講演を聞いて筆者に興味を持ちました。プロのアナウンサーのように、とても聞きやすい声でゆっくりと丁寧に話されていました。その際に聞いたお話で強く印象に残り、即時洗脳された言葉があります。筆者は仏像に参拝したり鑑賞したりすることを「仏像にお会いする」と言います。

仏教は仏像/仏画といった視覚で認識する信仰対象が重視されます。キリスト教やイスラム教がより、情報として解釈する経典を重視するのとは対照的でもあります。仏像/仏画は言うまでもなく美術的歴史的価値も併せ持ちます。となると仏像を鑑賞する/参拝する、を区別することは難しくなります。「拝観する」という二つをミックスした便利な言葉もありますが、お役所的で堅苦しさが残ることは否めません。

(見る+拝む)÷2=お会いする。救いと美しさをあわせて伝えてくれる仏様に、敬意を表すとても適切な表現です。公演を聞いてから私も「お会いする」と表現するようになりました。





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講談社現代新書「仏教発見!」
著者:西山 厚
判型:新書
出版:講談社現代新書
初版:2004年11月20日


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