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日本史の勉強している

中国や韓国との歴史認識の相違が問題になっているので、「正しい歴史」を勉強しようと思った。

大乗仏教の特色

2008-06-14 12:57:59 | Weblog
大乗仏教の特色
5.一乗と宥和の思想
 世界宗教と呼ばれるもののうち、ただ仏教だけが「戦争」という手段を用いることなく世界に広まっていきました。仏教には真の宥和と寛容の精神があるからなのです。すでに一神教には、本来宗教的寛容性は無いということを西欧の学者が指摘したことがありますが、あらゆる存在に意義を認めることはさり向かうあらゆる修行や教えに対してもその意義を認め合うことになるのです。
 一乗(エーカ・ヤーナ)とは、唯一無二の乗り物の意味です。仏教では前にも説明したように「教え」を筏に喩えています。教えは衆生を導くための手段として説かれたものであり、教えを絶対視することを戒めているので。教えは真理を知らしめるための「巧みな手段」(方便)」で、その手段は時代背景や、民族の思惟傾向、あるいは教えは真理を理解することのできる能力(機根)によっても様々に変化するからです。
 一乗の思想は『法華経』『華厳経』『勝鬘経』などの大乗経典に説かれています。特に漢訳『法華経』の「三乗方便一乗真実」の成語は、中国・日本では特に親しまれました。声聞・縁覚(以上は二乗=小乗)と菩薩(=大乗)の三乗の教えは、釈尊が衆生教化の方便として説かれたもので、唯一の乗り物(=仏乗)だけが真実であると言うのです。三乗の教えや修行に意義をみとめ、それらはいずれも究極のさとりへと至るものであると言うのです。これによって小乗・大乗の対立を超えた仏乗の世界が説かれるのです。
 『法華経』には、法華七喩といわれる七つの喩があるのですが、一乗を七つの喩の中の「三車火宅」の喩によって説明しています。この場合の「車(ラタカ)」は物語の中では子供たちの遊ぶ玩具の車の意であり、漢訳『妙法蓮華経』では三車を超えた『大百牛車」を一仏乗として立てています。燃え盛る家から子供たちを救済するために、父親が方便をもって彼らの喜ぶ羊車・鹿車・牛車という三種の玩具が外にあることを告げます。遊び戯れ、火が迫ってくるのもわからない子供たちは、父親のことばを聞いて外に走り出ます。彼らが無事に助かったのを知ると、父親は子供たち一人ひとりに立派な「大白牛車」を与えたのでした。火宅は三界(この世)に、子供は衆生に、父親は釈尊にそれぞれ喩えられています。有名な「三界火宅」ということばもこの法華経の譬喩からきているのです。法華七喩にはこの他にも長者窮子喩(信解品第四)などがあり釈尊がさまざまな手立てをもって人々を救おうとされるようすが描かれています。
 一乗の教理は中国・日本の天台宗によってより宣揚されました。伝教大師最澄が比叡山に建てた最初の寺院は一乗止観院と名付けられました『法華経』には『仏性」という語句そのものは登場しませんが、一乗の思想は仏性とも関連しています。
 仏性というのは、衆生が本来有している成仏の可能性を言います。すべての衆生たちが菩薩行を実践することによって、やがて仏となるという考え方は、初期仏教以来の「心性本浄」説や「自性清浄心」の教説と結びつくものなのです。
 『法華経』の一乗思想を発展させた『大乗涅槃経』では、一切衆生の「悉有仏性」(悉く仏性を有す)」を説きました。この仏性は如来蔵の教説として大乗仏教で更に展開していきました。  おわり