(続き)
日本の明治の初めに来日した英国人女性の紀行文で
1878年(明治11年)4月から12月まで滞在。
蝦夷(北海道)にまで、行っている。
原作の題名にもなっているように、
まだ、西洋人には未踏の地であった東北地方へ行くことを計画し、
通訳兼お供を探し、そのお供の日本人男性と二人で北海道まで、
1400マイル(約2240km)にも及ぶ、大旅行をした。
牧師の娘さんだったとかで、半分は布教のためでもあり、
それの下準備的な調査もかねていたのでしょうけど、
来日当時、47歳だったということにも驚かされます。
また、当時の日本は明治維新後の改革期で、先端の技術を学ぶために、多くのお雇い西洋人を入れていた時期だったので、あちこち行きやすかったのかもしれません。
まぁ、凄い田舎へも行くのですから、いろいろと不便があったみたいです。
けど、浮浪者もいず、充分に統治され、治安がよく、
人々は親切とあります。
英国人女性2人で伊勢神宮まで行っても、安全だったとあります。
奈良の長谷寺にも行っているというのにも、感激。
”名残惜しさを覚えた”とあります(^ ^)b
そこから先は、いろいろと複雑なのですが・・・
ネット上でも言われていますが、
日本に来た宣教師的な人達は、悩むのだそうです。
自分達は未開の原住民に、進んだ宗教の福音を与えるつもりなのに、
日本人は、宗教(=この場合はキリスト教ね)がなくても、
充分、道徳的で、わけ隔てなく親切で、治安もよく、何も問題がない。
だから、女史も当時の3400万人の日本人をキリスト教にするのは
難しいと考えた、との記載がある。どうしたらよいのかと牧師さんに手紙で聞いている・・・
やはり布教に来ているというか・・・
「汝あまねく世に出でて神のあらゆる創造物に福音を説け」
という、主の命令文があるそうです。
女史は、日本は宗教心のことも、いろいろと調べています。
(この彼女のいうところの宗教心とは、キリスト教へのことだけをさすみたいですけどね・・・)だから、こちらからみたら、向こうの宗教(=キリスト教)こそはすごいというか・・・
まぁ、とにかく、日本はもうすでに、
宗教がテーブルの上のご馳走であった時期ではなくなっている、
とは、分析されているのですが・・・