ONCC摂津教室 平成29年度第5期生 歴史と文学の”人と心”を学ぶ科

摂津市コミュニティセンターで、若井敏明先生、鈴木明子先生、斉藤恵美先生の先生方が交代で講義していただく教室です。

H29.12.04. 藤原清衡 & 地域交流会 

2017年12月04日 | 日記

午前中は若井敏明先生の『藤原清衡』の講義でした。

内容は藤原三代(清衡・基衡・秀衡)についてです。

①平安時代後期の東北地方

②前九年の役

③後三年の役

④奥州藤原氏とその仏教文化

⑤中尊寺供養願文

⑥奥州藤原氏の実力

 について、パワーポイントの写真や地図、系図などで説明してくださいました。

①平安時代後期の東北地方

 現地豪族(俘因の長)の実効支配・奥州安倍 対 出羽の清原・国司との関係

②前九年の役 事実上は清原と安倍の戦い、

 源氏と清原氏は同盟清原軍が実権を握っていた

 陸奥守源頼義はあまり活躍せず失意のうちに朝廷へ戻る

 厨川橋の陥落により清原氏が台頭してきた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ③後三年の役

 実態は清原家の内紛、陸奥守源義家は清衡側についた。

 義家は内紛(プライベートに介入した)とみなされ朝廷から召喚された

 最終的に得をしたのが清衡であり、藤原氏を名乗ることとなった。

④奥州藤原氏と仏教文化

『吾妻鏡』清衡已下三代造立の堂舎の事、源忠已講・心蓮大法師等これを注し献る

『寺塔已下注文』

  一、関山中尊寺の事;寺塔四十余宇、禅坊三百余なり。清衡在世三十三年の間

     我が朝廷歴・園城・東大・興福等の寺より、震旦(中国)天台山に至る

     まで、毎寺千僧を供養す。

  一、毛越寺の事;堂塔四十余宇、禅坊五百余宇なり、基衡これを建立す。

   藤原氏は平和を金で買っていたが、源頼朝には通じなかった

⑤中尊寺供養願文

  鐘の音が聞こえるところはみな平等、これからは争いを二度としてはいけない

  (実は都から攻めてこられないようにするというのが本音)

  中尊寺は朝廷のために建立した寺であることを強調した。

 

平泉中尊寺  拝観のしおりより

 

⑥奥州藤原氏の実力

 『十訓抄』(二代目基衡の話)基衡は、果敢剛腹な人物として描かれている

 『吾妻鏡』 奥州平泉の藤原氏に匿われている源義経をめぐる京・平泉・鎌倉間の

           駆け引きと、奥州合戦が焦点となる。

          秀衡亡き後、奥州藤原氏の家督を継いだ泰衡は、文治5年(1189)閏4月

           鎌倉からの圧力に耐えかね、とうとう義経を自害に追い込む。

          それでも頼朝泰衡を許さず、泰衡追討の宣旨を待たずに自ら大軍を率いて

           奥州に向かい進発する


  午後からは、地域交流会として各地域のOB会の紹介、さらに教務部準備のDVD

『悲運の后と清少納言』を鑑賞しました。清少納言は二週間前の講義テーマであり

おさらいと補完になりました。


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