ONCC摂津教室 平成29年度第5期生 歴史と文学の”人と心”を学ぶ科

摂津市コミュニティセンターで、若井敏明先生、鈴木明子先生、斉藤恵美先生の先生方が交代で講義していただく教室です。

H29.05.29.「天武天皇と持統天皇」 &「摂津市の歴史」

2017年05月29日 | 日記

午前:若井先生の「天武天皇と持統天皇」の講義でした

天武天皇の事業(功績)として

都城造営 a.飛鳥浄御原宮の位置と藤原京造営(時代を超えて同じ場所に4つの宮があった)

     b.富本銭の鋳造(厭勝銭‥まじないなどに使うもの)とみられたが実用もあった)      

     c.律令制度の整備(日本書紀‥天武天皇を正当化するための書物)

     d.官僚制度の整備(官人の勤務評定)

     e.天皇権力の強化(大化の改新の理想とした八色の姓の制定)

     f.国家仏教の推進(国大寺制<大官大寺・飛鳥寺・川原寺>、薬師寺造営)

     g.歴史書の編纂(若井先生説は「古事記」編纂だったのではないか)

等を上げましたが、いずれも道半ばで本人がなくなり持統天皇の代で成果を見たようです。天武天皇の死後、後継者争い(草壁皇子、高市皇子、大津皇子)が始まった。


午後:⑴摂津市教育委員会事務局 生涯学習課 八田邦敏副主査による「摂津市の歴史」についての、まいどおおきに出前講座でした。摂津市の遺跡や、摂津市に至るまでの町村合併などについて話していただきました「三島市」という名前が一日だけ存在したそうです。

⑵クラスミーテイングがあり、校外学習・懇親会・クラス代表者会議の報告などが行われました。


H29.05.22. 藤原不比等 と 班別見学会

2017年05月22日 | 日記

午前:斉藤恵美先生 藤原不比等

不比等の"人となり"ではなく、業績から話を進められました。

歴代天皇を時代ごとに分け

(1)神武天皇から開花天皇:国家統一を目指す

(2)崇神天皇から安康天皇:安定した国家を目指す

(3)雄略天皇から宣化天皇:有徳の君主の誕生

(4)欽明天皇から天武天皇:仏教に帰依する天皇、有徳の臣下の登場

蘇我蝦夷による擁立➡蘇我氏の滅亡➡中臣鎌足の登場➡大化の改新

(5)持統天皇以降:天皇の主体的政治執行者からの離脱――直系による世襲制への再試行

即位の順序の徹底➡悪政をしない➡有徳無私の臣下の限定➡皇統の流出の防止➡

藤原氏の創出

 と位置付けられました。

 

 そして、不比等の業績として以下の2点を挙げられた。

・律令制定:唐令の模倣(易姓革命)でなく独自の公地公民制を導入

・象徴天皇の創始:国家の頂点に立つものに求められる姿

公正無私と世襲制の一つの答え、万世一系、天皇の主体的政治執行者からの離脱

 


 

午後:班別見学会、わが4班は高槻城跡を中心に散策しました。炎天下約1時間の散策を楽しんだ後に皆で昼食をとりながらいろいろと話し合いをしました。

 

   高槻散策

     高槻城跡                          高槻教会

 

 

 


H29.05.15.中大兄皇子とアサヒビール工場見学

2017年05月15日 | 日記

 

午前:中大兄皇子と乙巳の変 岩井敏明先生

我々世代が「大化の改新」という内容で学んだことが現在では「乙巳の変」と呼ばれているということがまず大前提である。

 藤原鎌足・中大兄皇子のクーデター(蘇我入鹿暗殺事件)が乙巳の変の主な内容であり、

その後の大化の改新といわれる政治改革には中大兄皇子はほとんどその名前が出てこない。改新の詔は公地公民・都の設置(難波の宮)遷都・人口調査・税制の改革が主な内容となっている。

 斉明天皇(・中大兄皇子の母・皇極天皇の重祚)の時代は実権は中大兄皇子にあった。斉明天皇が九州で死亡した後、中大兄皇子は天皇とは名乗らず『称制』(即位せずに政務を執る)により実務を行った。

 


 

午後:アサヒビール吹田工場の工場見学

工場見学の後は待望の試飲会、一人3杯までお替りできました。おつまみ付きでしたがちゃっかりと宣伝もついていました。土産を買って現地解散。皆さん午前中の講義内容は覚えていますか?

 

アサヒビール工場見学

 

 

アサヒビール吹田工場と試飲ビール


H29.05.08.ヤマトトトヒモモソヒメ  

2017年05月08日 | 日記

午前:斉藤恵美先生の「ヤマトトトヒモモソヒメ」の講義でした。

初めて聞く名前ですし「古事記」「日本書紀」でそれぞれ少しづつ違う呼び方だと聞くと余計にこんがらがってしまいます。

 「日本書紀」にはヤマトトトヒモモソヒメについて数カ所の記述があり、女性代表の様ですが、「古事記」においてはたった一度だけ名前が出てくるということです。その理由として、「古事記」における女性についての記載は、

 ①    丹塗矢伝承(ホトタタライススキヒメ)②    苧環伝承(オホタタネコ)に、

代表されるようです。いずれも大物主神の腹違いの娘であるが、その逸話などは面白く聞きました。

また、仮名(ひらがな)と真名(漢字)の表現の違い、日本語は「仮名」が大切であることも説明されました。古代の人の名前の長いのは特に仮名の持つ意味を明確にするためであるとの事です。

 「古事記」の狙いは「国作り」を保証することであること、崇神天皇時代は富と集積の再分配による身分制の採用などの制度を採り入れ、自然神から祖先神(祖先祭祀)への時代、弥生時代から古墳時代への変遷の時期であったようです。

 

授業前の準備の様子と、次回配っていただく「古事記」「日本書紀」比較表


 午後:クラスミーティングを行い、ルーム講座の各班からの希望を聞き5月29日は摂津市出前講座、7月24日は朗読を聞く ということに決まりました。皆さん活発な意見を出されます。


H29.05.01.「推古天皇と聖徳太子」

2017年05月01日 | 日記

午前の部:鈴木明子先生の「推古天皇と聖徳太子」の講義でした。

まず先生の自己紹介で、神戸にお住まい、奈良女子大学に通っていらっしゃるとのことです。今日の講義の中心である聖徳太子がご専門とのことで穏やかな語り口の中にも本当によく研究をされているということが言葉のはしはしにうかがえました。

 聖徳太子は日本のイメージの源流であり、さまざまな学問文化の祖・『和国の教主』(親鸞が聖徳太子は日本のお釈迦様であると唱えた)という考えがあるとのことです。

 パワーポイントを使って飛鳥時代の服装・食事・住居・寺院などの説明をされましたが、

特に6世紀に仏教が伝わり寺院が出現、身分の高い方々が住む宮殿さえ板葺きにもかかわらず、寺院は瓦葺、仏像も極彩色であったため、仏教がいかに人々を驚かせるものとして現れたかを説明されたときは、今まで自分の中でそういった見方をしていなかったのでちょっと驚きました。

 また「日本」という国号の成立・「天皇」の称号の成立など飛鳥時代に日本の基礎が作られたとのことです。

 聖徳太子は従来の氏族制社会から官僚制社会という国家の形を整えて社会を安定されるために、冠位十二階・十七条憲法など制度を整えた、が制度のみを整えても人のあり方が変わらなければ社会はよくならない、考えが根底にあったということです。

 推古天皇は研究するに際し資料などが少なく難しいということをおっしゃいました。

新天皇を選ぶに際しこの時代は群臣の推挙により、母方の出自・執政能力・年齢(30歳後半~)などで決定していたが、現代は天皇の長男が皇太子となる(資質は問われない)ため、帝王学の必要があるということでした。

  写真は授業前の右側から、鈴木明子先生、教務部半崎さん、黒木CAです。


 午後の部:午後はクラスミーティングでした。担当が決まっていない班の打ち合わせを行い各リーダーが決まりました。リーダー同志の顔合わせもあり、担当を決めたりして来週から本格稼働です。