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セアが導入されてまだ1年も経たない時期に、このエンジンにある名称が生まれたのです、それは”セアの申し子、片平巧”誰が言い出したかは不明ですが、的をえている言葉だなと当時、私は思いました。セアの申し子、片平巧 天才片平!もう二度と現れないでしょうね、彼の様な逸材は・・・正直な話に言えば、天才の下での実況をしたかったですね、船橋オートに少し恋をしましたよ、当時・・・うらやましい船橋と・・・
4日目です、準決4個レースの第8レース、片岡賢児が疾風カンナムを操ります、試走3,38上がり3,454 速攻です、福田茂は仕掛けることすらできず息を呑むだけ、畑吉広は反妨に散ります。
9Rはあの片平巧です、田中守、長谷川啓、竹中一成、は彼に近寄ることすらできずにゴールを向かえます、鬼神ですよ当時の彼は・・・
10Rであの永富高志が岡部聡と激突! 雨戦ではありませんが、直接対決です、どちらが勝ったか分かりますか? 共に同ハンの30でした、試走3,35上がり3,447で永富選手が競り勝ちます、この時、岡部聡選手は試走3,34上がり3,454です。2着は花元初美です、つまり、岡部は3着でした。
11Rは1着に小関勝治、2着に堀勉です、このレースで岩田行雄、桝崎正の両選手は共倒れを帰します。
ダイヤモンドは夏の暑さを受け、1994年8月30日に最終日へと駒が進みます。