実況列伝 2016

飯塚ミッドナイトは5月から

片平イズム 1994 ダイヤモンドレース

2010年04月11日 | 回顧録&日記

セアが導入されてまだ1年も経たない時期に、このエンジンにある名称が生まれたのです、それは”セアの申し子、片平巧”誰が言い出したかは不明ですが、的をえている言葉だなと当時、私は思いました。セアの申し子、片平巧 天才片平!もう二度と現れないでしょうね、彼の様な逸材は・・・正直な話に言えば、天才の下での実況をしたかったですね、船橋オートに少し恋をしましたよ、当時・・・うらやましい船橋と・・・

4日目です、準決4個レースの第8レース、片岡賢児が疾風カンナムを操ります、試走3,38上がり3,454 速攻です、福田茂は仕掛けることすらできず息を呑むだけ、畑吉広は反妨に散ります。

9Rはあの片平巧です、田中守、長谷川啓、竹中一成、は彼に近寄ることすらできずにゴールを向かえます、鬼神ですよ当時の彼は・・・

10Rであの永富高志が岡部聡と激突! 雨戦ではありませんが、直接対決です、どちらが勝ったか分かりますか? 共に同ハンの30でした、試走3,35上がり3,447で永富選手が競り勝ちます、この時、岡部聡選手は試走3,34上がり3,454です。2着は花元初美です、つまり、岡部は3着でした。

11Rは1着に小関勝治、2着に堀勉です、このレースで岩田行雄、桝崎正の両選手は共倒れを帰します。

ダイヤモンドは夏の暑さを受け、1994年8月30日に最終日へと駒が進みます。

 


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1 コメント

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すさまじい (マッチョドラゴン)
2010-04-11 23:54:06
私も片平選手の伝説を妻に良く言って聞かせています。妻もオートにはまり早二年。今のオートしかしらないので、見て見たかったと言っています。妻には伝説になるであろう選手の登場を、見せてやれたらと思います。高橋選手ではなく。若手から出てきてくれる事を願います。


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