内房総の木更津駅より上総亀山駅まで32.2kmのJR久留里線が走っている。資料では1912年(大正元年)に軽便の762mmで千葉県営鉄道として木更津駅 - 久留里駅間が開業とある。面白いのは千葉には有名な陸軍の鉄道連隊というのがあったがその敷設訓練の一環として建設されたという。後国有化し1067mmmに改軌し上総亀山まで開通現在に至っている。当初は外房側の大原に至る予定だったが、横断線としては現在木原駅よりの第三セクタいすみ鉄道(国鉄木原線)と私鉄の五井駅から出ている小湊鉄道とが連絡することになった。
千葉はSL時代でも比較的早く無煙化(気動車化)が進み当時あまり訪れる魅力もなかったが、以前に時間の関係で名前の由来である久留里駅までは行くことができ、その先の終点までいつかいって見たいと思っていた。
久留里線は現在千葉県内唯一の非電化線として残り、なおかつ2W前までは閉塞管理にタブレットが使用され、ファンの間では有名だった。
ここではキハ30系などJRとしては最後にここだけにしか残されていなかった車両も走りこれもファンの間では有名だった。こちらは昨年暮れよりキハE140という新型車両に変わった。出力は大きくなったはずだがあまりスピードは出さないので所用時間の変化はあまりなさそう、多分線路規格の関係であまりスピードは出せないのかと推測した。
この車両はドアの開閉ボタンが付き乗降に際しボタンを押して開閉する。私は日本で欧米のようなこの装置で実際に運用するのを初めて経験した(ボタンがついている車両は時々見るが)。この車両は3扉車だが乗降に使用されない扉は当然一切開くことはないのでこの春の小寒の日でもこの開放式の車両の室内はほどほどに暖かい環境が出来ていた。乗客もかなり慣れていて乗ったらすぐに閉ボタンを押す習慣が出来上がっていた(押さなければ出発時に強制的に閉まるまで開けっ放しになる)。今では多分東北などほかにも例があるのかと思うが雪国でなくても寒い思いをする事があり、もっと当たり前のように普及して欲しいと思う。
ドア右手に開閉ボタンがある。降りるときは開ボタンを押すだけであとは間を置いて自動的に閉まる。閉まるまで若干時間差があるのでわざわざ閉ボタンを押して降りて行く気配りの客もいる。
馬来田駅(まくたえき)どの駅にも小規模の桜が咲いている。
久留里駅 タブレット交換は無くなったが駅長が出て列車を待つその風情は残っていた。タブレット廃止直後でまだ基本動作の余韻が残っているのか。
上総松丘 ここから終点上総亀山まではかなり厳しい勾配やトンネルなど風景は一変する。この駅の先は30‰の規格の限界に近い急勾配表示が見えた。貨物運転時代はどんな機関車が貨車を引き上げていたのか興味がわく。遠くの線路をまたぐ陸橋はほぼ手前の駅と同レベルに近い。
タブレット廃止後は軌道回路検知式のシステムに変わるがその関係もありこの終着駅の留置線など廃止され一本になった。つまり久留里駅から上総亀山間は1本の列車の往復の間閉塞される。(現在のダイヤ上では別に問題ではないのだが)。
終点上総亀山駅 現在は一日の乗降客は100人を切っている。
横田駅 現在この駅と久留里駅のみが交換可能駅。
この線はさほど集客する大規模なものは伺えず、どの駅も最盛期の1/2や1/3の乗降客になっているはずだが朝の通勤、通学列車は4両編成で運転されている。
もう一つ久留里線で有名なのはあの国鉄「千葉動労」が未だ健在で、この久留里線で毎年春の行事のようにストが行われているということを知った。昨年はストはやったが当局で代用者を繰り出したりで運休等は不発に終わったとされる。
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