さて、今回も拾ってきた画像を中心とした赤塚小ネタ集である。以前使用していたスマホから、画像をドッサリとサルベージして来ましたよ。では、レッツラゴン!!
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『天才バカボン』一家を使った防犯意識を高める広告イラスト。まんだらけのオークションにてどちらも15万円前後の値がついた。
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フジオ・プロ作成の作品リストの間違いを正すために「ビッグコミック」 1968年10月号を購入した。「赤塚不二夫 公認サイト これでいいのだ!!」の作品リスト(http://www.koredeiinoda.net/profile/worklist.html)では以下のようになっているが、掲載誌を見ればこの2つは同一のものだと分かる。
赤塚不二夫のコミックスコープ 「ビッグコミック」 (小学館) 1968年10月
影一族 「ビッグコミック」 (小学館) 1968年10月
表紙に『赤塚不二夫のコミックスコープ』とあるが、該当ページは『ビッグ社会時評 影一族』となっている。つまりは『コミックスコープ』というコーナーに赤塚が『ビッグ社会時評 影一族』(単行本化以降『影一族』と改題)を執筆した、ということだろう。
これ以外にもフジオ・プロ作成の作品リストには石ノ森章太郎の『青い月の夜』が混ざっているなどのミスがある。注意されたい。
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カネボウハリスの「ハリスフーセンガム」の包み紙、転写シールだが、少年キング版『おそ松くん』の頃のタッチである。コビトとの契約解消後にカネボウハリスと契約したということだろう。
1960年代後半に「ハリスフーセンガム」は少年画報社の「少年キング」と提携し、『猫目小僧』『おやじバンザイ』などを使用していたことがある。その流れで少年キング版『おそ松くん』も起用されたのだろうか。
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1970年代、新宿を闊歩する赤塚を写した1枚。当時の赤塚の生活を物語っているが、なかなか雑誌にも転載されない1枚である。
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『B.C.アダム』のイブが描かれた丸型の色紙で、「週刊少年マガジン」に連載中の1975年に描かれたものだろう。印刷会社の子息に送られたものだと説明されていたはずだ。
色紙に描かれたイブは漫画作品の世界から切り離され、黄桜の河童を彷彿とさせるお色気ムードを放っている。
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1976年、1980年、1981年、1982年、1984年分の赤塚不二夫とフジオ・プロの年賀状である。
『天才バカボン』一家を中心に、『まめたん』、『ワルちゃん』、『おじさんはパースーマン』といった連載作品が描かれているのが描かれた当時を物語っている。1984年分はアシスタントが似顔絵で集合した画で、菊千代の姿もある。
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エルムレコード用の『もーれつア太郎』漫画原稿2ページ分。
これはオークションサイトへ出品されていたと記憶している。レコード収録のドラマに合わせ「黒ネコのタンゴロー」(「週刊少年サンデー」1969年50号)をブックレットの判型かつ4色カラーでダイジェスト化しているのが分かる。
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赤塚の筆が入ったトミー社製の『おそ松くん』スケッチブック。1度目のアニメ化前後(1965、6年頃)の品だろう。
画家のイヤミと六つ子達という構図は「絵描きバンザイ芸術バンザイ」(「週刊少年サンデー」1966年46号)というエピソードを彷彿とさせる。このエピソードの扉絵を元にした画が曙コミックス『おそ松くん全集』第15巻の表紙画である。のちにこの表紙画をリライトしてボンボンKC『おそ松くん』第34巻の表紙画が描かれたが、これは当時のアシスタントである吉勝太によるものだそうだ。
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折って送付先が書かれた帯を巻くという『おそ松くんニュース』の特殊な送付方法が分かる。ちなみにこれは1965年7月発行の第3号だ。
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TACCS1179で1998年4月29日~5月5日に開催されたイベント『GWは下落合なのだ。これでいいのだ。』を告知する「サンケイスポーツ」1998年4月12日の告知記事である。
TACCS1179はフジオ・プロのご近所である東京俳優生活協同組合上落合事業所のビル。イベントでは『天才バカボン』の漫画スライドに声優が声を当てる立体ショーや赤塚アニメ主題歌のコンサートが催され、4月30日と5月1日には赤塚も来場してサイン会などで盛り上げたようだ。記事によれば、北見けんいち、和田誠の2名も赤塚と共に来場する予定とのこと。
記事左にあるイラストは赤塚描き下ろしの画を使った『TACCS1179 オープニングシリーズ』のパンフレットである。開催時期が4月9日~5月24日ということは、このイベントも『オープニングシリーズ』に含まれるようだ。