赤塚不二夫保存会/フジオNo.1

毎日新聞の兄弟誌『くりくり』と赤塚デザインの“デカメ”

 そのキャラクターを初めて目にしたのは、ギャグ漫画の王様・赤塚不二夫と憲法学者・永井憲一の共著『「日本国憲法」なのだ!』(草土文化・1983年4月25日刊、改訂新版は2013年5月24日刊)でのことだった。この本の中の対談ページで、赤塚が見慣れぬキャラクターがプリントされたTシャツを着ている。そのキャラクターは亀をモチーフとしているのが見て取れるのだが、それは(亀がモチーフの赤塚キャラである)バカメでもタトル君でもなく、どの赤塚漫画にも登場しないのである。

 それが以下の、インターネット上に放流された画像にあるキャラクターだ。かつて、「毎日新聞」のローカルマーケティング部が発行していた子供向け兄弟誌「くりくり」のイメージキャラクター“デカメ”がその正体である。誌名はおそらく、“くりくり坊主”あたりから来ているのだろう。貝塚ひろしの漫画に『くりくり投手』というのがあったことも思い出される。 





 「くりくり」は“別刷り”ではなく“兄弟誌”の為、「毎日新聞」の縮刷版に含まれておらず、読む事が困難であったのだが、今回1981年度のごく一部を確認することが出来た。「くりくり」そして“デカメ”の詳細な情報も掴むことが出来たので、詳しくレポートしたい。



 最初に、「くりくり」の特殊な形態を書いておかねばならないだろう。誌面のサイズは新聞の1面を横に向けた大きさに両面印刷してある。それを2つ折りにして頒布している為、通常の新聞の様にめくって読み進めていくことが出来ず、まず広げて1枚目の表面→同裏面→2枚目の表面→同裏面・・・と読み進めて行くのだ。(説明が難しい…!)

 中身を読んでみると、学級新聞とアニメ雑誌の投稿ページの中間といったような内容であった。投稿コーナーには学校、受験、恋愛、不登校の悩みにまぎれて『宇宙戦艦ヤマト』の解釈違いについて論争が繰り広げられていたり、アニメ批判に対する真面目な反論が掲載されていたり。間違いなく青春の熱を帯びている様に感じた。また、同人誌などの売ります買いますコーナー、松本零士の投稿イラスト批評コーナーなどもあり非常に面白いが、インタビューページではタモリ(創刊号)、エマニエル坊や、『スター・ウォーズ』で一躍人気となったマーク・ハミルまでにインタビューをしており、さすが毎日新聞と感じてしまう。

 また、掲載のタウン情報は関東一円のものに限っていた所を見ると、関東ローカルの新聞だったのではないかと予想できるが、地域によってローカライズされていた可能性もあるので、断定することは出来ない。



 「くりくり」1981年4月20日号(第200、201号)の、第200号突破を記念してこれまでの歩みを紹介する特集『くりくり200』によれば、創刊は1977年5月28日号。この号でシンボルキャラクターを読者より募集したのだが、この方法が一風変わっている。赤塚による“バカボンのパパが目玉を書いている画”を掲載。読者にこれに書き足してもらい、シンボルキャラクターを創作せよという方法で募集をかけ、同年7月28日号でデカメがお披露目となったという。翌年4月20日号では、デカメを使用したサンバイザーを販売したという。

 上の下敷き画像のデカメとバカボンのパパの画は“フリー素材”的に誌面のあらゆる場所に穴埋めとして使用されており、題字部分には必ず1匹ないし2匹のデカメが配置されていた。これは2002、3年頃の廃刊まで続いたようである。



 そんなオタク的要素を拡大させたのが西武池袋店にあった「くりくりクラブハウス」または「くりくりコーナー」という名のスペースだ。ここでは同人誌即売会が定期的に行われており、ここに足を運んだ経験があると語るネット上の声を読んでみると、普段からオタクの寄り合い所のような所だったようである。このスペースから『くりくりフェスティバル』というイベントが開催され、1981年5月10日号(第204号)には、『見た聴いた15万人くりフェス』や『やったゼ!くりフェス』という題で1981年4月30日~5月6日まで開催した模様のレポートが掲載されている。声優・神谷明やアイドル・榊田郁恵のステージもあったようだが、何といってもビックリしたのは赤塚不二夫とタモリの参加である!

 ふたりがステージに登壇したのは5月3日。『赤塚不二夫のチャリティ・サイン会』と、時間をおいて『タモリのおしゃべり会』が開催されたようだが、サイン会にタモリも参加し、おしゃべり会に赤塚も参加したようだ。

 赤塚のサイン会は、新聞紙上に載ったアフリカ難民の窮状を知った赤塚が申し出て実現したもの。色紙を1枚500円で購入してもらい、まず赤塚がお馴染みのパパの逆立ち姿やとんぼを描き、その後タモリがとんぼの目を描いて完成。売り上げはアフリカ難民に送ったとある。今考えると何とも太っ腹なサイン会といえる。

 別日の記事では『「日本国憲法」なのだ!』の中で赤塚が着ていたTシャツが通販されており、『くりくりフェスティバル』の際に制作されて売り出された物であることが判明した。



 「くりくり」主催の少年野球大会は今も続いており、なんと、デカメはこの大会のシンボルキャラクターに生まれ変わって生き続けている。→https://www.mainichi.co.jp/kurikuri/



 最後に、「くりくり」について触れているページをリンクしておく。→
http://www.koredeiinoda.net/staff-blog/?p=53
http://www.koredeiinoda.net/staff-blog/?p=103
https://tomofield.exblog.jp/11752617/
https://blog.goo.ne.jp/inogin69/e/84aabaeb721d1f93797cbb62dfe54594

コメント一覧

あるの
最近、声優バンドの草分け、スラップスティックについて歴史を紐解く作業をしており、くりくりについても思い出す機会が増えておりました。
当時中学生でしたので、親が毎日新聞を取っていたので読めたくりくりですが、記録が少ないのが残念です。
記事にもご記載のとおり、池袋西武にあるサロンにも時々行っていました。
若気の至りで、とても攻撃的な文章で書いてしまった森雪擁護論が掲載されてしまって、冷や汗をかいたことを覚えています。(苦笑)
記事を懐かしく読ませていただきました。
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