赤塚不二夫保存会/フジオNo.1

日の目を見なかった?幻の日本テレビ動画版『天才バカボン』パイロット・フィルム

 最近、家庭用ビデオデッキで『天才バカボン』(東京ムービー制作、よみうりテレビ、1971年9月25日~1972年6月24日)の再放送を録画したビデオテープが我が家から発掘され、「ちっちゃい頃のおれ、さすが!」と一言。再生を始めると、例の3倍画質で第16話「服をきていると死刑なのだ」と「スキーがなくてもヤッホーなのだ」の2本立てが始まった。やっぱり面白い。大好きなアニメだ。



 Bパート「スキーがなくてもヤッホーなのだ」は、スポンサーや放送局を獲得する為に制作される“パイロット・フィルム”を再利用したものである。そのパイロット・フィルムは現在、DVD-BOXの特典映像として収録されており、簡単に見る事が出来るのだが、その内容をザッと説明すると、雨森雅司ナレーションで原作の作風とキャラクターを紹介する映像が流れた後、「アッホーヤッホー スキーなのだ」と題されたアニメが始まる。これは、「アッホヤッホ スキーはたのし」(講談社コミックス3巻、曙コミックス5巻、竹書房文庫3巻に収録)を原作としたもので、キャラクターデザインがTVシリーズと比べて若干原作寄りとなっている。上記の通り第16話Bパートと同じ映像であるが、テレビ放送に際して冒頭に列車内でのシーンを足し、音声を撮り直している。パイロット・フィルムでもパパとバカボンの声は雨森雅司と山本圭子によるもので、このベスト・コンビはパイロット・フィルムの時点で決まっていた、『元祖』まで代わらなかったという事実に思わず唸ってしまう。そういえば、赤塚不二夫は『元祖』を制作するにあたって「声優を変えて欲しくない」と要請したんだっけ。

 完成時期を「大人向け雑誌に連載中」というナレーション、そして東京ムービー制作『天才バカボン』が1971年9月25日に放送が開始されたという事実から推測すると、「週刊少年サンデー」での連載が終了し、「漫画サンデー」にて『天才バカボンのおやじ』が連載されていた頃~ぼくらマガジンでの復活前、つまり1970年の夏~1971年の夏には完成したことになるだろう。

 だが、これ以前にも『天才バカボン』のパイロット・フィルムはあったということを、皆さんはご存知だろうか。



 この事実は、このブログの監修を務めて下さっている名和広氏の長年に渡る赤塚不二夫研究の集大成となる書籍『赤塚不二夫というメディア 破戒と諧謔のギャグゲリラ伝説「本気ふざけ」的解釈 Book2』(2014年刊)にて、初めて赤塚史に追加されたトピックである。今回はこの幻のパイロット・フィルムについて、それを報じる記事を読み解いていきたい。

 確認されている中で、この件が初めて明らかになったのは「まんが№1」第5号(1968年1月刊)だ。これは1972年から日本社にて、“赤塚不二夫責任編集”の謳い文句で創刊された雑誌とは異なり、『おそ松くんニュース』、『おそ松くんブック』に続いて、フジオ・プロ発行のファン会報誌として1967年に創刊されたものである。この中から「愛読者ポスト」と題された、投書に答えるコーナーを見てみよう。読者から『天才バカボン』のテレビ化を希望する声が届いており、こう答えている。該当部分を以下に引用する。

 現在、テレビ化を企画中です。決定かどうかは、もうしばらくしないとわかりません。決定次第、ニュースとしてその細目をおしらせします。

 続報は同「まんが№1」第7号(1968年3月刊)にある。「フジオ・プロ・ニュース」と題されたページの全文を引用する。

T・V「天才バカボン」本格化
 昨年からテレビ化企画に入っていた、「天才バカボン」の見本フィルムが、このほど完成した。
 制作会社の日放映は「冒険少年シャダー」などの制作にあたってきたが、今年は本格的カラー・ギャグまんが映画の制作に大変な力の入れよう。
 十月に日本テレビ系で放映する計画で、今から、原作者とテスト・フィルム作りに完全を期そうという意味での熱意が、今回のフィルムにみのったもの。
 このテストを経て、原作者のOKが出れば、いよいよ本フィルム制作に入る。なお「もーれつア太郎」も別会社で企画がねられている。おたのしみに!!


 実に興味深い記事だ。日放映とは正式名称を日本放送映画といい、日本テレビ版『ドラえもん』や『男どアホウ!甲子園』を制作し、代表者が逮捕されたことからおおよその作品が権利者不明とされている日本テレビ動画の前身となる映像制作会社である。

 転載した記事によるとパイロット・フィルムは既に完成しており、この頃では非常に珍しくカラーであったという。文中にある“十月”とは、「まんが№1」第7号の発行日から考えると1968年の10月となる。日放映が1968年の10月に日本テレビ系で放映した作品を調べてみると、梶原一騎原作、荘司としお作画で、「冒険王」、「週刊少年チャンピオン」で人気を博した同名漫画をアニメ化した『夕やけ番長』(日本テレビ、東京テレビ動画制作、日本テレビ、1968年9月30日~1969年3月29日)が当たる。おそらく、『天才バカボン』の代わりにこれが放送されたことになるのではないだろうか。この放送枠(月~土曜日、夕方6時35分~6時45分迄)はこれまでも日放映が制作した『とびだせ!バッチリ』、そして文中にも登場した『冒険少年シャダー』が放送されてきていることがこの仮説を裏付けそうだ。

 では、本当にこのパイロットフィルムは未放送に終わったのだろうか。日放映にはこんなエピソードがある。1966年頃に藤子不二雄(A)の『フータくん』のパイロット・フィルムを制作したが、TVシリーズ化には至らなかった。だが後年に中国・四国地方でプロ野球中継の雨傘番組(=番組表には記載されることが少ない番組なのだ!)として、また広島でも放送放送されたという話もあるが詳細は分からぬままだという。この例に倣うと地方局でひっそりと放送された可能性もある。東京ムービー制作『天才バカボン』の放送が開始された1971年9月25日以前の番組表に“天才バカボン”の文字はないだろうか。いや、1971年9月25日以降に放送された可能性だってある。日放映が日本テレビ動画と社名を変えてから制作された日本テレビ版『ドラえもん』(日本テレビ、日本テレビ動画制作、1973年4月1日~9月30日)は、今なお放送が続くテレビ朝日版の放送が開始してからも富山テレビにて再放送(1979年7月24日~ 8月3日)されている。もっとも、原作者の藤子F・不二雄による警告状によりわずか9回で打ち切られてしまったのだが。



 そしてもう一つ、このパイロット・フィルムに触れた記事がある。それは「COM」1969年1月号の、『ひみつのアッコちゃん』のTV化が決定、『もーれつア太郎』はパイロット用の脚本が完成と報じる「まんがジャーナル」内“赤塚まんがぞくぞくテレビ化”だ。以下に引用する。

 「天才バカボン」(『週刊少年マガジン』連載)のアニメーション・パイロットは、日本動画で制作されたが、作品上の問題からその後、打ち切りとなった。しかし、実写も含めテレビ化の企画はいくつかあり、フジオ・プロとしては実写の方に気持ちを傾けているようである。
 いずれにせよテレビ化に当たっては、先生自身これまでになく意欲的に取り組むだろうと思われる。


 1968年10月に放送開始を予定、雑誌は通常1か月前に刊行される(この場合1968年12月)のだから、話題は古くない。エッ、“実写も含めテレビ化の企画はいくつかあり”?それは『天才バカボン』の話?東映でアニメ化の企画が予定されていたという『ミータンとおはよう』の話?それとも・・・?これは、謎が謎を呼んでしまったかもしれない。
 
 だが、これ以降ぱったりとこのパイロット・フィルムについて書いた記事や書籍は見当たらない。だが、事実として日放映制作の『天才バカボン』パイロット・フィルムは完成し、赤塚不二夫は必ず見ており、フィルムがどこかに眠っている可能性がある。ううむ、見ないまま死ぬのは、死刑にひとしいのだ。



 最後に、この記事のソースとなった「まんが№1」全7号をお貸しくださった名和広氏に深いお礼を。いつもお世話になっております!
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