秋晴れの11月3日(水・祝日)は私が昭和33年(1958年)に結婚し63年となりました。当時を思い出してアルバムから1枚の祝電を披露します。
尚、新婚旅行は当日の夜の夜行寝台急行「伊勢志摩号」に乗車し鳥羽・尾鷲・紀伊白浜・奈良・京都に宿泊し、帰りは京都から辻堂まで普通列車で帰宅しました。又。東海道線を走っていた特急「こだま」を往復同じ電車を(東京で折り返し)見ました。
私の当時の仕事は当時の日本電信電話公社(現NTT)小田原電報電話局で電報を印刷電信で送信・受信する仕事でした。今の電報は全く様変わりしています。
私の仕事の内容はNTT労組神奈川退職者の会が発行した次の【現役の時の仕事の苦労話」に掲載されていますので検索下さい。
http://ntttaisyoku.pepper.jp/sigoto_kurou.pdf
先日小田原市郷土文化館学芸員の方が見え関東大震災の写真を寄贈する時に現NTT小田原の建物は以前はこのような仕事もあったので歴史として残して欲しいとお願いし、この本と昭和60年代に作成し未完成に終わった「小田原電報の想い出」の原稿を私の結婚式の祝電数通と一緒に寄贈しました。
尚、新婚旅行は当日の夜の夜行寝台急行「伊勢志摩号」に乗車し鳥羽・尾鷲・紀伊白浜・奈良・京都に宿泊し、帰りは京都から辻堂まで普通列車で帰宅しました。又。東海道線を走っていた特急「こだま」を往復同じ電車を(東京で折り返し)見ました。
私の当時の仕事は当時の日本電信電話公社(現NTT)小田原電報電話局で電報を印刷電信で送信・受信する仕事でした。今の電報は全く様変わりしています。
私の仕事の内容はNTT労組神奈川退職者の会が発行した次の【現役の時の仕事の苦労話」に掲載されていますので検索下さい。
http://ntttaisyoku.pepper.jp/sigoto_kurou.pdf
先日小田原市郷土文化館学芸員の方が見え関東大震災の写真を寄贈する時に現NTT小田原の建物は以前はこのような仕事もあったので歴史として残して欲しいとお願いし、この本と昭和60年代に作成し未完成に終わった「小田原電報の想い出」の原稿を私の結婚式の祝電数通と一緒に寄贈しました。
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