私たちの東京の下町地区は、今から70年前の3月10日に米軍による無差別大空襲によって10万人以上の住民が殺されました。
未だにその全貌が明らかになっていません。
そんな東京東部の地において、沖縄の闘いに繋がろうと19年間(1996年来)、地域に根を張って闘いを継続してきました。
代表を沖縄に派遣したり、現地から活動家を招聘して報告していただいたり、沖縄出身の方々にお力添えをいただいたり、沖縄の闘いを記録した映画を上映したり、様々な催しをしてきました。
今回の集会でも、辺野古の海で国家権力の意を受けた海上保安庁の執拗な暴力にも屈せず闘う現地の様子や、沖縄の新聞や住民に対するあらん限りの偏見や悪意あるデマ攻撃の事実等々の報告を受けました。
私たち江戸川区教組も10数名の仲間が集会に参加しました。
「今年は戦後70年になりますが、沖縄は未だに戦後ではありません!」
と、こんな発言も聞きました。
そうです、沖縄には今も戦闘機が飛び交い、オスプレイが我が物顔して住宅街の上を飛び回るという日常です。
アベが6・23「慰霊の日」の式典に参加し、「今後も引き続き沖縄の基地負担軽減に全力を尽くしていく」と述べましたが、普天間を辺野古に移設しても何ら軽減にはなりません。
そんなことは現地沖縄の人たちが最もよくわかります。
辺野古移設とは、まさに新たな基地建設に他なりません。
珊瑚を破壊し、ジュゴンを殺し、ヤンバルクイナの森を破壊し…。
人間だけではなく、かけがいのない自然までも平気で破壊してまでアメリカに媚びるアベ内閣を許すわけにはいきません。
今、沖縄の問題こそ「本土」と言われるその地に政府機関を置く、日本国の問題なのです。
私たちは、今までどこまで沖縄の現実をわがものとしてとらえてきたか…。
痛苦の反省のもとに、新たに闘いを構築していく必要があります。
それが、沖縄に連帯することでもあり、戦争へ向かうアベ政治を止める闘いでもあります。
ライトアップされたスカイツリーを前にしながら、錦糸公園での熱気あふれる集会の後、午後7:30頃からデモ行進がスタートしました。
四つ目通り、蔵前橋通り、明治通り(十三間通り)を経て、亀戸駅前から文泉公園までシュプレヒコールをしながらデモ行進をしました。
都心でのデモより、道行く人々も警備の警察官も何故かゆったりした雰囲気の中での行進でした。
私たちの主張が今、社会の中でも当たり前の思いとして少しずつ浸透しているのを肌で感じます。
参加者は250人、合わせてこの集会でのカンパも多く集まったことが報告され、辺野古基金へ送られることになりました。
最後に、江戸川を中心に東京教組東部地区教組の仲間たちが集まり、「東京教組、団結してがんばろう!」と気勢を上げました。
午後9時前には解散しました。
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