【知っておきたい韓国の真実】第三章
先史時代を経て古代になると、基本的に大和朝廷の朝鮮半島に対しての外交政策は、百済とは親密な友好関係を結び、高句麗、新羅とは敵対した。
日本と朝鮮半島は先史時代から古代に亘って深い関わりを持っていたのである。朝鮮半島南部に住む倭人(日本人)と親密な関係にあった百済は新羅により660年に滅亡させられたが、3年後の663年に倭国の人質になっていた百済の王子を担いで百済の遺臣たちが各地で百済復興の兵を挙げた。
それに倭国が援助して、元百済・倭国の連合軍が唐・新羅の連合軍に挑んだ。
それが歴史に残る大戦争「白村江(はくすきのえ)の戦い」で、この戦いで「元百済・倭国軍」は完敗した。
百済復興の目は無くなり百済は完全に滅亡した。
これは、『日本書紀 巻第三十
持統天皇紀』に記されている「筑紫君薩夜麻(ちくしのきみ・さちやま)が671年に唐から帰国した」との記述で確認できる。
倭国の王は戦犯として唐に8年間も囚えられていたのである。その間、高句麗も668年に滅亡した。倭国、百済、高句麗を滅亡させた新羅も935年に滅亡した。
ここで確認しておくべき事は、朝鮮半島に於ける百済、倭国、高句麗、新羅と、現在
朝鮮民族と呼ばれている者たちは全くの別人種であるという事である。これは重要なポイントであるから忘れないでいただきたい。
#韓国の真実3
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