空飛ぶ!気まぐれ雑記帳

The Flying Capricious Notebook
気分次第で 気ままに書き込むつもりの『雑記帳』です。

2006(H18)/01/31(火)の放送

2006-01-31 22:40:42 | 落語 演芸/放送後記
演芸特選/NHK-FM(NHKラジオ第1)(「ラジオ深夜便」内)
2006(H18)/01/31(火) 01:05-02:00
柳家金語楼 「釣りの酒」          (音源データ アナウンスなし)
五代目 古今亭志ん生 「文七元結」(*02)  (音源データ アナウンスなし)
司会:古屋和雄

●柳家金語楼 プロフィール(演目放送前に紹介)
明治34年(1901) 東京の芝に生まれ
明治39年(1906) 二代目三遊亭金馬の一座で 少年落語家 金登喜(きんとき)で出演をします
明治44年頃(1911頃) 小金馬 と改名
大正9年(1920)の6月に 金三(きんざ)で 真打と成ります
関東大震災の後 金馬の門を離れて 初代柳家三語楼の一座に移り
大正13年(1924) 6月 柳家金語楼 と改名をします
昭和5年(1930) 六代目春風亭柳橋さんと共に「日本芸術協会(*01)」を結成します
有崎勉(ありさき つとむ)の名で 新作落語を数多く発表しました
昭和15年(1940)には「金語楼劇団」を結成
戦後は「舞台」「映画」そして「テレビタレント」として NHKの「ジェスチャー」等の番組で活躍をしました

●五代目 古今亭志ん生 プロフィール(演目放送前に紹介)
昭和14年(1939)に 五代目を継ぎました
多くの師承から学んだ話芸を継承して 現在でも数多くのファンがあります


*(*01)「日本芸術協会」=現在の落語芸術協会
*(*02)「元結」(もっとい もとゆい)
 結った髪の束ねた所を結ぶ細い紐 または「こより」や「水引」
  こより=和紙を細長く切って よりをかけて紐状にしたもの
  水引=こより と同じく 和紙を細長く切って よりをかけて紐状にしたものを「糊(のり)」で固めたもの
  「結納」で使われたり 「祝儀袋」「不祝儀袋」等に使われているので お馴染みだと思う

*「演芸特選/NHK-FM(NHKラジオ第1)」 次回の放送予定は 02/07(火)08(水)09(木)深夜 01:05頃~
02/07(火)深夜 春風亭柳昇「日照権」  五代目 古今亭今輔「ねぎまの殿様」
02/08(水)深夜 二代目 神田山陽 講談「越の海勇蔵 出征相撲」  四代目 春風亭柳好「禁酒番屋」
02/09(木)深夜 天津羽衣 浪曲「恋の絵図面」  八代目 春風亭柳枝「たらちね」

NHKラジオのホームページ 「ラジオ深夜便」の「ラジオ深夜便番組表」では
02/07(火) 二代目 古今亭今輔 とあるが 五代目 古今亭今輔
02/08(水) 二代目神田山陽 講談「越の海勇蔵 出征相模」となっているが「出世相撲」の間違い
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ラジオ名人寄席(再放送)/NHKラジオ第2
2006(H18)/01/31(火) 12:10-12:35
二代目 三遊亭百生 「菊江の仏壇」(2)  (音源データ アナウンスなし)
千家松人形・お鯉 「音曲吹き寄せ」     (音源データ アナウンスなし)
席亭:玉置宏


「残しておきたい江戸情緒 下座のお囃子 寄席幟」
「ラジオ名人寄席」 あたくしは席亭の玉置宏でございます 御来場 誠に有難う存じます
この「ラジオ名人寄席」には 嘗て一世を風靡いたしました 東西演芸界の「名人」「上手」「人気者」が
それぞれの十八番で御機嫌を伺います

◆席亭解説(前半 演目放送前)
今席は 前回に続きまして 二代目三遊亭百生さんの「菊江の仏壇」 後半でございます
「大店(おおだな)」の若旦那 道楽もんでございます この倅(せがれ)の道楽を止めさせようとして
「お花」と云う 気だての好い嫁を 持たせたんでございますがぁ
若旦那は一月と持たない内に また 家を空けるようになりました お花は患ってしまいまして「里」へ帰ります
大旦那が意見を致しますと 若旦那は「信心深い お父っあん のべつ あっちこっちのお寺巡り 大金を
はたいて 気に入っているという 大きな仏壇を買ってあげたのに 一月と持たない内に また お寺巡り
に出掛けてしまう」
「なんですか? そんな毎日は」と遣り返します
「お寺巡りと極道を一緒にするやつがありますか」 親子喧嘩が始まります
そこへ「お花の里」から容態が急変したという知らせが入ります 大旦那は 小僧の定吉を連れまして 看病に
出掛けます
さぁ 「これ 幸い」と遊びに行こうとする若旦那に 番頭は一計を案じます
「若旦那が夢中になっている芸者の菊江を家へ呼んで 家で宴会を開こうではないか」
さぁ 大変な事になりました お店は早仕舞い 店の者も一緒になって「大宴会」が始まっております
それでは 二代目百生さんの「菊江の仏壇」 後半でございます
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◆席亭解説(前半 演目放送後)
二回に渡ってお送り致しました 二代目三遊亭百生さんの「菊江の仏壇」でした
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◆席亭解説(後半 演目放送前)
さぁ 今日の残ったお時間 寄席にお彩りとして欠く事のできない 「音曲吹寄せ」でお楽しみ頂きましょう
千家松人形・お鯉さんでございます
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◆席亭解説(後半 演目放送後)
良いですねぇ~ 「音曲吹寄せ」 千家松人形・お鯉さんでございました
お鯉さんは 小でっぷりとなすって貫禄十分 え~ 人形さんは 小柄で細身でございます お二人で
お三味線を持って そして 皆さんに「ちょこ ちょこ」っと 笑いを頂きながらの 13分の高座
もう「膝がわり(*01)」にはたまらない御両人でございました
え 今日は時間が無くなりましたんで 御両人の事を細かくお伝え出来ませんけれども お鯉さんは嘗て
瀧乃家お鯉・鯉か(*02) と云う漫才さんでございました
でぇ~ 鯉かさんも お一人になってから音曲をなすっておりました
え~ また 何かの折に お二人の「音曲吹寄せ」をお届けしたいと思います

今席は二度に渡りまして 二代目百生さんの「菊江の仏壇」と 千家松人形・お鯉さんの「音曲吹寄せ」でした


お相手は 席亭のわたくし玉置宏でした それでは次回をお楽しみに
本日も「ラジオ名人寄席」への御来場 誠に有難う存じました


*2003(H15)/05/13 2005(H17)/02/01再放送

*(*01)「膝がわり」
 「トリ」の一つ前の出番の事 色物が多い  「トリ」は寄席で最後の出番の事
 現在では寄席以外ででも最後の出番を「トリ」と使っている事も多い
 「紅白歌合戦」での「大トリ」と呼ばれているのは 一般的にも良く知られている
*(*02)「瀧乃家お鯉・鯉か」漢字詳細不明 適当に当て字にした
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真打ち競演/NHKラジオ第1
2006(H18)/01/31(火) 21:05-21:55
浪曲漫才:さがみ良太・いずみ
アコーディオン漫談:近藤志げる 「野口雨情」
落語:四代目 桂米丸 「りんご」 作:星新一
収録日? 東京・渋谷 NHK放送センタ-505スタジオ 収録
司会:中江陽三(元NHKアナウンサー)


◆演者紹介(番組冒頭)
●さがみ良太・いずみ
初代の浪曲家 相模太郎さんの門を叩いて 昭和41年(1966)から長年コンビを組みました「三太・良太」さんが
それぞれの道を 歩むようになられまして さがみ良太さん いずみさんとの 浪曲漫才を始められまして
そろそろ2年でございますね

*良太と いずみ は実の親子 良太夫人も浪曲師 たまに浅草の木馬亭にも出演しているとのこと

近藤志げる
この方はですね ちょっと変った経歴の方でございましてねぇ
昭和27年(1952)に 神戸からギター1本持って上京されまして その後アコーディオンを弾くようになって
銀座で「流し」をなさいます
立川談志さんに見出されて 芸能界に入って来られまして その後「童謡」 特に野口雨情の童謡を中心に
演芸を展開してこられました
そして 北原白秋 西条八十にも手を広げて この3本が この方の「ライフワーク」みたいな恰好で「童謡」を
中心にした漫談でございます 最近はサトウハチローさんも手掛けられる様になった という
こういう経歴の方は少ないんじゃないかと いう風に思いますね

四代目 桂米丸
まぁご存じの 大御所でございますねぇ
終戦直後 古今亭今輔さんの門を叩かれまして もう60年経ちます
落語芸術協会の会長さんから 最高顧問という形になりまして
戦後の新作落語の一つの旗頭として進んで来られました

2006(H18)/01/30(月)の放送

2006-01-30 22:54:21 | 落語 演芸/放送後記
ラジオ名人寄席(再放送)/NHKラジオ第2
2006(H18)/01/30(月) 12:10-12:35
二代目 三遊亭百生 「菊江の仏壇」(1)  (音源データ アナウンスなし)
席亭:玉置宏


「残しておきたい江戸情緒 下座のお囃子 寄席幟」
「ラジオ名人寄席」 あたくしは席亭の玉置宏でございます 御来場 誠に有難う存じます
この「ラジオ名人寄席」には 嘗て一世を風靡いたしました 東西演芸界の「名人」「上手」「人気者」が
それぞれの十八番で御機嫌を伺います

◆席亭解説(演目放送前)
さて 今席は二日に渡りまして 二代目三遊亭百生さんの「菊江の仏壇」をお届け致します
え~ 元来は「上方噺」でございます
「残しておきたい上方情緒」と こう 言わなくてはいけないのかも 知れませんが え~ 晩年は東京に席を
置かれました 三遊亭百生さんが演じます そこで 今日は敢えて「江戸情緒」と申し上げました
元来 このお噺は「上方噺」でございます 初代の三遊亭圓右 と云う方が 明治の20年代に東京へ持ち帰ります
「白ざつま」と云う題名で 高座に掛けていたそうです これは主人公の「菊江」が着ております 衣裳から
付けられた題名かと思います
それでは はぁ~ 二代目三遊亭百生さん「菊江の仏壇」 その1 でございます
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◆席亭解説(演目放送後)
え~ 何と「お店(おたな)」で 大宴会が始まった所で お時間でございます
当時の「落語協会」の方では 只一人 上方落語を聴かせてくれる噺家さんでございましたが 昭和39年
1964年3月31日 70歳 肺癌で亡くなったのが 百生さんでございます
え~ この39年 東京オリンピックの年ですねぇ 大看板が次々に この世を去りました
八代目の三笑亭可楽さん 二代目の三遊亭円歌さん 三代目の三遊亭金馬さん 本当に あっと云う間に
私達に落語の楽しさを教えてくだすった師承方が旅立ってしまわれました
え~ 兎に角「上方落語」が壊滅状態でございました 昭和27年(1952) 桂梅團治を名乗っとおりました
百生さんは古くからのお馴染みでございました 六代目の三遊亭圓生さんを頼って上京致します
で 昭和29年(1954)の3月に 二代目の百生を襲名致します 本当に え~ 落語協会の興行でございますと
百生さんの「出」が待たれたものでございました
兎に角 45年振りに「その芸に花が咲いた」と云う時 まっ 言い換えれば「花の盛り」に 旅立ってしまわれた
訳でございます
「花の盛り 余りにも短いもんですなぁ」と云う え~ お客様の囁きが 当時聞かれたものでございました
さぁ 勿論 「大宴会」の所へ 大旦那が戻って来る と まぁ こういう仕掛けになる訳でございますがぁ
どうぞ 次回を御期待下さいます様に

え~ 今席は「菊江の仏壇」 その1 二代目三遊亭百生さんでございました


お相手は 席亭のわたくし玉置宏でした
本日も「ラジオ名人寄席」への御来場 誠に有難う存じました


*2003(H15)/05/12 2005(H17)/01/31再放送

*今日の放送の二代目三遊亭百生「菊江の仏壇」の冒頭 「カチャリ カチャリ」と聞こえるのは 上方落語独特の
「小拍子」を使って調子を取っているから
上方落語の高座では「見台(けんだい)」と「小拍子(こびょうし)」を使う 東京の落語では使わない
「見台」は講釈台の様な木製の机の様な物 「小拍子」は木製の小さな拍子木(ひょうしぎ)
噺の場面転換の時に「見台」を「小拍子」で叩いたり 効果音として叩いたり 調子を取る為に
「カチャリ カチャリ」と鳴らしながら噺を進める噺家さんもいる
元は上方での落語は 街角やお寺や神社の境内で行われていて わざと音を立てて 通行中の人に注目させる為に
使った名残りらしい
「講談(講釈)」で「張り扇」で釈台を叩くのと基本的には同じだと思われる

「見台」「小拍子」の画像 等
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BSふれあいホール「お楽しみ寄席」/NHK-BS2
2006(H18)/01/30(月) 18:00-18:45
漫画漫談:マンガ太郎
ガマの油売り口上:源吾朗
落語:三遊亭鳳楽 「尻餅」
2006(H18)/01/19(木) 東京渋谷NHK みんなの広場ふれあいホールで収録
司会:松田輝雄


プロフィール(演目前に司会者が紹介)
●マンガ太郎
元はプロの漫画家として活躍をしていました マンガ太郎さんです
書くだけでは もう満足できませんでした 漫談の世界に飛び込んできます
そして今年は「犬年」 今日はその「犬」をテーマに面白~い絵が沢山登場してきます
それでは どうぞお願い致します

*演目後 短いインタビュー
目の錯覚を利用して書いている
干支で書き難いのは「ウサギ」と「辰」 書いていると 何かおかしくなっちゃう 「ウダツがあがらなくなる」(笑)

源吾朗
東京はもちろん モンゴルからニューヨーク迄 世界各地で通りすがる人を引き寄せる
大道芸人の 源吾朗さんです
今日 披露してくださるのは「ガマの油売り」
澱みのない迫力のある語り口 どうぞ ゆっくり お楽しみ下さい
お願い致します お入り下さい

*演目後「演芸ふれあい講座 この人この芸」
からくり人形の「茶運び人形」を持ち出してきた
「ガマの油売り」の「口上」に「からくり人形」が出て来るのでらしい
お客さんから 女性をステージに上げ「茶運び人形」を動かしてみせる
大道での商売で客集めの為に使っていたかもしれない とのこと
(あまり 関係ない気がする(笑))

三遊亭鳳楽
落語界切っての「本格派」と云われている 三遊亭鳳楽さん どんな登場人物も上手に演じ別けます
その「振るまい」から出る「気品」それから「色気」 もうこれは歌舞伎俳優並と云われています
しかし その上 持ちネタは 何と300以上もある ここは歌舞伎と違います
今日は どんな人物を演じてくださるんでしょうか?
さぁ どうぞお願い致します よろしく どうぞ

*演目後 短いインタビュー
餅搗きは最近 自宅ではしませんねぇ 子供の頃はやっていた
「尻餅」の餅搗きの音を手でやるが 明日雨が降る時は判る 良い音が出ない
抜ける様な鼓の様な音が出る時は 天気がよくなる とのこと

◎ふれあいメッセージ(出演者の1人にメッセージを書いて貰う)
「大器晩成」 マンガ太郎
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浅草お茶の間寄席/千葉テレビ
2006(H18)/01/30(月) 19:00-19:55
二代目 柳家蝠丸 「尻餅」
三笑亭茶楽 「子別れ」
九代目 春風亭柏枝 「権助芝居」
収録日時? 浅草演芸ホール 収録

2006(H18)/01/29(日)の放送

2006-01-29 23:54:33 | 落語 演芸/放送後記
笑いがいちばん/NHK総合テレビ
2006(H18)/01/29(日) 13:15-13:45
漫才:おかけんた・ゆうた
時代劇コント:カンカラ
落語:林家花丸 「狸の鯉」
ギター漫談:堺すすむ 「な~んでか?フラメンコ」
収録日? 東京・渋谷NHK放送センター スタジオ 収録?
ナレーション:笠原留美 テーマ音楽:国本武春
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笑点/日本テレビ
2006(H18)/01/29(日) 17:30-18:00
追悼 ローカル岡
茨木なまりの独特の語りで人気だった ローカル岡さんが、1月16日 肝硬変のため亡くなりました。
62歳という早すぎる死を悔やみ 2005年12月11日に収録してあった 笑点 最後の舞台を、本日はお送りします

大喜利
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ラジオ名人寄席/NHKラジオ第1
2006(H18)/01/29(日) 19:20-19:58
二代目 三遊亭円歌 「七段目」    (音源データ アナウンスなし)
三笑亭夢楽 「三人旅」(おしくら)(*01)  (音源データ アナウンスなし)
席亭:玉置宏

「残しておきたい江戸情緒 下座のお囃子 寄席幟」
「ラジオ名人寄席」 あたくしは席亭の玉置宏でございます 御来場 誠に有難う存じます
この「ラジオ名人寄席」には 嘗て一世を風靡致しました 東西演芸界の「名人」「上手」「人気者」が
それぞれの十八番で御機嫌を伺います


◆席亭解説(前半 演目放送前)
今席は「落語二題」でございます
え~ まずは 二代目三遊亭円歌さん 先代でございます もう この二代目円歌師承が 大変な「歌舞伎通」で
いらっした
この事は再三 お話を申し上げた今迄がございます
今日は「七段目」を出して頂く事にしましょう
「四段目」或いは「五段目」 こういう出し物もございます これと同じです 「忠臣蔵」のシリーズと云って
よろしいと思います
現在でも このお噺をする 噺家は沢山いらっしゃいます 当代の人気歌舞伎役者の声色を使って「若手真打の
ホープ」と云われております 林家たい平さん なんかも この「七段目」は 得意中の得意になっております
まぁ~ 兎に角 円歌師承と云うのは お時間ができると「パッ」っと「一幕見(ひとまくみ)」へ いらっして
歌舞伎を楽しみながら 「こりゃぁ 落語に役に立つんだ」 事に依ると お弟子さんを連れたりなすっていた
そうでございます
では まず「七段目」 二代目円歌さんでございます
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◆席亭解説(前半 演目放送後)
「ハメモノ」 つまり お囃子さんと「ピチッ」っと呼吸が合いませんと こういう形の「七段目」は演じ難い
もんでございましょう
今 「ハメモノ」で聴かせてくれる師承は 本当に少なくなってまいりました
二代目円歌師承の「七段目」でございました
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◆席亭解説(後半 演目放送前)
さて もう一席は 大変残念でございましたが 昨年の10月28日 三笑亭夢楽師承が80歳で亡くなりました
と 云う事は「「ラジオ名人寄席」の方へ 看板を移してくだすった」と云う事と繋がります
え~ 今日は 初登場 三笑亭夢楽さんをお楽しみ頂く事に致します 故人を偲んで頂きたいと存じます
夢楽さんは昭和24年 1949年になります 五代目の古今亭今輔さんの元に 弟子入りをされました 前座の名前
は 古今亭今夫
でぇ~ 1951年(S26)に 八代目の三笑亭可楽さんの一門に移籍を致します その年に 三笑亭夢楽で 二つ目
になります
でぇ 1958年 これは昭和33年でございます 話題になりました「六人真打」の一人として 三笑亭夢楽の
まんま 真打に昇進致します
この時の六人 春風亭柳昇 当時は伸治でございました (十代目)桂文治 (四代目)三遊亭小圓馬
(二代目)桂小南 当時は金太郎でございました
そして 笑好だった (六代目春風亭)柳好 そして今日 初登場で御紹介する 夢楽さん
もう 兎に角「六人真打」の皆さんが 総べて故人になってしまわれました
これ~ 1960年代 テレビ初期の頃「お笑いタッグマッチ(*02)」と云う番組等で もう~ 大変な人気者だった
師承のお一人でございます
さぁっ それでは え~「三人旅」も得意中の得意の出し物なんでございますが その中でも 特に「発端」でも
なく でぇ 「鶴屋善兵衛」と括ってしまうには ちょっと違うんですね
寧ろ あたくしは「おしっくら」と云う出し物で 三笑亭夢楽さんを  う~ん 「根田帳」にも恐らく
「おしくら」と書かれていたと思うんでございます
それでは ご冥福を祈りながら初登場 三笑亭夢楽さんの「三人旅」「おしくら」でございます
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◆席亭解説(後半 演目放送後)
「三人旅」の内 「おしくら」 三笑亭夢楽さんでございました
「妾馬」「三方一両損」「大工調べ」「転宅」それに 今日の「三人旅」等
あの~ ゆったりと で 時には「御隠居さんの世間話」といった様な口調で 芸の年輪を垣間見せてくだすった
師承でございました
え~ しかし ここ数年は寄席の看板に 夢楽さんの名前を見つける事は出来なくなっておりました
まっ兎に角 表情豊かな噺家さんでしてねぇ あの「グリッ」っと目を剥いての「バレ噺(*03)」
これ あたくし東宝の「余一会(*04)」 「艶笑落語の夕べ(*05)」で聴きました
「目薬」なんて云う噺を おやりになった時の 夢楽師承を忘れる事ができずにおります
まぁ兎に角 持ちネタ豊富な幅の広~い 噺家さんでございました

今日は 二代目円歌さんの「七段目」 そして 初登場 三笑亭夢楽さんの「三人旅」でございました


お相手は 席亭のあたくし玉置宏でございました
本日も「ラジオ名人寄席」への 御来場誠に有り難う存じました


*(*01)「三人旅」
 仲の良い三人の男が 江戸からお伊勢参りへ向かう 珍道中のお噺
 「神奈川宿」「鶴屋善兵衛」「おしくら」「伊勢詣り」等があり 長い噺だった 昔は東海道の五十三の宿場
 全部に噺があったとも云われている
*(*02)お笑いタッグマッチ
 1960年代 フジテレビで放送された 春風亭柳昇が司会の大喜利番組 現在の「笑点」の様な番組だと思われる
*(*03)バレ噺
 ちょっとHな お色気のある噺
*(*04)余一会(よいちかい)
 寄席などの興行は 10日単位で出演者や出し物が変り 月の1~10日を上席(かみせき)11~20日を中席
 (なかせき)21~30日を下席(しもせき)と呼び
 31日迄の月は1日余るので「余一会」と呼び 1日だけの特別興行が開催されたりしていた
*(*05)艶笑落語
 艶っぽい噺の事 セクシー落語 ピンク落語 バレ噺と同じ様な意味
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らんまんラジオ寄席/TBSラジオ
2006(H18)/01/29(日) 20:00-20:55
「懐かしの名人 十代目桂文治特集」
十代目 桂文治 「お血脈」 1991(H03)/ の高座から とのこと(*01)
十代目 桂文治 「蛙茶番」 1983(S58)/ の高座から とのこと
司会:浦口直樹(TBSアナウンサー)

(*01)TBSラジオ音源らしい 新宿・末広亭 昼席 収録らしい(詳細アナウンスなし)
 マクラで「TBSを聴いている人 云々~」と喋っていたので 噺の中で「新宿・末広亭 昼席」と喋っていたので
 

◆十代目桂文治 プロフィール紹介
大正13年(1924) 当時の人気の落語家の一人 初代柳家蝠丸(やなぎや ふくまる)の長男として生まれました
戦争から復員した 昭和21年(1946)に 初代桂小文治に入門(小よし)
昭和33年(1958)に真打に昇進しました(伸治 二つ目も同じ名前)
桂伸治 を名乗っていた若手時代には「古典落語」の修業に明け暮れる一方
テレビの人気番組「お笑いタッグマッチ」等にレギュラー出演し 全国区の人気者になりました
昭和54年(1979)には 十代目桂文治を襲名
「江戸ことば」を人一倍大切にした 気っ風(きっぷ)の良い高座で 多くのファンから愛され続けました
平成11年(1999)からは「落語芸術協会」の会長を務めまして 後進の育成や落語界の活性化等に心を砕いて
いましたが
会長職の任期が切れる最後の日 一昨年 1月31日に 急性白血病で亡くなりました 80歳でした

(浦口直樹 談)
間もなく亡くなって2年になりますが 生前 公開録音で東北の方へ何度か 御一緒しました
普段から和服姿で 歩く姿が粋の良さ  茶目っ気のある 大きな目を思い出します

2006(H18)/01/28(土)の放送

2006-01-28 21:32:36 | 落語 演芸/放送後記
志の輔特選落語/文化放送(志の輔ラジオ「土曜がいい!」内)
2006(H18)/01/28(土) 12:05-12:30
八代目 雷門助六 「七段目」 1988(S63)/12/11放送 文化放送「辛口名人会」 とのこと

出演:立川志の輔
番組アシスタント:吉田涙子(文化放送アナウンサー)

◆志の輔 解説(演目放送前 抜粋)
*「志の輔らくご in Parco」 一ヶ月公演の中で「プログラム その2」の一番最後で「忠臣ぐらっ」と云う
 オリジナル落語をやった
 その時のマクラで喋った中で「講談とか 他のジャンルには「忠臣蔵」を扱ったものは山の様にあるが
 落語の中にだけには「忠臣蔵」はないんだ」と話した
 で 聞いたお客さんの中で 落語に詳しい方は「そんな事はないよ 「四段目」「七段目」「九段目」が
 あるじゃん」と おっしゃいましたが 落語の中に「忠臣蔵」のお芝居(歌舞伎)が大好きな「子供」や
 「若旦那」が登場して来る噺は沢山あるが 「忠臣蔵」自体を落語にして「「忠臣蔵」とは何か?」の
 噺は無いので 今回創って演じた

*八代目助六師承は 「綺麗~な お爺さま」でした (髪が)ロマンスグレーでがっしりした感じで 優しそうで
 「この人が師承だったら お宅にお邪魔していても帰るのを忘れる位 良い空気が家に流れているんだろう
 なぁ?」と 思いながら談志の所にいた(笑)

*志の輔 前座修行時代 偶々 助六師承の「長短」がテレビで放送された翌日 談志師承の家で
 師承が助六師承の「長短」を初めて観て「「ああ 演じられたら そうだよなぁ~」 納得させられた」
 と言っていた
 「機会があったら 助六師承の「長短」は聴いておく様に」と云われた

*助六師承は品のある感じがする
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日本の話芸/NHK教育テレビ
2006(H18)/01/28(土) 13:45-14:15
四代目 桂福團治 「蜆売り」(しじみうり)
2006(H18)/01/10(火) 第252回 NHK上方落語の会 NHK大阪ホール 収録
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*未チェック

落語研究会/BS-i
2006(H18)/01/29(日) 00:00-01:35
入船亭扇治 「千早ふる」   2005(H17)/01/25(火) 第440回 出囃し:からかさ
橘家圓太郎 「まぬけの釣」  2005(H17)/01/04(火) 第439回 出囃し:圓太郎囃子
入船亭扇遊 「三井の大黒」  2005(H17)/01/25(火) 第440回 出囃し:道成寺
TBS落語研究会 東京・三宅坂 国立劇場小劇場 収録

2006(H18)/01/27(金)の放送

2006-01-27 22:21:52 | 落語 演芸/放送後記
上方演芸会/NHKラジオ第1
2006(H18)/01/27(金) 21:30-21:55
四代目 桂梅團治 「鬼の面」(おにのめん)
2006(H18)/01/10(火) 第252回 NHK上方落語の会 NHK大阪ホール 収録 とのこと
司会:井上善夫(元NHKアナウンサー)

●桂梅團治 プロフィール(演目前に紹介)
1957年(S32) 岡山生まれ
桂梅團治さん 23歳の時 1980年(S55)に 三代目桂春團治に入門
最初は 桂春秋(かつら はるあき)を名乗りました
1997年(H09) 四代目桂梅團治を襲名
襲名興行は 大阪・道頓堀の中座で 落語家の襲名興行が初めて行われ 800の客席が大入り満員の盛況で
話題を集めた
今年 中学3年生になる長男の 桂小梅は小学3年の頃から高座に上がっていて 今では「ちびっ子落語家」として
梅團治と親子競演する等して 親子共々人気を集めている

2006(H18)/01/25(水)の放送

2006-01-25 20:55:13 | 落語 演芸/放送後記
ラジオ名人寄席(再放送)/NHKラジオ第2
2006(H18)/01/25(水) 12:10-12:35
国友昭二・南道郎 漫才「常識です」  1953(S28)/頃 収録 とのこと
席亭:玉置宏 ゲスト:澤田隆治(メディア・プロデューサー)


◆席亭と澤田隆治 会話の抜粋

*東京漫才 録音は貴重品

*澤田隆治 高校から大学時代頃 この漫才コンビは良く聴いた 大学生の頃 漫才のテンポ・内容がピッタリ
 はまった(澤田 談)
*青空トップ・ライト(後のコロムビアトップ・ライト)と同時期 若手のライバル(席亭 談)

*国友昭二は当時は大学生 南道郎は学徒動員で復員してきたが「学生漫才」で売った(澤田 談)

*澤田隆治 ラジオ局社員当時 南道郎に会った頃は コンビ解消後(昭和30年(1955))コメディアンに転向
 ラジオのコメディ番組に出て貰おうと思ったが 舞台の立ち回りで目を突いて怪我をして 出演してもらえな
 かった
 南道郎は舞台で兵隊役 特に意地悪な下士官役が良く似合っていた その後 舞台・映画で活躍(澤田 談)

*国友昭二は コンビ解消後 歌謡ショーの司会者をしていたが 漫才がやりたかった
 歌謡ショーのバンドマンだった 榎本晴夫(漢字詳細不明)と 漫才コンビを組んだ
 バンドマン当時 榎本は演奏中にも動きが面白く受けていた
 このコンビもかなり売れた 寄席は「東宝名人会」にだけは出演していた
 歌手の三浦洸一さんの歌謡ショーの司会コンビもしていた(ビクターの歌謡ショーの司会が多かった)
 (席亭 談)

*「常識ですよ」は 南道郎のギャグで当時は流行った(澤田 談)
*南道郎は E.H.エリックと 一時期漫才コンビを組んでいた その後 E.H.エリックはボードビルに転向
 (澤田 談)

*トリオブームの頃 国友昭二 榎本晴夫(漢字詳細不明) 志賀あきら(漢字詳細不明)で
 「サラリーマントリオ」として サラリーマンコントをやっていたが 自然消滅した
 志賀あきら は マヒナスターズの司会者だった
 その後 国友昭二は一人で司会をしていた(席亭 談)
 
*その頃 武井義明 等のジャズ畑の司会をしていたのが ボーラ・レイ(詳細不明)で 現在の ケーシー高峰
 (席亭 談)


*2002(H14)/02/06 2005(H17)/01/26再放送

2006(H18)/01/24(火)の放送

2006-01-24 23:05:52 | 落語 演芸/放送後記
ラジオ名人寄席(再放送)/NHKラジオ第2
2006(H18)/01/24(火) 12:10-12:35
八代目 雷門助六 「七段目」  1981(S56)/11/13 第269回 東京落語会 とのこと
席亭:玉置宏


「残しておきたい江戸情緒 下座のお囃子 寄席幟」
「ラジオ名人寄席」 あたくしは席亭の玉置宏でございます 御来場 誠に有難う存じます
この「ラジオ名人寄席」には 嘗て一世を風靡致しました 東西演芸界の「名人」「上手」「人気者」が
それぞれの十八番で御機嫌を伺います

◆席亭解説(演目放送前)
今席は 八代目雷門助六さんの「七段目」でございます
え~ ご存じ「七段目」 これは「仮名手本忠臣蔵(かなてほんちゅうしんぐら)(*01)」 「七段目 茶屋場
(*02)」と云われる場面を 下敷きに致しております
日誌を読んで 仇討ちの計画を知りました 遊女「お軽(おかる)」を身請け致しました あ~
「後に殺してしまう」と云う
え~ 大星由良助(おおぼし ゆらのすけ)の腹の内を察した お軽の兄 平右衛門 は え~ 自ら妹を手に掛け
その手柄で 討ち入りの同士に加えて頂こう と ここが まっ「見せ場」としている場面でございます
この辺を え~「芝居噺」を得意に致しました 六代目桂文治という師承が「芝居道楽」 こう云う題名で 同じく
芝居をネタに致しました「碁泥」 それから「四段目」 これは別題「蔵丁稚(くらでっち)」と云っております
が 兎に角オムニバスで演じた速記が残っております これがスタンダードになっている様でございますが
兎に角「芝居を良く観る噺家さんが 高座に掛けた」と云う う~ 一席でございます
今日聴いて頂きますのは 昭和56年(1981) 11月13日 269回 東京落語会の高座でございます
それでは 八代目雷門助六さん「七段目」でございます
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◆席亭解説(演目放送後)
東京落語会の高座から 八代目雷門助六さんの「七段目」でございました
芝居がきちっと身に入っていなければ こういう噺は「ハメもの」としてできませんですね
二代目の円歌さん 先代円歌さんも得意にしてらっしゃいました
現役では 圓彌さん 小朝さん 正雀さん 手掛けとおります 若手の方では そうですねぇ あの~ 福助さん
の声色等を使いましてね 林家たい平さんが演じて 受けております
で~ 上方では 米朝さんが 古い形を継承してらっしゃいまして サゲも「七段目から 落ちたのか?」
「いいえ 天辺から」 逆になっています これが昔の型なんでございますがねぇ 米朝さんは こちらで演じて
らっしゃいます

さて 平成8年(1996)の 4月から 月曜 火曜の夜9時30分から 25分番組として放送して参りました
「ラジオ名人寄席」
新年度に入ります4月からは 放送日を日曜夜7時20分に 時間移動致しまして 40分番組としてお送りする事に
なりました
4月4日の日曜日からは 長いお噺も 二度に渡る事無しで お楽しみ頂ける様になります
4月4日からの40分番組 9年目に入ります「ラジオ名人寄席」に ぜひ御期待頂きたいと存じます

兎に角 今日聴いて頂いた 助六さんは 子供の時分から高座へ上がってらっしゃいました
明治の終りでございます 達者な子供の噺家さんが 4人おりました
圓生さんの圓童(えんどう) 柳橋さんの柳童(りゅうどう) 金語楼さんの金登喜(きんとき)
助六さんの小助六
まぁ~ 小さい頃から達者でいらっした様でございます

本日は「七段目」八代目助六さんでございました


お相手は 席亭のわたくし玉置宏でした それでは次回をお楽しみに
本日も「ラジオ名人寄席」への御来場 誠に有難う存じました


*2004(H16)/03/16 2005(H17)/01/25再放送


(*01)仮名手本忠臣蔵(かなてほんちゅうしんぐら)
 「忠臣蔵」として有名な 実際にあった 赤穂浪士の仇討を題材にした戯曲で 歌舞伎、文楽で演じられる
 後に映画やテレビでも多く演じられている
 忠臣蔵 - Wikipedia
(*02)茶屋場=「祇園一力茶屋の場」
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真打ち競演/NHKラジオ第1
2006(H18)/01/24(火) 21:05-21:55
歌謡漫談:バラクーダ
漫才:青空一歩・三歩 「自己改革」
落語:三遊亭楽太郎 「禁酒番屋」
収録日? 東京・渋谷 NHK放送センタ-505スタジオ 収録
司会:中江陽三(元NHKアナウンサー)


◆演者紹介(番組冒頭)
バラクーダ
様々な音楽活動をした後 この3人が集まりました
社長:岡本圭二(ボーカル)さん そして 店長:及川ちかし(ベース)さん 座長:具志堅おさむ(ギター)さん
このお二人は兄弟 という「トリオ」でございます
この3人になってからは 10年ちょっと その前にも「バラクーダ」というのはございました
ですから「二代目バラクーダ」と言ったら良いんでしょうか?
それから数えますと 30数年には なるんではないでしょうか?
「中小企業楽団」と申しております
今日も 多分 お馴染みの 「アノ歌コノ歌」が出てきて 会場の皆様 ラジオをお聴きの皆様も よろしかったら
口ずさんで頂きたいと思います

*自作の「僕の日記」も唄う 作詞:岡本圭二 作曲:及川ちかし 即死:おさむ
*初代?「バラクーダ」は 結成は1974年(S49) メンバーは岡本圭二 と ベートーベン鈴木(ギター)
 1986年(S61)に解散


●青空一歩・三歩
「青空」一門 元をただせば コロムビアトップ・ライトさんになる
この方々は 青空一夜さんのお弟子さんですから トップ・ライトさんからは「孫弟子」にあたる
トップ・ライトさんも出出しの頃は 戦後 「青空トップ・ライト」さんでしたから
「青空一門」というのは 永々として続いている中の お二人でございます


三遊亭楽太郎
皆さん もう ご存じでございますね 大学在学中にスカウトされる形で この道に入られました
「圓楽一門」というよりも 落語界の華のある高座を勤める お一人でございますねぇ
「古典」から「今日の世相」迄 色々勉強家としても通っております
珍しく「博士号」を持ってらっしゃいます 本当ですよ これは
「青年だ 青年だ」と思っていた楽太郎さんも いつの間にか 50代半ばの「おじさん」になってました
でも 高座は若々しいですよ

2006(H18)/01/23(月)の放送

2006-01-23 21:59:41 | 落語 演芸/放送後記
ラジオ名人寄席(再放送)/NHKラジオ第2
2006(H18)/01/23(月) 12:10-12:35
六代目 春風亭柳橋 「笠碁」  (音源データ アナウンスなし)
席亭:玉置宏


「残しておきたい江戸情緒 下座のお囃子 寄席幟」
「ラジオ名人寄席」 あたくしは席亭の玉置宏でございます 御来場 誠に有難う存じます
この「ラジオ名人寄席」には 嘗て一世を風靡致しました 東西演芸界の「名人」「上手」「人気者」が
それぞれの十八番で御機嫌を伺います

◆席亭解説(演目放送前)
え~ 今席は 六代目春風亭柳橋さんの「笠碁」でございます
え~ 明治の時代には 三代目柳家小さん の十八番として知られていた お噺でございます
え~ かの名人 圓鏡が三代目小さんの「笠碁」を高座で聴きました その上手さに「もう決して 私はやらない
よ」と宣言をしたと云われるのが 「笠碁」でございます
その後 三代目小さんから 七代目の三笑亭可楽 この方は俗に「玉井の可楽」と云われた方でございます
この七代目可楽さんが得意と致しました 他に 三代目の三遊亭小圓朝さん 四代目の柳家小さんさん そして
八代目の三笑亭可楽さん 十代目金原亭馬生さん 五代目柳家小さんさん そして今日の六代目春風亭柳橋さん等が
私共 寄席へ通っている そんな中で 良くトリの時に聴かせて下すったお噺でございます
でぇ~ 5代目の志ん生さんも この噺をやったんですが 志ん生さんは「改作」をして演じておりました
志ん生さんはねぇ 「碁」でないんです 志ん生さん自体が将棋が大好きだったもんですから 「碁」でなく
「将棋」でやりました
ですから え~ 噺の題名も「雨の将棋」と こう云う題で 志ん生さんはやってらっしゃいました
あの~ 「笑い」は ぐんと 志ん生さんの「雨の将棋」の方が多かった様に記憶しております
でぇ~ サゲでございますが う~ まっ 指している内に 片方の王様が無くなってしまう 捜す内に 何と
駒が「股ぐら」から出て来ちゃうんですねぇ
「う~ん かなわねぇからだろうなぁ 金の後ろへ逃げやがった」って これが志ん生さんの「雨の将棋」のサゲ
でございます いやぁ 実に「珍」なるものでございました
それからぁ~ う~ん そうですねぇ  一周忌が間もなくまいりますけれども 五代目の小さんさん
この方は え~ 三代目の柳亭燕枝という方に 直接稽古を付けて貰ったんだそうです
でぇ~ それまでの「笠碁」は え~「待った」をした旦那が 家の中から こう「目で追う」その仕草だけで
こう 表現をしていくという やり方だったんだそうですが 小さんさんは あの~「笠を被って 雨の中を
行ったり来たりする」 あの描写を「たっぷり」と やってくだすった様な特色を あたくしは感じておりました
さぁ それでは お待遠様でございました 六代目春風亭柳橋さん「笠碁」でございます
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◆席亭解説(演目放送後)
六代目春風亭柳橋さんの「笠碁」でございました
え~ ラジオが普及する前の娯楽として レコードは大変な人気商品でございました
当時の「落語のレコード」といたしまして 西では 初代の桂春團治 東では 柳家金語楼 このお二人が
レコード売上げの方の「両横綱」だった という 数字が残っております
これを追って 東京では え~ 今日聴いて頂いた 六代目春風亭柳橋さん 三代目三遊亭金馬さん 初代の柳家
権太楼さん こういう方達が まっ あ~ 人気落語家だった訳でございます
「SPレコード」の時代 落すと割れてしまう「アレ」でございます 片面3分 時間も短いんですねぇ
「歌は3分間のドラマと申します」と これは 高橋圭三さんが 好んで使ってらっした「名文句」
これが「生きていた」時代でございます
「表」「裏」両面使っても 6分少々という この6分少々で一席の落語を吹き込む  ねえ~
もちろん噺家さんも稼ぎにはなりますが とても大変だった様です
え~ そういう苦心の中から生まれましたのが 六代目柳橋さんの「そば屋」という 噺なんでございます
え~ 企画では「うどん屋」をやると こういう事だったんだそうですが とても6分には収まりません
そこで同じ様に「麺類を扱う商人に酔っ払いが絡む」という あらすじだけを活かしましてねぇ
「中華そば」に 胡椒(こしょう)をいっぱい こう 掛けていくという つまり「そば屋」(*01)
これを作ってレコード大ヒットした これ~が 昭和の ひと桁の時代でございますねぇ
でぇ~ 古典を縮めてレコードにするには問題が多すぎます
でぇ 「6分なりの短い落語」と云うよりは あ~「レコード用の新作小咄」 こう云った方がよろしいでしょうか
え~ これが あ~ 作家を交えまして もちろん噺家さん自身も自分でお創りになったり え~ いわゆる
「レコード用の新作」が数多く吹き込まれました
え~ 昭和初期の人気落語家 として まぁ さっきも申し上げた 柳橋さん 金語楼さん え~ それに
金馬さん もちろん先代でございます え~ 権太楼さん
特に 三代目金馬さんの「居酒屋」 権太楼さんの「猫と金魚」 この二席は今でも 現代の噺家さんが
ちょいちょい高座に掛けてくれます
もう 今ですと そうですねぇ 十代目の文治さん 桂文治さんの「猫と金魚」 そいから 今の八代目圓蔵さん
圓蔵さんの「猫と金魚」も中々結構なもんでございます
え~ 戦後「LP」が出来る迄は やはり「3分間のドラマ」の時代が ず~っと続く訳でございますがぁ
一気にLPレコードが普及するに及んで それ迄「落語のレコード」っていうのは もう兎に角「いやぁ~ 何か
テンポばかり 速くって」と 本当に寄席を愛した方々には「レコードは買う気がしねぇよ」なんて云う 御贔屓が
あった様でございますがぁ
「LP」が落語を「ぐ~ん」と 普及させた事は間違いございません

今日は六代目柳橋さんの「笠碁」でございました


お相手は 席亭のわたくし玉置宏でした それでは次回をお楽しみに
本日も「ラジオ名人寄席」への御来場 誠に有難う存じました


*2003(H15)/05/06 2005(H17)/01/24再放送

*(*01)「支那そば屋」
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BSふれあいホール「お楽しみ寄席」/NHK-BS2
2006(H18)/01/23(月) 18:00-18:45
ギター漫談:あさひのぼる
俗曲:桧山うめ吉 (梅は咲いたか 都々逸「梅に鶯」 民謡「磯節」 民謡「おてもやん」)
落語:桂竹丸 「西郷隆盛伝」
2005(H17)/12/08(木) 東京渋谷NHK みんなの広場ふれあいホールで収録
司会:国府弘子


プロフィール(演目前に司会者が紹介)
あさひのぼる
威勢の良い漫談と渋い歌声で 世の中に楽しく「喝」を入れてくださる あさひのぼるさん
トレードマークとなった あの「掛け声」で 今日も会場を沸せてくれます
それでは あさひのぼるさん お願いしま~す

*演目後 短いインタビュー
「そうだろう! みんな~」「そうだ~!」の「そうだろう党」は
南は九州 北は北海道 全国各地に 広く薄く「党員」がいる


桧山うめ吉
日本髪と可憐な和服姿が粋な 桧山うめ吉さんです
江戸から戦後迄の流行歌を 透き通った歌声で披露して下さいます
日本の情緒をたっぷり お楽しみ下さい
それでは 桧山うめ吉さん お願いしま~す

*演目後「演芸ふれあい講座 この人この芸」
着物の着付けは自分でやっている 日本髪はカツラではなく 自分の毛で結っている
今朝も自宅で自分で結った 初めは1時間位掛かったが 今は15分で結える様になった
寄席囃子を5年間修行
三味線を始めた頃 広告で寄席囃子の勉強の事を知って 始めた

現在は色々な音楽とのコラボレーション等もしている
ジャズのミュージシャンと一緒にライブハウスで演奏もしている バンドマン+ダンサー総勢12人位でやっている

「三味線ブギウギ」を披露  ドラム・和太鼓:梅田英伸 サックス:唐木洋介(とうのき)

今年3月にアメリカ・テキサスで公演を予定している


桂竹丸
パワフルな落語でお客さんを 笑いの渦に巻き込んで下さる 桂竹丸師承
「古典」だけではなく「創作落語」にも力を入れています
それでは 桂竹丸さん よろしくお願いしま~す

西郷隆盛 - Wikipedia


◎ふれあいメッセージ(出演者の1人にメッセージを書いて貰う)
「生きて 笑えて もうけもの。」 桂竹丸

*今日はエンディング 終りの挨拶をしてから 時間が余っているらしく 手を振っている場面が映っている時間が
 長かった
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浅草お茶の間寄席/千葉テレビ
2006(H18)/01/23(月) 19:00-19:55
三遊亭右左喜 「生徒の作文」
九代目 雷門助六 「春雨宿」
二代目 昔々亭桃太郎 「お見合中」
収録日時? 浅草演芸ホール 収録

◆オープニング(浅草演芸ホール前にて)
視聴者からのハガキ紹介
◆エンディング(浅草演芸ホール前にて)
番組への御意見御希望 出演者のリクエスト等 募集
案内人:小笠原聖

2006(H18)/01/22(日)の放送

2006-01-22 23:50:41 | 落語 演芸/放送後記
落語研究会/TBSテレビ
2006(H18)/01/22(日) 04:25-05:15
入船亭扇遊 「三井の大黒」
2005(H17)/01/25(火) 第440回 TBS落語研究会 東京・三宅坂 国立劇場小劇場 収録
出囃子:道成寺


*一部番組表では 04:30~ の放送とあったみたいだ
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ラジオ名人寄席/NHKラジオ第1
2006(H18)/01/22(日) 19:20-19:58
五代目 柳家小さん 「粗忽長屋」  (音源データ アナウンスなし)
六代目 三升家小勝 「味噌豆」   (音源データ アナウンスなし)
席亭:玉置宏

「残しておきたい江戸情緒 下座のお囃子 寄席幟」
「ラジオ名人寄席」 あたくしは席亭の玉置宏でございます 御来場 誠に有難う存じます
この「ラジオ名人寄席」には 嘗て一世を風靡致しました 東西演芸界の「名人」「上手」「人気者」が
それぞれの十八番で御機嫌を伺います


◆席亭解説(前半 演目放送前)
今席は 五代目柳家小さんさんと 六代目三升家小勝さんの 落語二題でございます
え~ もう 小さん師承の演目は沢山 お聴き頂いてきたんですがぁ 十八番中の十八番が まだ出ていなかった
事に気付きました
お待ちかねの方も多いと思います 「粗忽長屋」を まずお送りしたいと存じます
まっ 世間では「非常識」 こう云われている考え方 或いは「行動」を そっくり肯定した上で それをお話
する事を 売り物にしとおりますのが「落語」であり また「噺家」であると わたくしは思うんでございますが
ねぇ
で そういう意味で行きますと 今日聴いて頂きます「粗忽長屋」は「落語中の落語」ではないかと こう思います
では まず 五代目小さん師承の「粗忽長屋」でございます
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◆席亭解説(前半 演目放送後)
ねぇ~ 小さん師承の十八番 「粗忽長屋」でございました
え~何と 文化4年と云いますから 1807年ですねぇ 寄席のネタ帳に「そそっかしい男 俺ではない」と云う
まっ 題名ともつかず 本当の楽屋の記録でございますがねぇ 載っているそうですから
「落とし話」の寄席が始まった頃から 高座に掛かっていた一席と言って宜しいと思います
え~ 小さん師承が このお噺の稽古を 師承である四代目小さん師承から付けて頂いたのは 二つ目の 小きん
の時代だったそうでございます
で 特に難しい所は 兄貴分が浅草から帰ってきます で 熊公に「お前は死んでるよ」っていう事を知らせる
やり取り つまり 「マメでそそっかしい兄貴」は 言葉を こう 被せる様に話し掛けていく で
「無精でそそっかしい熊さん」の方は 間(ま)を置いて返事もすぐにはしない と つまり「マメ」と「無精」の
粗忽者を演じ別ける難しさ この辺を きちっと師承に教えてもらったそうでございます
二つ目が 小きん そして 九代目小三治を襲名して 真打に昇進致します これが昭和22年(1947)の9月の事
でございます
この真打昇進披露公演中の9月30日 師承である四代目小さん師承が 60歳で亡くなります
で 九代目の小三治は 八代目の桂文楽さんの門人として預けられます
この黒門町の師承(*01)の英才教育と強力な後押しで 昭和25年(1950)の秋に 五代目小さんを襲名する訳で
ございます
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◆席亭解説(後半 演目放送前)
さて 黒門町の門人となりました時点で 二代目の桂右女助(かつら うめすけ)さんの つまり 「兄弟弟子」
と云う事になるんですねぇ
え~ この兄弟子に当たる 桂右女助さんが 六代目三升家小勝を襲名したのは 昭和31年(1956)の3月で
ございます
しかし 小勝を襲名致しましてからは 病気がちでございましてねぇ え~ 本当にきちっとした高座は 聴かせて
もらえない様になりました
師承である 文楽さんの後を追う様に 昭和46年(1971)の12月29日 師承が亡くなってから17日後になるんで
ございますが 63歳で没しております
え~ 只今の小勝っぁんは 八代目になる訳でございます
それでは 六代目小勝師承の「味噌豆」と云う 軽~い一席でございます
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◆席亭解説(後半 演目放送後)
本当に 寄席なんかでも 色々時間が押してきたりで 短っかくやって高座を降りる なんて云う時には この
「味噌豆」なんてお噺が ぴったりで もう お子さんの多い時なんかは もう ほんとに受けました
もう 小勝っあんも それから 金原亭馬生さんも 良くなさいましたですねぇ

今日は小さん師承の「粗忽長屋」 六代目小勝師承の「味噌豆」でございました

この六代目小勝で亡くなった師承は 黒門町の師承の 本当~の秘蔵っ子でございました
でぇ~ 当時と致しましては 大変珍しかったんですねぇ 電気学校を卒業してらっしゃるんです
で その後 水道局の技師を務めた と云う時代がございます サラリーマンの体験者な訳です
「お役所」と云っても良い所でしょうねぇ 水道局ですから
この時代に召集されます で 兵役を致しまして これを終えた 昭和5年(1930)の3月 22歳で黒門町の師承
に入門しております
「古典」と「新作」の 両刀使いのエースと いう事で え~ この小勝師承は昭和11年(1936) まだ 勿論
桂右女助の時代でございますが 御自分で作った作品をレコードにしました これが何と「水道のゴム屋」という
「名作中の名作」として まっ「新作のバイブル」の様に ず~っと伝えられております
これ 御自身の作なんですねぇ
これを 昭和11年(1936)にキングレコードから発売致しました 大ヒット致しました
え~ 柳橋さんも 金語楼さんも もちろん金馬さんが一番SPレコードの数は多く出してらっしゃるんですが
こういった皆さんに後して 今で云う「ヒット賞」は間違い無く受けていらっしゃるだろう
このレコードがバ~っと全国的に売れまして この桂右女助 二代目さんでございますが え~ ネームバリューが
ぐ~んと上がったと云うのが「水道のゴム屋」
え~ 戦後の僕達 寄席へ通った者にも う~ん「水道のゴム!」「ゴム屋!」「ホース屋!」なんていう声が
客席から掛かりましてね
もう 本当に何~度も聴いた で 何度聴いても受けた「新作」でございました
もちろん その時代時代を 「ポンポンポン」とギャグに放り込んでいかれたのも 懐かしい想い出でございます

今日は落語二題でお楽しみ頂きました
出演は柳家小さんさんと 六代目三升家小勝さん


お相手は 席亭のあたくし玉置宏でございました
本日も「ラジオ名人寄席」への 御来場誠に有り難う存じました


*(*01)黒門町=八代目桂文楽の事
 住んでいたのが黒門町だったので そう呼ばれた
 大師承になると 住んでいる町の町名で「黒門町の師承」などと呼ばれていた
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らんまんラジオ寄席/TBSラジオ
2006(H18)/01/15(日) 20:00-20:55
「懐かしの名人 八代目桂文楽特集」
八代目 桂文楽 「厄払い」  1968(S43) の高座から とのこと
桂文楽インタビュー 「寝床」について 聞き手:徳川無声 (寄席の楽屋にて収録 とのこと)(*01)
八代目 桂文楽 「寝床」   1959(S34) の高座から とのこと
司会:浦口直樹(TBSアナウンサー)


(*01)「桂文楽インタビュー」は大変に貴重な録音とのこと ラジオ番組の為のインタビュー録音だと思われる

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*本日「笑いがいちばん/NHK総合テレビ」は別番組で放送なし 来週は放送あり

2006(H18)/01/21(土)の放送

2006-01-21 18:11:47 | 落語 演芸/放送後記
志の輔特選落語/文化放送(志の輔ラジオ「土曜がいい!」内)
2006(H18)/01/21(土) 12:05-12:30
六代目 笑福亭松鶴 「犬の目」 1965(S40)/07/23放送 文化放送「ラジオ寄席」 とのこと
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日本の話芸/NHK教育テレビ
2006(H18)/01/21(土) 13:45-14:15
宝井琴梅 講談「正直車夫」
収録日? 東京・浅草 木馬亭 収録

2006(H18)/01/20(金)の放送

2006-01-20 22:47:59 | 落語 演芸/放送後記
上方演芸会/NHKラジオ第1
2006(H18)/01/20(金) 21:30-21:55
三代目 桂小米朝 「稽古屋」
 2005(H17)09/14(水) 第250回 NHK上方落語の会 NHK大阪ホール 収録 とのこと
司会:井上善夫(元NHKアナウンサー)

●桂小米朝 プロフィール(演目前に紹介)
1958年(S33) に 大阪府で生まれました(桂米朝 長男として)
1978年(S53) 小米朝さん 20歳に時 実の父親でございます 人間国宝の(三代目)桂米朝の門を叩きまして
正式に入門致しました
落語家でありながら 「ミュージカル」や「クラシック音楽」にも 大変造詣が深く オーケストラと競演する
「オペラ」と「上方落語」を合体させた「オペ落語」と云う 新しいジャンルにも挑戦していらっしゃいます
また タレント・俳優として テレビ・ラジオ・舞台・映画等 その活躍振りは 実に幅広いものがございます
で もちろん 本来の落語の方も 疎かにしている訳ではございません
「古典落語」に 大変熱心に取り組んでいらっしゃいまして 桂米朝さんとも 親子での落語会等を 何回も開催
して 師承の芸を意欲的に吸収しております

*当日は 桂小米朝 第250回目の「NHK上方落語の会」という事での「記念口上」の司会進行をしていた
 記念口上には 桂三枝 笑福亭仁鶴 桂春團治 桂米朝

*当日の模様は 2005(H17)/11/28(月) 16:45-18:00 「上方演芸ホール/NHK-BS2」で放送された


*「NHK上方落語の会」
第1回は 昭和36年(1961)5月 会場は 大阪心斎橋の「日立サルーン」
5年後の昭和41年(1966)10月  会場は 大阪心斎橋の「日立ホール」(80人も入れば満員の 小さなホール)
次第に落語の人気が高まってきて 昭和47年(1972)からは 会場は「大阪厚生年金会館・中ホール」へと移り
平成13年(2001)からは 客席数1400人余の「NHK大阪ホール」で開催する様になり 現在に至る


*来週の「上方演芸会/NHKラジオ第1」も「落語」を放送予定

2006(H18)/01/18(水)の放送

2006-01-18 20:38:16 | 落語 演芸/放送後記
ラジオ名人寄席(再放送)/NHKラジオ第2
2006(H18)/01/18(水) 12:10-12:35
横山やすし・西川きよし 漫才「やすしきよしの漫才修業」
 1986(S61) 関西テレビ「花王名人劇場」 コンビ結成20周年番組 とのこと(*01)
席亭:玉置宏 ゲスト:澤田隆治(メディア・プロデューサー)


*この2年後に 西川きよしは選挙に出るので漫才をしなくなってしまう
*このネタは全部がアドリブだった とのこと

*横山やすしと澤田隆治は 年齢は違うが 3月18日生まれで 同じ誕生日で 毎年 電話で「おめでとうさん」
 と掛かって来た
 やすしと澤田隆治の初めての出会いは 昭和32年(1957)12月31日で 澤田が担当していた「漫才教室」
 という番組で やすしが中学2年生の素人の時だった 漫才に関しては凄かった とのこと
*やすしは数字に強い人だった(誕生日や 素人時代の予選の録音日や 様々な数字を覚えている)
*番組収録当時は やすしは アマチュアの競艇に凝っていて 減量の為 食事を取らず ビールだけで過ごして
 いて 肝臓をやられていて 体調が良くなく 決して最高潮の漫才ではない

*このネタは 最近どこかで聞いた事があったが 西川きよしと大平サブローとのコンビで そのままやっていた
 (席亭談)


*2002(H14)/03/20 2005(H17)/01/19再放送


*(*01)1986(S61)/09/08放送 「花王名人劇場」(市販DVDのタイトル から調べて)

2006(H18)/01/17(火)の放送

2006-01-17 22:24:30 | 落語 演芸/放送後記
ラジオ名人寄席(再放送)/NHKラジオ第2
2006(H18)/01/17(火) 12:10-12:35
五代目 古今亭志ん生 「宮戸川」  志ん生晩年の「東宝名人会」の録音 とのこと(詳細アナウンスなし)
席亭:玉置宏


「残しておきたい江戸情緒 下座のお囃子 寄席幟」
「ラジオ名人寄席」 あたくしは席亭の玉置宏でございます 御来場 誠に有難う存じます
この「ラジオ名人寄席」には 嘗て一世を風靡致しました 東西演芸界の「名人」「上手」「人気者」が
それぞれの十八番で御機嫌を伺います

◆席亭解説(演目放送前)
え~今席も 五代目古今亭志ん生さん 晩年の高座から一席お楽しみ頂きましょう
今日の出し物は「宮戸川」でございます
え~ 志ん生師承は生涯を通じて「自分」という色を 芸ばかりじゃございません 全てに「塗りたくってみせて
くれた」大師承(おおししょう)でございました
従いまして 志ん生さんの芸は 志ん生さん以前にも また 志ん生さん以後にも決して生まれる事のない
「極めて強い個性に貫かれていた」と こう言えると思います
まっ 煎じ詰めますと「志ん生さん独自の言葉を持っていた」と 云う事に尽きると思います
志ん生さんは いつどこにいらしても 志ん生さんでございました
え~ 病に倒れて 自宅の炬燵(こたつ)に入りながら テレビのお相撲を観ていても 「志ん生さんである事を
忘れ様としなかった」と 御長男の十代目の馬生師承が語ってらっしたのを思い出します
え~それでは 大変色っぽいお噺でございますが あの~「枯れた」晩年の志ん生さんならではという その部分
をぜひ お聴き取り頂きたいと存じます 「宮戸川」でございます
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◆席亭解説(演目放送後)
五代目古今亭志ん生さん 晩年の東宝名人会の高座から 「宮戸川」の「序」でございました
え~ これから この「宮戸川」 「下」もあるんでございますがねぇ 志ん生さんは おやりになりませんでした
お弟子さんの 金原亭馬の助さんが え~「芝居掛り」で 「下」を おやりになったのが残っておりますが
え~ これは以前に もう 皆様にも お聴かせ致しましたがぁ え~ 何とも「志ん生さんの世界」でございます
え~ この志ん生さんが高座に出なくなってから インタビューの仕事で 小沢昭一さんが え~ お宅を訪問
した時の事が 小沢さんの本の中にございます
え~ 「晩年の志ん生さんは 時々「志ん生」である事を 休んでいる様なところがあった」と こう書いて
らっしゃいます
え~「何でもない世間話でさえ 一席の落語の様であった」と 小沢さんは受け取った訳ですねぇ
志ん生さんという師承の存在そのものが「落語」だったんでございます
まっ こんな噺家さんは やっぱりもう 出て来っこはないと思うんでございますが こんなエピソードも
ございます
もう 志ん生さんが高座から引退した ある日 お宅の茶の間で ラジオで落語を聴いてらっした その内に
こう 頷いて 「う~ん 強次(きょうじ)のやつも これだけ喋れる様になりゃぁ 安心だ」
え~ 申し上げる事もなく「強次」と云うのは 息子さんの志ん朝さんの本名でございます
つまり 志ん朝さんも「これだけ喋れる様になりゃぁ もう安心だ」と こう 独り言の様におっしゃった
ところが この時 ラジオから流れていた落語は 嘗て 志ん生さん自身が演じた 録音が流れていたんだそうで
ございます
まっ 些か 出来過ぎた話と お思いになるかもしれませんが あたくしは あの~ う~ん このエピソードに
「ジーン」と くるものがございました
志ん生さんと志ん朝さんという「親子の噺家」の なんかこう 芸の本質を突いている様に思うんでございます
むしろ 志ん生さんの芸風は え~ 長男の十代目馬生さんよりも この志ん朝さんの方が受け継いでいると
いう風に どなたもお思いでございましょう 私も そう思っている一人でございます

今席は 晩年の志ん生さんで「宮戸川」をお楽しみ頂きました


お相手は 席亭のわたくし玉置宏でございました 次回は「漫才」でございます どうぞお楽しみに
本日も「ラジオ名人寄席」への御来場 誠に有難う存じました


*2000(H12)/10/10 2003(H15)/10/21 2005(H17)/01/18再放送
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真打ち競演/NHKラジオ第1
2006(H18)/01/17(火) 21:05-21:55
漫才:Wモアモア 「お婆ちゃんバンザイ」
三味線漫談:太田家元九郎
落語:古今亭志ん五 「宿屋の富」
2005(H17)/11/25(金) 三重県・玉城町保健福祉会館ふれあいホール 収録
司会:望月豊 NHK津放送局アナウンサー

*玉城町制50周年記念 NHK津放送局開局65周年記念

*当初は落語は 八代目橘家圓蔵の予定だった(公開収録 観覧募集の時)

ローカル岡さん逝く

2006-01-16 22:39:25 | 落語 演芸/雑記
とぼけた感じの漫談家 ローカル岡さんが 1月16日 肝硬変で62歳で亡くなった とのこと

派手なスーツ姿で パッと見は 恐い感じの「ヤの字」の付く職業風 売れないキャバレーの呼び込み風な感じ
茨城訛りで 日常の出来事を漫談にしていた

放送作家兼タレントの高田文夫が ここ数年押していた漫談家だった
最近は 一部では人気だったのに残念 放送にも結構出演していた

合掌!


Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <訃報>ローカル岡さん62歳=漫談家

2006(H18)/01/16(月)の放送

2006-01-16 21:40:52 | 落語 演芸/放送後記
ラジオ名人寄席(再放送)/NHKラジオ第2
2006(H18)/01/16(月) 12:10-12:35
五代目 古今亭志ん生 「猫の恩返し」 志ん生晩年の高座の録音 とのこと(詳細アナウンスなし)
席亭:玉置宏


「残しておきたい江戸情緒 下座のお囃子 寄席幟」
「ラジオ名人寄席」 あたくしは席亭の玉置宏でございます 御来場 誠に有難う存じます
この「ラジオ名人寄席」には 嘗て一世を風靡致しました 東西演芸界の「名人」「上手」「人気者」が
それぞれの十八番で御機嫌を伺います

◆席亭解説(演目放送前)
今席は 五代目古今亭志ん生さんで 大変珍しい一席でございます 「猫の恩返し」をお届けする事に致します
え~ 木下順二さんの名作を持ち出す迄もなく う~ 動物が人間に恩返しをすると云う「伝説」「民話」は沢山
ございます
で その動物も「鶴」であるとか「雀」「亀」「犬」色々でございますがぁ 落語には あの~「狸」の恩返しの
噺がいくつも ございますがねぇ
「猫」の恩返し というのは あまり聞かないんでございますが しかし「猫の恩返し」何とも とぼけた味わい
がございます
まっ 気取って云えば「猫塚の由来」とかなんか 付けられなくもないんでございますが え~ この「猫の恩返
し」と云う題名で 志ん生さんは やってらっしゃいます 何とも奇抜だなぁ~ と いう覚えがございます
それでは聴いて頂きましょう 五代目古今亭志ん生さん「猫の恩返し」
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◆席亭解説(演目放送後)
五代目志ん生さん 晩年の高座でございました 大変珍しい一席なんで え~ お届け致しました
「猫の恩返し」でした
え~ 昔っから 「犬は三日飼われれば 飼主の恩を忘れない」と こう云われております
また 「犬は人に付き 猫は家に付く」とも云われておりますねぇ
で~ 大体 この猫という まっ 今で云う「ペット」でございますかぁ~? 犬の様に人間に媚びる事を致し
ませんねぇ 猫は
猫好きの方は「そこが可愛いんだ」と おっしゃいます で~ それこそ「猫可愛がり」するんでございましょう
ねぇ
え~ 「とんでもない目に会う」とも思われているのが また「猫」でございます 「犬が化けた」ってお話は
ございませんが 「猫が化けた」という お話は本当に沢山ございます だからどう考えてみても あんまり
「恩返しの似合う顔ではない」と云う事なんですが
そこを 志ん生さんが え~「恩返し」という題にこだわってらしたっていうところが また 何とも志ん生さん
らしゅうございます
で その猫の恩がえし 事も有ろうに 小判を持ってくるでしょう? 「猫に小判」なんて云う諺(ことわざ)は
もう 丸で無視されているっていうとこが これもまた 何とも 志ん生さんらしいと思うんでございます
え~ 晩年の志ん生さん 歯切れの良い語り口では本当に無くなってしまいましたけれども え~ ともすれば
格調の高さばかりが問題にされ 「何よりも落語は面白くなきゃあならない」と云う 分り切った事が見失われて
いた時代にも 志ん生さんは「面白い落語」を聴かせてくだすった あの存在感は大変な物でございました

今席は 志ん生さんの「猫の恩返し」をお楽しみ頂きました


お相手は 席亭のわたくし玉置宏でございました 次回をどうぞお楽しみに
本日も「ラジオ名人寄席」への御来場 誠に有難う存じました


*2000(H12)/10/09 2003(H15)/10/20 2005(H17)/01/17再放送
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浅草お茶の間寄席/千葉テレビ
2006(H18)/01/16(月) 19:00-19:55
五代目 三遊亭圓雀 「辻占」
桂南なん 「うなぎや」
三代目 橘ノ圓 「酉の市」
収録日時? 浅草演芸ホール 収録


*「BSふれあいホール「お楽しみ寄席」/NHK-BS2」は 今週は放送なし
 (「BSふれあいホール/NHK-BS2」 番組自体の放送はある)