空飛ぶ!気まぐれ雑記帳

The Flying Capricious Notebook
気分次第で 気ままに書き込むつもりの『雑記帳』です。

2005(H17)/07/31(日)の放送

2005-07-31 23:23:59 | 落語 演芸/放送後記
笑いがいちばん/NHK総合テレビ
2005(H17)/07/31(日) 13:05-13:35
漫才:2丁拳銃
コント:デンジャラス
コント:ゆーとぴあ
落語:立川志の輔 「はんどたおる」
収録日? 東京・渋谷NHK放送センター スタジオ 収録?

*次週「笑いがいちばん」放送なし
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ラジオ名人寄席/NHKラジオ第1
2005(H17)/07/31(日) 19:20-19:58
五代目 柳家小さん 「青菜」   1961(S36)/ 上野 鈴本演芸場 収録 とのこと
木田鶴夫・亀夫 漫才「学芸会」  (音源データ アナウンスなし)
席亭:玉置宏

「残しておきたい江戸情緒 下座のお囃子 寄席幟」
「ラジオ名人寄席」 あたくしは席亭の玉置宏でございます 御来場 誠にありがとう存じます
この「ラジオ名人寄席」には 嘗て一世を風靡いたしました 東西演芸界の「名人」「上手」「人気者」が
それぞれの十八番で御機嫌を伺います

◆席亭解説(前半 演目放送前)
さて 今席は「漫才」と「落語」でございます
まずは 五代目柳家小さんさん この季節にはぴったりでございます 「青菜」をお聴き頂きましょう
この「青菜」と云う お噺を十八番にしとおりましたのは 今夜聴いて頂きます 五代目小さんさん
それから「野ざらし」で売りました 三代目の柳好さん 「らくだ」で売った 八代目可楽さん
それに 小品を沢山こなした そして「踊りの名手」でもございました 八代目の春風亭柳枝 と云った方々が
本当に十八番にしてらっしゃいました
この お噺の中に「柳影(やなぎかげ)」と云う お酒が出てまいります
「柳影」 これは「みりん」と「焼酎」を半々にした物なんだそうでございまして 江戸では このお酒を
「直し」と云っとりました
京都では「南蛮酒」 いずれ 夏の物でございまして 必ず「冷や」で飲んだ物だそうでございます
それでは 昭和36年(1961) 上野 鈴本演芸場で収録致しました 五代目小さんさんの「青菜」でございます
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◆席亭解説(前半 演目放送前)
昭和36年(1961)の柳家小さんさん「青菜」でございました
「サゲ」は「弁慶の立ち往生」から来ている訳ですね 上方の方へまいりますと 人に奢られる事を
「弁慶」と云います
あの~ 「弁慶はん 弁慶はん」と これは「いつも人の奢りで遊んでいる 物を食べている 飲んでいる」
そういう意味も この「サゲ」に効かせてある様でございます
何せ「冷蔵庫」の無い 時分でございますからねぇ 「「柳影」を冷やす」 これはやっぱり井戸で冷やしたんで
ございましょう
それも滅多にありつけなかったんで かなり贅沢な飲物と云う事でしょう
「御大家」ですから「洗い にちゃんと氷を敷いてある」 ですから当時もお金を出せば「氷」があったんで
ございますなぁ
東京で「菜」と云いますと「小松菜」の事でございますが う~ん 何か 曾ては「三文」と菜の相場は決まって
いたそうでございます
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◆席亭解説(後半 演目放送前)
さぁ 残ったお時間「漫才」でございます
木田鶴夫・亀夫 「鶴亀コンビ」で懐かしい漫才でございます
「学芸会」でございます
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◆席亭解説(後半 演目放送後)
木田鶴夫さん・亀夫さんのコンビ 「学芸会」でございました
このお二人の お師承さんは「並木一路・宮田洋容」と云うコンビでございました
この並木一路さんという方は その前に 内海突破さんと「一路・突破」というコンビで 東宝名人会や映画で
活躍されました
ところが 昭和24年(1949)から 内海突破さんがお一人で NHKラジオの「陽気な喫茶店」 その番組の
レギュラーになりました
この辺りから ちょっとコンビに軋みが見えてまいりました
で 昭和24年(1949)の終りに 並木一路さんは 宮田洋容さんとコンビを組み替えました
このコンビに入門したのが 今日聴いて頂いた「鶴亀コンビ」
遵いまして まっ 落語で云う「亭号」でございますが 「並木の木」それに「宮田の田」 これを二つ付けて
「木田」という「亭号」にしたんでございます
鶴亀コンビ 「並木の木と宮田の田」を取って「亭号」なぞも 時代を感じさせます

今日は 五代目小さんさんの「青菜」 そして 鶴亀コンビ「学芸会」でございました

お相手は 席亭のあたくし玉置宏でした では 次回をお楽しみに
本日も「ラジオ名人寄席」への 御来場誠に有り難う存じました
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*未チェック

落語研究会/BS-i
2005(H17)/07/31(日) 00:00-01:30
八代目 柳亭市馬 「佃祭」
2004(H16)/08/31(火) 第434回 落語研究会  東京・三宅坂 国立劇場小劇場 収録 出囃し:吾妻八景
六代目 五街道雲助 「藁人形」
2002(H14)/09/27(金) 第411回 落語研究会  東京・三宅坂 国立劇場小劇場 収録 出囃し:箱根八里

2005(H17)/07/30(土)の放送

2005-07-30 22:34:10 | 落語 演芸/放送後記
志の輔特選落語/文化放送(志の輔ラジオ「土曜がいい!」内)
2005(H17)/07/30(土) 12:05-12:30
二代目 三遊亭圓歌 「トラタク」  1961(S36)/12/05放送 文化放送 音源 とのこと

◆志の輔 解説(演目放送前)
え~ 「新作」も「古典」も両方 え~おやりになっていました 二代目の三遊亭圓歌師承の 今日は「新作」の
「トラタク」を聞いて頂くんでございますが え~オープニングにも申し上げました あ~ 「トラ」酔っ払い
ですね
「トラ」が乗っている「タクシー」で「トラタク」なんですね
えっ わたくしは それを「トラクター」と間違えてですね なにしろ表記が あの~「カタカナ」なもんですから
ついつい それを間違えて ずっと 落語を聞いて 初めて「あっ 違うんだ」と思って「トラタク」と覚え直し
ましたが
非常にあの~ この二代目圓の歌師承の「新作」と云うのは 幅広くてですねぇ こうあの~「社長の電話」とか
ですねぇ え~ あるいは え~霊界から 何かこう電話が掛かって来る「霊界電話」とかですねぇ
まっ「電話シリーズ」と云う のも好評を博した様でございますね
それから え~「テレスコ」とか うん それから「七段目」とかと云う様な 古典落語も ちゃんと
おやりになって 物凄い沢山CDも出ている方ではあります
え~~ 1961年 昭和36年の12月5日 文化放送で放送した音源からお届けを致します
二代目三遊亭圓歌師承の「トラタク」  酔っ払いを思いっきり楽しんで下さい
13分27秒です
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◆志の輔・涙子 感想(演目放送後)
志の輔:え~ まぁ「典型的な酔っ払い」 これ「酔う」っうのは 面白くてねぇ~
    あの~ お酒を飲まない方のほうが....
涙子 :はい
志の輔:本当に「酔っ払い」が上手いんですよぉ~
涙子 :あっ そういうもんなんですかねぇ?
志の輔:そういうもんなんですよ 不思議なもんでね きっと 脇で見てて....
涙子 :ええ
志の輔:「あっ こういう事なのか~」とかって 思うんだろうねぇ
    自分でだって「酔った気持ち」を知らないんだもん
涙子 :あ~ この二代目の三遊亭圓歌さんは....
志の輔:どっちだった....
涙子 :お酒は....
志の輔:どっちだったんだろうねぇ?
涙子 :ねぇ?
志の輔:う~ん 相当まぁ この これだけ上手くやるんですから やっぱり ひょっとすると「一滴も飲まない」
涙子 :あ~ 意外に ねぇ~
志の輔:人だったのかも? しれないですよねぇ
    だから こう なんか さんざっぱら 酒飲みに迷惑したから....
涙子 :う~ん
志の輔:こういう「新作」を創って
涙子 :うはははは(笑)
志の輔:「酒飲み共よ 気が付け おまいら」みたいな (笑)そうかもしれませんね
涙子 :うへへへ(笑)

*涙子=吉田涙子(志の輔ラジオ「土曜がいい!」番組アシスタント 文化放送アナウンサー)
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日本の話芸/NHK教育テレビ
2005(H17)/07/30(土) 13:45-14:15
神田翠月 講談「戸田川お紺」 吉原百人斬り より
収録日? 東京・浅草 木馬亭 収録

*来週「日本の話芸」 放送時間が変更 15:05-15:35

2005(H17)/07/27(水)の放送

2005-07-27 22:39:57 | 落語 演芸/放送後記
ラジオ名人寄席(再放送)/NHKラジオ第2
2005(H17)/07/27(水) 12:10-12:35
香島ラッキー・東五九童 漫才「浪花の江戸っ子」  1960(S35)/09/ 録音 とのこと
席亭:玉置宏 ゲスト:澤田隆治(メディア・プロデューサー)


「残しておきたい上方情緒 下座のお囃子 寄席幟」
「ラジオ名人寄席」 あたくしは席亭の玉置宏でございます 御来場 誠にありがとう存じます
「ラジオ名人寄席」 毎週水曜日は 寄席のお彩りに欠く事のできない「漫才」をお楽しみ頂いております
この日は「お笑い番組のオーソリティー」 メディア・プロデューサーの澤田隆治さんと 御一緒に進めて
まいります

◆席亭・ゲスト 解説(演目放送前)
玉置:よろしくお願いします
澤田:こちらこそ よろしくお願いします
玉置:さぁ~ きょ~うは これ~は聞き物ですわぁ  「香島ラッキー・東五九童」と云う
澤田:まぁ 長~くやってたコンビじゃないんですけども
玉置:はい
澤田:う~ん 二人とも 長く漫才やってらした方ですから
玉置:ベテランですかねぇ
澤田:ですから その二人が まぁ たまたま一人づつで コンビを組んだと 「大型漫才」でしたねぇ
   だから大変話題になったんですよ
玉置:ああ そうですか
澤田:それで 貫禄も充分有るしねぇ みんな名前知ってる訳だし だから「面白いかどうか」ってのは別でし
   てねぇ
玉置:うん
澤田:で 「上手い」「ネタもちゃんとしてる」っていうのを 今日 まぁ聴いて頂く これはあの 名古屋の
   岩田ひろおさんと云う人が まっ 大事に採っててくれた**(*01)でして
玉置:これは貴重品ですわぁ
澤田:で 「ラッキー・セブン」と云う漫才のコンビは もう吉本の戦前の人気漫才の「ワカナ・一郎」が
   大阪だったら 東京は「あきれたぼういず」と「ラッキー・セブン」
玉置:香島ラッキー・ヤシロセブン
澤田:そうです で ヤシロセブンさんは 後は役者になりますから ミツイ トウサク?(*02) という
   役者で 宝塚新芸座で 僕なんかも一緒にお仕事したんですけれども
玉置:はあ はあ はあ
澤田:香島ラッキーさんは もう 戦後はラジオの司会 番組ちゃんと持ってまして...
玉置:はい
澤田:「クイズの番組」
玉置:それも大阪でですね?
澤田:大阪で クイズの番組持ってらしました 皆さん知ってるわけですけれども あの~戦争中に一番受けた
   漫才ですから 要するに 東京の漫才で
玉置:はい
澤田:その戦時中に「時局漫才」って云われた その 戦争のネタですねぇ いわゆる そういうネタを
   やってますから
玉置:大阪で云うと「笑わし隊」だの あの時代になる
澤田:そうそう それの東京 名古屋....
玉置:東京漫才....
澤田:で やってる訳ですから 言う事いっぱいあるんですけど
玉置:はい
澤田:ほとんどの人は聞けない 戦後は
玉置:うん
澤田:戦後色んな 「エンタツ・アチャコ」の様な 家庭をネタにしている漫才は皆さん聞くけれども
   「ラッキー・セブン」は出てこないんですよね
玉置:はあ~
澤田:だから名前だけは「ラッキー・セブン」って 物凄く売れた 良い名前でもあるんですね
玉置:色々なポスターですとか そういう物の中では もうほんとに凄い地位で あの~ 残ってますが
澤田:そうです  ところがレコードが戦後 全然リピートされなかったもんですから
玉置:はあ
澤田:知られる事が少なかった
玉置:あたくし共も 生の舞台は どっこでも 拝見してませんもの
澤田:で あの~ 昭和14年(1939)の春に 新興演芸が引き抜きます 吉本から 人気漫才を
玉置:はい はい
澤田:それは「ワカナ・一郎」「あきれたぼういず」と共に「ラッキー・セブン」も当然引き抜かれた
玉置:はい
澤田:「ラッキー・セブン」は その時に NHKの東京放送局の開局記念番組に出る予定が すっとどっかへ
   消えちゃったんで
玉置:ほぉ~
澤田:それから NHKにだいぶ出して貰ってないんですけれども それでもねぇ 「パージ」になったって
   いっても 1年か2年位なんですねぇ
玉置:はあ~
澤田:もう やっぱり使ってるんですよ
玉置:はあ~
澤田:だから そういう意味でも 大変な人気があったと思うんですけど もちろん戦後は もうコンビ解消
   しましたから
玉置:はい
澤田:それっきり「ラッキー・セブン」と云う名前は もう「幻の名コンビ」みたいな感じになりますねぇ
玉置:う~ん
澤田:映像は新興演芸の映画がありますから そん中で「ラッキー・セブン」が漫才やってるシーンがあります
玉置:はぁ はははは(笑)
澤田:観れます
玉置:映画に
澤田:映画にあります ただ もう 香島ラッキーって云う人は そういう事で もう「大御所」でしたね
   戦後は 僕なんかの若い者にとっては もう 凄い人で
玉置:手の届かない様な
澤田:で 五九童さんは蝶子さんとやってて まぁ漫才は聞いて貰った事がありますけども...
玉置:はいはい
澤田:戦前の まぁもちろん若手の漫才コンビで人気があったんですけども 戦後も蝶子さんと 奥さんの蝶子
   さんと一緒にやってて これがまた馬鹿受けして
玉置:はい
澤田:あの~ 特に あの~お婆ちゃん物の「ワンダフル婆ちゃん」と云うので滅茶苦茶受けしましてね
玉置:う~ん
澤田:で もう お芝居しょっちゅうやったり お婆さんの ラジオなんだけど お婆さんのカツラ被って
   着物着て....
玉置:なんか ラジオの公開放送で カツラ付けて お婆ちゃんの扮装だったそうですもんね
澤田:というのも ず~っとやって 漫才も面白い
   それと もう 頭叩かれて 「痛いなぁ」って 後から忘れた頃に「痛いなぁ もう デコチン叩いて」
   って
   それが受けましたから もう みんな待ってた位の あの喋り方 それから あの何とも言えない
   「べた~」っとした喋り方が いかにも大阪の漫才の面白さみたいな事あったんで
玉置:何と 香島ラッキーさんが 東京弁でやってらっしゃる
澤田:だから この二人は 東京弁と大阪弁の特徴ある喋りがぶつかって コンビを作った っていうんで
   タイトルも「浪花の江戸っ子」なんていう タイトルですから
玉置:なるほど~
澤田:まぁ聞いて頂くとですね
玉置:はい
澤田:ベテラン同士のぶつかり合いが良く楽しめると
玉置:なんと 17分を超える一席が残ってるっていうのは ほんとに有り難いこってす
   さぁ お喋りの時間はもういっぱいでございます
   香島ラッキー・東五九童 「浪花の江戸っ子」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◆席亭・ゲスト 解説(演目放送後)
澤田:うふふふ(笑)
玉置:う~~ん
澤田:ネタをず~っと こう ねっ 構築して行くっていうのはわかるんでけども それより僕はね ラッキー
   さんの あの喋り方?
玉置:うん
澤田:粋にね これ 東京漫才の何か原形みたいな物をね 見ますね
玉置:そうですね 東京でやったら きっとこのコンビで沸いたと思いますねぇ 「東京型漫才」ですねぇ
澤田:そうですねぇ 大阪の あの「ダイマル・ラケット」さんなんかとは 全然違い 男コンビなんだけど
   あの~ 違うテンポと  やっぱりラッキーさんは 純粋に東京の人なんですねぇ~
玉置:そうなんですね~
澤田:だから 大阪で良く受けていたっていうのがね
玉置:はい
澤田:非常に面白いですね
玉置:面白いですねぇ  渡辺マリの「東京ドドンパ娘」が出て来ました って事は 昭和35年以降という事
   なんですね
澤田:そうですね 昭和35年の9月の放送ですからねぇ
玉置:丁度 松葉蝶子さんが 一時引かれて で ラッキーさんと五九童さんが組んだりっていったら
   森住田鶴子さんと組まれた時期もあったと
澤田:色々とありました はい
玉置:随分 相手が変った時期があった様ですが その中の貴重な
澤田:そうですね 五九童さんは 女性とコンビ 当然コンビを組むのが多かったんですけども
玉置:はい
澤田:この時はラッキーさんと いっぺん組んでいたという
玉置:ほんとですね
   え~ 永田錦心門下の永田しすい(*03) を名乗った 薩摩琵琶の出身だそうですねぇ ラッキーさんは
澤田:ええ ええ ええ
玉置:やっぱり「声の重み」かなんかで それは感じられますものねぇ
澤田:そうですね 声が非常に良い方でした だから ラジオの いわゆる司会者としてはね....
玉置:ええ
澤田:立派な司会者でした
玉置:いやぁ~ 今日はほんとに「漫才ファン」 ご満足なすったと思います
   「浪花の江戸っ子」 香島ラッキー・東五九童さん 昭和35年の高座をお楽しみ頂きました

   「漫才の水曜日」いつもの通り 澤田隆治さんと 御一緒に進めてまいりました
   ありがとうございました
澤田:こちらこそ ありがとうございました


お相手は 席亭のわたくし玉置宏でした それでは次回をお楽しみに
本日も「ラジオ名人寄席」への御来場 誠に有り難う存じました

*2002(H14)/09/04 2004(H16)/07/28再放送


*(*01)聞き取れない
*(*02)みつい とうさく? 聞き取れない 漢字など詳細不明
*(*03)漢字詳細不明

*「漫才の水曜日」の解説は 玉置宏と澤田隆治の掛合いの為 「文字起こし」が難しい
今回は暫定的に公開しました

2005(H17)/07/26(火)の放送

2005-07-26 23:30:32 | 落語 演芸/放送後記
ラジオ名人寄席(再放送)/NHKラジオ第2
2005(H17)/07/19(火) 12:10-12:35
八代目 三笑亭可楽 「反魂香」  1961(S36)/07/30 収録 とのこと
席亭:玉置宏

「残しておきたい江戸情緒 下座のお囃子 寄席幟」
「ラジオ名人寄席」 あたくしは席亭の玉置宏でございます 御来場 誠にありがとう存じます
この「ラジオ名人寄席」には 嘗て一世を風靡いたしました 東西演芸界の「名人」「上手」「人気者」が
それぞれの十八番で御機嫌を伺います

◆席亭解説(演目放送前)
今席は 八代目三笑亭可楽さんの十八番 「反魂香」でございます
この 先代可楽師承 「やる気がお有りになるのか? 或いは お有りにならないのか? はっきりしない」
それでいて「何とも得難い 味のある語り口」 え~ 八代目可楽師承は そんな噺家さんでございました
え~少しばかり「舌が短いのか 長いのか」 あの「ろれつが回らない様でもあり 回り過ぎる様でも」あるんで
ございますねぇ
何とも怪し気で 個性的な語り口で 何かこう 「ぼやく」んでございますねぇ
あの調子がなんとも懐かしく思い出されます
「ブルーコーツ オーケストラ」と云う ジャズのフルバンドがございますが かつて この「ブルーコーツ」の
リーダーでもあり 司会者としても活躍されました 小島正雄さん もう大変な可楽ファンでございましてね
こんな話を小島さんから聞いた事があるんです
「放送局の廊下でね 可楽師承とすれ違っただけで チビりましたよ」ってんですがねぇ(笑)
世程のファンですね
え~ 北村英治さん フランク永井さん もう何故か ジャズ系のミュージシャンに御贔屓の多い師承で
ございました
中には「いやぁ 可楽が死んじゃったら 落語聞くの止めるよ」 こういう風に言い切った人もいた位
可楽師承が食道癌で67年の生涯を閉じたのは 1964年(S39) 8月23日でございました
さあ それではお待ちかね これは「トリ」の時の「反魂香」と思われます
「マクラ」も しっかりあって たっぷりと演じております
昭和36年(1961) 7月30日の録音でございます
八代目三笑亭可楽さん 「反魂香」でございます
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◆席亭解説(演目放送後)
八代目三笑亭可楽さん 「反魂香」でございました
この八代目の師承の身近にいらっした方のお話によると 普段の暮らしでも 始終ぼやいてらっしたそうで
ございます
あの 「冗談云っちゃあ いけねぇ」というのが 口癖だったようですねぇ
あの~ 実力が有るにも関わらず あまり「ホール落語会」からは お呼びが無いという まぁ「不等な評価」に
長い事 甘んじてらっした師承でございます
「冗談云っちゃあ いけねぇ」と ぼやく材料には事欠かなかったようでございます
あの~ 存分に自分の腕を発揮する場が少なくって 満たされない思いが まっ 積もり積もって
「独特のぼやき口調が生まれたんじゃないかな?」と あたくし共は推測をするんでございますが
まぁ あ~ そんな可楽師承にぴったりの もう全編のべつ幕無しに ぼやいているという一席が あの
「今戸焼」と云う え~短いんですけれど 「今戸焼!」 なんという声が 客席から寄席で掛かりました
その「今戸焼」と十八番物の双璧と云われましたのが 今日聴いて頂いた「反魂香」でございます
え~どっちにいたしましても え~ 下座の「お三味線」それに「太鼓」「とんび」 笛でございますねぇ
この辺が「怪談噺」らしい雰囲気を盛り上げるには 絶対に欠く事の出来ない「鳴物」でございました
え~前座さんはじめ 楽屋のお顔が揃うと「反魂香 をたっぷり」なんて云う事になったんではなかろうか?
と思います

今席は昭和36年の録音でございます 「反魂香」 八代目三笑亭可楽さんでした

お相手は席亭の わたくし玉置宏でございました それでは次回をお楽しみに
本日も「ラジオ名人寄席」への 御来場誠に有り難う存じました

*1996(H08)/07/22 2002(H14)/09/03 2004(H16)/07/27再放送
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*未チェック

真打ち競演/NHKラジオ第1
2005(H17)/07/26(火) 21:05-21:55
コント:コントD51
漫談:内海桂子
落語:三遊亭圓丈 「お笑い小噺ツボ体操」
2005(H17)/06/25(土) 山梨県・南部町 南部町文化ホール 収録
司会:原大策 NHK甲府放送局アナウンサー

*南部町文化ホールオープン記念

*もしかしたら 「台風情報」等で 中止? 中断?

2005(H17)/07/24(日)の放送

2005-07-24 23:59:59 | 落語 演芸/放送後記
笑いがいちばん/NHK総合テレビ
2005(H17)/07/24(日) 13:05-13:35
漫才:かつみ♡さゆり
コント:シャカ
マジック:ナポレオンズ
落語:柳家喬太郎 「短編結石移動症」
漫才:横山たかし・ひろし
収録日? 東京・渋谷NHK放送センター スタジオ 収録?
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ラジオ名人寄席/NHKラジオ第1
2005(H17)/07/24(日) 19:20-19:58
六代目 笑福亭松鶴 「月宮殿星の都」(ゲッキュウデンホシノミヤコ)  1974(S49)/09/ 収録 とのこと
席亭:玉置宏

「残しておきたい上方情緒 下座のお囃子 寄席幟」
「ラジオ名人寄席」 あたくしは席亭の玉置宏でございます 御来場 誠にありがとう存じます
この「ラジオ名人寄席」には 嘗て一世を風靡いたしました 東西演芸界の「名人」「上手」「人気者」が
それぞれの十八番で御機嫌を伺います

◆席亭解説(演目放送前)
今席は 六代目笑福亭松鶴さんの「月宮殿星の都」という一席でございます
「歌舞伎擬き」の題名でございますね もちろん「上方ネタ」でございます 「ハメモノ」 お囃子がふんだんに
入ります
え~ 六代目松鶴さんのお父さんに当りますのが 先代 五代目の松鶴さんでございますが
え~ご自分の財産を投げうって 上方落語の保存の為にと出版を続けました 小冊子が「上方はなし」でございます
で~ 六代目の松鶴さんは 使命感に燃え 五代目の編集 その他 駆けずり回っている姿を見まして
そのお手伝いをする内に 上方落語の危機に直面してしまった落語家仲間を増やさなくてはいけない
そこで 自ら噺家に転向したと こういう経緯の持ち主でございます
今日聴いて頂きますのは 昭和49年の9月に収録を致しました
六代目松鶴さん これも珍しい一席でございます 「月宮殿星の都」です
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◆席亭解説(演目放送後)
六代目 笑福亭松鶴さん 「月宮殿星の都」でございました
六代目さん 本名は竹内日出男さんでございます 「お日さまの日」「日の出る男」 これが本名でございます
小学校6年生の頃 お父さん 後の五代目松鶴さんでございますが 当時は二代目笑福亭枝鶴を名乗っている
時代でございました
え~ 息子の日出男さんを 中学校に上げるのか? それとも「高等小学校」 ここで2年勉強させて 昔で云う
「高等科」というのが ございましたんですがねぇ
で え~ 高等科2年で 行く行くは「落語家」にさせるのか? う~ん 実は父親として悩んでいたんだそうで
ございます
ところが日出男さんの方は 大変な腕白振りでしてね え~ 学校でも「札付き」だったそうです
で~ 小学校の4年生5年生辺りから 近所の「おでん屋さん」へ入り浸って 「おっさん 1本つけてんか?」
こりゃあ 大変でございます え~ 落語を地で行く様なやんちゃ振りだったと 色々な物の本に書かれております
で~ おでん屋さんから帰ってまいりますと お住まいが京町堀でございました この家の近くに寄席がございま
した これへ入り浸りですね これでもう客席で目を輝かせまして 高座に見入って聞き入っておりました
この時分に お父さんの二代目枝鶴は「酒はかまへんけども 落語家だけには成りなはんなや」
なんかまるで「親子茶屋」を そのまんまいく様な会話があったそうでございます
で 結局 日出男さんは中学へ進学するんですがねぇ 半年も経たない内に 学校から呼出がございまして
即刻退学が言い渡されてしまいます
原因は「天神橋筋で酒を飲んで 地回りのヤクザもんと 刃物三昧に及んだ」と云うんですから えっへっへ(笑)
大変でございます
で 寄席に通う傍ら 道頓堀の芝居小屋にも ちょくちょく顔を出していた様でございましてね
御贔屓の役者さんは「坂東寿三郎」と云う方 この役者に熱を上げまして 内心はどうも 日出男さんは歌舞伎の
役者に成りたかったんではないか? 当時を知る方は そういう推察をしておられます
まぁ とにかく豪快なエピソードが山程残った 六代目松鶴さんでございました
で~ 今 「松鶴」と云うお名前は「空き」になっております
七代目ができたんでございますが これはお弟子さんの「松葉」と云う方が 一応襲名という事になったんですが
早世されます 早く亡くなってしまわれましたんで う~ん 亡くなった時に七代目を「追贈」するという形で
ですから 今 空席になっておりますが いずれ松鶴が誕生する場合は「八代目笑福亭松鶴」と こういう事に
なる訳でございます
え~上方落語 今 本当に盛んでございます
しかし本当に終戦直後 う~ん 「今後の上方落語は大丈夫か?」 いうさなかに 五代目松鶴さん
そして当時背負って立っていた いわゆる 戦前戦中からの師承が この世を去られて 大変なピンチになった
時代を救ったお一人でございます

「月宮殿星の都」 今席は 六代目笑福亭松鶴さんでした

お相手は席亭の わたくし玉置宏でした では
本日も「ラジオ名人寄席」への 御来場誠に有り難う存じました

2005(H17)/07/23(土)の放送

2005-07-23 20:48:45 | 落語 演芸/放送後記
志の輔特選落語/文化放送(志の輔ラジオ「土曜がいい!」内)
2005(H17)/07/23(土) 12:05-12:30
晴乃ピーチク・パーチク 漫才「亭主族」  1967(S42)/05/01放送 文化放送「ラジオ寄席」 とのこと

◆志の輔 解説(演目放送前)
え~本日は久々に「漫才」をお楽しみ頂きたいと思います
晴乃ピーチク・パーチク先生の「亭主族」 これをお届けしたいと思います
え~~ ピーチク・パーチク先生はですね 1971年(S46)にコンビは解消されまして パーチク先生は引退
なさったんですが ピーチク先生は え~ ご存じの方も多いと思いますが「似顔絵漫談」やってらっしゃい
まして 浅草ですとか 国立演芸場ですとか 自分所で え~あの~ 活躍をなさってらっしゃいます
「亭主族」~という まっこの 今日タイトルなんですけれども う~~ん まぁ え~ 高度成長期の
この~ お~ 50年代の後半から73年のオイルショック迄 がむしゃらに働くサラリーマンの話題が
え~ まっ なにかと 取り上げられ事が多かった時代なので きっとそういうところから
この「亭主族」っていう タイトルが付いたんではないかと思われるのでございますが
それでは 今日は 1967年の昭和42年 5月の1日 当 文化放送「ラジオ寄席」で放送された音源から
お届けを致します
晴乃ピーチク・パーチク先生の「亭主族」 10分26秒でお楽しみ下さい
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◆志の輔・涙子 感想(演目放送後)
志の輔:まぁ 本当にあの基本的な「呼吸」....
涙子 :はい
志の輔:っていうんですかね? あの~ 正統派漫才の中で時代の波に こう乗った
涙子 :ええ
志の輔:あの~お~ お二人の「亭主族」っていうのを聞いて貰いましたですけど 俺もね「漫才」ってやった事
    が無いんですよ ほいでねぇ 「鶴の間」ってあるじゃない?
涙子 :はい
志の輔:あの 知らない? 鶴瓶師承が....
涙子 :あ~ はいはいはい あっ 番組
志の輔:相手を知らされないで っていうので
涙子 :はい
志の輔:ほいでねぇ あの~一度話が来て で スケジュールが駄目で ほいで残念ながら あの~ その時の
    スケジュールが合わなかったから....
涙子 :ええ
志の輔:また ずっと間をおいて あれしてるんだけど  あれ 合ってたら「どうしたんだろう?」
    と思っちゃって
涙子 :ん? 「あってたら?」とは?
志の輔:いやいや もし スケジュールが空いてて 「はいはい あの 鶴瓶師承が空いてたら 行きますよ?」
涙子 :いやっ えっ 観て 観てみたいですもん
志の輔:俺と鶴瓶師承が 漫才出来るわけ無いでしょうがぁ?
涙子 :いやっ でも「タ~ン」って開いた時にぃ 志の輔さん出てきてぇ そっから な でも漫才ではなくて
    も良いんですよねっ?
志の輔:いやっ もちろん もちろん
涙子 :トークで良いんですよね?
志の輔:もちろん 「漫才の定義」が難しいけど
涙子 :ええ
志の輔:ねぇ あのさ 今の ほら ピーチク・パーチク先生みたいにさ ねぇ「あの 最近僕 歌に凝っててね」
    「お~ 歌に凝ってるのか」 って ほら一応決まってるセリフだから....
涙子 :ええ ええ ええ
志の輔:うん 「知らないよ そんな事」って 云われたら 話終わっちゃうわけだから
涙子 :あははは(笑)
志の輔:「怒ってんのかね? 君」「うん」 「唄っていいかなぁ?」「ああ 唄えよ唄えよ」って云うから
    始まるんで
涙子 :うふふふ(笑)
志の輔:「絶対唄っちゃ駄目」って云ったら それで終わりなんだから
涙子 :ええ ええ
志の輔:だから そういうのって無いわけだから 台本が
涙子 :ええ
志の輔:初めてそこで扉が開くと
涙子 :ええ
志の輔:どうするんだろうなぁ?~ 出て行った後 もう1回戻るんじゃないのかなぁ?~
涙子 :あはははは ははは(笑)
志の輔:扉が閉まったりなんかして  いや それ位に漫才ってのは 予定が.....  対談と違うからねぇ
涙子 :そうですよね
志の輔:「質問と答」じゃないからねぇ
    さて 来週は「落語」に戻りましょう
涙子 :はい
志の輔:ねぇ え~ すばらしい録音を また 用意して待っておりますので ひとつ う~ あっ?
    「待っております」じゃないや この場合はなんて言うの?
涙子 :えと 落語を用意して...
志の輔:おりますので
涙子 :おりますので
志の輔:で 奮って御参加? ん? 違うな
涙子 :「聞いて下さい」って 事ですね
志の輔:あ~ そうかそうか
涙子 :「お楽しみに」って 事ですね
志の輔:はいはいはいはい
涙子 :うふふふふ(笑)
志の輔:うへへっ(笑)


*涙子=吉田涙子(志の輔ラジオ「土曜がいい!」番組アシスタント 文化放送アナウンサー)

*先週の放送で面白い話をしていた
鶴瓶が プライベートで落語会を開催
わざわざ 渋谷セルリアンタワーの地下にある能楽堂を借りて 1時間近い「らくだ」を披露したとのこと
オセロの松島(白い方)が「らくだ」を聴きたいとねだって 実現したそうだ
松島が招待した客は グレイのタクロー ジュディマリ ブーム TOKIO ラルクアンシェル等々
多くが有名なロックミュージシャン系の友人
志の輔は 鶴瓶から電話で「暇だったら来て欲しい」と云われ 駆けつけて 舞台袖から観ていたそうだ

観に来ていたロックミュージシャンそれぞれが 自分のホームページ等に「落語って 面白いね」とか
書けば 落語界にも影響があるかも? と「皮算用」をしているそうだ(笑)

志の輔ラジオ「土曜がいい!」志の輔BAKARI

志の輔BAKARI バックナンバーから 2005年7月16日分 を読んでみて
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日本の話芸/NHK教育テレビ
2005(H17)/07/23(土) 13:45-14:15
六代目 五街道雲助 「大山詣り」
収録日? 東京・霞が関 イイノホール 収録

*番組最後 次週放送の講談を短く紹介

2005(H17)/07/20(水)の放送

2005-07-20 23:34:45 | 落語 演芸/放送後記
ラジオ名人寄席(再放送)/NHKラジオ第2
2005(H17)/07/20(水) 12:10-12:35
かしまし娘  漫才「お笑い番場の忠太郎」  (音源データ アナウンスなし)
席亭:玉置宏 ゲスト:澤田隆治(メディア・プロデューサー)

「残しておきたい上方情緒 下座のお囃子 寄席幟」
「ラジオ名人寄席」 あたくしは席亭の玉置宏でございます 御来場 誠にありがとう存じます
さて 「ラジオ名人寄席」 毎週水曜日は 寄席のお彩りに欠く事のできない「漫才」をお楽しみ頂きます
そして 漫才の水曜日は いつもの通り「お笑い番組のオーソリティー」 メディア・プロデューサーの
澤田隆治さんと御一緒に進めてまいります

◆席亭・ゲスト 解説(演目放送前)
玉置:よろしくお願いします
澤田:こちらこそ よろしくお願いします
玉置:今日は「かしましさん」ですが 残ってるもんですねぇ?
澤田:うん まぁ~ かろうじてねぇ
玉置:オッホッホッホッ(笑)
澤田:あの~この間 かしましの歌江さんがねぇ この番組で放送したら 電話掛けて下さって
   あの~ 「本当に私達 何にも持ってないんで」
玉置:そんなものらしいですね~
澤田:え~ そういうもんらしい  まぁ かしましさんに限らずですけど みなさん全然 自分のやった物は
   「録音テープ」持ってらっしゃらないんでねぇ
   あの~「ありませんか?」って 云っても 無いんで 逆にあの~ 「下さい」とかねぇ「聞き損ねた
   から下さい」とかねぇ
玉置:あの~これは皆さんに共通するかどうか判りませんが 「必ず聞き直してしまうと もう 完璧に出来た
   と思えるっていう事は まず年に何回かしかないんだ」と....
澤田:あははは(小さい笑い) はあ はあ
玉置:で 「高座を降りて 自分自身が 「あ~ あそこん所は」 と思う所が必ずあるんで それを聞き返す
   のが嫌だったから」という 説明してくれた方もありましたが
澤田:そこがね 「落語」との違いだと思いますねぇ
玉置:はあ~
澤田:「落語の場合」は聞き入って 色々深みに入っていけるじゃないですか 「ネタ」が一緒なんですから
玉置:はい
澤田:漫才って その日その日のねぇ 気分で色々膨らんだりするでしょう? だから「膨らんだ部分」は自分
   でずっと覚えてますから 「受けた所」も覚えてますから それは大事に残していく そして また明日
   「同じ事やろう」と思うけども 嫌な部分は どんどんどんどん捨てて行きますからね
玉置:捨てて行く
澤田:だから そりゃあ 確かに「テープを聞いて 反省して」っていうのはね 今風の考え方であってね
玉置:ええ ええ~
澤田:あの当時は もう それこそ もう「テープ」が無い訳ですから
玉置:ほんとですね ええ~
澤田:いやぁ~ 「テープで聞くよりも 自分達は練習してる方が良い」って事ですからねぇ
   テープを 「練習をテープに録って もういっぺん皆で聞いて」っていう あのスタイルは 無かった
   ですねぇ 昔は
玉置:あ~  で~ そのテープもカセットテープになってから....
澤田:はい
玉置:割にどちらでも音が録れるようになりましたから
澤田:いや 本当に「音」録るっていうのは 大変な作業でしたからね ええ
玉置:ほんとですね ほんとでした
澤田:まぁ~ 「画」を撮るより しんどいんじゃないですかぁ? そういう意味ではねぇ
玉置:ウフフフフ(笑)
澤田:だから まぁ そういう意味ではね あの~ ほんとに無いんですけども まぁ今日は その~
   「お笑い番場の忠太郎」という まっまぁ 「瞼の母」ですから 何て云うんですか?
   「名作シリーズ」とでも云いますかねぇ
玉置:うん
澤田:あの~ かしましさんは あんまり あの~デビューした頃はねぇ こういう あの~いわゆる 先輩の
   あの~漫才がやっている様な....
玉置:うん 「ネタ物」と云うんですか?
澤田:絶対やらなかったんですよね やれなかった と云うのは やっぱり自分達を新しくみせる為に あの~
   「歌合戦」とかね
玉置:う~ん
澤田:それから その~ やるんだったら 「文芸シリーズ」みたいなね....
玉置:はあ はあ はあ
澤田:今 ベストセラーになってる物を面白くするという ストーリー
玉置:古典はやらないと
澤田:そぅ 古典と云うかねぇ その いわゆる漫才さんが良くやる古典ね
玉置:古典
澤田:そういうのは もう一切やらなかったんですよ だけど まぁ色々 あの~ 自分達が確立して
   自分達の面白さが確立してくると やれるじゃないですか?
玉置:う~ん
澤田:あっ あの人と違った物 やれるっていう ちゃんとした自信も付いてくる
玉置:ああ~
澤田:そういう意味では だから 今日の「番場の忠太郎」でもすね あの~いわゆる色んな人がやる
   例えば あの~「浪花節」を入れたりですねぇ それから まぁ「歌謡曲」を入れたり それから
   「お芝居」で 誰か役者の真似をするとか その~そういう風な作りでは無いんですよね
   どっちかというと
玉置:ああ~ そうですか
澤田:そこで やっぱり新しい で もう一つはその 「今」をどれだけ入れれるか 「いま」「現在」をね
玉置:うん
澤田:そういうところが「勝負」なんで あの~結構 かしましさんの こういう「名作シリーズ」っていう
   のは何本か有るんですけども
玉置:ええ
澤田:結構 今聴いても「あぁ 完成度高いなぁ」と 僕は思いますけどね ええ ええ
玉置:ほぉ ほぉ ほぉ
澤田:ですから 他のタイトル聞くとね あの~例えば「誰かのやつと一緒かな?」と思うけども それは
   あの~ だいぶ違うと思います
玉置:ほぉ~
澤田:雰囲気が違いますから
玉置:あの~どなたか 座付きの作者がいらした?
澤田:あ~ もちろん だから 松竹芸能には「文芸部」ってのありましてね
玉置:あっ 「文芸部」へお任せ
澤田:「文芸部」がありましたから 「文芸部」が....
玉置:はぁ はぁ はぁ う~ん
澤田:みんな色々考えて作るってのもありますよねぇ だから「文芸部」も「名作」をやる時は やっぱり色々
   と考えないと ねぇ
玉置:なるほど~
澤田:みんな聞いていますからねぇ その当時は いっぱいいましたから もうほんとに もう かしましさん
   が 頑張った頃はもう 先輩が「うようよ」いて
玉置:それで 特にこの「瞼の母」に関しては まっ「瞼」ばっかりじゃなく 長谷川伸さんの物は 中々何に
   するにも許可が降りなかったと云う....
澤田:厳しかったですねぇ
玉置:背景がありますねぇ
澤田:大変難しいとこで 皆さん あの いい加減にそんな事考えずにやったら 必ず ねぇ 注文が付いて..
玉置:で 「戯曲の台詞を一字一句変えてはいけない」って云う条件が付いてたっていう風に伺ってますがねぇ
澤田:だから あの~「松竹名人会」ってうのがあってですねぇ
玉置:はい
澤田:凄いメンバーが並ぶ時に かしましとしては常にそこで「新作」を出さないかんという事がありますよね
   ぇ
玉置:うん
澤田:「新作」で しかも3人が楽器持ってますからぁ ただ単にその~「お芝居」とかいうだけじゃないくて
玉置:はい
澤田:その楽器を使う面白さも 練習しなきゃいけない
玉置:うん
澤田:だから割とねぇ 40年代ねぇ あの~通常の「席」には出てないんですよね かしましさん
玉置:なるほど
澤田:他の事がいっぱいありますから...
玉置:はい はい はい
澤田:テレビとかありますから~ で どうしても 出は少なかった そういった代りに「名人会」に命懸けて
   いたっていうか
玉置:なるほど
澤田:大体「トリ」 ダイラケさん「ダイマル・ラケットさん」と交替で「トリ」取ってましたからねぇ~
玉置:う~ん
澤田:そりゃあ 名人が並ぶ所「トリ」取るんですから...
玉置:あ~ 大変ですね
澤田:それなりのネタをやらないかん プレッシャーも随分あったと思いますねぇ
玉置:あ~ そうですか
澤田:だけど まぁまぁ~ ともかく歌江さん中心に 良く頑張ってましたよ あの~照江さんが途中病気して
   2人で頑張らないと...
玉置:あ~~
澤田:いけない時とか ありましたからねぇ
玉置:なるほど
澤田色~んな事ありましたからね
玉置:はい それでは かしまし娘 正司歌江・照江・花江のトリオでございます 今日はなんと
   「お笑い番場の忠太郎」です
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◆席亭・ゲスト 解説(演目放送後)
澤田:割と あの~ かしまし娘 らしくないと云うイメージがねぇ ひょっとしたら...
玉置:う~ん
澤田:あるかも判らない位 割と あけすけなネタが多いんですよね
玉置:はあ はあ はあ
澤田:でも これね 放送されてるネタですからね 舞台そのままではないんですよね
玉置:なるほど
澤田:ですから あの~かなりセーブしているけれども それにしてもねぇ あの~大阪万博以後ですねぇ
   不景気が「バーッ」っと大阪に来る訳ですよ
玉置:う~ん
澤田:そういう時に こう あの~そういう「性風俗」を扱った物がいっぱい町に氾濫する
玉置:はぁ
澤田:そこんとこを ちゃんと 捕らえて喋ってますから 判るんですけどねぇ
玉置:うん
澤田:自分達も知らずに 影響を受けて あけすけに言っても良いみたいなねぇ
玉置:う~ん
澤田:とこが あるじゃないですか 最後にこう ちゃんとした「邦楽」とね 「邦楽」のねぇ 例えば
   「都々逸」やって 起す(やす)(*01)を聞かせる それをギターと三味線で聞かせるってうのは
   もうこれ「稽古事」ですよね 凄い稽古している
玉置:本当ですねぇ また「ピタっ」っと きてました
澤田:そう それと そのネタとがね 必ずしも「リンク」していないと云うところがねぇ これはもう
   「悩み」ですね 「漫才という芸の悩み」だと思いますねぇ
玉置:なるほど~
澤田:ですから このネタ「じぃ~」っと聴いてね 「なるほどな~」と思ったんですけどねぇ でも あの~
   そういう意味では「かしまし娘」が これから何年後にねぇ 「やっぱり もう限界だ」って解散しちゃう
   「それぞれの道を歩く」っていうのもね 「わからんでもないな~」という 気もしますねぇ
玉置:あ~
澤田:ええ ええ  つまり「お客様に対して どういう漫才を聞かせたら良いか?」っていう事が
   だんだん判らなくなってきますよねぇ
玉置:なるほど~
澤田:特にあの~ 「名人会」とか そういう所にしか 出ていませんから これがもう「毎日出てる」とか
   「月に必ず10日は出る」というんだったら
玉置:なるほどね~
澤田:違うんですよね おそらくねぇ これはもう 今度お客さんに今度 「ピタッ」っと はまらないと 
   やっていけませんからね 辛いから
玉置:ほんとですね~
澤田:「年に何回」とか決まっているとねぇ そこだけ「キチッ」っとやって行こうと思うけど お客さんに
   ぶつけてみると お客さんも変っていってるし
玉置:で 3人それぞれのお仕事が違ってると...
澤田:そうです
玉置:一緒になる時間も ほんと限られてきますからねぇ
澤田:いや もう 家庭がありますからねぇ
玉置:あ~ そうか
澤田:結婚してるっていう事が大きいですねぇ それまでは一緒の家に住んで しょっちゅう会うけども
   「お稽古しよう」って集まって来る訳ですからねぇ どっかに ねぇ
玉置:ええ ええ ええ
澤田:そういう事も 漫才の場合は難しいですねぇ 女性の場合は特に難しい
玉置:うん
澤田:そういうのは こういう あの~1本のネタでねぇ あの~年代とず~っとネタ聞いていると 時代が
   出ますよね
   例えば「夫婦鏡」なんてのを聞くとね 僕はね「パッ」っと「殿さまキングス」がね 思い出される
玉置:ええ
澤田:音楽ショーで あの~....
玉置:エヘッエヘッエヘッ(笑)
澤田:大阪へ来て 「出て」 だから 1回ずつ幕を降ろすんですよね
玉置:あ~
澤田:彼等の前になると「幕を降ろす」「楽器を揃えて」で~「上げて」「始まる」と そうすると 
   ボルテージ下がりますよね
玉置:う~ん
澤田:そういう苦労をしてて で 僕はその当時ねぇ あの~もうプロダクションに出向してましたから 
   そこでねぇ あの~ 神戸の「松竹座」で撮ったんですよ で 撮ったら 音声がね 途中で
   切れてたんですよ
玉置:あらっ
澤田:それで あのもう一辺「リテイク」する とたんに 売れてたんです 「大ヒット」してたんです
   そのたった一週間位の間にねぇ
玉置:はぁ~
澤田:あの~「夫婦鏡」が...
玉置:「夫婦鏡」が
澤田:当たりましてね~ スケジュールが取れなかったです ほんとに困ってね 何とか夜遅くに来てもらって
   そこだけ撮って で「はめ替えて」っていう
玉置:「涙の操」の次の作品
澤田:そうです
玉置:これで「殿キン」 磐石になった曲ですわね
澤田:そうなんです そうなんです もうスケジュール 全く無かったです
玉置:あはっはっは(笑)
澤田:だから 最初に来た時は「涙の操」で一生懸命 こう 宣伝をしているっていう 感じでしたけども
   「夫婦鏡」出たらすぐ あれ すぐだったですねぇ? 出た後
玉置:すぐです はい
澤田:あれ 凄かったですねぇ そういう事思い出す位「時代とリンク」してるっていう事あるんですねぇ
玉置:はぁ~~  この「忠太郎」の中には 「夫婦鏡」と 森進一さんの「おふくろさん」が出てきましたが
澤田:はい はい
玉置:つまり 昭和50年ちょっと前....
澤田:ちょっと前ですね~
玉置:と いう時代が判りますですね
   今日は かしまし娘で「お笑い番場の忠太郎」をお送り致しました

   え~漫才の水曜日 いつもの通り 澤田隆治さんと 御一緒に進めてまいりました
   ありがとうございました
澤田:ありがとうございました

お相手は 席亭のわたくし玉置宏でございました それでは次回をお楽しみに
本日も「ラジオ名人寄席」への御来場 誠に有り難う存じました


*2002(H14)/05/08 2004(H16)/07/21再放送

*(*01)「起す」とは? 調子を高めて演奏する事

*「漫才の水曜日」の解説は 玉置宏と澤田隆治の掛合いの為 「文字起こし」が難しい
今回は暫定的に公開しました

2005(H17)/07/19(火)の放送

2005-07-19 23:27:50 | 落語 演芸/放送後記
ラジオ名人寄席(再放送)/NHKラジオ第2
2005(H17)/07/19(火) 12:10-12:35
三代目 春風亭柳好 「大工調べ」  (音源データ アナウンスなし)
席亭:玉置宏

「残しておきたい江戸情緒 下座のお囃子 寄席幟」
「ラジオ名人寄席」 あたくしは席亭の玉置宏でございます 御来場 誠にありがとう存じます
この「ラジオ名人寄席」には 嘗て一世を風靡いたしました 東西演芸界の「名人」「上手」「人気者」が
それぞれの十八番で御機嫌を伺います

◆席亭解説(演目放送前)
今席は三代目春風亭柳好さん 先先代でございます 三代目柳好さんの「大工調べ」でございます
「うすのろ 間抜けは仮の姿 実は.....」なんて事は まるで無いのが「与太郎」さん(笑) でございます
え~ 「ちょいと おつむが足りなくって ぼんやりしていて 話も ろくに通じない」そんなキャラクターを
落語の世界では 愛情を込めて「与太郎さん」と こう呼んでおります
ろくに「物売り」も出来ない与太郎を助けて 通り掛かりの人が全部売ってくれるという「かぼちゃ屋」
また 「道具屋」という噺では 客を喰った様な洒落を連発する「与太郎さん」
それに「錦の袈裟」では 並みいる お兄ぃさん方を 差し置いて 花魁に一番もててしまう「与太郎さん」
また 「牛ほめ」では 新築祝いに参りまして ついでに「牛」まで誉める 見事な「よいしょ」もできる
「与太郎」
まっ 笑いも取れますし アドリブもどっさり入れられます この「与太郎」を どの様に演じるか
これは また 噺家さんの「腕の見せ所」でもございます
この「落語の国の大立者」 与太郎のキャラクターひとつで「大真打」になったのが 当代の古今亭志ん五さん
でございます (笑)
落語の まっ 「出世」という事にも 色々力を貸しているのが「与太郎」ですね
ええ え~噺家さんを左右するのも「与太郎の存在感」 与太郎は「知名度」「実力」共に 落語界の
トップスター でございます
まぁ 色んな人に可愛がられている与太郎さんの「お茶目ぶり」が たっぷりと聴けますのは この「大工調べ」
と云う 一席でございます
それでは 三代目春風亭柳好さん 「大工調べ」です
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◆席亭解説(演目放送後)
三代目春風亭柳好さんの「大工調べ」でございました
今でも このお噺を高座に掛ける噺家さんは沢山おります しかし 大抵 今日の柳好さんと同じ「ど~」っと
笑いの重なったところで
え~ 「これから お調べに 相成りますが」と 云う様な事を 付け加える方も たまに ございますけれども
大抵ここで切っております
で これからいよいよ「お白州」へ という事になる訳ですが まっ この~お噺の聞き所は「棟梁と家主」の
描き別けでございましょうかねぇ?
え~ 棟梁は家主に対して 「下手」「下手に出る」 年若の職人でございます え~しかし 棟梁としての
貫禄も必要でございます
で~ 家主も最初は「因業な性格」を もう 極力抑えましてね 半ば 皮肉めいた薄笑いかなんか 浮かべながら
棟梁と こう 応対をしてるんですが そのうちに「海千山千の狸爺ぶり」を こう 発揮する訳ですねぇ
棟梁を追い返す糸口を こう 虎視眈眈と窺いながら こう やり取りをするという この辺がまた楽しめるんで
ございます
それに 棟梁の切る啖呵でございますが もう あんまり早口では聞き取り難いんですねぇ かといって
あんまりゆっくりでは「江戸弁」の端切れの良さが無くなってしまいます
あの~ 若い内は これは「トントントントントント~ン」と 淀み無く言い立てる所 もう手が来るんで
ございますねぇ
それから あの~あんまり こう 力をいれ過ぎてしまって「写実」に この啖呵をやってしまうと なんか
お客さんが叱られてる様に なる場合もあるんでございますねぇ
この辺りが 噺家さんの「腕の見せ所」と いう事になるんでございますが
本当に この「トントント~ン」っと 棟梁の切る啖呵 で その後 それを「口まね」で与太郎が
「お前もなんとか 言ってやれ!」って云われてから ここでまた「ドガチャガ」になる所が 笑いを「ドッ」
っと頂ける「大変儲かる噺」の ひとつ と言ってもよろしゅうございましょう
え~ 柳好さんで聞いて頂く これは大変「楽しいひととき」ではなかったか と思います
今日はご存じ「大工調べ」を 三代目春風亭柳好さんでお楽しみ頂きました
あの「蝦蟇の油」「野ざらし」の柳好さんでございます

お相手は 席亭の あたくし玉置宏でした それでは次回をお楽しみに
本日も「ラジオ名人寄席」への 御来場誠に有り難う存じました

*2002(H14)/02/11 2004(H16)/07/20再放送
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真打ち競演/NHKラジオ第1
2005(H17)/07/19(火) 21:05-21:55
漫才:青空球児・好児 「むっつり右紋捕物帳」
キーボード漫談:牧田博
落語:立川志らく 「青菜」
2005(H17)/06/25(土) 山梨県・南部町 南部町文化ホール 収録
司会:原大策 NHK甲府放送局アナウンサー

*南部町文化ホールオープン記念

2005(H17)/07/18(月)の放送

2005-07-18 22:07:09 | 落語 演芸/放送後記
浅草お茶の間寄席/千葉テレビ
2005(H17)/07/18(月) 19:00-19:55
八代目 橘家圓太郎 「棒鱈」
柳家小里ん 「二人旅」
三遊亭歌司 「鰻の幇間
収録日時? 浅草演芸ホール 収録

◆オープニング
案内人:小笠原聖 インタビュー:八代目 橘家圓太郎(楽屋にて)

小笠原:(青いスイミングキャップ+黒いスイミングゴーグル 姿で)
    ようこそ 「浅草お茶の間寄席」の時間になりました
    今回のお客様は 橘家圓太郎師承でございます 
    (「よ~」という わざとらしい声と 数人の関係者の拍手)
圓太郎:どうも 圓太郎でございます
小笠原:宜しくお願い致します
圓太郎:あ どうも 初めまして
小笠原:初めまして
圓太郎:北島康介さんですか?
小笠原:いえいえいえいえいえ あっ そう見えますか?
圓太郎:怪しいですよ これね プールの中で なんか 痴漢行為かなんか しそうですよね?
小笠原:うははははっ(笑) 何で そういう悪いイメージになっちゃうんでしょう?
圓太郎:な~んで こう似合わないんですかね?~  (あっはっはっは (関係者の笑い))
小笠原:(笑) 凄いお誉めの言葉と思ってるんですけど
圓太郎:僕も日本全国色んな所行きましたけど これだけ水中メガネの怪しい方は 初めてでございます
小笠原:あははは(笑) あの 師承 そろそろ外してもいいですか?
圓太郎:あっ どうぞどうぞ外して 素顔を ええ
小笠原:では 失礼します(スイミングキャップ スイミングゴーグルを外す) あの~ こういう顔で
圓太郎:あら 立派なお顔立ちじゃございませんか
小笠原:有難うございます
圓太郎:もう お母様が泣いてらっしゃいますよ こんな物付けて  (あっはっは (関係者の笑い))
小笠原:(笑) いえいえ もう 私の話はいいんですが
圓太郎:ああ そうですか
小笠原:何でこんな恰好をしたかと云いますと 師承 「これ」(スイミングキャップ スイミングゴーグルを
    手に持って) に まつわるスポーツをずっとやってらっしゃるという風に 伺いましたけれど
圓太郎:あっ そうなんですよ あたしね 「卓球」をやってるんですよ(あっはっは (関係者の笑い))
小笠原:いえいえいえ 関係ないです全然 ラケットじゃないです これ
圓太郎:ああ あんまり 愛ちゃんは こういうの使わないのね?
小笠原:あっ 使わないですね これゴーグルと水泳キャップですもん
圓太郎:「サァー」なんて やらないですね?
小笠原:ないですね
圓太郎:実はあたくしねぇ 「シンクロナイズドスイミング」を....  (あっはっはっは (関係者の笑い))
小笠原:鼻摘むのが無かったりして ちょっとね
圓太郎:(自分の鼻を摘んで) たいへん違いますね  ええ ちゃんとやらなきゃいけないですね
小笠原:違いますね 本当は?
圓太郎:実は あの わたくし「トライアスロン」が趣味でございまして
小笠原:トライアスロン? ちなみに最近はどちらへ?
圓太郎:最近はね 今年の春に 宮古島の「ストロングマンレース」というね 長いやつに行ってまいりまして
    (画面に 圓太郎 マラソン中の写真)
小笠原:ほぉ~ ええ
圓太郎:見事 913位になりまして  (うははは (関係者の笑い))
小笠原:913位に
圓太郎:何言ってるの 1500人中 913位ですよ
小笠原:じゃあ もう下に まだ何百人も...
圓太郎:そう お茶の間も拍手拍手(パチパチパチパチ)  (関係者も拍手)
小笠原:(パチパチパチパチ) 凄い凄い凄い なるほど~
圓太郎:これ 千葉の皆さんでしょ? (画面に 圓太郎 マラソン 自転車中の写真)
小笠原:はい
圓太郎:去年の10月にですね 「銚子マリーナトライアスロン」と....
小笠原:ほうほうほうほう
圓太郎:いうのがありました あたくし 第1回大会 栄えある 「最下位」でゴールしまして
    (うひひ (関係者の笑い))
小笠原:記念すべき最下位?
小笠原:きっと番組ご覧の皆さんも もし近くでトライアスロンの大会があったら 師承が参加されてるかも
    しれない と
圓太郎:そうなんです 千葉 良い所ですよねぇ
小笠原:ええ
圓太郎:幕張でもやるしね?
小笠原:そうですね
圓太郎:銚子でもやるしね 良いですよ~ 銚子 ねぇ
小笠原:さぁ~ 今日はもう そんな師承の この後お噺を...
圓太郎:そうなんですよ
小笠原:たっぷりと聞かせて頂きますので はい
圓太郎:はい
小笠原:この後 宜しくお願いします
圓太郎:はい じゃあ「ヨーイ・ドン」 (前のめりに 小笠原:走る恰好 圓太郎:飛び込む恰好)
    (あっはははははは (関係者の笑い))
小笠原:(笑) と云う訳で 今週も「浅草お茶の間寄席」 開演です
圓太郎: 開演です
小笠原:師承 被しちゃおう(スイミングキャップ手に持ち 圓太郎の頭に載せる恰好をする)

2005(H17)/07/17(日)の放送

2005-07-17 23:59:00 | 落語 演芸/放送後記
落語研究会/TBSテレビ
2005(H17)/07/17(日) 04:20-05:15
六代目 五街道雲助 「藁人形」
2002(H14)/09/27(金) 第411回 落語研究会  東京・三宅坂 国立劇場小劇場 収録
出囃し:箱根八里
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笑いがいちばん/NHK総合テレビ
2005(H17)/07/17(日) 13:35-14:05
漫才:アメリカザリガニ
ショートコント:パペットマペット
落語:林家たい平 「たがや」
音楽漫才:横山ホットブラザーズ
漫才:大木こだま・ひびき
収録日? 東京・渋谷NHK放送センター スタジオ 収録?
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ラジオ名人寄席/NHKラジオ第1
2005(H17)/07/17(日) 19:20-19:58
五代目 古今亭志ん生 「三枚起請」  (音源データ アナウンスなし)
五代目 古今亭志ん生 「小咄二題」(廓の小咄 夏の小咄)  (音源データ アナウンスなし)
席亭:玉置宏

「残しておきたい江戸情緒 下座のお囃子 寄席幟」
「ラジオ名人寄席」 あたくしは席亭の玉置宏でございます 御来場 誠にありがとう存じます
この「ラジオ名人寄席」には 嘗て一世を風靡いたしました 東西演芸界の「名人」「上手」「人気者」が
それぞれの十八番で御機嫌を伺います

◆席亭解説(演目放送前)
今席は 五代目古今亭志ん生さんの「三枚起請」でございます

「落語の神様」と云われました 三遊亭圓朝と共に尊敬されました 四代目の橘家圓鏡 この師承から
五代目志ん生さんに受け継がれた「三枚起請」でございます
志ん生師も 四代目の圓鏡師に 心酔しきっていた事は え~ ファンの皆さん御案内の通りでございます
吉原の全盛時代の お女郎には「年季」というものがあったようですねぇ
で これは 吉原に限ったこってして 「10年契約」 で 27歳を過ぎますと 現役を引退して つまり
「花魁の教育係」とでも云いましょうか「遣り手(やりて)」になるか 或いは 品川等の岡場所 つまり
「吉原以外の廓」へ行って つまり「住み替え」を強制された
あ~ これが「常識」に 廓の中では なっていたようでございます
まぁ~ とにかく このお噺で こんなに笑いを取るのは やはり志ん生さん と言い切ってよろしいかと思います
お楽しみ下さい 志ん生さんの「三枚起請」でございます
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◆席亭解説(前半 演目放送後)
志ん生さんの「三枚起請」でございました
騙さなくっては生きてはいけない お女郎の世界 「悲しさ」「哀れさ」
で~ 事が露見したとなりますと 今度は「で~ん」と 居直ってしまう あの「強かさ(したたかさ)」 ですね
そのギリギリんところで暮している女性と 所詮は金を使って遊びに来る男 いざとなったら逃げだせる所に
いるお客との関係
そんなところを 鮮やかに描き出してくれましたのが 志ん生さんの「廓話」でございます
え~ 「サゲ」でございますがねぇ 「討幕の志士」と云われました 高杉晋作が 品川の廓 土蔵下がりで酔狂に
作ったと云う 都々逸がございます それが 「三千世界のカラスを殺し ぬしと朝寝がしてみたい」
これをそのまんま 噺のサゲに取り込んだ訳でございます
「廓の朝 カラスの鳴き声がうるさくって ゆっくり寝ちゃあいられない」と こういう意味でございます
あの~「起請」というのは「熊野権現の誓紙」 これに「年(ねん)が明けたら一緒になります」という
誓う言葉を書いて 取り交わします
これ 「血判」を押した 証文なんですね で 約束を反故にしますと「熊野でカラスが三羽死ぬ」と
そう云う言い伝えがあったと 記されております
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◆席亭解説(後半 演目放送前)
さぁ 今日は「三枚起請」 あまりマクラに時間をお掛けになりませんでしたが 志ん生さんの「小咄」
これまた名人でございます
じゃあ まず「廓の小咄」 ひとつお聞き願いましょう
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◆席亭解説(後半 演目放送後)
色々な「廓噺」のマクラに 志ん生さん 良くこの「小咄」を振ってらっしゃいました
もう ごくごく有名な「小咄」でございます
お時間がございます もう一つこの時期の「小咄」を聞いていただきましょうかぁ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◆席亭解説(後半 演目放送後)
「夏の小咄」でございました

5月に 志ん生さんの「不精床」を放送いたしました その時に「改名の王様 古今亭志ん生さん」 10回目の
改名迄はご紹介をしたんでございますが 今日はちょいと お時間がございますから 11回目からを御披露して
おきましょう
昭和2年(1927)の1月 初代の柳家三語楼の一門に移りまして 柳家東三楼(とうざぶろう) で その年の
11月に 柳家ぎん馬 と改名致します で 翌年の5月 柳家甚五郎 と成るんでございますが
昭和5年(1930)の9月 何故か フリーになってらっしゃるんですねぇ
そのフリーの時代は 隅田川馬石(ばせき) これを名乗ったんですが 何とこの名前は1ヶ月
柳家三語楼の門に復帰致しまして 再び 柳家甚五郎 となります ねぇ~
大正から昭和初期 極貧 不遇の時代を傷心断腸の思いと改名に明け暮れた というのが 志ん生さんで
ございました
昭和7年(1932) 3月 独立を致します え~ 三度目の古今亭志ん馬 を名乗りまして
昭和9年(1934)の9月 七代目金原亭馬生
昭和14年(1939) 3月に 五代目古今亭志ん生 を襲名致しまして 50歳代から 長年の鬱屈を一挙に爆発させ
るように 売れに売れた師承でございました
昭和48年(1973) 9月21日 83歳で亡くなっております

今日は 志ん生さんの「三枚起請」を お楽しみ頂きました


お相手は 席亭の あたくし玉置宏でございました では 次回をお楽しみに
本日も「ラジオ名人寄席」への 御来場誠に有り難う存じました

2005(H17)/07/16(土)の放送

2005-07-16 22:13:32 | 落語 演芸/放送後記
志の輔特選落語/文化放送(志の輔ラジオ「土曜がいい!」内)
2005(H17)/07/16(土) 12:05-12:30
八代目 桂文楽 「酢豆腐」  1966(S41)/07/03放送 TBSラジオ「TBS回り舞台」 とのこと

◆志の輔 解説(演目放送前)
え~ その~さっき中途半端に あの~終わってしまいましたけれど あの~ え~何でしたっけ?
その「掛け持ち」の話の時の その~ 「笑芸人」から「笑芸人ファン倶楽部」っていう
涙子:「落語ファン倶楽部」(*01)(小声でフォロー)
「落語ファン倶楽部」という まぁ本が え~~出まして で もう見ると もう ほんとに色んな あの~
「落語界の今」っていうか ええ「歴史」も含めて ほんとにあの どのページも力が入った一冊の本で
で 一番面白いのがCDが1枚付いていて (笑) びっくりしたのが まだ聴いてないんですけど
「三遊亭円朝のオールナイトニッポン」っていうのがあって(笑) 高田先生に「これはなんですか?中身は?」
「あ~聞くまで言わない」 「聞くまで言わない」(笑) 「ほんと驚くよ」みたいな
「三遊亭円朝のオールナイトニッポン」 どんなやねん っていう感じのCDが付いてる その え~
「落語ファン倶楽部」っていう本の え~ 発売記念の「掛け持ち」の話だったんでございますが
さて その三遊亭圓朝から すっ~ごい流れ流れてですねぇ この八代目桂文楽と云う人 間違い無く そのまぁ
「圓朝後」 あ 「圓朝後」じゃないや 圓朝の流れの中で このず~っと え~ 来てるんですけれども
この桂文楽師承のやられた偉業と云うのは 全てその「十八番」なんですね だからネタ数は少ないんです
他の方に比べて 他の名人に比べて少ないんですけども 「全てのネタを完璧に創り上げて 無駄が一切なく」
オープニングにも言いましたが どの演目をやっても え~ 「プラスマイナス10秒の誤差しかない」と云われる
位に 完璧な演出と完璧な間(ま)でおやりになったのが 桂文楽師承 八代目の偉業でございますねぇ うん
ですから かなり今の落語界の中で え~教科書的な え~存在でございますねぇ
え~ その文楽師承の十八番 え~ どれ位あるのかな~?十八番 う~ん 何作位あるかな~?
二十席位ですかねぇ 全落語といっても 二十席位なんじゃないでしょうか?
その中にもちろん入っております「酢豆腐」 え これをですねぇ え~「TBSまわり舞台」 というですね
放送があったんですねぇ
1966年 昭和41年 7月の3日に 「TBSまわり舞台」 どんな放送だったんでしょうかねぇ~?
涙子:うへへへ(笑)
何か 文楽師承の「酢豆腐」にも興味がありますが この「前枠と後枠」にも とても興味の出て来る
涙子:うはははは(笑)
えっ え~ 今日は「オールナイトニッポン」でニッポン放送の話が出
涙子:いやははははははは(笑)
「まわり舞台」でTBSが出 そして文化放送でお届を致しております
八代目桂文楽師承の「酢豆腐」 20分34秒です
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◆志の輔・涙子 感想(演目放送後)
志の輔:という事でですね
涙子 :はい
志の輔:でも きっと~ あの~ そういうもんだと思って こう「酢豆腐」 う~或いは まぁ別名と云うか
    あの~やり方~や「柳派」になってくると お~「ちりとてちん」とか
涙子 :はい
志の輔:っていうやり方 あ~ 題名で変ってきますけど きっと あの~その「若旦那」の方の お~ まぁまぁ
    もちろん全然「ちりとてちん」と「酢豆腐」はストーリーが全然違うんですけれど
涙子 :ええ ええ
志の輔:そいで~ この今 若旦那の「せつは」とか 「もつり もちりんでございます」とか うん 
    何か あの~ 言い方というのは みんな もう そういう風にしてやってますけど これ全~部
    やっぱりだから 文楽師承が創ったんじゃないかな?と思うんですよねぇ
涙子 :ええ
志の輔:前のところ迄は 色んなやり方があったでしょうけど 完全に完成させて もう「若旦那のイメージ像」
    が もう 一つに固定されたと言っても良いくらいに うん
涙子 :ああ はぁはぁ
志の輔:扇子を広げて もう「せつなるものは」って言う その~言い方で もう完全に固定化したのは たぶん
    文楽師承の え~ あの 演出の完成じゃないかな? とは 私が勝手に まぁまぁ思ってるんで
    ございますが それ位に 今の落語の流れに物凄い大きな影響を与えられました 八代目桂文楽師承の
    「酢豆腐」を え~20分以上って いう事は 久しぶりでございますね
涙子 :そうですね~
志の輔:お届けを 致しました


*涙子=吉田涙子(志の輔ラジオ「土曜がいい!」番組アシスタント 文化放送アナウンサー)

*(*01)「決定版! 落語ファン倶楽部 VOL.01」 白夜書房 2,000円 07/12発売
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日本の話芸/NHK教育テレビ
2005(H17)/07/16(土) 13:45-14:15
六代目 笑福亭松喬 「住吉駕籠」
収録日? 大阪・NHK大阪ホール 収録
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平成落語家ジョッキースペシャル in 新宮町/NHKラジオ第1
2005(H17)/07/16(土) 19:30-20:55
林家彦いち 「青菜」
林家たい平 「湯屋番」
柳家花緑  「粗忽長屋」
立川志らく 「禁酒番屋」
2005(H17)/07/06(水) 福岡県 新宮町・そぴあしんぐう 収録
NHK福岡放送局開局75周年記念 新宮町合併50周年記念
*途中 19:55-20:05 ニュース 天気予報 20:28-20:30 交通情報 で中断

2005(H17)/07/14(木)の放送

2005-07-14 22:05:12 | 落語 演芸/放送後記
BSふれあいホール お楽しみ寄席/NHK-BS2
2005(H17)/07/14(木) 18:00-18:45
「師弟競演 リレー落語 怪談芝居噺」
林家彦丸 ~ 林家正雀 「真景累ヶ淵 水門前」
2005(H17)/07/07 東京渋谷NHK みんなの広場ふれあいホール 収録
司会:松田輝雄

◎ふれあいメッセージ(出演者の1人にメッセージを書いて貰う)
「好機到来」 林家正雀 (師承の彦六が良く書いていたので)

*リレー形式で演じる「芝居噺」は本邦初とのこと

2005(H17)/07/13(水)の放送

2005-07-13 22:26:49 | 落語 演芸/放送後記
ラジオ名人寄席(再放送)/NHKラジオ第2
2005(H17)/07/13(水) 12:10-12:35
中田ダイマル・ラケット  漫才「僕は幽霊」  (音源データ アナウンスなし)
席亭:玉置宏 ゲスト:澤田隆治(メディア・プロデューサー)


「残しておきたい上方情緒 下座のお囃子 寄席幟」
「ラジオ名人寄席」 あたくしは席亭の玉置宏でございます 御来場 誠にありがとう存じます
「ラジオ名人寄席」 毎週水曜日は 寄席のお彩りに欠く事のできない「漫才」をお送り致します
そして 水曜日は「お笑い番組のオーソリティー」 メディア・プロデューサーの澤田隆治さんと
御一緒に進めてまいります

◆席亭・ゲスト 解説(演目放送前)
玉置:よろしくお願いします
澤田:こちらこそ よろしくお願いします
玉置:今日は 中田ダイマル・ラケットさんでございます
澤田:はい あの~ダイマル・ラケットさんの漫才 もう え~7本放送しましたから....
玉置:あ~ そうなりますかぁ
澤田:はい もうずいぶん良いネタはもう 全部出尽くしているっていう感じがあって 所が あの~初期に
   あの~ 2年前になりますけども....
玉置:はい
   ダイマル・ラケットさんの漫才 当然放送した訳ですけども その頃お聞きで無い方がいらっしゃり
   それから まぁ ね
   毎週 必ずしも聞いてくださってる訳じゃないし 「どうして やってくれないんですか?」
   「いや もう やりましたけど」って....
玉置:あはははは(笑)
澤田:僕 個人的に答えてたんですけどもねぇ
玉置:ほお
澤田:まぁ あの~最初の頃の名作 立て続けに出したやつをですね なんとか選んで 3週程もう1回聞いて
   頂こうという 趣向でございまして
玉置:なるほど
澤田:え~ もう ぜひお楽しみに聞いて頂きたいんですけども その3本と云うのが「青火がポー」で有名な
   「僕は幽霊」
玉置:はあ
澤田:夏のシーズンに合わしてって事ですけども
玉置:はい
澤田:それから「私は誰でしょう?」っていう「家庭混戦記」
玉置:あ~~
澤田:それから 「じゃ~んけん じゃ~んけん」っていう あの 「僕の恋人 君の恋人」
玉置:はい
澤田:この3本をですね 選んで もういっぺん お聞き頂こうと まぁ こういう訳です
玉置:はい
澤田:で 今週は「僕は幽霊」
   え~もう~ 昭和30年代にはですねぇ 僕が丁度 このラジオのプロデューサーになった所に大阪の寄席で
   もう8月というと 「青火がポー」ってな感じで....
玉置:あ~~
澤田:お客さんも もう待ってたという感じがありましたねぇ
玉置:なるほどね
澤田:夏場のネタだっていうんで あの~ 他のシーズンにはやらない
玉置:うん
澤田:他のシーズンにやらなくてもいい位 ネタが沢山あったって事ですよね
玉置:あ~ ほんとに もうヒットしたネタ お持ちでしたからね
澤田:ラジオもテレビも夏と云えば ダイマル・ラケットの「青火がポー」と
玉置:なるほど
澤田:大阪の人は「青火がポー」と云えば すぐ判るという
玉置:あはっはっはっ(笑)
澤田:そういうネタでございます
玉置:はい え~ 今日聴いて頂くのは 昭和48年(1973)6月9日に放送された物でございます
   それでは 中田ダイマル・ラケットさん 「僕は幽霊」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◆席亭・ゲスト 解説(演目放送後)
澤田:まぁ~ ほん~とに良く出来たネタだと思いますねぇ
玉置:そうですね~
澤田:20分の まぁ「高座」っていうか 「持ち時間」がありますよね
玉置:はぁ
澤田:それを 大体 2つか3つのネタをくっ付けて 何となしに最後には まっ一番受けるネタを持って来る
   っていう 構成してる 漫才がほとんどなんですよね
玉置:う~ん
澤田:そん中で こう ドラマ性を持たして 1つのネタで こう 前半は「会話」で 後半は「仕方話」
   になっていくという構成をしてですね 引っ張ってくるって いうのが もうダイマル・ラケットさんの
   漫才のもう 「最大の特徴」っていうか 「長所」というか
玉置:ああ
澤田:だから もう 聴いて みんな最後に もう笑い転げるって いう事になっていく訳ですけれども
玉置:う~ん
澤田:まぁ あの~「ラケットさんが笑う」という部分が随分あって これ~ あの~色んなテープ有るんです
   けどね 僕のファイルの中に
玉置:う~ん
澤田:これが 一番 良く笑っているのを お客さんが  なんか笑っているという そういうので一番特徴的
   なんで これ....
玉置:「ゲラ」だった訳ですか?
澤田:というよりもね あの~最初の頃ね あの 「寄席評」を見るとですね 角座 あのあの戎橋松竹に
   出た頃にねぇ 批評家がねぇ 「ラケットは舞台で笑うのは よろしくない」っていってね
   随分書かれているんですよ
玉置:ほお~
澤田:自分も随分気にしてるんですけども まぁ ある種いつでも そこいったら きたら笑いますからねぇ
   ある種「芸」なんでしょうね
玉置:なるほど~
澤田:自分が笑う事によって そこで お客さんとの こう 共通の物を通して行こうという そういう考えが
   ラケットさんに あったみたいですね だから 「怒られても 自分は笑う」と
玉置:また ダイマルさんが 「涙まで 出しよる」という ねぇ~
澤田:で あの「兄貴 ****(*01) おもろいなぁ」って いうてましたけどねぇ だけど それは
   それとしてね
玉置:あ~
澤田:僕らなんかが見るとね いつも同じところで あの「プッと吹きます」からねぇ
玉置:う~ん
澤田:あれはあそこで こうそういう こう「緩和させる」というか 「緊張の糸を解く」っていうか
   まぁ それが20分の高座の中の ひとつの ええ まぁ「緩み」 になってて それで 最後「た~」っと
   行く...
玉置:うんうん
澤田:っていう事に なっているんだと思いますけどね だけど まぁ これは色々議論があったとこですけど
   まぁ ダイマル・ラケットさん あれだけ売れましたから 後で舞台で若いコンビが笑っても
   それは許される様になってきた
玉置:あ~ なるほどね~
澤田:最初の頃は もう毎回書かれてました
玉置:う~ん
澤田:ええ 舞台で あの「芸人は笑うもんではない 客が笑うものだ」(笑)だから「あっち行け」って
   そういう事なんでしょうけれどね
玉置:う~ん
澤田:まぁ 今はね 割とお客さんと その芸人との間に その「舞台の上と下」というのはね  
   その~漫才という芸なんかでは そう厳しくなくなってきたけれども それの「はしり」でしょうねぇ
玉置:はぁ~
澤田:「一体感」って 云うんですか?
玉置:なるほど
澤田:昔は「芸を観て頂く」「観る」という形が きちんとしている まぁ 芸によっては 色々ありますけどね
玉置:ええ
澤田:そういう そういうのが許されない芸も もちろんある訳ですけれど 漫才の場合は どっちかといえば
   やっぱり それでも ダイマル・ラケットさんから変った という事はいえるでしょうね
玉置:ダイマル・ラケットさんの系列が そのまま カウス・ボタンさん という風に理解していい訳ですか?
澤田:まぁ~ そうですねぇ ネタちょっと違いますけどねぇ
玉置:ええ
澤田:ネタの雰囲気は違いますけど それでも「会話のラリー」という意味ではねぇ
   あの~ ダイマル・ラケットさんの「前ネタ」ですね
玉置:はい
澤田:「前ネタ」の面白さを もう充分にカウス・ボタンは引き継いでいますね
玉置:そうですか
澤田:ストーリー物は やってませんけど
玉置:ええ ええ ええ
澤田:だけど「前ネタ」だけで 20分引っ張りますからねぇ
玉置:ほんとですね~
澤田:まっ「話術」としか言いようがない
玉置:なんとも あの~ こう お客さんに「ここは笑って下さいよ」っていう「間」が しっかりと
   計算になってる という事は やはり「中田の屋号」を名乗るだけの  いや~ これからなんか
   「ネタ物」もなさるんでしょうかねぇ?
澤田:ダイマル・ラケットさんの 感じを引き継いだのは やすし・きよし ですね
玉置:あっ なるほど
澤田:ストーリー物を...
玉置:ストーリー物を受けたのは ああ そうですか

   え~ 今日はアンコールという事で その初日 ダイマル・ラケットさん 「僕は幽霊」でした
   水曜日はいつもの通り 澤田隆治さんと 御一緒に進めてまいりました ありがとうございました
澤田:どうも ありがとうございました

お相手は 席亭のわたくし玉置宏でした それでは次回をお楽しみに
本日も「ラジオ名人寄席」への御来場 誠に有り難う存じました


*2000(H12)/11/01 2004(H16)/07/14再放送

*(*01)聞き取れなかった

*「漫才の水曜日」の解説は 玉置宏と澤田隆治の掛合いの為 「文字起こし」が難しい
今回は暫定的に公開しました
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BSふれあいホール お楽しみ寄席/NHK-BS2
2005(H17)/07/13(水) 18:00-18:45
「師弟競演 怪談リレー講談」
一龍斎貞友 ~ 六代目 一龍斎貞水 「お岩誕生」
2005(H17)/07/06 東京渋谷NHK みんなの広場ふれあいホール 収録
司会:松田輝雄

*六代目一龍斎貞水 2002年(平成14)「講談」で初めての重要無形文化財指定(人間国宝)に認定された
*一龍斎貞友は 声優で 有名なところでは 「ちびまるこちゃん」の おかあさん役 「クレヨンしんちゃん」
の マサオ役 等演じているとのこと

2005(H17)/07/12(火)の放送

2005-07-12 22:30:57 | 落語 演芸/放送後記
ラジオ名人寄席(再放送)/NHKラジオ第2
2005(H17)/07/12(火) 12:10-12:35
初代 金原亭馬の助  「小言幸兵衛」  (音源データ アナウンスなし)
席亭:玉置宏

「残しておきたい江戸情緒 下座のお囃子 寄席幟」
「ラジオ名人寄席」 あたくしは席亭の玉置宏でございます 御来場 誠にありがとう存じます
この「ラジオ名人寄席」には 嘗て一世を風靡いたしました 東西演芸界の「名人」「上手」「人気者」が
それぞれの十八番で御機嫌を伺います

◆席亭解説(演目放送前)
今席は 金原亭馬の助さん え~もちろん 先代でございます 「小言幸兵衛」でございます
お家主の代表的人物といいますと 麻布古川の田中幸兵衛さん
で~ お噺の方にも「小言幸兵衛」それから「搗屋(つきや)幸兵衛」 え~これねぇ 筋まで良く似ております
んで 誠にややこしいんでございますが
え~ 実を申しますと その昔は 一席の噺としてやっていたんでございます
それが まっ 高座の持ち時間の都合から 2つに別けた訳ですね
ですから 噺家さんも 初めの頃は全て「小言幸兵衛」と こうしていた様でございます
え~明治の中頃から大正の末に懸けまして 活躍いたしました 名人と云われた 三代目の柳家小さん
この方は若い時分 「常磐津の太夫」をしていた事もございまして 良く噺の中に「常磐津」を こう 楽しそう
に語り込んでらしたんだそうです
で~ 「小言幸兵衛」でも 家主が 仕立て屋の倅が お花坊と心中をするというくだりを 色々「想像」を
するって場面がございます
ここで三代目の小さんという方は 常磐津を入れての 派手~な演出で 大受けをしていたそうでございます
但し 持ち時間の関係もございまして この「常磐津」を語りたいという場合には 最初に空き店を借りにくる
「搗米屋さん」のくだりをカットして お噺に入ったんだそうです
え~ その昔 寄席の高座では え~大真打の十八番物っていうのは 他の師承連は遠慮するという しきたりが
あったんですね
そこで 三代目の小さんがカットしてやらなかった「搗米屋」のくだりだけを 膨らませまして 「サゲ」を
付けて「搗屋幸兵衛」
こうしてやる様になった訳です 「搗屋幸兵衛」を一番良く高座に掛けておりましたのは 五代目の志ん生さん
そして 父親譲りという事で え~ 志ん朝さんも「搗屋幸兵衛」でやっておりました
ところが 金原亭馬生さんは「小言幸兵衛」 で~ 事に依ると「搗屋幸兵衛」をお出しになる事もございましたが
今日は え~ 古今亭一門ではございますが 金原亭馬の助さん 先代が「小言幸兵衛」として演じております
それではお楽しみ下さい
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◆席亭解説(演目放送後)
先代の金原亭馬の助さんの「小言幸兵衛」でございました
え~ 先程もちらっと触れました「搗屋幸兵衛」のお噺
え~ 「小言幸兵衛」ですと まず お豆腐屋さんが借りにきます そのお豆腐屋さんの前に借りに来るのが
「搗米屋さん」
で~ 空き店になっておりましたその え~一件には 前にも搗米屋さんが入っていた ですから造作をそんなに
いじったりしないでも 搗米屋に開業できると こういう様な設定でございましてね
で~ 「ド~ン ドン」と臼でお米を搗く まっ それが噺の伏線に成るんでございますが え~志ん生さんが
この「搗屋幸兵衛」をなさる時には「トントントントン」と 運んで行きます で~ 「どういう訳で お前さんに
貸せないのか」という くだりで「ドッ」っと笑いを1つ取った所で「冗談を云っちゃいけねぇ」と 志ん生さんは
そう切りまして 「地」になります
つまり 志ん生さんの言葉で 「搗屋幸兵衛でございます」と こう結んで高座を降りてらっしゃいました
え~ 今日の馬の助さんは「花火屋の職人」でやってらっしゃいました 「鉄砲鍛冶」でサゲる方もいらっしゃい
ました
「どうりでポンポン言い通し」 ここは「花火屋さんの職人」も同じでございますがね
まぁ とにかく う~ 大抵この~ う~ん「仕立て屋さん」と え~「お花坊」の心中の場面 この辺で
目一杯笑いを取って「サゲ」へ持って行くと こういう 段取りでございます
麻布の古川 現在の二の橋と三の橋の間 あの~古川橋の近くであったろうと 想像をいたします
川沿いに「小商人(こあきゅうど)」それから「職人さん」「ぼていふり(*01)」 こういった人達が多く住んで
いた所 で~ 江戸の頃ですと 大部分が え~「全国諸大名の下屋敷」 それに「お寺」 また「森」「林」
これが大変多ございまして その間に「民家」が点在していたと どちらかというと 寂しい場所であった様で
ございます
え~ 当時の戯れ歌に「こいつぁ 麻布で”樹”が知れぬ」 あの「気持ちの 気」と それから「樹木の樹」と
を掛けてる んだそうですがぁ 何とも これだけじゃ 「意味不明」でございますがね
相手の気心の知れない時なんかに 「洒落」に使ったと いうんだそうです
「樹木がうっそうと繁り それも名の知れない木が多かったからだ」と こんな説明が この歌の所には付いて
おりましたがね
どうも 「もうひとつ ピンとこない」お話しでございます だから「流行らなかった」と云ってもよろしいかも
しれません

先代 金原亭馬の助さんの「小言幸兵衛」でした

お相手は 席亭の わたくし玉置宏でございました それでは次回をお楽しみに
本日も「ラジオ名人寄席」への 御来場誠に有り難う存じました


*1996(H08)/11/11 1997(H09)/03/24 2002(H14)/10/22 2004(H16)/07/13再放送

*(*01)「ぼていふり」とは 魚を担いで売り歩く商売 魚屋さん 棒手振り(ぼてふり)のこと
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真打ち競演/NHKラジオ第1
2005(H17)/07/12(火) 21:05-21:55
漫才:ビックボーイズ 「一攫千金」
ギター漫談:堺すすむ
落語:三笑亭笑三 「悋気の火の玉」
2005(H17)/06/12(日) 東京都日の出町・日の出町立大久野中学校体育館 収録
司会:中江陽三 元NHKアナウンサー