ラージボール卓球

人生と卓球ゲームや健康づくりをつづります。

2・栃ノ心が優勝

2018-01-28 20:51:08 | 日記
   平成30年1月28日(日)
日馬富士がカラオケ機で貴の岩をなぐり、
何かと混乱している相撲界だが、連日の「満員御礼」札止めの盛況・・・
「この1番にて千秋楽にございます」、
2・栃ノ心(ジョージア国、30歳)14勝1敗で、賜杯をだいた。
相撲界に入り12年、
「今回はいい稽古ができました」、敢闘賞、技能賞と2賞ももらう、
インタビューに答えて
「応援してくれた日本の人、GEO国の人、長女誕生に感謝、幸せです」・・・
力強く、涙の優勝となる。
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1・逸ノ城も鋭くなり、腰も落とした安定感で10-5、と次が楽しみ。
荒鷲も早くて立派ないい男、
高安(11-4)、
関脇・御嶽海(12-3)。
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集金を届けにまわり、道中の立畦から「東京スカイツリー」を見る・・・
再びでかけて撮影したが「あるのかないのか?」ボンヤリ写るだけ・・
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ブラインドタッチ
「人生は時の重なり、出来事、感動、涙が彩りをそえる書きとめておくこと、
もう一人の自分に再会できる気がしています。 
 「日記」は人に見せるのもではないし、
見られたくない、だが人に見られるかもしれないので、どうしても書けないこともあります。
私は、3年連記の日記帳をつかっています。
 それでは、有名人の日記を少しのぞいてみましょう。
 志賀直哉さんが若かりし頃、
同家の女中Cに恋をした時の日記です。
この恋は実りませんでしたが。さすがに簡潔ながら鋭い書き方です。
(24歳)明治40年(1907年)。8月22日(木)此夜Cと結婚を約す。
C気を失う。
8月24日(土)Cのことを祖母と母に話す。8月25日(日)祖母志賀家にないこと、反対する。
父は洋行後相当な人を探すつもりなりし故いけないという。此日余はCと夫婦になる。
 備忘録としての魯迅の日記。(30)(1912、5,5)。
午前11時、舟、天津着。午後3時半発車、途中見渡す限り黄土のみ、間々竹林あるも見るべきものなし。
7時頃北京着。長発店(旅館の名)に宿泊。
夜、山会邑館(サンセイコウカン)に至り許(シュー)銘(ミン)伯(ポー)先生に訪い、
「越中先賢詞目」一冊を貰う。
 自己反省的な手紙形式で書いた「アンネの日記」。
アンネは日記を友人キテイと呼んでいる。(13歳)(1942.6.12)。
わたしはこれまでだれにも打ち明けられなかったことを、全部あなたに打ち明けられることを祈ります。
そしてあなたがわたしにとって、大きな心のささえとなり、慰めとなることをいのります。
 本には余白のページがあり、読後感が書けます。人生にも仕事にも終点があり、
余白の人生があるように思うのです。
そのとき自分の人生旅日記を開く、また良し、これが私の日記観です。」
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あしたはカラオケ、引き続きブラインドタッチ


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