22年になるのですね
早朝からのテレビで放映されている画面を観ながら
当時を思い出しています。
我が家はたいした被害もなくでしたが
電話が通じなくなっているのに気づいたのは
しばらくたってから・・・
停電で状況はまったくわからなくて
ラジオも聞いてなくて
ただ、ご近所が断水でお困りで
外の水道を使って戴くのに10人位?途切れずに並ばれて
お向かいのマンションから
親しくしている方が避難がてらの
お喋りをしていたら
外から
「生田神社がつぶれたんやて~」
「高速道路がひっくり返ってるんやて~」
「あっちこっちでえらいことになっているんやて~」
電話と電気が止まっているので
まったくわからずに
我が身の怖かったことなど話し合っていたけど・・・
お昼前かしら?
突然電話がなって、取ると
何時も落ち着いた話し方の滋賀県から息子が~
「あ~、出た!みんな無事か?」
何度もかけていたのです。
それからが、近辺の親戚や知人が心配になりだし
そして、テレビで放映されていると知って
真っ先に東京の叔母へ
ワンコールもしないうちに叔父の声
繋がらない電話の側でずっと待機されていたのです。
この日が来ると、真っ先に
この叔母夫婦の情景が蘇り
胸にくるものがあります。
夕方、電気が復旧されてからは
もう、テレビに釘付けでした。
あの時、寝入りばなで、寝ぼけがすっ飛び
初めての海外旅行を控えていた娘は2児の親、
その息子は春には大学生。
安堵の声が漏れてきた息子も2人の親です。
私達も、周りからぼちぼち免許の返納をと言われる年齢に
なってしまいましたが
健康でいられる幸せに感謝しながら
日々平穏にすごすことが出来れば~っと、
改めて感じた朝でした。