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雄一郎の半生

こんな人生もあるのですね。ノンフィクションの半生記
全ては、書けませんが。。。

立ち直れない 1回目

2021年02月09日 06時00分00秒 | 日記

雄一郎の半生  

結婚もして、新築の家にも住み、

弟と、祖父母との生活は、幸せの

のはずだった。

私たちは、1階の床の間の部屋に

隣は祖母が、2階には弟と、

祖父が寝ていた。ある夜に腹の

辺りが重くて目が覚めると、

真っ暗な部屋に白い物が

足下辺りにぼーっとあった、

しかもゆっくり祖母の部屋の

ふすまの間に入ってゆく。

自分は、怖くて声を出そうと

したが、出ない。隣の妻を

起こそうとしても、体が動かない。

目をつむってもその白い物は、

見える。そんなことがあってからか、

ある時から、不思議なことが

起こり始める。

自分の頭が朦朧となり、何か

雲がかかったようになり無気力

になった。仕事も休みがちになった。

祖母は、こたつに横になって

いる自分を見て、「こんな所で

横になる様な子ではなかった

こんな様子は、今まで見たことが

無い」と言っていた。祖父も自分が

ボーっとしていて、物忘れを頻繁に

していたことから、「まだ、若いのに

何で、物忘れ何かするんだい。」

と話しかけてきたが、自分は全てが

霧に包まれているような感じで

はっきりしなかった。言われていることは

分かるのだが、返事も声があまり出ず

小さくて皆には聞こえないようだった。

弟と皆で食事をしていて、弟が席を

立ち廊下に向かって歩く後ろ姿が、

いつも寂しそうで、後ろから

抱きしめたい衝動に時々かられる

ことがあった。

 

妻は、妹が看護師をしている関係で

自分の症状を相談していたらしく、

母の反対を押し切って、精神科に

連れて行かれた。診察は、特に

異常は無く原因も分らずに帰って

きた。しかし、妻は自分が仕事を

したくないのでわざと、そんなふりを

しているのでは無いのかと、思って

いたようだ。

家では「自分の家では、順番で兄弟が

風呂洗いをしていたから」と

弟にも、風呂洗いを強要した。

自分は「それは、お前の実家の

決まりだろう。ここは、実家とは

違うから」と、何度ささやいても話を

きかなかった。祖母はある日に

風呂掃除をしている、弟を見て

「なんで、掃除なんかしている?

今まで、掃除などさせたことが無い」

と、怒っていた。母へもその他の事も

含めて、話をしたようで妻の立場も

悪くなっていった。そして、自分との

間にも、溝が出来てきた。

 

そんなことが続いたある日、

それは突然の連絡だった。

救急隊から電話が入り、「○○さんの

お宅ですか?、△君が先ほど事故に遭い

ました。至急病院へ行って下さい。」と

自分が「どんな様子か」と訪ねると

「たぶん、亡くなられたと思います。」と

返事が返ってきた。自分は何かで頭を

殴られた様な感じで、数時間前まで

弟は、家におり友達の家に行くと

急いで出かけたばかりだった。

慌てて、母にも電話をして

すぐに、病院に行くように伝えた。

病院に着くと、診察室の奥に弟は、

横たわっており、顔を除き頭から胸や

足まで包帯だらけだった。先生に

母が状態を聞くと「お亡くなりました。」

とだけ。気丈な母も、「いやだっ」と

涙を浮かべていた。

弟の体に触れ、まだ、暖かいよ。

生きているようだ。と、自分は、

そんな弟を見ても死んだ事が信じ

られずにいたが、暫くして、弟の

友人の親が、車で自宅まで弟を

運んでくれた。

事故は、3代のバイクに友達と便乗して、

夜間に近くの店に買い物に行ったとき、

先頭のバイクが国道を右折するはずが

突っ切り、なんとか横断した。しかし、

二番手の弟が運転するバイクは、ミカンを

満載にした、4トントラックの右角に追突し、

ヘルメットをかぶっていなかった弟は、

後ろに乗っていた、友達の体からも

追突の瞬間に押された形になり、死亡した

という。後ろの友達は、弟がクッションと

なったために、怪我はしたが命に別状は

無かった。こうした話を聞くと、生前に

弟が「誰かの身代わりになるんだ」と

言っていたことと、重なり辛くて仕方なかった。

そうして、葬式が始まりお寺の住職が

お経を上げる前に、弟の名前では無く

自分の名前を呼んでからお経を

上げ始まった。その後に住職に弟の

名前を告げて、49日の法要の時、

「△君。」と弟の名前を言った瞬間、

弟の棺の前の生花が何輪か返事を

するかのごとくに、散り落ちた。

それを見ていた、何人かの親戚の方も

驚きを隠せなかった。

こんな、ことがあって、やはり、弟は

自分の身代わりになったのでは無いか。

自分が何故、あの日に出かけて行くの

止めなかったのか。など、とても耐えきれ

なかった。後に祖母から聞いた話では

弟は生命線が手の中央でプッツリ切れていた

そうな。弟自身も「俺は誰かの身代わりに

なってやるんだ」とかの話を祖母にして

いたらしい。その都度祖母は、「そんな

ことばかり言ってんじゃ、ないよ」と

諭したという。17歳という若さで亡くなり

どんな人生だったのだろう。自分の様な

ろくでなしは、死んで、弟が生きていれば

良かった。と、何度も何度も自分の心の

奥から声がした。自分が身代わりになれば

良かったと、、、

 

次回につづく


惰性で結婚

2021年02月05日 06時00分00秒 | 日記

雄一郎の半生  

すし店に時々来ていたF子と

付き合うようになり、次第に朝、

店に行く時間がだらだらしてきた

遅刻もたびたびになりその都度、

板前からも叱られる。

そんなある日、目が覚めると店は、

開店の時間をとっくに過ぎていた。

それでその日は、さぼることにした。

さぼり癖は、その日で終わらず

忙しい年末までも続き、とうとう店を

辞める破目になってしまった。

当然、店のおかみさんにも知れる

こととなり、母は肩身の狭い思い

をした。母は、自分のホテルの立ち

上げ時には、おかみさんに大変

お世話になった様子だった。

そんな訳ですし店の修行も

中途半端になり、母は

またがっかりしただろう。しかし、

なぜかF子だけは気に入って

いる様子だった。なぜかと言うと、

それまでぐうたらな自分も今まででは

一番、F子と付き合ってからは、

しっかりしている様に見えたようだ。

そうこうしている内に、F子の両親にも

付き合ってある事が分かり、会うこと

なり、ずるずると結婚の様相に

なって行った。自分としては結婚は

してもしなくても、どちらでも良いと

思っており、あまり関心はなかった。

F子の自宅は農家で兄弟は下に妹と

弟がいて、F子は長女だった。

自分の家がホテル業で、自分の生家も

別にあり、その頃は景気も良かった

ことから、F子の両親は結婚に大いに

賛成の様子で、とんとん拍子に話が

進んでいった。

母も、乗り気で生家が古いので

新築することにもなり、嫌が追うにも

結婚する方向に向かって行った。

自分には、5歳離れた弟がおり

この頃は商業高校へ進学していた。

小さい頃から自分より勉強が

好きで、将来は会計士か弁護士に

したいと母は思っていたようで、

ぐうたらな自分とは大違いだ。

新築した家には、祖父母と弟の5人で

暮らすようになるのだが、、

 

次回につづく

 

 


天秤にかけて

2021年02月02日 06時00分00秒 | 日記

雄一郎の半生

すし店に時々来ていた子は

店の娘の友人のF子だった。

それまで付き合っていた彼女に

F子との事がバレて、3人で

喫茶店で話し合いをすることに、

しかし、当然折り合いはつかずに

自分は、二人とも付き合いを

止めると言った。二人は泣く泣く

了承し、それぞれの家に送って

行ったが、近い順番で彼女を先に

送り、F子が最後になって送って

いくことになった。すると自宅では

なく、アパートだった。少し前から、

妹と一緒に住んでいるという、

送り届けて玄関越しに鳴き声

聞こえた。妹も困惑しているさまが

伝わってきた。

自分のここが人生岐路だった。

今考えると同情して、

「わかったよ、F子とは付き合うよ」と

言ってしまったのが、良かったかは

後に分かるのだが、この時から次第に、

F子の何となくペースに乗せられて

行ったような、気がしている。

そして、年上のF子と最初の

結婚をすることになって行くのだが。

 

次回につづく

 


人生2回目の転機が

2021年01月29日 06時00分00秒 | 日記

雄一郎の半生

すし店に紹介されてからは、

なかなか、踏ん切りがつかずに

いたが、仕方なく勤めることにした。

すしは好きで、この店にも以前

母に連れられて来ており、店の

おかみさんと会ったことがあった。

おかみさんは、女手一つで、

子供を育てて店を向かいの

割烹店と2店舗を経営している。

現在は、板前を雇って自分は

店には立っていないが、以前は

ここの市内の強面の人からも

一目置かれる人だったらしい。

店を手伝っているのは、

おかみさんの一粒種のNちゃん、

と親せきのAちゃんいずれも女性

当時、Nちゃんは二十歳、Aちゃんは

自分より年下の17歳位で、板前の

他に、修行中の先輩が一人、

割烹店にはおばさんが二人の

みんなで7人で営業していた。

当時は、車の免許を取って

いたので車で、通勤していた。

朝、店に入る前に隣の喫茶店で、

モーニングコーヒーを先輩と飲む

のが、日課になっており楽しみでも

あった。いろんな話を先輩から

聞いたりして店の事や、板前の事、

すしの仕込みなどの話から、

Nちゃんの好きな人がここのマスター

だという事まで、話を聞いて

びっくりした。Nちゃんの一方的な

片思いらしいが。

自分は、自宅から隣の市の中ほどの

女性と交際しており、たまたま、

その子もすし店と同じ市内に勤めて

いて、いつも帰りを駐車場で

待っていてくれた。その子の店は

洋品店で、店が終わってから

自分が終わるまでの2~3時間は

時間をつぶして待っていてくれたが

必ず定時に店が終わるとは

限らないのが、すし店である。

店の客が帰ってからは、

先輩たちの包丁磨きや、店の

後かたずけなどなど、やることが

多い。それで、駐車場に行くと

彼女がいないこともしばしば、

そんな時は車のワイパーに

「暫く待ちましたが、帰ります」

のメモ書きがある。

そんなある日、Nちゃんの女友達が

店に食事に来た。それまで何回か

来ていたらしいが、自分は気付かな

かった。そして、その子が帰り際に

何か自分の手に握らせた物が

あった。「後で読んで」と言い

渡された、メモ書きを見ると

はっきりは覚えていないが、

どこかで今日の帰りに待っている。

との内容だった。

自分の彼女はこの時間は、

帰っているので、のどでも潤そうと

この子と会ってみた。すると、

初めて店で見てから気になっていて

のことで、この子とも付合う羽目になる

 

次回につづく

 

 

 

 

 

 

 

取り立てだが運転には、自信が


その後の俺は

2021年01月26日 06時00分00秒 | 日記

雄一郎の半生

すし店に紹介されては、いるが

気が進まずにブラブラしていた。

まだ、普通車の免許は

取り立てだが運転には、自信が

あった。なぜかと言うと車は、

母のところに来る男の車を深夜に

乗り回していたからで、何回かは

事故になりそうに、なったりして

いる。山道のグニャグニャの

上り路で、ハンドル操作誤って、

危うくガードレールを突き破りそう

になったり、何かのランプが点いて

いるけど、と思いながら運転して

いたらそのランプは、

サイドブレーキランプで、

サイトブレーキを引いたまま、

運転をしていたこともあった。

今考えると、よく検問に会わな

かったと思う。

検問にもし会っていたら、免許は

18歳では取得できなかっただろう。

免許を取ってからも、遠くまで

よく運転していた。一番遠くまで

行ったときは、青森県の恐山まで

行った時だった。その頃の車は

オートマではなくギヤ変速だった

ので、変速するたびにクラッチを

踏む。高速道もなかったので、

一般道をひた走り、片道2000Km程は、走ったと思う、帰りは

ハンドルにしがみつきながらの

運転だったが、何とか帰ってきた。

母は「ケツにタコができるほど車に

乗っているんじゃないよ」とよく

言っていた。

で、この時の付き合っていた彼女

の人数は10人はいただろう。

勿論、皆遊びだった。

彼女と、デートする時間を1日

3回ほど設定して、やはり、

最後の子には、時間が遅くなり、

なかり待たせたこともあったが、

毎日が怖いものが無い程の

自己チュウが続いていた。

それで、仕方なく母の言っていた、

すし店に勤めることに、

なるのだが、、、

 

次回につづく