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お山にお宮がたちました

お山の神様と神社仏閣めぐり

2022-06-30 05:02:00 | 田舎の神様のこと
誠の心で謝りなさい。

初めて「誠」という言葉を意識したのはお山の神様のことを山さんから聴いた時でした。

私が誠だと思ってても、神様からみて誠ではないとされたらどうしよう。。

神様は全てをお見通しだから、私の精一杯の気持ちが、神様からみて誠とは違ってたら、何をすれば良いんだろうと心配でたまりませんでした。

そして、覚悟を決めて謝りに行った時は、もし私の中の最高だと思う心が、神様の思う誠に到達してなくて許してもらえなくても、今ある精一杯の心で謝らなければいけないと思いました。
兎に角謝りたい、それだけでした。

そして、神様への不敬を謝りに行った当日、何もその場の状況は変わってないのに、神様が笑ってくれたと教えてもらって、何とか精一杯の真心は通じたんだと心底ほっとしました。
そして、現状が申し訳なくて涙がでました。

そもそもって何だろう。。。
あの時からマコトが気になりだしました。

調べてみると、誠の心と書いてあります。
マコト。真言。真心。

産経国際書会より
「誠」は、偽のない、真心を表あらわす形声文字です。
「言」(言葉ことば)+「成」(成)=「誠」であり、ここに「物事を成す偽りのない言葉」の意味を持ちます。まごころが、誠ということです。
 金文篆書(きんぶんてんしょ)に見みられるように、「言」が形、「成」が読方を表しますが「成」は武器の「戈ほこ」に飾をつけて清めること。
その清められた心で神に誓いの言葉をいうような真心を表す意味があります。

その後「中庸」を知り、その思想の根幹は「誠」だと知りました。

「中庸」は、孔子が最高の徳として説いた概念です。
孔子は15歳のときに立派な人間になるために学問を始めますが、70歳になってやっと、自らが思うままに言動をしても道理に背かなくなったと語ったそうです。

自分が思ったままに行動しても、道徳からはずれない」そんな自由な境地が誠の境地であり、そこに到達することが中庸を学ぶ目的といえます。

その中庸では「天命を知る」という教えがあります。天から与えられた性を育むことが人として完成する方法(誠の人になる。。)とされているのです。

生まれながらに与えられた天命を知らなければ、どのように進んでいくかわからず、道を踏み外してしまいます。
目標を達成するために進む過程のことを道といい、その道をはずれないように学問を通して天命を知ることが、中庸を学ぶ意義であるとされているのです。

天の命これを性といい、性にしたがうこれを道といい、道を修むるこれを教えという。

天が人に授けたものが人の本性であり、その本性に自然に従うことを人の道という。人が歩まねばならない道を修めるのが教育である。

誠の人になろうと何もしないのではなく、聖人の辿った道を学び、求め、歩み、そして自ら掴んでいくものなのですね。
色んな書物を読むことと、坐をして静かな境地を感じることは大切だと感じています。

中庸においての「誠」とは
自分にも他人にも嘘偽りのない心
「真心」に近い言葉をいうようで、孔子は誠の心こそが天の道であると説いています。

誠は天の道なり。これを誠にするは、人の道なり。誠は勉めずして中(あた)り、思わずして得、従容(しょうよう)として道に中るは聖人なり。これを誠にするは、善をえらびて固くこれを執る者なり。

誠というものは天の道である。天の道を素直に受けるのが人の道である。
真に誠の人は、特に勉強したり思索したりしなくても正道を得ることができる。
ゆったりと構えて道をすすむのが聖人というものだ。誠の人となろうとする者は、善の道を選んで、それを固く守るものである。

なかなか誠は奥が深いのですね。

『論語』の中に
「子曰わく、
吾十有五にして学に志し、
三十にして立ち、
四十にして惑わず、
五十にして天命を知る、
六十にして耳従(したが)う、
七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず。」
とあります。

口語訳によると、
「先生がいわれた。
わたしは15歳で学問に志し(志学 しがく)、
30になって独立した立場を持ち(而立 じりつ)、
40になってあれこれと迷わず(不惑 ふわく)、
50になって天命をわきまえ(知名 ちめい)、
60になってひとのことばがすなおに聞かれ(耳順 じじゅん)、
70になると思うままにふるまって道をはずれないようになった(従心 じゅうしん)。」
とあります。

50歳を前に、天命をわきまえる歳となりました。天から与えられた自分の使命を悟るようになりなさいという事だと思っています。

人生がいつまで続くかなどわからないから、誠の人になり神様の元へ還れるよう、残された人生精進しなければと思います。


6月お詣り MOKOちゃんと

2022-06-29 05:46:00 | 田舎の神様のこと
先週末に6月の津野山お詣りをしてまいりました。
週末は雨ばかりで、計画しては流れて、このままでは今月行けないかもと思い、天気は良くなくて心配でしたが行ってみることにしました。
予報は曇りでした。



お客様であり、お山友達でもあるMOKOちゃんを誘ってみることにしました。

旦那と2人よりMOKOちゃんがいた方が楽しいし、前日に急遽思いついたようにLINEしたのですが、
「嬉しい❣️行きます。」
とお返事くれました。

これは檜かなぁと、木工作品を作ってるので、お宮の地に自生している木々を観察していました。


まずは、お供えする榊をお山の榊の木から切ります。
こちらはMOKOちゃんと夫。
可愛いMOKOちゃんがいると夫も嬉しそう🥰


野菜や果物お菓子、お酒などのお供物をして、山で切った榊を供えます。
そして、お詣りします。


コンパクトなお宮ですが、中に3人入れます。
中に入ると雷がゴロゴロ鳴り始め、猛烈な雨☔️になりました。
1時間80ミリ😳降りすぎやろ。

ポジティブシンキングな私とMOKOちゃんは、
「この中で、まったりしなさいと、金毘羅さんが言ってくれゆうがやね。。。」
と話し、中でランチをして、
「何か幸せだね。。」
と話して30分くらい、この中で過ごしました。

ここで昼寝したら、良い夢がみえそうです❣️
一度一人でやってみたい。。。😴
そうこうしてたら霧が流れて、雨が降り止みました。
大雨のあと霞がかった景色も水墨画のようでこれまた美しかったです。



さて、MOKOちゃんの作品。
こちら、ふるさと納税の返礼品にもなっている
MOKONROです。



なんともセンス良くて、檜の中に松ぼっくりを入れる発想が素敵です。木の香りに癒されます。

人間の脳にある松果体の尊い機能について女医さんが書かれた本を読んだことがあります。
人間の頭の中にある松果体の形は、松ぼっくりに似ていて、その女医さんの書いた本には、全ての人間の脳にある、その松果体の未解の機能は、神様から賜った、わけ御霊的なものではないかといった観点で書かれていました。そしてその松果体はダイヤモンド💎よりも美しいと。

松ぼっくりを中に入れると可愛いからと、松果体の事とか知らずに、松ぼっくりを檜の中に入れるMOKOちゃんの発想が素晴らしいと思います。
自ら海に探しに行って、良いのがあれば拾って来て、自分で洗って乾かして、そして自ら作った檜の置物の中に、松ぼっくりを入れるみたいなんですね。
災害時は燃やして🔥、コンロにして上で料理🥘をしたら良いし、その時に気持ちが憩えば良いな❤️と話します✨
可愛いし、勿体無くて燃やせない。。。

MOKONROマークのある、お札立てや、お香立てもあります。
お宮にてヒバのお香を立てたので、優しい香りがお宮に漂います。



MOKOちゃんは、お宮の天井画も一枚描いてくれました。
去年知り合ったばかりなのに、一緒に何度もお山に行ってくれ有難いです。
津野山の神様が大好きみたいで、県外のお友達を連れて来たりして、お詣りしてくれています💖

彼女はしまなみ街道の大三島にある大山祇神社が大好きで、大山祇の神様をお父さんくらいに思ってるというから、津野山の神様ともきっと縁があるんでしょうね。

そしてMOKONROのマーク。
宇宙をイメージして作られたとか。。。
素敵ですよね。



この日は新緑の松を津野山にて頂きました。
この場で食べてみたのですが、ミントみたいで美味しいです。そして、新鮮です🌱。
松は原因不明の病も治るとか、ここの松は消毒の心配もないし、頂くには最高です。


母にも食べさせようと思います🤗



30分くらい、お宮の中にこもってたら、雨が止んだので恵比寿様のいらっしゃる御神木の所へご挨拶に向かいました。
この時期は一雨一雨雑草が生い茂り、草を刈りながら上がったので出遅れましたが、先の方にて夫がトンカチで手作り階段の手直しをしていました。
素人のつくった道は次に行くと壊れてる事も多々あります😅


恵比寿様、今月もお詣りに来ました。
いつも有難うございます。
今月はMOKOちゃんも一緒です。



MOKOちゃんの帽子が木の枝に👒
なんか可愛い💕



恵比寿様の御神木のお詣りを終え、再び金毘羅様の地に帰ったのですが、到着と同時にまた大雨☔️
そんなに濡れないまま恵比寿様のところで過ごせたのですが、ギリギリセーフの奇跡のタイミングで土砂降りです。
そしてお宮の中で再び過ごす事30分😅



この日は、本当にここでゆっくりしなさいと金毘羅さんが言ってくれたんだと思います。
可愛いMOKOちゃんが来てくれて神様も嬉しかったのかも❣️

雨が止んで、雑草を除けたり掃除をしてたから、金毘羅さんと恵比寿様のところで気がつけば4時間くらい過ごしました。
草刈りがとても楽しいねと話します。

やっと雨が小降りになり、荒神様のところと耳の神様のところへ行きました。

MOKOちゃんも、鎌を持って草を刈って、荒神様と耳の神様のところのお掃除を一緒にしてくれました。



荒神様、耳の神様。女神様。龍神様。✨🧝‍♀️🐉✨
有難うございます✨✨✨


津野山の紫陽花は雨に濡れ、美しかったです。



我が家ではMOKOちゃんの作品を神棚の下に置いて、お祈りする時、坐をする時向かい合って座ります。
松ぼっくりを神棚に置くと良いと教えて貰ったのですが、神棚には色々お供え物があり、置き場所が既になくて、神棚の下になりますがこちらを置いてます。
でも、目線にあるのが丁度良い感じです。


器用な方で、可愛いマスクをプレゼント🎁してくれました。マスクも素材にこだわってます。
よく考えると口に当てるもの。自然素材が良いですよね。
正直、もうマスク外したいのですが。。。😅



MOKOちゃんがつけてて可愛いかったから、ピアスとチャームは購入しました💖
チャームは車に、お守りとしてつけます。
ピアスも可愛いから、時々つけさせて貰います。
素朴な真心感のあるMOKOちゃんの作品が好きです。そしてお値段も高くない。

MOKOちゃん津野山の神様を大好きになってくれ、いつも付き合ってくれて有難う✨




大山祇神

2022-06-28 05:18:00 | 神社仏閣詣り
大山祇神が祀られている大山祇神社は瀬戸内海のしまなみ海道の大三島にあり、大三島神社と地元の方はいうようです。
大きな御神木があり、とても素敵な神社です。

大山祇神社 - お山にお宮がたちました

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河内五社神社の御祭神が、大山祇神様と知ってから大山祇神社が気になり調べると愛媛県しまなみ海道の大三島という島に大山祇神社の総本山があると知りました。是非行ってみ...

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大山祇神社には宝物館があるのですが、中にそれはすごいお宝が沢山ありました。
こんなに凄い宝物があるのに、どうぞ見ていってくださいという感じで数百円で中に入れます。

大山祇神は
『古事記』では大山津見神⛰
『日本書紀』では大山祇神、他に大山積神、大山罪神(この表記は編纂者の悪意を感じますね😡)
とも表記されます。
別名 和多志大神酒解神

渡しの大神という事は航海の神でもあり、海の神でもありますね。
瀬戸内海に大山祇神社の総本山があるのも納得です。
酒解神というのも、初めて酒を作り神々にふるまったとされるから、こう呼ばれるようで、日本最初の酒である口噛み酒と繋がり、「君の名は」の巫女が作るお酒を想像します。やはり女神様??

お遍路で気になってお詣りさせてもらった、愛媛県の三嶋神社があります。
三嶋神社 - お山にお宮がたちました

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愛媛のお遍路の時、寄らせてもらった神社を紹介します。私は、凛とした空気が好きで、神社に足を運びたくなります。以前、この神社前を通った時にとても気になったので、愛...

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御祭神は大山祇神と高龗大神と雷大神です。
高龗大神は龍神様🐉
雷大神は雷神。つまり、上賀茂神社の御祭神である賀茂建角身命のお孫神の賀茂別雷命だと思います。




そして、綿津見神🌊

伊弉諾尊が水に潜った時に三柱の綿津見神が生まれ、その綿津見神は阿曇連の祖先神であると言われています。
今でも阿曇氏は自分たちの祖先であるところの綿津見三神を祖先神として斎き祭っています。

航海の神として祀られている住吉大社の御祭神である底・中・上筒之男命の三柱は、墨江之三前大神(すみのえのみまへのおほかみ)といわれています。
墨江は住吉のことで墨江の三前大神は住吉大社の三柱をいいます。

住吉大社の臨む大阪湾は、古くから重要な港であり、その周辺(大阪府)は「津の国」と呼ばれてきました。
このは港や船着場を意味し、住吉三神は「津の守護神」と考えられてきたようです。
住吉大社の社家は津守氏であり、筒之男は「津の男神」と考えられています。

そして、綿津見三神と筒之男三神は深い関係があり、摂津国住吉郡に住吉坐神社と大海神社があり、この大海神社も津守氏の斎き祭るところとなっています。
また、筑前国に住吉神社と志加海神社が、
壱岐島には住吉神社と海神社が、
対馬島には住吉神社と和多都美神社が、
という具合に、津の国と玄界灘周辺の地域で、この両神はともに並び立って祭られているようなのです。

都会なのに大阪の住吉大社にて、海を感じました。
住吉大社 - お山にお宮がたちました

住吉大社 - お山にお宮がたちました

住吉大社は都会にありながらも、鳥居をくぐると外は海なのではないかと錯覚するくらい海の似合う神社だった。目を閉じると、海の近くの浜辺に大社があって、波の音が聴こえ...

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三柱の女神様と、三柱の男神様。
山の神、海の神。

大三島の神様は山の神でもあり、海の神でもある大山綿津見神。。。日本総鎮守🗾
どこまでも高い山⛰どこまでも深い海🌊。
大地が陰陽☯️に分かれた感じですね。

宗像三女神、住吉大社御祭神、ミミの神。

天地創造が
天之御中主様、高皇産霊神様、神皇産霊神様の
造化三神でなされたように。

三柱には意味があると思います。

三島
三輪
三三の神。。。



気の赴くまま行きたいなと思う神社詣りをするのが好きなのですが、後に調べて繋がる感じが嬉しいです。



三嶋の神様の子孫の女神様は代々のその身体に神をおろすことの出来る、シャーマン、つまり卑弥呼(日巫女)だったのではないかと思います。

そして、男神様はその女神様との結婚を望んだと考えます。

恵比寿様も。。
神武天皇も。。。
木花咲耶姫の夫である瓊瓊杵命も。。。その後も続く。。

大山祇神社がある、しまなみ海道の隣島の因島には耳明神社という神社があります。
耳という名前からずっと気になっていたのですが、三嶋湟杭咋耳神様を知ったので、いつかお詣りしたいと思います。

津野山の耳の神様には穴の空いた石を供えるように従兄弟に言われました。
神様と人間を繋いでくださる優しい神様。



龍神となり神様と人間を取り持ってくださっていると教えてもらいました。

津野山の神様の事を知る前、ある方から神様好きな私に持っておいて欲しいと渡された神様事典。



津野山の神様の事を知ってから、津野山にいらっしゃる神様が、どんな神様なのかを知りたくて、自分なりに調べたり、導いて教えてもらって、やっと辿り着いた御神祭のお名前とそのルーツ。

津野氏が流れ着いたとされる母の故郷「津の山」。旧東津野村力石。

津の山の神様を知りたい。。。その知りたい願いを、ゆっくり導いてもらうように、色んな角度から神様に教えてもらい、津野山だけではなく日本の神様について沢山の気づきを与えて頂きました。

答えを与えるのではなく、気付きのきっかけを求めれば色んな角度から見せてくれ、それを掴んでいく感じで導かれたと思ってます。
決して答えではなくヒントをくれるのです。

こんなに神社が好きになり、人生が楽しくなったのは、全て津野山の神様のお陰で感謝しかありません。。

色々書きましたが、私の頭の中の空想であり、史実は保証しませんので。。🙇‍♀️


※画像は全て検索画面よりお借りしました


賀茂建角身命

2022-06-27 05:31:00 | 神社仏閣詣り
下鴨神社の御祭神である賀茂建角身命は、八咫烏ともいわれます。
別名、三嶋湟咋耳神とあります。


下鴨神社は賀茂御祖神社ともいい、かつて気になってお詣りさせて頂きました。
大きな台風が去ったばかりの時にお詣りしたので、殆ど参拝客がいなくて、静かにお詣りできました。
その下鴨神社にある三井神社の御祭神はこちらです。三身社ともいわれます。



三身(耳)の神様とは大三島の大山祇神社の御祭神を祖としており
三嶋湟咋耳神(賀茂建角命=八咫烏)
伊可古夜比売命(かぐや姫とも)
勢夜陀多良比売(活玉依姫命)
をいうようですね。
系図でみると恵比寿様の奥様とその親神様ですね。
ミミの神様は神をおろす日巫女で、三柱の女神様のような感じもしますが。。。
こうして、私の中で下鴨神社と大山祇神社(大三島神社)が繋がりました。

そして奈良の日本最古の神社、三輪山を御神体とする大神神社でありますが、古事記によれば
崇神天皇の時、疫病が流行で人民が多く死に、天皇の夢枕に大物主大神が現れ「意富多々泥古(おおたたねこ)という人に自分を祭らせれば、祟りも収まり、国も平安になるであろう」と神託を述べた。
とあります。
その三輪君の始まりとされる大田田根子命は三嶋湟咋耳神(八咫烏)の子の勢夜陀多良姫(活玉依姫)の孫の孫くらいの子孫のようです。

疫病を鎮めるため崇神天皇の娘に祭祀をさせるのではなく、大物主命の子孫である大田田根子命に祀らせたのです。

大神神社も元を辿れば、三輪君の祖、三嶋湟咋耳神に辿り着くのですね。

山神様と蛇神様 - お山にお宮がたちました

山神様と蛇神様 - お山にお宮がたちました

私は三姉妹の末っ子で一つ上の姉と双子の姉がいる。双子の姉とはよく電話をするから、お山の神様の事は最初から詳しく話していた。謝りに行く時も私が心配だと言って東京か...

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高知県にもその大田田根子命を祀る美良布神社があり、昨年から偶然にも近くで仕事をすることになりお詣りさせて頂きました。高知県の二の宮になります。
やなせたかしさんの故郷、あんぱんまんの里であり、高知県の香美市香北町というところにあります。
市内からは車で約1時間ほどかかり、山と川に囲まれた長閑なところです。

あんぱんまんの里 - お山にお宮がたちました

あんぱんまんの里 - お山にお宮がたちました

ここは高知県香美市香北町。アンパンマンの作者、やなせたかしさんの故郷です。山に囲まれ川が流れる癒しの里です。年に一回から二回、市内から車で約1時間かけて、こちらに...

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大山祇神神社、下鴨神社、大神神社はルーツの同じ神様を祀っている神社ということになりますね。

賀茂建命は八咫烏。。
三輪山の御祭神は三輪氏、辿れば三嶋氏、賀茂氏つまり秦氏の祀る神。。。
三嶋の神様はを読み、航をしたイメージがあり、その女神様は龍を統べる龍宮の乙姫様かな。

下鴨神社の御祭神の色々な名前からイメージしてみます。



賀茂建角身命の角は王の象徴。大地の神様

八咫烏は太陽神


三嶋湟咋耳神は龍神を統べる龍宮の乙姫様
海は月の満ち引きとも関係があり海の神であり月の神でもあり。



太陽、月、海、大地。

お詣りした神社の御祭神を調べていくと、まるで神代の出来事が映像になって空想が広がります。

神様を知れば知るほど日本の素晴らしさに気付き、神社が大好きになります。

まだまだわからないこともありますし、空想も過ぎると思いますが、お読み頂きありがとうございました🙇‍♀️


※画像は全て検索画面よりお借りしました!
 


事代主命③

2022-06-26 06:18:00 | 神社仏閣詣り
気になる国譲りの前段の古事記のお話を紹介します。

葦原中国を平定するに当たって、遣わされた天之菩卑能命(アメノホヒ)が3年たっても戻って来ないので、次に天若日子が遣わされた。

まず、こちらの系図から。



そして、饒速日命を中心の系図はこちら。


下照姫は結婚後名前を変え高照姫と呼ばれ、又の名を瀬織津姫、市杵島姫ともいわれるようです。

以下Wikipediaより。

しかし、天若日子は大国主神の娘下照比売(シタテルヒメ)と結婚し、葦原中国を得ようと企んで8年たっても高天原に戻らなかった。
そこで天照大御神と高御産巣日神(タカミムスビ)は雉の鳴女(ナキメ)を遣して戻ってこない理由を尋ねさせた。

すると、その声を聴いた天佐具売(アメノサグメ=天邪鬼の元といわれてますが、不吉な鳥だから射殺すようにと天若日子に勧め、彼は遣わされた時に高皇産霊神から与えられた弓矢(天羽々矢と天之麻迦古弓)で雉を射抜いた。

天羽々矢ですが、Wikipediaによると、

『石切劔箭神社』の社史によれば、天照大神から大和建国の神勅を拝し『十種の瑞宝』を授かった饒速日尊が船団を組み、自らも『布都御魂劔』と日の御子の証である『天羽々矢』を携え天磐船に乗り込み、物部八十の大船団を率いて高天原を出航した。
途中、豊前国の宇佐に寄港すると船団を二つに分け、息子の天香具山命に『布都御魂劔』を授け船団の一方を預けた。

とありますので、天若日子は大いなる物部の主、饒速日命ですね。

宇佐から瀬戸内海を渡ると饒速日尊は河内・大和に、一方の天香具山命は紀伊に向かった。天磐船が鳥見の里を見渡す哮ヶ峯(たけるがみね『生駒山』)に着くと、饒速日尊は辺りを見渡し「虚空(そら)にみつ日本(やまと)国)」【訳「 空から見た日本の国」または「空に光り輝く日本の国」】と賛じた。これが日本の国号の始まりとなった。

饒速日命はいなる日本の最初の王

息子と書かれてある天香山命は、紀伊の熊野にある神倉神社の御祭神である高倉下命と同一です。
のちに草薙剣が祀られている熱田神宮の祭祀を司る尾張氏の祖となりますから、布都御魂劔を授けたにも繋がります。

また古事記です⬇️

その矢(天羽々矢)は高天原まで飛んで行った。その矢を手にした高皇産霊神は、「天若日子に邪心があるならばこの矢に当たるように」と誓約をして下界に落とす。
すると、その矢は寝所で寝ていた天若日子の胸に刺さり、彼は死んでしまった。

天若日子の死を嘆く下照姫の泣き声が天まで届くと、天若日子の父の天津国玉神は下界に降りて葬儀のため喪屋を建て八日八夜の殯をした。

先代旧事本紀』では、既に饒速日は復命せず現地で亡くなり、高御産巣日神は号泣して亡骸は速飄(はやちかぜ=風神)により天に上げられ、葬儀は七日七夜続いたとあります。。。

古事記再び⬇️

下照姫の兄の阿遅鉏高日子根神(アヂスキタカヒコネ)も弔いに訪れたが、彼が天若日子に大変よく似ていたため、天若日子の父と妻が「天若日子は生きていた」と言って抱きついた。



そっくりですね。

すると阿遅鉏高日子根神は「穢らわしい死人と見間違えるな」と怒り、大量を抜いて喪屋を切り倒し、蹴り飛ばしてしまった。喪屋が飛ばされた先は美濃の藍見の喪山だという。

とても胸が痛くなるようなお話ですね🥲
実際に喪山古墳 が岐阜県美濃市垂井町にあるようです。

アジスキタカヒコネ神(事代主命)は土佐神社の御祭神で賀茂氏の崇敬した神様の一柱です。喪屋を切り倒し、蹴り飛ばしなんて、そんな事、心からするはず無いですよね。
妹の旦那様ですから、心底悲しんで弔ったはずです。岐阜県は位山も含めゆっくり周ってみたいなと思います。

古事記の記され方には、時の編纂者の思惑が見え隠れします。。。
企てて。。。とか、邪心があるなら。。とかという表現はどうですかね。

〇〇だったから✖️✖️した。
この前提の〇〇だからは、結果の✖️✖️の理由にはならない事が今の世にも沢山あります。
〇〇だからは、実はやった側の正当性を誇張する為の正義の押し付けであり、
実際は✖️✖️だけが事実なんです。
戦争なんかは正義のぶつかり合いの最たるもので、大きな禍根を残します。

前提も善で結果も善が一番良いですね。

恵比寿様と大国様は仲良しだと思います。
いつも笑って一緒に描かれているし、似ているから同一説もあるくらいだし。。。



七福神の中の恵比寿様、大国様、弁財天(市杵島姫)、毘沙門天(ムカデと共に描かれる)はこんな感じで繋がります。

それにしても恵比寿大国福の神とはよく言ったものです💖

毘沙門天の絵はムカデと。

⬇️日本神話・神社まとめより


皆んなで宝船に乗ってます。

七福神として、その神様がどんな神様なのか知らなくても、有難い神様として日本人の心にそっと根付いていらっしゃるのですね。



あくまで私の空想のお話ですのであしからず。。。


※画像は検索よりお借りしました