父が田舎の地方議会議長の職を辞して二カ月も過ぎた頃……。
長兄から電話があった。ちょっと帰って来いと。
父親が一日中、寝床から出て来なくなった。時折力なく絞り出す言葉は『自分はもう終わりだ……死ぬのを待っている』なのだと兄は言った。
お前が喧嘩を売るしかない。お前は知らないだろうが?お前と口論した夜はとても元気になるのだと彼は言った。
今迄になくホントに恐ろしく衰えているからな……。
仕事を調整して帰った。兄の言う通り……風貌は激変しており、寝たきり老人の雰囲気をまとって布団の中に引きこもっていた。
何を言っても無反応。暫くそれを繰り返しているとやたら腹立たしくなった。
悲しかったのである。
シベリアの抑留生活を切り抜けて帰還した父は病気がちで大病を二度やった。長期入院を余儀なくされ、体調が回復すると軽い仕事をこなしながら通院していた。
まだ幼かった僕でも夜中に母が泣いているのを何度か目撃した。
『死ぬかも知れない?』医者は何度かその恐ろしい診断を母に告げていたから……。
そんな暮らしの中で、父親はそれでも理想を秘めていた。この田舎町をああしたい、こうしたい……と。
二度目の入院から帰ってから徐々に体力が回復し……町の先輩達に支えられて地方議会で長年仕事をした。
考えていた事は粗方実現出来たと議長職を辞した。
身内ながら僕は父親に対して畏敬の念を抱いていた。よく自分を諦めなかったな?……と。
その父親が何たるテイタラク……腹は立つし悲しくなった。
『貴方は卑怯者だ!』、『老人がもう駄目だ、死を待つばかり?』なぁ〜んて言えばそりゃ皆うち揃って心配するでしょね?
体力が落ちたなら?経験と知恵を使って若い人達に還元するのが年寄りの努めでしょう?……と僕は言った。
『その歳で死を売り物にするのだけは止めて欲しい!』……。
それまで布団を被り、一切無視を決め込んでいた父親……。
やおら半身を起こして叫ぶ様に言った。
『チンピラが分かった風な口を利くな!』、
『頭じゃ分かっていたんだ』……と。
実際、職を辞してみてホントに誰も相談には来ない。頼み事をする人もいない。
改めて思った。自分は木から降りた年老いた猿なんだと……。
僕はね?……その年代、年代で必ず初体験のテーマを与えられ続けるんだと分かったんだと言った。
だから今、義務放棄して『自分はもう死ぬ……』なぁ〜んてのをウリにするのは生きる横着だと思う……と。
父は項垂れ、頭を両手で掻きむしっていた。
母が後ろから僕の服を何度も引っ張った。
もう止めろ!……と。
生意気言ったけど……でも嘘じゃない。僕もやがてその孤独を味わいながら『何か?役割りを見出して生きて行かなきゃイケないよね?』……。
兎に角、その生きる横着の正当化は如何に怒鳴られても僕は許せない……。
再び母が強く引っ張りながら……『もう帰りなさい!』と言った。
じゃ帰るね……。父は相変わらず頭を掻きむしっていた。
カミさんが帰りの車中で言った。凄く弱ってた。悪いけど貴方も覚悟を決めておかないとね……と。
三日後、兄から電話があった。
『でかしたぞ、お前よく演った』と。
次の日から父は起き出して家の周辺や裏山の片付けを始めたからな……と。
食事もベッドに運ばなくて良いと皆とテーブルについて食べ出したらしかった。
それから父は十七年生きた。
九十五歳間近での大往生だった。
自分の吐いた言葉はブーメランとなって帰って来る。余程覚悟を決めておかないと……と今思うのである。
老醜って年齢的ビジュアルなんかじゃない。 自分のメンタルが際限なく自分を許し続けるから醜くなってしまうのである。