午前10時まではわりと涼しい。



蚊取り線香は連続で6時間ちょっともつ。
今日わかったこと二つ。



2時過ぎて、開け放しておいた勝手口の蚊取り線香は燃え尽き、扇風機の本体は熱を持ち、そろそろいいかなとエアコンをつけた。
冷房28℃では全然涼しくないからいつもエアコンはあまり使わなかったのだけれども、除湿28℃だと快適。これは、今年の梅雨に、わかったこと。
🎐👘🎇
小学四年生の夏、家族旅行は房総の海水浴だった。
宿泊した民宿の部屋に置いてあった雑誌(なんとなく少年マガジンだったような気がする)で、戦争漫画を読んだ。
リアルな劇画で、主人公の青年が爆撃を受けた町を歩いて目にする光景がそれはそれは悲惨で恐ろしく、私はそれから暫く、夜眠れなかった。
その時「原爆」のことはあまりわかっていなくて、あとになってから、あの劇画が「はだしのゲン」だったのかなと思ったのだけれど、チラ読みした「はだしのゲン」とは絵の感じが違うようだし、あの時のは読み切りの漫画だったような気もする。
とにかく、民宿の少年漫画誌体験により、「はだしのゲン」を読む気になれないし、広島に行くことがあっても、原爆記念館を見たらまた眠れなくなるに違いないから絶対に見学しないだろう。
あの漫画だけで、戦争と核兵器は絶対にあってはならないことだと思い知らされているつもりなのだけれど、それではだめでしょうか。
平和に感謝、そしてコロナ終息(収束)を祈る今年の夏ですね。
いつも、ブログを見いただいてありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。
優しいコメントをありがとうございます!
今日も暑かったですね。裏磐梯や、温泉がお近くで、羨ましいです☺️
マロンちゃんにもよろしく💕
それでいいんです。何も感じない事こそ、大いなる誤謬。戦争を知らない世代が、また、戦争を起こすのです。
子々孫々、言伝をしていけば、もしかしたら、我が日本は戦争をしなくて済むかも・・。甘いかな~。
私の世代は親が学童疎開や空襲の話を時々していました。
私より十歳ほど若い方になりますと、おじいちゃんが戦死していて、おばあちゃんが女手ひとつで育てた親を持ってたりするのがびっくりです。私より若いのに戦争がよりリアル。😓
昭和一桁は、戦時中は子供でしたし、その親ー私の祖父母たちは、召集される年代より上なんですよ。
とにかく、語りつがなくてはいけませんね。
私は、父が長崎、母が小倉(長崎の原爆は小倉に落とされる予定でした。)の出身で。私自身も小中学生時代を小倉で過ごしたため、毎年の夏休み中の登校日には、原爆の劇映画でなく、リアルな(米兵が映したような)フィルムを見て育ちました。祖母からも黒い雨の話を聞きました。
大切な事ですね。「戦争は嫌だ」思う単純な気持ち。
私も辛すぎて、自分はもう見たくないですが、もっと今の子どもにも見せたいと思います。
私が小学生のころ
「はだしのゲン」の漫画本が教室に
先生が本として置いていて
それを手にして読んだ時、
あまりの絵に衝撃で
小学生が読むには、かなりのショッキングな絵で
原爆とは…恐ろしいもの
人とは…
黒い雨に打たれて人が人の姿してなくて
そこら中に川にも黒い遺体が転がっていたり
建物に人の影のような痕だけが残って…
すさましい光景を
この「はだしのゲン」から知りました。
衝撃的だったので今でも覚えています。
戦争の恐ろしさ、忘れてはいけないですね><
私がチラ読みしたはだしのゲンは、まだ悲惨な状況が起こる前の部分のようでした。民宿の雑誌のは、やっぱりはだしのゲンかなあ。でも、主人公は少年ではなかったので違うとおもうのですが···。
snowdrop様はお若いと思いますが、私が小学生だった昭和四十年代はじめ、夏休みの少年漫画誌に掲載されるくらいに、まだ「戦争」が近い記憶であった時代だったことに驚きます。
地球は確実に終わることはわかっているのに、内部の地球人同士でで兵器の競争をするなんて、おかしいですよね。😱